精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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 スーザン・ソンタグ「隠喩としての病い」(富山太佳夫訳、みすず書房、1982年。Susan Sontag「ILLNESS AS METAPHOR」1978)より引用します。
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「私の書いてみたいのは、病気の王国に移住するとはどういうことかという体験談ではなく、人間がそれに耐えようとして織りなす空想についてである。…病気とは隠喩などではなく、従って病気に対処するには-最も健康に病気になるには-隠喩がらみの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗することが最も正しい方法であるということだが、それにしても、病気の王国の住民となりながら、そこの風景と化しているけばけばしい隠喩に毒されずにすますのは殆ど不可能に近い。そうした隠喩の正体を明らかにし、それから解放されるために、私は以下の探究を捧げたいと考えている。」(p5、6)

「フランスとイタリアでは今日でも、医者は患者の家族には癌だと知らせても、当人には伏せておくのを原則としている。例外的にしっかりした知的な患者でなくては、耐えられまいということである。」(p10)

「厭わしく苦しい病気を選び出し、それをすぐれた感受性の目印、「高邁な」感情や「批判精神に支えられた」不満の媒体とするということが起こるのは-二十世紀の場合、狂気に対してである。」(p53)

「二十世紀になると、従来結核に付着していた数多の隠喩や態度が分裂して、二つの病気に支配されることになる。結核の特徴の幾つかは狂気にひきつがれた-患者は熱っぽく、むこう見ずで、情熱的な人間であり、極端な行動に走りやすいとか、卑俗な日常世界の恐怖に耐えられぬほど感受性の鋭い人間であるとかいう考え方が、これである。また幾つかの特徴は癌にひきつがれた-ロマン化することのできない苦痛がそれである。今日、自己超越の神話をになうのは結核ではなく、狂気である。ロマン主義の時代には、病気は意識に悪しき攪乱を与えるものとされていた。かつては、そのような病気として結核があったのに対して、今日では、意識に発作的な洞察力を与えるのは狂気であるとされている。非合理的で粗暴な(自発的な)行動(あるいは実践)に対する高い評価が、へたに抑圧すると結核なり癌なりを引き起こすとされる情熱過多に対する高い評価が、今では狂気のロマン主義化のうちに最も強烈に映し出されているのである。」(p54、55)

「初期の資本主義では、消費、貯蓄、経理の管理が必要とされる-それは欲望の合理的な制限に基礎をおく経済である。結核は十九世紀経済人(ホモ・エコノミクス)の負の活動、つまり消費、浪費、生命力の消耗といったイメージを利用して描かれる。高度資本主義は拡張、投機、新しい欲望の産出(満足・不満足の創出に関係する問題である)、信用購入、流通性を必要とする-それは欲望の不合理なまでの充足に基礎をおく経済である。癌は二十世紀経済人の負の活動である異常成長、エネルギー抑制、つまり消費拒否のイメージを利用して描かれる。」(p96)

「狂気と同じく結核も、意思の薄弱あるいは意思の過熱といった或る種の一方通行から生ずるものと理解されていた。結核は実に恐ろしい病気ではあったが、そこには常にある哀感が伴っていた。今日の精神病患者と同じで、結核患者もまた本質的に傷つきやすい、自己破壊的な気紛れにみちみちた人物と考えられたのである。十九世紀から二十世紀初めにかけて、医者は結核患者を何とか宥めしかして健康を取戻させようとしたものだった。それで、朗らかな雰囲気、ストレスからの解放、家族との別居、健康な食事、充分な休養などを勧めたものだが、これは今日の精神病患者に対する進んだ療法と同じものである。

癌の場合には、その捉え方かrして、これとは全く別の、明らかに残酷な療法が考えられた。患者を甘やかすなど考えられないことである。患者の体が攻撃(「侵略」)されていると考える以上、逆襲に出るしか治療法はないとされるのである。」(p97)

「癌のことを記述するさいの中心的な隠喩は、実は経済学からではなく、戦争用語から借用されたものである。癌細胞は単に増殖するだけではなく、「侵す」といわれるのだ。

 「1916年、「社会主義と教養」と題した論文においてグラムシが非難したのが、教養とは百科辞典的な知識であると考える習慣であった…この種の教養は蒼ざめた病める知性偏重をうむのに役立つのみであるし…このような知性偏重こそ、結核や梅毒菌が肉体の美と健康を害する以上に、健全な社会生活を害するほら吹きや夢想家の大群をうみ出すのである。
 次は1920年に共産主義を批判するマリネッティ。
共産主義とは人間を荒廃させてきた官僚制という癌が悪化したやつだ。ドイツ産の癌だ、ドイツ特有の、安息の前には汗を流そう主義の産物だ。ペダンティックな汗流しなぞ、みんな反人間的だ…

 イタリアの最初のファシスト作家が共産主義を攻撃する理由と、のちのイタリア共産党の創設者が或る種のブルジョワ的教養観を攻撃する理由は(「実に有害だ、とくにプロレタリアートにとっては」とグラムシは述べている)、同じものである-それが人工的で、ペダンティックで、硬直しており、生命を欠くということである。」(p114)

 「近代の全体主義は、左右いずれのものにせよ、病気のイメージをとくに愛好する傾向があった-多くのことを教える事実ではある。ナチスは幾つかの「人種の」血が混っている者は梅毒患者に近いとした。ヨーロッパのユダヤ人は執拗に梅毒や癌にたとえられ、除去せよと言われもした。病気の隠喩はボルシェヴィキの議論の屋台骨のひとつで、共産主義陣営の論客の中でも一頭地をぬくトロツキーなどこれを随分と連発したものである-とりわけ1929年のソヴィエト追放後には。スターリン主義は彼からコレラとも、梅毒とも、癌とも呼ばれた。政治に関係するところでは致命的な病気のイメージだけを使うため、隠喩はより激烈な性格をおびてくるわけである。」(p122)

