精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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何となく妙な感じの、引きこもる人(さまざまなケースでの対応法と医療サービス)

 不登校の子ども・青少年の増加が最近は社会問題となってきています。不登校には、引きこもりやリストカットなどの自傷行為、さらには暴力や家出などの行為障害も付随してみられるケースもあり、複雑化してきています。その原因については単に心の問題(葛藤)から精神障害や人格障害などに起因するケースもあると考えられます。
 そのなかの代表ともいえる「統合失調症」の初発症状は、〝何となく妙な感じで、引きこもる〟という場合が多いようです。〝ひとり言をいったり、雨戸を閉めて部屋を暗くし、何かにおびえたり、些細なことで興奮する〟こともよくみられます。
 以下、代表的な事例をあげたうえで、考えられる問題・病気に関する対応法を解説します。

不登校
 男子高校生が最近自室に閉じこもり、学校にも行かず、同居の家族とも顔を合わせようとしない。食事だけは自室でとっている。また、夜は寝ないでうろうろしているようだ。家族とも面と向かって話をしようともしない。(似たようなケースが多々ありますが、個々の細かい症状は千差万別です)

●考えられる病気など
 こういったケースでは、その原因となる問題として、①心の問題と、②脳・神経系の病気の2つがあると思われます。

①心の問題
社会的引きこもり
 不登校は必ずしも脳・神経系の病気とは限りません。また、身体的(器質性;すなわち明らかに病気の原因や損傷部位があり、それが元で症状が現れる)、知能的に何の問題もないにもかかわらず、何らかの情緒的な問題があって登校できないか、登校しようとしない状態もありえます。
 たとえば親の離婚などで家族関係に恵まれず、家での安住の場所がなく、心の安定が得られない場合や、学校でいじめにあい、心に深い傷を負った場合など、本人を取り巻く環境が疎外感を与えるような場合には、不登校のみならず引きこもりにもつながっていきます。
 一般にこのような心の問題(人間関係における葛藤)は、やはり10〜20代の若者に多いとされていますが、高年齢に達して社会的引きこもりに発展する例も増えています。また、リストカットのような自傷行為がみられる場合もあります。
 不登校の症例のうちかなりの生徒は、環境要因に大きく起因し、本人の主張も了解可能なことが多いようです(たとえばいじめがあるので学校に行きたくない、学校の先生とそりが合わないのでいきたくない、両親が離婚してそのショックで悩み学校どころではないなど)。このような場合には本人の話をよく聞き、悩みを少しずつ軽減してあげれば、問題解決の糸口がみえてくると思います。
 また、端的に「リストカット=人格障害」という判断は必ずしも正しいとは限りません。別項でも述べますが、安易な抗不安薬の乱用で躁うつ症状がかえってひどくなって、リストカットなどの自傷行為に至り、人格障害と誤診される例も多いという指摘があります。

②脳・神経系の病気
統合失調症
 初発症状は引きこもり、不眠、妙な行動などが徐々に現れてきます。本人にどうしたのか聞くと、「自分でもよくわからない」「どうも変な感じがする」といったむねの訴えがよく聞かれます。現状は他人の声(ときとして悪口など)が聞こえたり、視線が気になってしかたがなかったり、考えがまとまらず(本人は「集中ができない」という表現をすることもあります)、自分でもどうしていいかわからない、何かしらに対して不安や恐怖を感じるという状況です。

うつ病
 いくつかの思い当たる原因はあるものの、それをさしひいても意欲の低下、不眠、体のだるさが尋常ではない状態です。ストレスによる神経へのダメージが強く、神経が疲れきった状態ともいえます。こういう状態では、ただ一方的に叱咤激励するとかえって症状が悪くなり、場合によっては不安焦燥感をあおり、特有の罪業妄想(自分を責める気持ちが強くなる)から自殺などの事故に発展する危険性もあります。

③心の問題と、脳・神経系の病気の両方に関係する場合
 人格障害というものも考慮しなければなりません。
 人格障害は、パーソナリティーの問題で、最近では甘やかされた教育環境のせいもあるのでしょうが、自己愛性の人格障害(絶えず自己への愛情や賞賛を求め、それがかなわない場合は他人への憤激、屈辱感が噴出する)や、さらには境界性人格障害(感情や行動が不安定で、不安や怒りなどを容易に表出し、非行、自傷行為、薬物乱用などを起こしやすい。また、他人を自分の理解者として理想化しやすい反面、一変して軽蔑したり、逆恨みして対人関係でさまざまなトラブルを起こす)などが増えてきています。
 人格障害は精神疾患とは違い、必ずしも薬物治療で〝治る〟ものではなく、時間をかけて未熟な人格が成熟していくように、一定の距離を置いたうえでのカウンセリングや環境調整、教育が必要ですが、治療はかなり困難なのが現実です。

●不登校や引きこもりによくみられる付随症状
①リストカットや壁に頭をぶつけるなどの自傷行為(頻繁になるが、自殺までいかないのがほとんど)
②拒食・過食・嘔吐(摂食障害)
③大量服薬
④自殺企図
⑤行為障害(家出、窃盗、暴力、破壊、放火、薬物乱用、性的逸脱行動など)
 これらの症状のうち、特に自傷行為や自殺企図などの根底には、少なからず「うつ」状態があるのは確かです。家族や友人などの人間関係の葛藤などで「うつ」の落ち込んだ気分があり、それからの逃避ともとれるようなきっかけで手首を切って、それが繰り返されることも多いといわれます。最初は何げなく「やった」という場合が多いのですが、その後もこれらの行為は繰り返し行われることが多いようです。
 また、行為障害は反社会性の問題行為で、他人を傷つけたり器物を破損したりする行為の総称です。
 引きこもりや自傷行為は習慣化する傾向があります。原因として、単なる心の問題以外では、臨床的診断として神経症、摂食障害、薬物依存、躁うつ、統合失調症、そして境界性人格障害などが考えられます。そのため、精神科医療機関での鑑別(見分け)と対応が必要です。

●対応のしかた
 まずは、本人が一番困っている、どうしていいかわからない状態であることを理解して、そのうえでいっしょになって善処しようとアプローチすることが基本です。
 具体的に本人から、頭痛、めまい、吐き気あるいは下痢などの症状の訴えがあり、それが原因で登校できないという場合は、いじめやどうしても納得出来ない原因が学校にあり、それに体が意識以上に拒絶反応を起こして、そういった身体症状を起こしている可能性もあります。そのような状態で無理やり登校させようとすると、暴力をふるって拒絶したり、自己防衛のためか無理難題をいい出したりするケースもあります。
 不登校が長引くと、たいていの場合昼夜逆転し、生活も不規則になっていきます。
 このような場合に当てはまると思われるときは、家族はまず、腹をくくって、結果的には学校を変わる、あるいはやめさせることも覚悟して、親身になって子どもの悩みを聞くことが、解決に向けた最初の糸口となるでしょう。場合によっては数ヶ月、あるいは年単位での取り組みになるかもしれません。しかしながら、ここは人間として成長する過程で多かれ少なかれ体験するべき試練ととらえて、まずは本人の気持ちをじっくり聞きましょう。
 ぼちぼちでも話したら、チャンスを見計らって勇気づけることも必要です。また、保健師やケースワーカー、場合によっては心理士などにも、訪問や電話でのやりとりで支持的に情報提供してもらったり、援助者として間に入ってもらうことも有効かもしれません。
 一方、まったく家族の接触にも応じず、部屋に閉じこもり、さらには雨戸やカーテンも閉め切って薄暗い部屋でじっとしている、あるいは何かひとり言をいっている、ちょっとした音にも敏感に反応して、何かにおびえているといった場合には、統合失調症の症状である可能性があります。また、意欲が出ない、何もやる気が起きない、食欲もないし、だるくて起きられないなどといった症状が強く、表情もつらそうであったり、苦しそうな場合はうつ病の可能性もあります。
 このような場合には心療内科や、精神神経科クリニックへの受診をおすすめします。こういった場合は、統合失調症の初発症状である場合が多く、治療は主に服薬とカウンセリングになります。最近の精神医学は発達してきていますから、治療開始が早ければ早いほど、社会復帰できる方が増えています。
 人格障害については、専門のクリニックや心理学的療法を行っている施設での集団療法などのカウンセリング、内観療法、あるいはそのほかの宗教的な教育などで効果があったとされています。