 「或る現象を癌と名付けるのは、暴力の行使を誘うにも等しい。政治の議論に癌を持ちだすのは宿命論を助長し、「強硬」手段の採択を促すようなものである。-それに、この病気は必ず死に到るとの俗説をさらに根強くしたりもする。
 勿論、いずれかの政治観のみがこの隠喩を独占するというのではない。トロツキーはスターリン主義をさしてマルクス主義の癌と呼び、中国では最近四人組が「中国の癌」ということになった。ジョン・ディーンはウオーターゲート事件をニクソンに説明して「内部に癌があります-大統領のすぐ近くに-しかも、大きくなっています」と述べた。アラブ陣営の論説のなかで中心的な隠喩となっているのは…イスラエルは「アラブ世界の心臓部に巣食う癌」である、「中近東の癌」であるという類のものであるし、1976年8月、レバノン・キリスト教右派勢力を率いてタル・ザータルのパレスチナ難民キャンプを攻撃した某将校など、このキャンプを「レバノン体内の癌」と決めつけた。憤怒を表したい人々にとって、癌の隠喩はまことに抗いがたいものらしい。D・H・ロレンスによれば、自慰行為とは「現代文明の最も根の深い危険な癌」。この私にしても、アメリカの対ベトナム戦争に絶望したあまり、「白人種は人類史上の癌である」と書いたことがある。
だが、二十世紀も後半になった今、どうしたら道徳的に厳格であり得るのだろうか。厳しい態度を向けるべきものがかくも多い時代に、どうしたら?「悪」に気づきながら、「悪」について理知的に語ることを可能にする宗教の言葉も哲学の言葉もない時代に、どうしたら?「根源的な」「絶対の」悪を理解しようとして、われわれは適切な隠喩を探し求める。だからといって、今ある病気の隠喩ではうまくない。現にその病気にかかっている御当人にしてみれば、自分の病気の名が悪の縮図としてのべつ引き合いにだされてはたまったものではない。歴史上の事件・問題が病気に似ていると言えるのは、きわめて限られた意味においてである。癌の隠喩など殊におおまかなものである。それは複雑なものを単純化する傾向を必ず助長し、狂信的な態度はともかく、自分は絶対に正しいとする思い込みを誘い出してしまうものである。

 勿論、癌をめぐる言葉に将来変化が生ずることもありえよう。この病気の正体がついに判り、快癒率が今よりずっと高くなれば、その言葉も決定的に変るに違いない。新しい治療法の開拓に歩調をあわせて、それはすでに変りつつある。今のところ、癌患者の治療には放射線療法にかわって化学療法がますます利用されるようになってきているが、疫学的療法のなかに効果的なものが発見されるかもしれないという…治療の言葉が攻撃的・軍事的なものから、体の「自然な防衛力」に中心をおく言葉に変るにつれて、癌も幾分なりとも非神話化されるだろう。…そうなれば、何かを癌になぞらえても、そこに死の予告とか、どんな手段を講じてもよいから致死の大敵と戦えというアジ口調とかが見え隠れしなくかるかもしれない。そのときにこそ、今日と違って、癌を隠喩として使うことが道徳的にも許されるようになるかもしれない。
 もっともその時には、何か恐ろしいものを癌になぞらえたいと思う者などいないであろう。なぜなら、この隠喩が関心をひくのは、この隠喩が神秘性を一杯にしょいこんだ病気と、それにかかれば必ず死ぬという空想の充満した病気と、関連すればこその話であるから。更にまた、癌に対するわれわれの見方とか、われわれが癌に背負わせた隠喩とかが、実のところ、現代文化の大きな欠陥とか、現代人の死に対する浅はかな態度とか、感情の表出を恐れる気持ちとか、本当の意味での「成熟の問題」に対する考えのない無謀な反応とか、消費を正しく規制する高度産業社会を建設することができないこととか、歴史がますます暴力的な道を歩みだしたのを(当然ではあるが)憂慮する気持ちとか、そうしたものを伝えているからでもある。癌の隠喩がみごとに映し出してみせた諸問題が解決されるよりずっと以前に、癌の隠喩の方が廃語となっているだろう、私はそう予言したいと思う。」(p131)

スーザン・ソンタグ「隠喩としての病い」(富山太佳夫訳、みすず書房、1982年)
ILLNESS AS METAPHOR by Susan Sontag(1978)

 スーザン・ソンタグ(1933~2004年)。シカゴ大学、パリ大学等で学んだ後、評論活動に入る。著書に「反解釈」「ラディカルな意志のスタイル」など。
by open-to-love | 2007-04-30 14:55 | 差別 偏見 スティグマ | Trackback | Comments(0)
「統合失調症」に一新 精神分裂病の名称変更

  「精神分裂病」が、2002年夏「統合失調症」に正式に名前を変え、イメージ一新を図る。その病名から、「精神」そのものが分裂してしまうというイメージが長い間続き、患者の人格の否定や誤解・差別を生み出してきた経緯があり、一方、精神医学と治療薬の発達により、この病気の過半数が治ることが分かってきたからだ。最近は副作用の少ない新世代の抗精神病薬が開発され、より有効な治療が可能になってきた。  

▽誤解が広まる

  名称変更を検討してきた日本精神神経学会の理事長で東北福祉大大学院の佐藤光源教授(東北大名誉教授)は「治る人は多い。ただ再発しやすい病気であり、家族や周囲の理解、地域の生活支援システムが大切」と指摘する。一生の間には、約100人に1人はこういった状態になることがあるという。
 しかし、スキゾフレニアが「精神分裂病」と翻訳された1935年ごろ、「この病気が、最後には人格崩壊まで進む予後不良の病気と紹介されてしまった。医学の教科書にも70年ごろまで載せられていた」と佐藤教授。当時は有効な治療法が少なかったこともあって、誤解から不幸なイメージが広まってしまったようだ。  

 ▽抗精神病薬が登場
 「医師は、患者の社会参加を目指して治療しているのに、病名を告げることで、逆に社会参加を阻まれることが少なくない。患者に病名を言えず、診断書も書きにくい。これでは正しい治療ができない」(同教授)。
 病名変更委員会の1人、国立精神・神経センター精神保健研究所成人精神保健部の金吉晴部長が、97年、5つの国立療養所精神科外来を調べたところ、精神分裂病の患者で自分の病名を知っている人は20%に満たなかった。「同じ精神の病気でも、うつ病や神経症の患者とは大きな差がある。自分で分からないまま、うつ病など誤った病気の本を読んだりする患者もいる」と金部長。
 治療が進み始めたのは、クロルプロマジンなどの抗精神病薬が登場した1960年代。急性期の幻覚や妄想、興奮などの「陽性症状」に非常に効果があることが判明。薬の作用が脳内伝達物質のドーパミンの受容体を阻害することから、逆にこの病気がドーパミン神経系の過敏反応性に関係していることが分かってきた。
 ▽社会復帰が容易に
 「ただ従来の薬は、無関心や意欲・集中力の低下などの“陰性症状”を持つ患者には効かなかった。また副作用が強く、眠気やだるさ、パーキンソン病のような症状が出るなどの短所があった」(佐藤教授)。
 これに対し、最近開発され、日本でも使われるようになったのがクエチアピン、オランザピンなどの新世代の抗精神病薬(非定型抗精神病薬)。ドーパミンだけでなく、セロトニン神経系の受容体の働きも阻害するので、陽性と陰性の両症状に効く。
 佐藤教授は「体重が増えやすいという別の副作用があり、注意が必要だが、何よりも従来の薬のような副作用がないため、患者の社会復帰が容易になってきた」という。 金部長も「今、発症する人はかなり治っている。重症化する人もいるが、それは他の病気でも同じ。単に神経の病気ということで普通の病気であることを知ってほしい」と話している。(2002年6月25日付共同通信配信)
by open-to-love | 2007-04-30 14:40 | 統合失調症 | Trackback | Comments(0)
みやぎ知的障害者施設解体宣言

 宮城県内にある知的障害者の入所施設を解体して、知的障害者が地域の中で生活できるための条件を整備することを宮城県の障害者施策の方向とすることを、ここに宣言する。
 宮城県福祉事業団は、平成14年11月23日、船形コロニーを2010年までに解体し、入所者全員を地域生活に移行させるという、「施設解体みやぎ宣言」を発した。宣言を発するに至った背景としては、知的障害者本人の希望と関わりなく、施設入所を当然のこととしてきたのではないかという疑問があった。施設運営に関わる職員としては、自分たちの仕事の意義に対する、真剣な反省である。
 この疑問、反省は、船形コロニーだけにあてはまるものではない。船形コロニーは知的障害者の中でも、特に重度の障害を持つ人たちを処遇する場として特別に設置されたものであるから、地域生活への移行を言うならば、県内の入所施設の中では、順番としては一番最後になってもおかしくない位置付けである。にもかかわらず、施設解体宣言を発したということの重みを、十分に考える必要がある。
 知的障害を持った人たちの幸福を実現することこそが、障害福祉の仕事の目的であるという原点に戻って考えたい。地域の中にこそ普通の生活がある。適切な支援措置さえあれば、重度の障害を持った人たちであっても地域での生活を送ることができること、そして、それが知的障害者の生活を豊かなものにすることは、これまでの多くの実践の中で実証されている。
 船形コロニーの解体宣言から1年余経った今こそ、宮城県全体として、船形コロニー解体宣言の普遍化をなすべき時である。つまり、知的障害者の入所施設を解体し、入所者の地域生活への移行を図ることを、宮城県全体の障害福祉の方向として、明確に示す必要がある。それが、今、このような宣言を発する理由である。
 宣言の背景には、これまでの障害福祉施策への真剣な反省がある。知的障害者への各種の施策が量的にも、質的にも貧しかった頃、知的障害者施策の中心は、施設入所であった。「親亡き後」の知的障害者の生活をどうやって保証し、年老いていく親に安心感を与えるかが大きな関心事であったとも言える。施設入所は、こういった環境の下で、頼りになる施策に思えたのは、ある意味で当然である。
 入所施設での処遇に比べれば、地域生活支援施策は、歴史的にも浅いものであり、目に見えるインパクトとしても施設のように目立たない。一握りの先進的な取組みとして存在し、特に、親達から見えないし、見えたとしても頼りにならないものと認識されていた時代が長く続いている。一方において、入所施設は、多くの職員と関係者を抱える確固たる存在として、永久に存続するものとして受け止められている。「解体」という発想は、普通は出てくるものではない。
 そういった状況の中で、知的障害者本人の幸せとは何かが真剣に問われることがないままに、障害福祉の仕事は成り立っていた。「あなたは、どこに住みたいのか」、「あなたは、誰と暮らしたいのか」、「そもそも、あなたは、何をしたいのか」という問い自体が発せられないまま、入所施設に入っているのが一番幸せと、外部から決めつけられる存在としての知的障害者という図式である。障害福祉の仕事は、知的障害者の幸せを最大にすることを目的とするという見地からは、障害者に対して、まず、この問いが発せられなければならない。そして、その答を模索することが求められる。
 知的に障害を持っていることによって、特別なニーズが生じる。特別なニーズがあったとしても、知的障害者が普通の生活を送ることを断念する理由にはならない。障害福祉の仕事は、その特別なニーズにどう応えていくかということである。普通の生活は施設の中にはない。地域にしかない。であるとすれば、地域の中で、知的障害ゆえに発生する特別なニーズに応えていくことこそが、障害福祉の仕事である。グループホームがある。日常生活の援助がある。金銭管理、人権擁護、就労の確保などなど、やるべきことはたくさんある。
 宮城県での知的障害者への福祉が目指すべきは、この方向である。「施設解体」を宣言しても、解体することに目的があるのではない。あくまでも、知的障害を持った人たちが、普通の生活を送れるような条件整備をすることに主眼がある。そのような条件整備がなされれば、入所施設は不要になる、つまり解体できるということになる。宮城県の障害福祉のありようとして、こういった方向に進んでいくことを少しでも早めるように各種施策を準備するという宣言でもある。
 宮城県内の知的障害者の入所施設を、即刻解体すべしと言おうとしているのではない。時間はかかっても、目指すべきは施設解体、まずは、それが可能になるための、地域生活支援の施策の充実である。県内のそれぞれの入所施設において、このことを念頭に置いて仕事をするのと、全く考えずに日々を過ごすのとでは、大きな違いが出てくる。それぞれの施設において、解体が可能になるまでにやるべきことは何か、何が障害になるのか、障害をなくすための方策、こういったことを現場の職員を交えて真剣に討議し、行動することが求められる。
 繰り返して言う。障害福祉の目的は、障害者が普通の生活を送れるようにすることである。そのために、今、それぞれの立場で何をなすべきか。たどり着くべき島影をしっかりと視野に入れて、船の進むべき方向は間違わないように荒波を乗り越えつつ進んでいかなければならない。たとえ時間はかかっても、必ず目指す島に到達することはできると信じている。同じ船に一緒に乗り込んで欲しい。