●相談できる機関など
 精神神経的な病気の可能性がないケースについては、家族の支持とできれば学校の担任や信頼できる先生へ相談することが、まずとるべき方法でしょう。あるいは保健所の保健師やケースワーカー、心理士などに相談し、彼らの支持的な訪問や電話相談を手助けにするという方法も有効な場合があります。
 もし、統合失調症の可能性がある場合、直接心療内科や精神神経科を受診できればいいのですが、なかなか本人が承知しないでしょう。その場合、無理やり連れて行くことは、その後の人間関係、家族の信頼関係を考えると得策とはいえません。そこで、まずは
①ここはと思われる精神科関連のクリニックか病院に問い合わせ、まずは家族だけでも伺いたいので相談に乗ってくれるかどうかを聞きましょう。そのクリニックに、ケースワーカーや心理関係の窓口になってくれる人がいれば都合がいいのですが、もしいなくてもとりあえず話を聞いてもらいましょう。
②近くの保健所に相談に行くのもひとつの手です。保健師さん、あるいは民生委員が訪問してくれるケースもあります。そこから相談内容やケースによっては、適宜病院を紹介してくれるところもあります。
③いずれの場合でも、最終的には本人をしかるべき医師に受診させなければなりませんし、必要であれば入院、服薬も受けなければなりません。その際に、ある程度本人が判断できる状態であれば気長に説得することもできますが、症状が進行していて自傷他害(自らやまわりの人を傷つける)の恐れがある場合は、最後の手段として、保護者家族の同意を得て本人を入院させる医療保護入院や、都道府県知事の命令で入院させる措置入院という方法をとることになります。

●相談時の注意・心構え
 いちばん心配されるのは、実際は病気であるのに、ご家族が病気であることを無意識に恐れるあまり、様子をみすぎて治療が遅れてしまうことです。
 特に統合失調症やうつ病などでは、本来なら早期発見できれば早期治療により症状が重くなる前に回復ができ、早めに社会復帰できる可能性が高くなります。これを逃してしまうと症状が重症化し、社会復帰も著しく遅れる可能性があります。したがって、なるべく素人だけの間で相談するのではなく、早めに専門のドクターやケースワーカーに相談することをおすすめします。
 たとえ本人が診察をかたくなに拒否しても、家族からみて明かに危険だ、つまり顔つきも険しく、態度も落ち着かず、場合によってはものを壊したり暴力的になったりして、本人の理性では制御できない状況に陥っている場合は、患者さん自身を守るため、そして家族を含めてまわりの人も守るために、迅速にしかるべき機関に相談するべきでしょう。
 これからも続く患者さんとの家族関係、人間関係も当然大事ですが、精神疾患の可能性がある場合は、人命尊重の立場を勇気をもって選択されることをおすすめいたします。

●まとめ
引きこもり、不登校→
①症状に環境(学校でのいじめ、ストレスなど)との因果関係がある(心の問題)か否か→学校や児童相談所に相談→本人の考えをよく聞きながら環境を整えてあげる努力をする
②多少の精神症状がみられるかを見極める(心の病気)→精神神経科や保健所に相談→精神科的な治療(薬物療法やカウンセリング)

(麻布大学健康管理センター長 環境保健学部教授、精神科医 岩橋和彦編著「精神科医療サービスを上手に受ける方法 心の問題で困ったときに」法研、2006年)
# by open-to-love | 2007-07-26 03:04 | ひきこもり | Trackback | Comments(0)
統合失調症
 22歳の独身男性。現在は両親と同居しており、隣の町には姉が独立して暮らしている。大学在学中からほとんど大学に行かず、下宿に引きこもっていた。たまに姉のところへ行き、「友だちや教員から狙われている、殺されるかもしれない」といっていた。その後大学を中退し、以降自宅の自室で、昼間から雨戸を閉め、部屋を暗くして引きこもっている。ある日急に「やられる!」と大声を出して外に出て、隣の家の窓ガラスを叩き割った。すぐに両親が隣家にわびるとともに、その足で本人を精神科病院に連れて行き受診した。診察中もやや興奮気味で、入院治療が必要だと医師が説得しても、意思の疎通が得られず、このままでは自傷他害の恐れもあるため両親の同意を得て医療保護入院となった。

●考えられる病気など
心因反応による引きこもり
 何らかの心理的に大きな影響を与える環境要因があり、それに引き続いて精神障害が起こることを「心因反応」と呼びます。つまり、心に突き刺さるようなショックを受けるような事件があり、それによって急性のストレス症状を伴ったり、あるいは一過性に多彩な精神症状をみせるものです。この場合の多彩な精神症状とは、興奮、被害妄想、幻覚、そして情緒的混乱を伴う症状を指します。
統合失調症
 統合失調症では、初発症状はひきこもり、不眠、妙な言動や行動が徐々に現れてくることが多く、本人も「自分でもよくわからないが、どうも変な感じがする」という状態です。現状は他人の声が聞こえたり(幻聴)、考えがまとまらず(本人は「テレパシーが入ってきて頭が混乱する」という表現をすることもあります)、不安や恐怖を感じるという状況です。
 このケースでは、大声でわめいたり、いきなり器物を損壊したりする衝動性から、躁うつ病などの可能性は低いと思われます。

●治療の方法
初期治療導入
 前にも述べましたが、統合失調症は脳・神経系の病気で、おおよその本質と実態は、「認知」という機能の障害に基づくものです。「認知」とは見たもの(視覚)、聞いたこと(聴覚)、などが、脳・神経で自覚され、さらにいろいろな経験や思考(考え)がそれに加味されて、ものごとの実態を認識し、さらに推理判断して、発言したり行動にして実行する一連の知的行動です。
 統合失調症の患者さんは、脳内の認知機能をつかさどる大脳辺縁系になんらかの異常が起こっていると考えられます。つまり、認知機能の障害で、外界の刺激の実態がうまくつかめず、さらに幻覚(主に幻聴)も伴って、何か得体の知れない外敵が待ち構えているような不気味な感じがして、自分の外からくる情報、接触を拒否しているといった状態です。特に急性で症状が増悪(悪化)した患者さんは、外界からの刺激を不気味に感じる気持ちが強く、身構えつつ恐怖や不安に押しつぶされるような状況なのです。
 ですから、いきなり家族が治療を受けるように説得しても、その理由はおろか、状況そのものが理解できず、いっそう不安や恐怖が増します。それが、急性期の(初発の)統合失調症患者さんが治療を拒否するいちばんの原因です。

治療を拒否する患者さんへの対応
 まずは多少の無理をしても本人を病院に連れて行き、抗精神病薬の薬物治療を受けさせましょう。そのまま放っておけば、症状はますます悪化し、本人もつらく、また本人だけでなくまわりの人にとっても不利益を生ずる事故が起きる可能性も出てきます。ご家族にとってもつらくし難しいことですが、このときに中途半端に及び腰になったりおびえた態度になってしまうと、余計に事態を悪化させ、患者さん本人も不安感や恐怖感を増幅させてしまい、ますます治療を拒否する傾向が強まってしまいます。
 ですから、できるだけ穏やかに、そして適切かつ迅速に、場合によっては毅然とした態度で治療に誘導するべきです。患者さんとご家族、患者さんと主治医間の信頼関係を築きつつ、脳・神経の病気の症状を取り除くための最善の手段を取り入れ、すすめていくしかありません。病院に連れて行くまではご家族の仕事です。ご家族のしっかりとした判断と協力なしでは、治療を拒否する患者さんへの対応はできません。
 患者さんは向精神薬を医師からもらっても、その薬がどうして「心」に効くのかよくわからないこともあります。また、「心」が薬によってコントロールされるのかと疑ったり、あるいは薬がくせになってしまうのではと心配になり、その薬を飲むのが嫌になったり怖くなったりしてしまいます。単に治療のため薬を飲みましょうとすすめられても、ほかの外部からの情報と同様に、意味がはっきり「認知」できず、かえって混乱し興奮したり、恐怖心があおられる可能性が高いかもしれません。これが拒薬(服薬を拒むこと)や治療導入(通院や入院)の困難な理由です。
 ですから、精神科の薬は「脳・神経系」の病気の症状に効くと割り切り、脳・神経の病気を治すために、薬も使っていこうと患者さんに考えてもらうことです。薬によってコントロールされるのは脳・神経系の病気の症状だけです。病気の症状が改善されればイライラ、幻聴、興奮といった不都合なことも軽減されます。
 患者さんが薬の副作用について心配して薬を飲みたがらない場合もあります。確かに同じ薬でも体質によっては眠気や倦怠感などの副作用が出る場合もあります。主治医ときちんと相談し、できるだけ副作用が出にくいように薬の種類や量を調整して処方してもらうようにして、とにかく服薬は継続するようにしましょう。

法的な入院もある−措置入院、医療保護入院など
 場合によっては、患者さんの保護を目的として、法的処置を講じてでも入院や治療をすすめなければならないこともあります。つまり、自傷他害(自殺、自傷行為や他人に危害を加えること)の恐れがある場合は、本人の不利益や周囲への被害を避けるために、強制的に法的処置をもって患者さんを入院させ、治療に導入します。
 そのためには、措置入院(2人の精神保健指定医の精神鑑定の結果、入院治療が必要と認められた場合、都道府県知事の責任のもと、本人の意思とは関係なく入院させる)、医療保護入院(指定医による診察の結果、後見人か配偶者、あるいは患者が未成年の場合は親権者か扶養義務者が保護者として同意すれば、入院させることができる。これらの保護者がいない場合は家庭裁判所が選任した者が保護者となりうる)などが用いられます。

治療は中断しないこと
 いったん治療に応じて、急性期の症状が改善されてくると、意思の疎通も得られやすくなってくるので、家族としてもまずはひと息つけますが、ここからが重要です。服薬を続けながら、社会復帰のためのリハビリテーションに移行するべき段階に入ったのです。
 しかしながら、患者さんによっては、「もう治った」、「薬を飲んでいる間は治ったことにならないから、ぼちぼち薬はやめる」といって自分の考えで服薬を勝手にやめてしまう方がいます。これは再発防止の観点からも危険なことです。また、症状がよくなったと思って自己判断で薬を減らしたり、一気に飲むのをやめると、かえって症状が悪くなったり具合が悪くなったりします。
 薬を減らす場合は、主治医と相談しながら徐々に減らして、最後は再発防止のために必要最小限の量のみを残してもらいます。そして定期的に通院し、薬の効果が安定しているか、副作用が出ていないかなど、状態をチェック(モニター)してもらうことが必要です。
 これらの流れを前提にしたうえで相談できる機関を探しましょう。
(麻布大学健康管理センター長 環境保健学部教授、精神科医 岩橋和彦編著「精神科医療サービスを上手に受ける方法 心の問題で困ったときに」法研、2006年)
# by open-to-love | 2007-07-25 21:45 | 統合失調症 | Trackback | Comments(0)

マタニティーブルー

マタニティーブルー(さまざまなケースでの対応法と医療サービス)

 31歳女性。出産後1週間くらいしてから急に怒りっぽくなり、乳児の健康状態は本当に大丈夫なのかといった心配や、自分自身が母親としてうまくやっていけるのかといった不安が出現した。食欲もなくなり、夜もよく眠れず、集中力も低下してきた。

●妊娠ー産褥期の精神症状
 通常の妊娠では、妊娠初期に最も情緒不安が出現しやすいといわれています。初めて妊娠すると、ただでさえ初体験のことに不安を感じ、ときには恐怖も感じることでしょう。しかし、もともとうつ病であった人は妊娠の中期または後期にはうつ症状が改善するという指摘もあります。ただ、妊娠中も抗うつ薬を服薬している場合は、血液の増量や肝臓の酵素の誘導(活性の増加)などで、薬の血中濃度が下がって症状が悪化するということもあるという報告もあります。
 また、一般的に統合失調症の患者さんなどは、妊娠中には幻覚や妄想などの精神症状は軽快するといわれています。ただし、例外もあり、後で述べる服薬についても、いろいろと患者さんのご家族でよく考えてもらわなければならないことがあります。
 いずれにせよ妊娠中は体内の女性ホルモン、ステロイドホルモンの分泌、特にエストロゲンが通常と比べて大きく変化しますので、それに伴い精神面への影響も大きくなります(通常でも性ホルモンやステロイドホルモンは精神面に多大な影響を与えます)。
 マタニティブルーは産後数日から2週間くらいまでに起こる一過性(すぐにおさまる)のうつ状態のことです。産褥婦全体の半数は軽度の症状を示すといわれており、感情がすぐに変わったり、不安や集中力の低下などが顕著となります。しかし、通常は1週間くらいで改善します。初産婦に起きやすく、もともとうつ症状があった方は症状が続くこともあります。
 マタニティブルーが現れて1週間以上たってもうつ状態が改善しない場合は、次に述べる産褥期うつ病に移行した可能性が高いと診断されます。出産して数週間たってから顕著になるうつ状態を産褥期うつ病と呼びますが、これは全出産の約1割に起こるといわれています。そのほかの産褥期の精神症状としては、幻覚妄想、錯乱が一時的に起こることがあり、確率的には出産する人1000人のうち1〜2人ほどでみられます。

●予防のために
 まず妊娠に先立って、こういった症状が起こりやすいということをパートナーともども知っておきましょう。ある意味では生物学的、内分泌学(ホルモン)的には妊娠における正常の反応なのです。そのことを含めて、パートナーといっしょに妊娠に関する説明や精神療法を受けることが望まれます。

●妊娠時の薬物療法
 妊娠中や産褥期の向精神薬による薬物療法は、胎児(胎盤を通じ)や乳児(母乳を通じ)への影響も考慮して、投与量や期間とも回避されたり軽度になりがちです(人工乳より母体からの授乳がいいのは当然です)。しかし、重症の精神症状に対しては、母体の自殺という最悪の結果を回避するために、向精神薬の大量投与もやむをえない場合があります。
 一部の抗けいれん薬(抗てんかん薬)や炭酸リチウム以外では催奇性(子どもに奇形が発生する)も低く、向精神薬のうち、抗精神病薬(統合失調症治療薬)や抗うつ薬(SSRIなど)は胎盤や母乳へは「少量しか移行しにくい」との報告が一般的です。
 妊娠中、特に3カ月以内は胎児の脳や体の基礎ができるいちばん大事な(奇形も起こりやすい)時期なので、原則は投薬禁止で、喫煙やアルコールも厳禁です。しかし、母体の症状がかなり重い場合は母体へのリスクと子どもへのリスクを天秤にかけてよく検討し、どうしても症状からくる母体の危機(自殺、拒食)が大きい場合は、母体の治療を優先してもやむをえないこともあると思われます。パートナーや主治医とも相談したうえで、よく考えてください。なお、産褥後、向精神薬の大量投与をする場合には、原則的には人工乳に切り替えるのが無難でしょう。

●薬物療法のまとめ
①妊娠中
軽度のうつ・統合失調症の場合→妊娠中に軽快することも多いので精神療法で経過観察する。
重症のうつや統合失調症の場合、あるいは母体の安全が優先される(自殺や拒食による衰弱などを回避する)の場合→抗うつ薬や抗精神病薬の投与もやむをえない。

②産褥期
軽度のうつ症状など→精神療法による予防と治療および母乳の授乳
重度のうつや精神障害→抗うつ薬や抗精神病薬の投与。原則として人工授乳。

以上のことをよく考慮して主治医と相談してみてください。

●そのほかの療法
 薬物療法以外では、ホルモン剤を投与したり、薬物療法よりは胎児や新生児へのリスクも低いと考えられる電気ショック療法や高照度光療法が注目されつつあります。

(麻布大学健康管理センター長 環境保健学部教授、精神科医 岩橋和彦編著『精神科医療サービスを上手に受ける方法 心の問題で困ったときに』法研、2006年)
# by open-to-love | 2007-07-25 01:04 | うつ病・躁うつ病(気分障害) | Trackback | Comments(0)

境界性人格障害

境界性人格障害(さまざまなケースでの対応法と医療サービス)

 19歳の女性。大学受験に失敗し予備校に通っていたが、両親の離婚やそれに伴う経済的問題から進学をあきらめようかと悩み、また抑うつ気分が出現し、予備校を休むようになる。自立をすすめるわりにはしつけに関してはほとんど何もいわない母親と暮らしているが、家ではほとんど自室にこもり、インターネットに夢中になり昼夜逆転した生活が2カ月続いた。
 母親によると、乳幼児期から「癇(かん)が強かった」という。中学生のころ、理屈っぽく、いじめを受けていたこともあるが、このころから、特定の友人に対する執着心が強すぎて、相手から敬遠されやすかったという。最近近くの心療内科クリニックに不定期に数回通ったが、薬をもらうだけで診察はほとんど受けていない。
 その後軽作業のアルバイトにいくようになったが、その職場でも他者との距離がうまくとれない。社内の人たちを巻き込んで、相手の失敗を許せず、安定した人間関係が保てず、さらにその原因を他人に押しつけて攻撃するといったことが多々みられた。結局アルバイトを3週間ほどでやめたが、やめる際には「死んで、おまえたち社員の記憶に残ってやりたい」と脅したという。
 今週になって抑うつ気分、不安、不眠、食欲低下が顕著となり、さらにはリストカットのような自傷行為が出現した。母親に対しても一晩中文句をいい続け、最近まで「お母さんは明るいし、いい人だからお母さんのようになりたい」といっていたのが、今回は急に「私を見捨てようとして、冷たい人だ」といって泣き叫んだり、暴れたり殴るなどの行為がみられた。

●このケースで考えられる病気など
躁うつや神経症圏の患者さんの抗不安薬依存との鑑別が重要
 人格障害(パーソナリティーの障害)と診断された人のなかには、気分が変わりやすい、無気力など、神経症や躁うつ病(双極性感情障害)圏内と共通する症状が多くみられます。
 また、一方ではアダルトADHDを疑って受診した人のなかにパーソナリティーの障害をもつ人もいるといわれています。つまりパーソナリティーの障害があるといわれる人は、その基盤に「人格面での発達障害」があると考えられるということです。
 ただし、これは精神科の名医である神田橋先生のご指摘ですが、躁うつの患者さんが「わがままで自分勝手」にみられて「人格障害」と誤って診断されてしまっていることがあるそうです。さらに、安易な抗不安薬の多用も、そういった誤診の原因になっているとも指摘されています。
 これはつまり、双極性感情障害の突発的に起こる不安症状に対して、主治医が善意で抗不安薬を出す、これは本来は期限限定かあるいは不安が強いときだけに飲む頓服薬として使用される薬です。しかし、患者さんが飲み方を間違ったり、大量服薬やリストカットなどの自傷行為を繰り返すようになる症例が出てくるというのです。
 このような方がすべて人格障害と診断されるとなると、これは誤診といわざるを得ないでしょう。事実そのような症例で、別の医師によって気分安定薬の単剤治療に切り替わることで症状が改善され、人格障害ではなかったことがわかったというケースがあるようです。