 平成16年 2月21日 宮城県知事  浅 野  史 郎

(宮城県保健福祉部障害福祉課HP)
by open-to-love | 2007-04-30 14:23 | 地域生活 | Trackback | Comments(0)

変わる統合失調症治療

変わる統合失調症治療 副作用少なく 多剤投与やめ単剤化 過鎮静患者が減少

 統合失調症の治療が変わりつつある。複数の抗精神病薬を大量に投与するこれまでの薬物療法から、単独の薬を最適量だけ使い、患者の生活の質(QOL)を高めようとする病院が少しずつ増えてきた。厚生労働省は、不必要な長期入院を減らし、社会復帰を促進する方針を決めている。そのためにも、早期の適切な薬物療法が重要になる。

 「抗精神病薬の処方では、日本の常識は世界の非常識だった」と石郷岡純・東京女子医大教授は指摘する。
 新福尚隆・神戸大教授らは、中国、韓国、台湾などアジアの計六カ国・地域で、二〇〇一年に抗精神病薬の使われ方を調べた。すると、多くは一種類の薬の処方だったが、日本だけは一人の患者に三種類以上を使う施設が約四割もあり、単剤は約二割しかなかった。
 アジアは欧米より複数の薬を使う比率が高いとされるが、その中でも日本が際立って高い。一つの薬に換算した一人当たりの平均処方量も日本が最も多かった。
 一九九〇年代に「非定型抗精神病薬」と呼ばれる新世代の薬が開発され、副作用が少なく効果が高いことから、欧米では一種類の薬を必要最少量使う単剤化が進んだ。
 石郷岡教授は「日本では、科学的根拠のない多剤大量投与による薬物療法が長期間行われてきた」という。
 患者を鎮静させることを最も重視し、薬を大量に投与していた。石郷岡教授は「患者によって最適な投与量があり、それ以上の投与は逆に効果が弱くなる可能性がある」と指摘する。
 多剤大量投与は副作用が増えるし、「過鎮静」の状態になった患者は、一日中不快な状態のまま過ごすことになる。
 多剤では、副作用の原因はどの薬かも分かりにくい。また、どの薬も適正な量に達していないので、トータルの投与量は多いのに治療効果が小さく、副作用は大きいケースもある。
 長期大量投与によってパーキンソン病と似た症状が現れることがあり、抗パーキンソン病薬と、その副作用を抑える薬まで服用する悪循環も起きていた。
 このため、患者のQOLを重視して、新世代の非定型抗精神病薬を中心とした単剤へ切り替える病院も増えてきた。
 石郷岡教授が今年春まで属していた常盤病院(東京都町田市)は二〇〇〇年から、医師、看護師、薬剤師らがチームを組み、病院ぐるみで単剤化に取り組んだ。
 患者の症状に合わせて薬の種類、量を変えていき、〇三年には全体の83%が単剤の処方になった。
 一日の薬の量は、入院患者は平均1355ミリグラムから547ミリグラムへと四割に減り、外来患者は三分の二になった。
 同病院の梶谷茂登代看護部長は「過鎮静がなくなり、対話が増えて、社会復帰に向けて支援する本来の看護に取り組めるようになった」と話している。(2004年8月25日付岩手日報家庭欄)
by open-to-love | 2007-04-30 14:09 | 統合失調症 | Trackback | Comments(0)
精神障害者支える「家族愛」 一関で会議 講演で心構え学ぶ


 精神障害者の自立を支援する「地域生活支援センター一関」(鈴木和子センター長)は9月18日、一関市赤萩の催事施設で「家族のための井戸端会議」を開いた。同市の障害者の家族ら七十四人が参加し、現実をあるがままに受け入れることの大切さなど学んだ。
 川崎市の心理カウンセラー高森信子さんが「親が変われば子も変わる」と題し講演。患者が薬を飲み続ければ一年以内の再発率は38%だが、家族の「愛」の力があれば13%にまで下がると指摘。
 精神障害者は神経が繊細で孤立感にとらわれているため、親は「そんな子を産んだ覚えはない」と批判したり「私が死んだらこの子は…」と過度に心配することも禁物。「あなたはとても大事な人」とのメッセージを伝え「明らかに相手の実態を受け入れる」という意味での「あきらめ」が大切と述べた。
 「人と会うのが嫌だ」という当事者の言葉に対し「そっか…つらいんだね」と優しく答えるなど、気持ちをくんだ対話の例を紹介した。
 同センターは月一回、悩みを分かち合う集会を開いている。(2006年9月20日付岩手日報朝刊県南面)