●境界性人格障害の特徴は「相手に対する極端な、急変する評価」
 境界性人格障害を精神分析的観点からみた場合、境界性人格障害の患者さん特有の防衛機制(外部の脅威や不安などから自我を守ろうとする自我の無意識的なはたらき)がいくつかあげられます。なかでも、次に述べるスプリッティングという原始的防衛機制は、分裂(スプリッティング)を基盤とし、分裂をより強めて維持するためのいくつかの防衛機制の総称で、境界性人格障害によくみられるものです。

スプリッティング
 相手に対する許容範囲が狭く自我が脆弱なため、相手を100%認めるか反対に1%も認めずに否定するか、自分勝手で極端な割り切り方で手軽に相手を分別していきます。つまり、自我が弱いので、状況のあいまいさや複雑さに耐えられないのです。そこで、「極端な善人」か「極悪人」か、どちらかの極に片寄せて、相手や状況を割り切ることで楽に解決する、あるいはあまり悩まないように疑問や迷いを排除するために表象(イメージ)を分割しておくのが、境界性人格障害の「防衛」の基本的手段であるといわれています。
 この境界性人格障害の防衛については、ある意味では「敵か味方かをはっきりさせないと気がすまず、自分を見捨てる人かどうかを、自傷行為で試している」というのに近いかもしれません。

●治療方法
アメリカにおける境界性人格障害の治療の現状
 アメリカでは境界性人格障害が精神科外来患者の20%にものぼるといわれています。その治療の最前線を担うアメリカの精神科医療について説明します。
 アメリカにおける境界性人格障害の治療は1990年代の医療改革により、入院治療から外来通院治療に移行してきています。さらにこの外来での治療も精神分析を中心とした個人精神療法の形式から、精神科医(場合によっては複数)がケースマネジャーとなり、その指導のもとで多種多様な治療法が平行して行われているとのことです。
 今日では、患者さんの強い「不安」の表れでもある自己破壊的行動化(リストカットや拒食など)、治療の中断、社会的共同生活への適応障害をどのように管理していくかに力点を置いているのが現状です。具体的には、一度に多くのスタッフが関わるチーム医療が基本で、一部薬物療法も加えながら、精神科医、心理士やソーシャルワーカーが交互にカウンセリングしたり、集団精神療法、家族面接、デイケア(レクリエーション療法や作業療法も含む)などのさまざまなプログラムを治療として提供するといった形です。このようにして、徐々に人格の未熟さを本人に自覚させ、歪みを何とか矯正していったり、人格構造の変化を促す方向で援助していきます。
 ただし、最先端のこういった取り組みが行われているアメリカでも、確実な治療成績については評価が確定していません。つまり、これといって完成された特効性のある治療法は確立しておらず、治療(矯正)には時間がかかり、なかなか難しいというのが現状です。
 ちなみにフランスでは「境界性人格障害」という概念はあまり受け入れられていないそうです。(春日武彦著『援助者必携はじめての精神科』医学書院2004年)。フランス人はこうした人たちを異端の者としてみるような国民性ではなく、協調性がなくても何とか社会で通用して生きていればそれでいい、ということらしいのです。
 境界性人格障害は精神障害ではありません。これは何を意味するかというと、この診断名だけでは治療を目的とした入院を法的に強制することはできないし、もし仮にこういった人が犯罪を犯したとしても、「心神喪失状態」や「心身耗弱(こうじゃく)状態」には該当せず、刑罰の対象になる(罪を問われる)ということです。これが統合失調症などの精神障害者とは明確に異なるところです。
 なお、数年前の国内の症例報告で、「動物介在療法(AAT)が著効を示した難治性境界性人格障害」という興味深い論文があります(精神医学45;659−661、2003)。これによると、薬物療法、行動療法、認知療法、集団療法などのさまざまな治療にもかかわらず改善せず、入退院を繰り返した境界性人格障害の患者さんが、ひとり暮らしを始めたのをきっかけに猫を飼いました。すると、キャットフードをふやかして毎食与えるうちに患者さん自身の生活が規則正しくなっていき、感情も猫とすごしているうちに安定して、服薬なしで行動化(リストカットや攻撃)も沈静化していったのです。その後、自分の意思で動物看護師の専門学校に進学していった、というような内容でした。
 これは将来的にはAATの導入が、工夫次第では日本独特の精神療法になる可能性も示唆していると思われます。

●相談機関など
 境界性人格障害の治療は、結局のところ、患者さんの不安定性を受け入れ、治療者との関係のねじれが生じつつもそれを修正しながら、毅然としかも温かく支持的に援助し、本人の人格の未熟さを矯正しながら成長させていく以外にありません。
 これは、治療者側の病院やクリニックにとって大変な労力を必要としますし、現実問題として患者さん一人にそれだけの労力は払えないというところがほとんどだと思われます。ご家族はもちろんのこと、治療者も含めて周囲のものを巻き込んでいきますから、たとえ入院しても、院内での行動化(暴力や自傷行為)はなかなかおさまらないことも多く、自ら退院したり、治療契約が結べないという理由で強制的に退院させられるケースもあり、治療が中断してしまうケースがとても多いのが現状です。
 現在、アメリカの先端治療に基づいた境界性人格障害の治療を行っている精神科病院、クリニックはそうたくさんあるわけではありません。まずは、保健所や精神保健センターに電話で問い合わせるか、あるいはインターネットで、「人格障害の治療」をキーワードにして診療を行っている医療施設を探り当てて相談するのがよいでしょう。
(本項の執筆にあたっては、福岡市川谷病院・川谷大治先生の論文「境界性人格障害の現在」(臨床精神医学33;405−412、2004)を参考引用しました。)
(麻布大学健康管理センター長 環境保健学部教授、精神科医 岩橋和彦編著『精神科医療サービスを上手に受ける方法 心の問題で困ったときに』法研、2006年)
# by open-to-love | 2007-07-25 00:00 | パーソナリティ障害 | Trackback | Comments(0)
飲酒運転厳罰化後も…アルコール依存症の半数やめず

 運転免許を持っているアルコール依存症患者の約半数が、飲酒運転の罰則が強化された二〇〇二年の改正道交法施行後も、飲酒運転を続けていたことが六日、関西アルコール関連問題学会の調査で分かった。比較調査した、依存症ではない一般の人の約八割が、法改正後に飲酒運転をやめたのと対照的。同学会などは「厳罰化だけでは飲酒運転は防げない。交通違反者は依存症かどうかを判定し、治療や予防教育など別の対策を取ることが必要」としている。
 調査は〇四年九―十一月、三重、滋賀、奈良、大阪などのアルコール依存症患者二百四十六人を対象に実施。一般の人の傾向を探るため医療機関に勤める職員三百八十五人にも同じ調査を行い比較、分析した。
 依存症患者の運転免許所有者のうち道交法改正前に飲酒運転の経験があったのは75%。五人に一人はほぼ毎日飲酒運転をしていた。経験者のうち改正後、飲酒運転を「やめた」と答えたのは44%で、「大幅に減らした」(13%)、「少し減らした」(16%)、「変化なく続けた」(22%)、「逆に増えた」(1%)を合わせると52%が飲酒運転を続けていた。
 一方、一般の人では改正前の飲酒運転経験者(48%)のうちの82%が改正後「やめた」と回答。「大幅に減らした」なども含めて改正後も続けていたのは14%だった。
 やめたり、減らしたりした理由は、依存症患者も一般も「罰金が高いから」や「免許の取り消しが怖いから」と答えた人が多く、厳罰化に一定の効果がうかがえた。一方で、厳罰化の影響を理由に挙げなかった人は、一般は18%だったが、依存症患者は39%に上った。
 調査をした天理よろづ相談所病院(奈良)の長徹二医師は「依存症の人は、自分が依存症と自覚していないケースがあり、飲酒運転をやめられない人が多い。依存症の治療や予防教育をする仕組みが必要だ」と指摘している。

 飲酒運転の厳罰化とは 悪質なドライバーに対する刑が軽すぎるとする交通事故被害者の遺族らの声を受け、罰則を強化した改正道交法が2002年6月、施行された。酒酔い運転については、以前の「2年以下の懲役または10万円以下の罰金」から「3年以下の懲役または50万円以下の罰金」に強化。酒気帯び運転の対象となる呼気1リットル中のアルコール濃度を「0・25ミリグラム以上」から「0・15ミリグラム以上」に下げ、範囲を大幅に広げた。
(2006年11月6日付夕刊)
# by open-to-love | 2007-07-23 16:58 | 依存症 | Trackback | Comments(0)