障害の心 父が知ろう

 ○…障害者(児)の親と言えば、一般に母親を指すケースが多い。母性本能の表れか、最後まで踏ん張るのは母親が多いという。
 精神障害者の自立を支援する「地域生活支援センター一関」がこのほど開いた「家族のための井戸端会議」は、参加七十四人中、男性は八人だったが、講師に招かれた川崎市の心理カウンセラー高森信子さんは「八人もお父さんが来てくれて感謝。ぜひ、わが子に歩み寄ってほしい。そうすれば、家庭の雰囲気はガラリと変わる」と指摘する。
 自ら働いているだけに「働かざる者食うべからず」との固定観念が強い父親。そのため「障害者は、父が怒ると『逃げ場がない』と感じる」という。「決してなまけているわけではない。障害のために、働きたくても働けないということを分かってほしい」と願う。(2006年9月28日付岩手日報家庭欄)
by open-to-love | 2007-04-30 14:04 | 両磐圏域:一関市 | Trackback | Comments(0)
カテゴリー一覧・2群:盛岡ハートネットその1

 盛岡ハートネットは、心の病の当事者・その家族・保健師ら関係機関・市民のネットワークです。盛岡市で2007年に開かれた岩手県精神障害者家族会連合会の第30回記念大会を機に、家族会の有志が「これからもこうしたつながりを持ち、当事者、家族、関係者、市民の交流を深めよう!」と同年10月に結成。2〜3カ月に1回のペースで、市内各地で例会を開き、講演、おしゃべり交流会、シンポジウムなどさまざまな活動をしています。岩家連大会を機に始まっただけに、当初は家族が中心のあつまりで「盛岡家族会連合会」と謳っていましたが、だんだん、当事者の参加も増えてきましたし、市民の参加もちらほら、というわけで、最近は「当事者・家族・関係機関・市民のネットワーク」と位置づけています。
 2011年3月11日の東日本大震災以降は、7月から当事者を中心に安心しておしゃべりできる小さな集まり「お茶っこの会」を、月1回ペースで開いています。
 このコーナーでは、例会ごとに、案内、講師の講演詳報、ニュース、収支報告、アンケート回答などを紹介します。

盛岡ハートネット
 ☆盛岡ハートネットの紹介(精神保健ボランティア「そよ風通信」)
 ☆盛岡広域圏障害者自立支援協議会研修会お知らせ
 ☆ある先輩からの手紙
 ★盛岡ハートネットのみなさまへ→「CILもりおか」
 ☆リーフレットできました
 ☆盛岡ハートネット1周年に際して
 ☆ハートネットの事務所はどこ?
 ☆ハートネット2周年によせて
 ☆盛岡ハートネット、「さん・Sunねっと」加入
 ☆みんなねっと岩手大会を振り返って

第1回例会
 ☆家族会活動の課題と展望→管理人より
 ☆盛岡精神障害者家族会連合会「盛岡ハートネット」第1回交流会のお知らせ
 ☆盛岡ハートネットニュース第1号―みなさんは味方ですか?
 ☆盛岡ハートネット第1回交流会資料(盛岡市障害福祉課)
 ☆盛岡ハートネット第1回交流会収支報告
 ☆盛岡ハートネット第1回交流会アンケートまとめと考察

第2回例会
 ☆盛岡ハートネット第2回交流会収支報告
 ☆盛岡ハートネット第2回交流会アンケートまとめと考察
 ☆盛岡ハートネットニュース第2号ー困ってなくても相談を→「相談機関」

第3回例会
 ☆盛岡ハートネット第3回交流会のお知らせ
 ☆高森先生の家族SST参加者募集→家族SST(高森信子先生)
 ☆「家族会と当事者会の歴史が地域での暮らしを支える」(第3回ハートネット交流会資料)
 ☆盛岡ハートネット第3回交流会(速報)&収支報告
 ☆盛岡ハートネット第3回交流会アンケートまとめと考察
 ☆盛岡ハートネットニュース第3号―ありがとう八重嶋さん→「保健師」

第4回例会
 ☆盛岡ハートネット版・家族SST(第4回交流会)アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット版・家族SST(第4回交流会)収支報告
 ☆盛岡ハートネットニュース第4号―高森信子先生SST

第5回例会
 ☆盛岡ハートネット第5回例会のお知らせ
 ☆私の夢(第5回例会資料)→「当事者」
 ☆借金問題は必ず解決できます(第5回例会資料)→「金銭管理」
 ☆ハートネット交流会に参加して→「当事者として」
 ☆クリニックにおける看護(第5回例会資料)→「精神科病院」
 ☆これからの統合失調症薬物療法−日本の常識は世界の非常識(第5回例会資料)
 ☆盛岡ハートネットニュース第5号-薬を減らして、その分「まごころ」
 ☆盛岡ハートネット第5回例会アンケート回答

第6回例会
 ☆第6回例会案 シンポジウム「こころとお金の悩み解決」→「自殺」「消費生活」
 ☆第6回例会・シンポのチラシもできました→「消費生活」
 ☆演劇同好会「虹」プロフィール→「消費生活」
 ☆シンポジウム(第6回例会)発表資料(盛岡市消費生活センター 吉田直美さん)
 ☆シンポジウム(第6回例会)発表資料(岩手医大、岩手晴和病院 智田文徳さん)
 ☆シンポジウム「こころとお金の悩み解決」当日プログラム
 ☆シンポジウム(第6回例会)資料「実効性ある連携への諸課題-建前と良心 シンポジウム「こころとお金の悩み解決!」に際して
 ☆シンポジウム「こころとお金の悩み解決」アンケート集計と考察-(上)(下)
 ☆シンポジウム「こころとお金の悩み解決」配付資料一覧
 ☆シンポジウム(第6回例会)収支報告
 ☆シンポジウム「こころとお金の悩み解決」詳報
 ☆当たり外れのない相談を…第6回例会感想などなど→「相談機関」