DV、共依存、離婚

★あすを求めて ―殴られる彼女たち★② 職場では温厚な彼… 暴力でストレス発散 離れられない心利用

 上司に盾突かず、部下の愚痴は辛抱強く聞く。自分の意見は控えていた。近畿地方の書店店員だった二十代のころの健治は、周囲から温厚な人と見られていたはずだ。
 しかし、無理に周りに合わせたストレスは五歳下の恋人、大学生の佳奈に向いた。交際から一年で殴ってから別れるまで五年、暴力は続く。
 以来、暴力は途切れず、四十代になった今、元妻の勧めでDV加害者の男性が更生しようと努力する集まりへ通い始めた。「どうしてこうなったのか」。立ち直るため、当時を振り返った。
 ドクン、ドクン。血管が波打ち、こめかみが熱い。気付くと怒鳴り、物を壊した。「煮えたぎったものが爆発してスッとした」。好きなときに会えるよう大学をやめさせ、居酒屋で殴り続けて肋骨(ろっこつ)を折った。暴力の最中に「まずい」とは感じた。しかし、殴っている実感はない。われに返ると落ち込んだ。
 原体験に、酔って暴れては家具を壊し、のこぎりを手に家族を追い回した父がいた。「あいつよりまし」と思う一方、「同じことをしてる」と悩む。父の虐待のせいか、人とかかわるのが怖い。傷つけられるのを恐れ、職場では自分を殺した。
 「我慢した分、彼女だけは受け入れてほしい」。身勝手は分かっていたが、離れられない佳奈を利用した。佳奈にとって、健治は初めて結ばれた特別な存在だった。
 暴力の後は優しくした。それは彼女へのメッセージ。「言う通りにすれば機嫌がいい」「できないおまえは何だ」とアメとムチを使い分け、思い通りにする手段だった。
 彼女の親が怒鳴り込んで一度別れたが、佳奈は一カ月で「やっぱり放っておけない」と戻った。“愛情”を測るために傷つけ、佳奈が許すとしがみついた。見捨てられるのは何より怖かった。
 その後、別の女性と結婚したが、暴力が元で離婚。元妻の勧めで通うDV加害者の集まりでは、互いの加害体験や暴力の背景を語り合う。最近、ようやく「男らしくしないと」「周囲に合わせよう」と思い込んでいたと気付いた。「こんなこと話したら嫌われる」。そう思い目を背けてきた父の暴力の話は、多くの参加者が共感してくれた。情けない自分でも受け入れてもらえたと感じた。
 誰かに認めてほしくて、ずっと虚勢を張り続けていた。暴力の根っこにようやく気づいた。
 「暴力は振るわない」とはまだ言えない。「好きな人を思い通りにする欲求から逃れられるだろうか」。今、気持ちを口に出す努力をしている。「もう大事な人を傷つけたくない」 (文中仮名)

 共依存とは アルコール依存症の夫と支える妻の関係から使われ始めたが、DVも女性に甘えて暴力を振るう男と、支えることに存在意義を見いだし、離れられない女性の構図があるとされる。マインドコントロールのような状態であることに気付かない女性が多い。
(2007年6月26日付夕刊)
# by open-to-love | 2007-07-23 16:51 | 障害福祉と女性問題 | Trackback | Comments(0)
マスコミに対する啓発活動とその課題
(長瀬修 神奈川/障害・コミュニケーション研究所)

 マスコミに対して、どのようなつきあい方をすればいいのか。全家連や一般市民による対応からマスコミに対する啓発活動を考える。

全家連の取り組み〜「病歴抜き匿名報道」
 全家連は1994(平成6)年に起きた「台東病院医師射殺事件」を契機に、マスコミに対する啓発活動に力を注いできている。その努力の一端は、同事件に関する大手マスコミ各社への公開質問と回答をはじめとする「マスコミ報道について」を特集した「ぜんかれん」誌1995(平成7)年1月号として実っている。
 全家連では、精神障害者に対する偏見の助長を避けるために、問題があると思われる記事、報道、公的な発言に対して、抗議もしくは質問というかたちで対応を続けている。それは、①精神障害、通院歴と犯罪の関係が不明確な段階で、精神障害や犯罪歴に触れることは精神障害者に対する偏見を強化するので避けるべき、②現在の「病歴付き匿名報道」スタイルは、容疑者本人の人権は守れるが、他の精神障害者への偏見を助長する、という考えに基づいている。
 また、各地域の家族会からの地方紙の報道姿勢に関する問い合わせにも助言を行うという活動を行っている。地元からの反応が地方紙には最も有効なので、各地で家族会として、一読者として声をあげることは大切である。
 こうした全家連、各地の家族会の活動の影響もあり、より積極的なメディアに対する継続的な啓発活動として、製薬会社である日本イーライリリー社が1998(平成10)年から始めた「リリー・メンタルヘルスフォーラム」が注目される。これには、全家連も協力している。1998年内には計4回が予定されている。

精神障害者の兇悪犯罪〜全家連への注文
 以上のような全家連をはじめとする取り組みには敬意を表する。しかし、注文がある。それは、事実を出発点にということである。具体的には精神障害者の兇悪犯罪の多さである。
 全家連は精神障害者の一般的犯罪率の低さを強調している。しかし、触れていないのは精神障害者の殺人等の兇悪犯罪率の高さである。その点に積極的に触れないことは、まるでそこに弱みがあるように受け止められてしまう。犯罪白書等で調べればすぐにわかる事実にあえて触れないのは、多少でも真剣に関心をもった人間にはフェアでない印象を与え、恣意的な資料の操作と映ってしまう。実際に、その点を鬼の首でも取ったように強調している論説もある。
 全家連のような団体こそ、一歩踏み込んで、自らの啓発資料等では、そういった、一見マイナスの事実に進んで触れてほしい。そして、なぜ、例えば精神分裂病の人の殺人事件がなぜ多いのかといった点を追求してほしい。そこから、現在の精神医療の問題などが明らかになるにちがいない。
 精神障害者への強烈な偏見、差別があふれている現状のなかで、それを行うのは無茶と思われるかもしれない。しかし、そのような姿勢こそが、長期的に考えた時に問題の理解、そして解決につながる。その意味で、「事実から」という王道を歩んでほしい。

読者の立場からの啓発活動
 精神医療ユーザー&サバイバーである広田和子さん(神奈川県横浜市在住)は個人としてユニークで地道な活動を続けている。
 広田さんは自分が接した精神障害に関する、問題のある報道、疑問を感じる記事に対して、あくまで一読者として新聞社など報道機関に電話し、実際に筆をふるう記者や、記事に筆を入れるデスクと話をする。手ごたえがある場合には新聞社などを訪問、面会して、記者が精神障害に関する理解を深めるのを援助している。時には、精神障害と知的障害の区別すらつかないジャーナリストに対して懇切丁寧に話をしている。
 「あの事件の記事をもう見た?」といった電話が仲間からかかってきて、広田さんが事件を知ることも多い。そうすると広田さんは、その報道機関、例えば新聞社に電話をかけて「私は精神障害者の広田和子と申しますが、お宅の読者から電話があり、精神障害関係の記事が出たことを知りました。近くのコンビニでそちらの新聞を買おうとしましたが手に入りませんでした」という趣旨の電話をする。こうしてファックスで送ってもらった記事を読む。それから、その新聞社に連絡をする。
 「記事を拝見しました。この記事を書いた記者さんに連絡したいのです」と話す。署名記事ならばすぐに書いた記者が誰であるかわかるし、担当した記者を教えてくれる新聞社も多い、その記者に電話が通じると広田さんはまず、「この事件の概容を教えてください」というところから始める。「私自身が精神障害者としてとても関心があります。教えていただけますか」。ここで、広田さんは所属している団体名は名乗らず、あくまで個人として話をする。
 記者から事件の概容がわかる。また、記事とはならなかった原稿の全貌もつかめる。新聞社のモニターとしての経験のある広田さんは、元の原稿が削られてしまうのは日常茶飯事であることをよく承知している。そこで、例えば「削られて残念ですね」と話した後で、「でも、ああいう出方は残念でした。失礼ですが精神障害者を御存知ですか」と水を向ける。「わかりません」という答が返ってくることばかりだそうである。広田さんが、基本的な精神障害者の定義や数を示すと、多くの記者は驚く。記者との関係ではまず、コミュニケーションが成立することが肝心だと広田さんは語る。実際に記者と会う場合もあるという。会わなくても、関係が築ければ、記者から精神障害関係のことで、相談されることもある。
 また報道の問題点を指摘するだけでなく、積極的に広田さんが関係している精神障害関係の活動に関してマスコミに情報提供を行い、記事として取り上げてもらっている。
 広田さんは「鍵は一読者として動くこと」と語っている。広田さんのように自らが精神障害者であることを明らかにし、マスコミへの働きかけを行うことは非常に意義深い。

偏見〜自らの課題
 私は、1992(平成4)年から1995(平成7)年まで外国で暮らした。その際にローンが残っている日本の中古のマンションを車いすの人に貸して、親に管理を頼んでいた。私は大家だったわけである。しかし、今思い起こすと、そこを精神障害の人に貸すことができただろうか。例えば自分と隣人たちの関係を考えても、正直、自信がない。それは隣人の反発という意味ではなく、「万一、店子が近所に迷惑をかけたとき、何かあったときに大家として自分は…」と考えてしまうからである。
 その意味で「啓発」、「理解」は他人ごとではない。私にとっては「啓発」は他者に対してと同じくらい、いや、よりいっそう、自分に対して欠かせない課題なのである。
 そして、多分それは私だけでなく、家族、職員を含め、いわゆる「精神障害業界」の人間にとって共通の課題であるように思える。「業界」の人間が最も偏見が強いのはありふれたことであるからだ。若い頃に、青年海外協力隊で東アフリカのケニアに3年間勤務した経験があるが、ある種の「経験」に基づいた最も手ごわい、筋金入りのアフリカに対する偏見を持っている手合いは、まさに国際協力に従事した人間の中に見い出させるものである。
 それは精神障害に関する世界でも変わらないにちがいない。そういった意味での〈自らの課題〉という意識が、マスコミを始めとする他者の啓発といった取り組みの背景には不可欠である。それがなければ他者の琴線にふれることはできないのではないか。
(「REVIEW」1999年 No.26 特集「効果のあがる啓発活動」)
# by open-to-love | 2007-07-23 01:22 | マスコミ報道 | Trackback | Comments(0)
マスコミにどうかかわるのか〜マスコミとのつき合いで何か変わるか〜
(竹之内寛 鹿児島県精神障害者家族会連合会 会長)

 偏見を助長すると思われがちなマスコミ報道だが、積極的にマスコミにアプローチをするなかで、信頼関係を構築する方途を探る。

マスコミ事件報道の問題点
 事件報道で、「加害者には入院歴があり…」と告げられた時の私どもが受ける精神的なダメージは予想以上に大きなものがあります。私たちの地域で、ある事件が発生した時も同じようなスタンスで報道されました。
 その夜、一人住まいの当事者たちに電話をかけて、その日の様子をうかがってみますと、たいていの者が「近所の人から犯人と同様に見られるのが怖いので家の中に隠れていた」と訴えました。そして、「会長さんからの電話でホッとした。気分的に救われました」と、精神的な圧迫感がどんなに大きかったかを伝えてきました。
 「私の家の前に警察のパトカーが止まって私を監視している。怖い」と勘違い電話も入ってきました。
 翌日、作業所の通所者たちも「あのように報道されるとたいへん迷惑だ。こちらまで元気が奪われてしまう」とこぼしていました。報道のあり方で、どれほど多くの者が心を痛めているのかをマスコミ関係者に気付いていただきたい。

マスコミ報道への家族の反省
 欠陥報道に対する不満や憤りを感じている人は多いが、これについて家族の立場から反省をしてみたい。最近テレビ取材に応じた時、若い記者が「精神障害者者や家族がおびえる気持ちが理解できない」と言い切ったのには戸惑いと不安を感じたものです。理解できない者に真実の報道ができるだろうかと。
 私たち家族は、従来の閉鎖的な殻から脱皮して、勇気を出し、社会の人々に私たちの存在や抱えている問題について充分に気付いてもらうための努力が必要ではなかろおうかと反省しました。このような考え方から、マスコミとのかかわりを積極的に推進することになりました。

会長の初仕事は取材への協力
 会長としての初仕事は、新聞社の取材に応じることでした。特大の顔写真入りで県連会長としての抱負を述べる内容でしたが、瞬間的に家族、特にかわいい孫たちや親戚の面立ちが目に浮かびました。しかし、後には引けません。意を決してカメラの前でポーズをとりました。
 記事が掲載されたときの反響は想像以上のものがありました。賛嘆・激励こもごもでしたが、「埋もれている家族の方々へ希望のメッセージだと思います」という保健所スタッフからのメモには心打たれる思いがしました。報道機関のもたらす波及力をまざまざと感じたものです。

家族を勇気づけた記事
 マスコミ関係者のなかにも理解者が多いことは力強い限りです。
 1つの記事が人の意識と行動を変革し、さらに家族会活動の活性化にまで影響を及ぼした事例を紹介します。

南風録(南日本新聞 1997(平成9)年10月3日)
 あまり知られていないが、鹿児島県は、精神病院の入院患者数が人口1万人当たりでみると全国で最も多い。1996(平成8)年6月末現在で55.5人。全国平均(27.1人)の2倍強だ。理由について、ある関係者は「県外の暮らしで心を病み、Uターンして入院した人が結構いるのでは。それと、入院に頼らざるを得ない社会環境がある」という。
 社会環境のなかには偏見、支援体制の不備のほか貧困、高齢化なども含まれる。需要があるから多いのか、精神病院の数(51カ所)自体、他県に比べて異様に多い。例えば、埼玉県は鹿児島県の4倍近い人口なのに、病院数は鹿児島と同じである。患者の平均入院日数は689.5日で全国平均(454.7日)を上回る。しかし社会環境が改善されれば、こんなに多くの人が長い期間入院しなくても済む…というのが、おおかたと見方だ。ある開業医は「医学的治療より、社会で支える体制を整える方が非常に大事だと思う」と話すくらいだ。国会で継続審議となっている「精神保健福祉士法案」は、病院と社会をつなぐ役割を果たすプロの資格を設けるもの。患者の社会復帰を進めるために、相談に乗り助言、指導し、適応訓練も援助する。いま実質的にこんな仕事をしているソーシャルワーカーなどの意義や存在感を高めるものとして期待される。県内では、社会復帰を支えるボランティア組織も3つ生まれるなど、少しずつ前進しつつある。今日と明日、鹿児島大学医学部では九州・沖縄社会精神医学セミナーが開かれる。社会復帰施設の現状や問題点をテーマにしたシンポジウムもある。急がず、しかし着実に環境を整えたい。

 上記の記事について、鹿児島県連は、次のような礼状を新聞社に送りました。

南日本新聞社御中
 前略。3日早朝、1婦人からFAXが届きました。
 「今朝南風録を読んで『南日本でもこの様な記事を書いてくれるようになったのか』と、驚きと喜びで一杯です。私共、力不足でございますが、今朝の南風録に力づけられ、これからも一生懸命家族会活動のために頑張らせていただきます」
 当日は、県家連理事会もありましたので理事全員に記事のコピーを配布しました。上部団体の全家連にもコピーを送信しました。
 短文ながら、行間ににじみ出ている障害者へのぬくもりのある情感。精神保健行政や私たち家族会への大きな示唆を感じとらせる素晴らしい記事でした。この記事に深く感動し勇気づけられたのは上記の婦人だけでなく私ども全員です。ありがとうございました。…略。

勇気と元気が出た家族
 上記婦人のその後の活動は目ざましく地域家族会や県家連の活動にもたいへんな貢献を重ねてくださいました。まず、「隠さないで社会に出たい」という意見を新聞に投稿されました。鹿児島では初めてのことでしたので大きな反響があり、多くの人々から賞賛と感謝の反応がかえってきました。さらに、「鹿児島県心の健康ふれあい大会」でシンポジストとして自分やご家族の心情を披露されて聴衆に深い感動を与えました。
 これらの活動を、前述の南風録が再度取り上げ、隠さない勇気・家族間の相互理解の大事さ、家族会活動の意義について主張を展開してくれました。この記事は、家族会の存在に気付かなかった人々や家族会未加入の方々の関心を大きく引きつけました。その後、婦人の自宅には家族等からの問い合わせや相談電話が多くなり、婦人との会話が契機になって家族会に加入なさる方も増えています。

マスコミとの協調をめざして
 精神障害者への社会的偏見や差別をなくすために社会への啓発活動が大事であることはいうまでもありません。そのために、最も効果的な影響力を発揮できるマスコミとの協調を進めることが有効であると考えます。
 そのために、
①まず「隠す生き方」を改めて、社会に向けて開かれた家族会活動を展開できるように自助努力を推進する。
②家族会関係の行事、家族の実態や心情等、的確な情報をマスコミにも積極的に提供するとともに、取材にも可能な限り好意的に応じて、相互信頼のきずなを深める。
③マスコミのなかに理解者や支援者を増やすことも今後の課題である。
(「REVIEW」1999年 No.26 特集「効果のあがる啓発活動」)
# by open-to-love | 2007-07-22 21:02 | マスコミ報道 | Trackback | Comments(0)
F2 統合失調症、統合失調型障害および妄想性障害
Schizophrenia,schizotypical and delusional disorders

概要
 F20 統合失調症
  F20.0 妄想型統合失調症
  F20.1 破瓜型統合失調症
F20.2 緊張型統合失調症
F20.3 鑑別不能型統合失調症
F20.4 統合失調症後抑うつ
F20.5 残遺[型]統合失調症
F20.6 単純型統合失調症
F20.8 他の統合失調症
F20.9 統合失調症、特定不能のもの

  第5桁の数字は、経過分類に用いる
  F20.x0 持続性
  F20.x1 エピソード性で進行性の欠陥を伴うもの
  F20.x2 エピソード性で固定した欠陥をともなうもの
  F20.x3 エピソード性の経過で寛解しているもの
  F20.x4 不完全寛解
  F20.x5 完全寛解
  F20.x8 その他
  F20.x9 経過不明、観察期間があまりに短い