第7回例会
 ☆ハートネット第7回例会=第5回奥家連合同交流会
 ☆ハートネット第7回交流会資料
 ☆ハートネット第7回例会(奥家連との交流会)収支報告
 ☆ハートネット第7回例会「奥家連との交流会」アンケート集計

第8回例会
 ☆第8回例会「キラりん一座in盛岡」のご案内→「キララ」
 ☆第8回例会「キラりん一座in盛岡」チラシ→「キララ」
 ☆キラりん一座演劇「心 天気になあれ! Part2」用語解説→「キララ」
 ☆キラりん一座作品紹介→「キララ」
 ☆ケアマネジメントとは?
 ☆第8回例会「キラりん一座in盛岡」のご案内→「キララ」
 ☆「キラりん一座in盛岡」ボランティア募集中!
 ☆キララ支援者メッセージ『自信や希望を育てる障害者・当事者会活動について』→「キララ」
 ☆盛岡ハートネット第8回例会「キラりん一座in盛岡」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第8回例会「キラりん一座in盛岡」アンケート集計
 ☆心の病と共に生きる仲間達連合会キララについてーこんな軌跡があって、こんな仲間で活動しています!(第8回例会配布資料)
 ☆当事者メッセージ「障がいの苦しさから歩き出せた自分!」→「キララ」
 ☆当事者メッセージ「回復への扉を開いて!そして地域への夢をもって!」→「キララ」

第9回例会
 ☆盛岡ハートネット第9回例会「カウンセリングを学ぼう」のご案内
 ☆超短時間精神療法の経済倫理→「精神療法」
 ☆「カウンセリングについて」(山口浩先生の「盛岡いのちの電話公開講座」資料)
 ☆盛岡ハートネット第9回例会収支報告
 ☆盛岡ハートネット第9回例会アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第9回例会 山口先生講演

第10回例会
 ☆盛岡ハートネット第10回例会 増野肇先生の講演&ワークショップ「生きていくチカラ」ご案内
 ☆盛岡ハートネット第10回例会「生きていくチカラ」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第10回例会講演レジュメ「森田療法とサイコドラマ」
 ☆盛岡ハートネット第10回例会アンケート集計

第11回例会
 ☆盛岡ハートネット第11回例会「心の病のお薬を学ぼう」のご案内
 ☆医師に「薬が効かない」と言っても気分を損ねない?
 ☆他の薬を処方してほしいと医師にお願いしていい?
 ☆盛岡ハートネット第11回例会・高橋政代先生講演「当事者や家族が薬とどのようにかかわっていくか」
 ☆盛岡ハートネット第11回例会・上田均先生講演「心の病とお薬」㊤㊦
 ☆盛岡ハートネット第11回例会「心の病のお薬を学ぼう」収支報告
 ☆ 盛岡ハートネット第11回例会「心の病の薬を学ぼう」アンケート集計
 ☆「もりここ祭り」のご案内(第11回例会配付資料)

第12回例会
 ☆第12回例会「自殺予防 私たちができること」のご案内
 ☆第12回例会「自殺予防 私たちにできること」趣旨説明
 ☆第12回例会:第1部:手記④「心の温度」
 ☆第12回例会:第2部:智田文徳さん講演資料「自殺・未遂・自傷と精神疾患」
 ☆第12回例会:第3部:キララメンバーの手記
 ☆第12回例会「自殺予防 私たちにできること」収支報告
 ☆第12回例会「自殺予防 私たちにできること」アンケート集計

第13回例会
 ☆セミナー「こころとお金の悩み解決」(第13回例会)のご案内
 ☆盛岡市消費生活センターの取り組みについて
 ☆いわて生活者サポートセンターの紹介
 ☆セミナー「こころとお金の悩み解決」(盛岡ハートネット第13回例会)主旨説明
 ☆セミナー「こころとお金の悩み解決」(盛岡ハートネット第13回例会)藤澤さん資料
 ☆セミナー「こころとお金の悩み解決」(盛岡ハートネット第13回例会)収支報告
 ☆セミナー「こころとお金の悩み解決」(盛岡ハートネット第13回例会)アンケート集計
 ☆セミナー「こころとお金の悩み解決」(盛岡ハートネット第13回例会)を振り返って
 ☆吉田直美さん講演「消費生活センターはこんなところ」全文…その1~その8

映画『精神』盛岡上映会(2010年5月30日)
 ☆映画『精神』盛岡上映会のご案内
 ☆映画「精神」プレイガイドのご案内
 ☆映画「精神」公式サイト
 ☆映画「精神」上映会トーク…想田監督&こらーる岡山への質問
 ☆映画「精神」上映会当日までの経過
 ☆映画「精神」盛岡上映会が日報に載りました!
 ☆映画「精神」盛岡上映会、いよいよ5月30日
 ☆映画「精神」盛岡上映会 収支報告(速報)
 ☆映画「精神」盛岡上映会アンケート集計Q1〜Q5
 ☆映画「精神」盛岡上映会アンケート集計Q6
 ☆映画「精神」盛岡上映会アンケート集計Q7
 ☆映画「精神」盛岡上映会アンケート集計Q8
 ☆映画「精神」盛岡上映会トーク…実行委員会代表あいさつ
 ☆映画「精神」盛岡上映会トーク…想田和弘監督メッセージ
 ☆映画「精神」盛岡上映会トーク…こらーる岡山メッセージ①
 ☆映画「精神」盛岡上映会トーク…コラール岡山メッセージ②
 ☆映画「精神」盛岡上映会トーク…感想発表①
 ☆映画「精神」盛岡上映会トーク…感想発表②
 ☆映画「精神」盛岡上映会 収支報告(確定)
 ☆映画「精神」盛岡上映会で忘れ物!
 ☆映画『精神』盛岡上映会反省会&益金贈呈式
 ☆映画「精神」上映会の感想&反省
 ☆映画「精神」DVD発売!
 ☆映画「精神」DVD発売(アステアからご案内)