 F21 統合失調型障害
 F22 持続性妄想性障害
 F23 急性一過性精神病性障害
 F24 感応性妄想性障害
 F25 統合失調感情障害
 F28 他の非器質性精神病性障害
 F29 特定不能の非器質性精神病

序論
 統合失調症は、このグループの中で最も多くかつ重要な障害である。統合失調型障害は、統合失調症性の障害に特徴的な症状の多くを備えており、おそらく統合失調症との間に遺伝的関連があるであろう。しかし、統合失調症そのものにみられるような幻覚や妄想、および著しい行動障害を示さず、いつも医療の対象になるとは限らない。妄想性障害の大部分は統合失調症とおそらく無関係であろう。ただこの両者を、とくに発症時に臨床的に鑑別するのは困難なことがある。妄想性障害は異質な、十分には解明されていない障害の集まりであり、便宜的に、典型的な症状の持続期間によって、持続性妄想性障害の一群と、もっと大きい急性一過性精神病性障害の一群とに分けることができる。後者は、とくに発展途上国に多くみられる。ここにあげられている下位分類は、まだ暫定的なものとみなしておくべきである。統合失調感情障害については、種々議論があったが、この節に遺すことになった。

F20 統合失調症
 統合失調症性の障害は、一般的には、思考と知覚の根本的で独特な歪み、および状況にそぐわないか鈍麻した感情によって特徴づけられる。ある程度の認知障害が経過中に進行することはあるが、意識の清明さと知覚能力は通常保たれる。この障害には、人に個性・独自性・志向性といった感覚を与える最も根本的な諸機能の障害が含まれる。きわめて個人的な思考、感覚および行為が、他者に知られたり共有されたりしているように感じることがしばしばあり、自然的あるいは超自然的力が、しばしば奇妙な方法で患者の思考や行為に影響を及ぼすという説明的妄想が生じることがある。患者は自分中心にすべてのことが起こると考えていることもある。幻覚、とりわけ幻聴がよくみられ、患者の行動や思考に注釈を加えることがある。知覚障害もしばしばみられる。色彩や音が過度に生々しく感じられたり、質的に変かして感じられたり、日常的な物事のささいなことが、物事や状況の全体よりも重要に思えたりする。発病初期には困惑も多くみられ、そのために患者は日常的な状況にすぎないことを、自分に向けられた、たいていは悪意のある意味をもっていると確信するようになる。特徴的な統合失調症性思考障害では、正常な心的活動では抑制されているはずの概念全体の中の末梢的でささいなことが、前面に出て、その状況にふさわしいものに取って代わる。そのために思考は漠然として不可解であいまいなものとなり、言葉で表現されても理解できないことがある。思考の流れが途切れたり、それてしまうことがしばしばあり、さらに思考が何か外部の力により奪い取られると感じられることもある。気分は特有の浅薄さ、気まぐれさや状況へのそぐわなさを示す。両価性と意欲障害が緩慢さや拒絶や昏迷として現れることがある。緊張病性症候群も出現する。発病は急性で、重篤な行動障害を伴っていたり、潜行性で、奇妙な考えやふるまいが徐々に進行したりする。障害の経過も、同じくきわめて多様であり、決して慢性化や荒廃が避けられないわけではない(経過は第5桁の数字で特定される)。症例のうち、文化圏や母集団の違いに応じてさまざまでありうるが、ある割合で完全寛解、あるいはほぼ完全寛解といった転帰にいたる。男女とも、ほぼ同程度に罹患するが、女性は発病が遅い傾向がある。
 厳密な意味での病態特異的な症状は確認できないが、実際的な目的から、上記の諸症状を、診断上特別な重要性をもち、しばしば同時に生じるものとして、以下のような不ループに分けると有用である。
(a)考想化声、考想吸入あるいは考想奪取、考想伝播
(b)支配される、影響される、あるいは抵抗できないという妄想で、身体や四肢の運動や特定の思考、行動あるいは感覚に関するものである。それに加えて妄想知覚
(c)患者の行動を実況解説する幻声、患者のことを話し合う幻声、あるいは身体のある部分から聞こえる他のタイプの幻声
(d)宗教的あるいは政治的身分、超人的力や能力などの文化的にそぐわないまったくありえない他のタイプの持続的妄想(たとえば、天候をコントロールできるとか宇宙人と交信しているなど)
(e)どのような種類であれ、持続的な幻覚が、感情症状ではない浮動性や部分的妄想あるいは持続的な支配観念を伴って生じる。あるいは数週間か数ヶ月間毎日持続的に生じる
(f)思考の流れに途絶や挿入があるために、まとまりのない、あるいは関連性を欠いた話し方になり、言語新作がみられたりする
(g)興奮、常同姿勢あるいはろう屈症、拒絶症、緘黙、および昏迷などの緊張病性行動
(h)著しい無気力、会話の貧困、および情動的反応の鈍麻あるいは状況へのそぐわなさなど、通常社会的引きこもりや社会的能力低下をもたらす「陰性症状」、それは抑うつや向精神薬によるものではないこと
(i)関心喪失、目的欠如、無為、自己没頭、および社会的引きこもりとしてあらわれる、個人的行動のいくつかの側面の質が全般的に、著名で一貫して変化する

診断ガイドライン
 統合失調症の診断のために通常必要とされるのは、上記(a)から(d)のいずれか1つに属する症状のうち少なくとも1つの明らかな症状(十分に明らかでなければ、ふつう2つ以上)、あるいは(e)から(h)の少なくとも2つの症状が、1カ月以上、ほとんどいつも明らかに存在していなければならない。以上のような症状面での必要条件は満たすが、(治療の有無とは関係なく)持続期間が1カ月に満たないものは、まず急性統合失調症様精神病性障害(F23.2)と診断しておき、さらに症状が長く続くならば統合失調症と再分類すべきである。上記の症状(i)は単純型統合失調症(F20.6)の診断にだけ用い、少なくとも1年間の持続が必要である。
 仕事や社会的活動、身なりと身体衛生に対する関心の喪失といった症状や行動が、全般性不安、軽度の抑うつおよび物事へのとらわれなどとともに認められる前駆期が、精神病症状の発現に数週または数ヶ月先行していることが、明らかになる場合もある。発病の時点を決めることは困難であるので、1カ月間の持続という基準は、上記の特定の症状にだけ適用し、非精神病的な前駆期症状にはどのようなものであっても適用しない。
 明らかな抑うつあるいは躁症状があり、統合失調症性の症状が感情障害に先行したことが明らかでないような場合は、統合失調症と診断すべきでない。統合失調症と感情障害の症状の両方が同時に進展し、いずれが優勢ともいえないならば、たとえ統合失調症状それ自体が統合失調症の診断に該当するものであっても、統合失調感情障害(F25.-)と診断すべきである。明らかな脳疾患が存在したり、薬物中毒あるいは薬物からの離脱状態にある場合も、統合失調症と診断すべきではない。てんかんや他の脳疾患が存在するときに生じた統合失調症類似の障害はF06.2に、薬物によって惹起されたもんおはF1x.5に、分類すべきである。
# by open-to-love | 2007-07-22 11:03 | ICD-10 | Trackback | Comments(0)
最初のガス室は障害者用だった−「ナチスドイツと障害者『安楽死』計画」を翻訳して
長瀬修(神奈川/障害・コミュニケーション研究所)

 ナチスドイツは、ユダヤ人の大量虐殺を行ったことで知られるが、精神障害者に対する組織的な殺害を行ったことはあまり知られていない。この事実を記した本を翻訳した著者は、この問題は過去の歴史的遺産ではなく、現在においても問われている問題であると訴える。

 T4計画
 〝MENSCH ACHEDEN MENSCHEN〟とドイツ語で記してある。「人間よ、人間に敬意を」という意である。
 緑濃いドイツの田園地帯が見渡せる小高い丘の上である。ここは、ハダマー精神病院で殺された約1万人の精神障害者の集団墓地である。その記念碑に刻まれている言葉である。
 ナチスドイツはホロコーストと呼ばれる大虐殺を600万人以上といわれるユダヤ人を対象に行ったが、20万人以上の主にドイツ人の障害者、特に精神障害者をも体系的、組織的に殺害した。
 これは、その事業の本部の地名のTier-garden4の頭文字をとってT4計画と呼ばれている。障害者の生は苦しみに満ちたものであり、死は苦しみからの解放であるとしたのである。そのために「安楽死」という言葉が用いられた。
 私は「ナチスドイツと障害者『安楽死』計画」という本に接して、初めてこの事実、つまり障害者、特に精神障害者が大量に虐殺されたことを知った。本書に接してから、この事実に触れている北杜夫の芥川賞受賞作「夜の霧の隅で」(1960(昭和35)年)を読んだのである。
 しかし、ナチスドイツと遺伝、障害を私が関連づけて考えたのは、在学していた上智大学の教授である渡辺昇一が書いた「神聖な義務」という週刊文春(1980(昭和55)年10月2日号)の記事に接した時だった。この記事は「ヒトラーが遺伝的に欠陥ある者たちやジプシーを全部処理しておいてくれた」と言うドイツ人の医学生の言葉を引用している。
 T4計画によってこのように大量の障害者、精神障害者が殺されたことが知られていないこと自体が、障害者、精神障害者の社会的地位の低さを象徴している。ユダヤ人の虐殺に利用されたガス室のことは誰でも知っている。しかし、このガス室も障害者用に当初、開発され、それが後にユダヤ人用に転用されたことは知られていない。
 この事件を扱った英文の〝By Trust Betrayed - Physicians, and the License to Kill in the Third Reich〟、直訳すれば『裏切られた信頼−第3帝国における患者、医者、殺しの許可証』(邦訳は『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』ヒュー・ギャラファー著、96年、現代書館)という本を、オランダで翻訳している最中にドイツのハダマーに出かけた。
 オランダでは社会研究大学(ISS)の大学院で障害者問題を研究中で、1995(平成7)年7月にオーストリアで開催された「世界ろう者会議」に発表のため出席した帰りに、ハダマーに立ち寄ったところだった。
 ハダマーはドイツ中西部にある小さい町で、ガラス細工で知られていて、日本からも学びに来る人もいるそおうである。フランクフルトとケルンの間のコブレンツから電車で約1時間である。ここのハダマー精神病院はドイツ全土に全部で6カ所設けられた殺人施設の1つだった。同書でも、著者のギャラファーの訪問が記されている。私は電車で出かけたが、場所がよくわからず、病院に着くのは結構手間取った。
 現在も精神病院として存続している同病院を実際に訪れてみて、精神障害者の殺害に関する資料館があることを初めて知った。しかし、曜日があわなかったようで資料館は閉まっていた。まだ時間があったので、ハダマーの街を少し歩いてみた。すると声をかけてきた地元のドイツ人男性が、閉まっていたガラス細工の博物館をわざわざ頼んで開いてくれて中を見せてくれ、そのうえ、自宅まで親切に案内してくれた。そこで会った、もう高齢の母親は、ハダマー精神病院で起こったことを記録するために戦後に活動していたと語り、自分も作成に協力したという本、ドイツ語でハダマーで何が起ったかを記録している本を全く初対面の私にくれたのである。ドイツ語が読めない私には「豚に真珠」かもしれないが、歴史を伝えようとする意欲だけは確かに感じられた。
 ある集団、ある民族、ある国の人に対する画一的なイメージを持つのは危険である。これが、ナチスドイツから私たちが確実に学べる一つの教訓である。それはまさにドイツに対してもあてはまる。もちろん、精神障害者についてもである。
 こんなことを考えたのは最近、『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』を読んだ日本の読者から、ドイツに生まれなくてよかったという趣旨の感想が届いたからである。同書にはT4計画に加えて、最近のドイツでの動きも取り上げられている。そのなかには確かに眉をひそめたくなるようなことも多い。ネオナチが障害者を襲撃、殺した事件や、リゾート地で障害者と一緒に食事をするはめになり不快だったという旅行者の訴えに対して、旅行社に対して旅行代金の一部の払い戻しを命じた判決などである。
 1998(平成10)年8月下旬にオランダで開かれた育成会の世界大会でもドイツの参加者から、知的障害者施設の隣人の訴えで、知的障害者がベランダに出ることが裁判所の命で禁じられた例が報告され、驚きを呼んでいた。
 しかし、どの国にも、その国で生まれた幸福と、その国で生まれた不幸、どちらもある。どちらの一面だけでも判断はできないし、してはならない。それはドイツだろうが、例えばスウェーデンだろうが、マレーシアだろうが、ケニアだろうが、日本だろうが同じである。「ドイツに生まれなくて…」という感想に接した時にふと、ハダマーで会ったドイツ人親子のことを思いだした。
 ハダマー精神病院の資料室には後日、オランダから出直した。ドイツ語での説明だが、充実していることだけはわかった。火曜日から木曜日の9時から16時まで、第1日曜日は11時から16時まで開いている。名称と住所電話番号は次の通り。
 Gedenkstatte Hadamar
 Monchberg 8, 65589 hadamar
 tel. +49-(0)6-433-9170
 (訪問される場合は事前に要確認)

著者ギャラファー
 同書の著者のギャラファーに関して紹介したい。興味深い経歴の持ち主である。自らがポリオの後遺症で車いすを使うギャラファーはジョンソン大統領のホワイトハウスや、民主党上院議員のスタッフを務めた経験を持っていて現在は著作に専念している。他の主著にはフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領がいかにして自らの障害を隠していたかを描いた〝FDR’s Splendid Deception〟(1985,Dodd, Mead & Co; 1994 revised Vandamere)がある。同大統領は自分がいつも車いすを使っていたことを大統領の権威を使って、国民の目から隠していた。ホワイトハウスの車いす用のスロープは同大統領の死後ただちに撤去された。同大統領が自らの障害を国民に明かすことは政治生命を脅かしたことだろう。歴史の「もし」は無意味かもしれないが、「もし」それができていれば、米国の身体障害者のアクセスは格段に進んでいたにちがいない。
 ギャラファーは1998(平成10)年に入ってからも〝Black Bird Fly Away〟という障害者としての自らの体験をつづった本を著している。以前は外交問題に関する本なども出し、ピューリツアー賞の候補ともなったギャラファーだが、ここ15年以上は障害の問題に没頭している。障害の分野での思索の深さに対して、ヘンリー・ベッツ賞という賞も得ている。ギャラファーの障害分野での業績は、障害を社会、文化の視点から考える障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)の重要な一環とされている。
 ギャラファーがT4計画にめぐりあったのは、治療や医学という視点からではなく、社会的な視点から障害、障害者の歴史を考えた時だった。障害者に関する歴史の記述をほとんど見つけられなかったギャラファーの目にT4計画がとまったのである。
 米国の首都ワシントンのホロコースト博物館には小さいながらT4計画に関する展示もある。これはギャラファーの協力を得ている。ホロコーストの最大の被害者であるユダヤ人以外にも、障害者をはじめ目配りがきいてきているのが展示からわかる。
 なお、ギャラリーから紹介してもらった英国の〝Selling Murder〟というドキュメンタリーがある。これはT4計画を推進するためにつくられたが、現在は失われてしまったナチスドイツの宣伝映画を復元したものである。本書に関して講演を頼まれる時などに、このビデオを紹介しているが、どこか日本の放送局が日本語の字幕、吹き替えで放送してくれないかと期待していることをつけ加えたい。

「人間よ、人間に敬意を」
 他人の生命の価値を測ろうとする際に何が起こるのか、ドイツで起こったことは恐ろしい教訓である。しかし、それは昔のドイツだから起こったことではない。本書を翻訳したことで私が学んだのは、ナチスドイツで最悪の結果をもらたした思想は、歴史的にドイツに限られるのではないし、現在も命脈をしっかりと保っていることである。
 優生学だけを考えても、米国がリーダーだったわけだし、福祉国家で知られる北欧諸国もドイツより先行していた。そして、例えば第2次世界大戦中に中立を保ったスウェーデンで戦後も障害者の断種・不妊手術が70年代半ばまで継続した理由の1つが、戦争中の残虐行為で「手が汚れていない」意識だったとスウェーデンの研究者が発現しているのを耳にすると、問題の微妙さを痛感させられる。もちいろん、日本が1996(平成8)年まで優生保護法を持っていたことも忘れられない。
 「障害者が生きることを否定する力」は歴史のなかや、ナチスドイツという特定の場だけではなく、私たちのほんの身近にある。日本で後を絶たない、親による障害者殺しもその一例である。この力は私たち〜障害者、非障害者を問わず〜の内部にも身を隠している。さまざまな生殖技術の発展により、選択を迫られる時代に、この力の存在を意識することは、いっそう欠かせない。障害者が生きることをどう考えるのかは、障害者問題の出発点であり、原点である。
 本誌の読者には、地域の活動で実際に精神障害者と接している方も多いと思う。T4計画が恐ろしいのは、精神障害者と身近にいた医療関係者の多くがT4計画にほとんど抵抗することなく、精神障害者をガス室に送っていたことである。ある意味で、身近にいることは偏見や差別を強化するのである。職業や活動として現場に身を投じることが尊いのではない。その場の実践で何ができるかこそが問われる。それは現代の日本で障害者に接する者にとっても同じである。
 障害者が生きられる社会、障害者がきちんとしたサービスを受けられる社会をつくることは、T4計画のような歴史を思う時、非常に意味がある取り組みである。本誌の読者が〈歴史的取り組み〉の当事者であることを本当に心強く思う。
 「人間よ、人間に敬意を」というハダマーの丘の記念碑の言葉の意味を考えることの大切さは、悲しいことに現在の日本でも少しも変わっていないのである。
(季刊 地域精神保健福祉情報「REVIEW」1999 No.26)
 
# by open-to-love | 2007-07-21 21:50 | 優生思想 | Trackback | Comments(0)