第15回例会
 ☆第15回例会のご案内(2010年9月1日)
 ☆配布資料…㊤㊦
 ☆配布資料
 ☆第15回例会「薬と認知行動療法を学ぼう」収支報告
 ☆第15回例会「薬と認知行動療法を学ぼう」アンケート集計
 ☆第15回例会:ハートネットからのご案内
 ☆第15回例会:盛岡ハートネット登録者数

みんなねっと岩手大会(2010年10月6、7日・マリオス&アイーナ)
 →大会事務局は、盛岡ハートネット事務局でした。大会の全体像は、「家族」のカテゴリーから「みんなねっと岩手大会」を参照ください。

第16回例会
 ☆第16回例会「ACTを学ぼう!」のご案内
 ☆明日はいよいよ第16回例会「ACTを学ぼう!」
 ☆盛岡ハートネット第16回例会「ACTを学ぼう」収支報告
 ☆久永文恵さん(コンボACT-IPSセンター)講演「全国に広がるACT」パワーポイント資料…①〜⑤
 ☆盛岡ハートネット第16回例会「ACTを学ぼう」趣旨説明「盛岡ハートネットとACT」パワーポイント資料…①〜③
 ☆「地域生活支援&ACT勉強会」呼びかけ
 ☆盛岡ハートネット第16回例会「ACTを学ぼう!」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第16回例会 忘れ物のご案内

第17回例会:就労・復職
 ☆第17回例会「働くために」のご案内
 ☆岩手障害者職業センター
 ☆「働きたい」ときの相談窓口・障害者職業センター
 ☆盛岡ハートネット第17回例会「働くために」趣旨説明(パワポ資料)
 ☆盛岡ハートネット第17回例会「働くために」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第17回例会「働くために」講演(パワポ資料)①〜③
 ☆盛岡ハートネット第17回例会:岩手障害者職業センターの場所について
 ☆盛岡ハートネット第17回例会「働くために」アンケート集計…㊤㊦
 ☆盛岡ハートネット第17回例会「働くために」…当事者の思い

第18回例会:リカバリー(2012年4月21日)
 ☆盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」のご案内
 ☆マーク・レーガン著、前田ケイ翻訳 『ビレッジから学ぶリカバリーへの道―精神の病から立ち直ることを支援する』
 ☆もうすぐ盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」
 ☆盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」お手伝い募集
 ☆盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」趣旨説明「3・11/4・21/リカバリー」
  …①大切な「4・21」
  …②精神保健医療福祉も災害時心のケアも「リカバリー」が基本
  …③※WRAP+SPR=こころの元気サロン
  …④統合失調症の人もうつ病の人もPTSDの人もつながれる
  …⑤つながり+力+役割=リカバリー
  …⑥講師紹介&参考文献&ハートネットについて
 ☆盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」前田ケイ先生資料…上中下
 ☆盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」安保寛明さん資料…上下
 ☆盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」が開かれました
 ☆盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」収支報告(再編)
 ☆前田ケイ著『生きる力をつける支援のために 保護司面接のためのSSTマニュアル(DVD付き)』
 ☆ケン・スティール&クレア・バーマン著、前田ケイ監訳、白根伊登恵訳『幻聴が消えた日 統合失調症32年の旅』
 ☆盛岡ハートネット第18回例会「リカバリー」報告集できました。
 ☆前田ケイ先生よりプレゼント「精神疾患を経験した人たちによるボランティア活動調査」

第19回例会「リカバリー…福島と共に」(2013年7月28日)
 ☆第19回例会のご案内
 ☆『精神科看護』2013年8月号 vol.40 特集:東日本大震災を振り返る―震災の経験から学ぶ「備え」
 ☆盛岡ハートネット第19回例会「リカバリー…福島と共に」に際して(趣旨説明)
 ☆盛岡ハートネット第19回例会「リカバリー…福島と共に」関連情報
 ☆盛岡ハートネット第19回例会「リカバリー…福島と共に」タイムスケジュール
 ☆盛岡ハートネット第19回例会「リカバリー…福島と共にお茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第19回例会「リカバリー…福島と共にお茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第19回例会「リカバリー…福島と共に」が開かれました

後藤雅博先生講演会&家族交流会(2013年9月27日)
 ☆「家族も地域も元気に! 後藤雅博先生講演会&家族交流会in盛岡」のご案内
 ☆ハートネットのみなさまへ
 ☆盛岡ハートネットちらし「家族が元気になるためのお手伝いをしてます!」
 ☆今日は「家族も地域も元気に! 後藤雅博先生講演会&家族交流会in盛岡」
 ☆「後藤雅博先生講演会&家族交流会in盛岡」収支報告
 ☆「後藤雅博先生講演会&家族交流会in盛岡」アンケート集計
 ☆コンボの家族支援関係書籍を販売してます
 ☆「家族も地域も元気に! 後藤雅博先生講演会&家族交流会in盛岡」趣旨説明…上中下
 ☆「家族も地域も元気に! 後藤雅博先生講演会&家族交流会in盛岡」趣旨説明…関連資料(盛岡ハートネットチラシ)
 ☆「家族も地域も元気に! 後藤雅博先生講演会&家族交流会in盛岡」事例発表…宮古レインボーネットの家族懇談会について
 ☆「後藤雅博先生講演会&家族交流会」報告…上・下

第1回お茶っこの会(2011年7月)
 ☆「お茶っこの会」のご案内
 ☆「お茶っこの会」参加費について…お金のない人は0円です!
 ☆あす「お茶っこの会」
 ☆第1回お茶っこの会配布資料
 ☆第1回お茶っこの会収支報告
 ☆第1回お茶っこの会が開かれました

第2回お茶っこの会
 ☆第2回「お茶っこの会」のご案内
 ☆あす第2回お茶っこの会
 ☆盛岡ハートネット第2回「お茶っこの会」収支報告
 ☆第2回お茶っこの会が開かれました

第3回お茶っこの会
 ☆盛岡ハートネット第3回「お茶っこの会」のご案内
 ☆あす盛岡ハートネット第3回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第3回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第3回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第3回「お茶っこの会」が開かれました

第4回お茶っこの会
 ☆盛岡ハートネット第4回「お茶っこの会」のご案内
 ☆あす盛岡ハートネット第4回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第4回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第4回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第4回「お茶っこの会」が開かれました

第5回お茶っこの会→「PNPP」のカテゴリーの「お茶っこしながらPNPP打ち合わせ会」

第6回お茶っこの会(2012年1月21日)
 ☆盛岡ハートネット「第6回お茶っこの会」のご案内
 ☆あすは盛岡ハートネット第6回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第6回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第6回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第6回「お茶っこの会」が開かれました

第7回お茶っこの会(2012年3月4日)
 ☆盛岡ハートネット「第7回お茶っこの会」のご案内
 ☆あすは盛岡ハートネット「第7回お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット「第7回お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット「第7回お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット「第7回お茶っこの会」が開かれました

→4月21日は、第18回例会「リカバリー」でした。

第8回お茶っこの会(2012年5月26日)
 ☆盛岡ハートネット第8回「お茶っこの会」のご案内
 ☆あさっては盛岡ハートネット第8回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第8回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第8回「お茶っこの会」配布資料
 ☆盛岡ハートネット第8回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第8回「お茶っこの会」が開かれました

第9回お茶っこの会(2012年7月8日)
 ☆盛岡ハートネット第9回「お茶っこの会」のご案内
 ☆あすは盛岡ハートネット第9回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第9回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第9回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第9回「お茶っこの会」が開かれました

第10回お茶っこの会(2012年8月18日)
 ☆盛岡ハートネット第10回「お茶っこの会」のご案内
 ☆あすは盛岡ハートネット第10回「お茶っこの会」
 ☆☆盛岡ハートネット第10回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第10回「お茶っこの会」趣旨説明
 ☆盛岡ハートネット第10回「お茶っこの会」が開かれました
 ☆盛岡ハートネット第10回「お茶っこの会」アンケート集計

第11回お茶っこの会(2012年9月23日)
 ☆盛岡ハートネット第11回「お茶っこの会」のご案内
 ☆あすは盛岡ハートネット第11回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第11回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第11回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第11回「お茶っこの会」が開かれました

第12回お茶っこの会(2012年11月24日)
 ☆盛岡ハートネット第12回「お茶っこの会」のご案内
 ☆コンボから「こころの元気+」30冊届きました
 ☆あすは盛岡ハートネット第12回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第12回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第12回「お茶っこの会」が開かれました
 ☆盛岡ハートネット第12回「お茶っこの会」アンケート集計①ハートネット
 ☆盛岡ハートネット第12回「お茶っこの会」アンケート集計②コンボ

第13回お茶っこの会(2012年12月27日)
 ☆盛岡ハートネット第13回「お茶っこの会」のご案内
 ☆「こころの元気+」と「どん兵衛」…12月27日、盛岡ハートネット第13回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第13回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第13回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット ピアサポートアンケート(コンボ)
 ☆盛岡ハートネット第13回「お茶っこの会」が開かれました

お茶っこの会2013

盛岡ハートネット第14回「お茶っこの会」(2013年1月26日)
 ☆盛岡ハートネット第14回「お茶っこの会」のご案内
 ☆盛岡ハートネット第14回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第14回「お茶っこの会」が開かれました
 ☆盛岡ハートネット第14回「お茶っこの会」ピアサポートアンケート(コンボ)
 ☆盛岡ハートネット第14回「お茶っこの会」アンケート集計

盛岡ハートネット第15回「お茶っこの会」(2013年2月23日)
 ☆盛岡ハートネット第15回「お茶っこの会」のご案内
 ☆盛岡ハートネット第15回「お茶っこの会」の当日配布資料について
 ☆あすは盛岡ハートネット第15回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第15回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット ピアサポートアンケート(コンボ)
 ☆盛岡ハートネット第15回「お茶っこの会」アンケート集計

盛岡ハートネット第16回「お茶っこの会」(2013年3月22日)
 ☆盛岡ハートネット第16回「お茶っこの会」のご案内
 ☆あさっては盛岡ハートネット第16回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第16回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット ピアサポートアンケート(コンボ)
 ☆盛岡ハートネット第16回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第16回「お茶っこの会」が開かれました

盛岡ハートネット第17回「お茶っこの会」(2013年4月28日)
 ☆盛岡ハートネット第17回「お茶っこの会」のご案内
 ☆盛岡ハートネット第17回「お茶っこの会」ゲスト…みっこ倶楽部ホームページ
 ☆あさっては盛岡ハートネット第17回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第17回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第17回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第17回「お茶っこの会」が開かれました

盛岡ハートネット第18回「お茶っこの会」(2013年6月1日)
 ☆盛岡ハートネット第18回「お茶っこの会」のご案内
 ☆あさっては盛岡ハートネット第18回お茶っこの会
 ☆盛岡ハートネット第18回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第18回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第18回「お茶っこの会」が開かれました

盛岡ハートネット第19回「お茶っこの会」(2013年10月27日)
 ☆盛岡ハートネット第19回「お茶っこの会」のご案内
 ☆明日は盛岡ハートネット第19回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第19回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第19回「お茶っこの会」アンケート回答

盛岡ハートネット第20回お茶っこの会in「リカバリーミーティングいわて」(2013年12月7日)
 ☆第20回お茶っこの会in「リカバリーミーティングいわて」のご案内
 ☆あすは盛岡ハートネット第20回「お茶っこの会」
 ☆盛岡ハートネット第20回「お茶っこの会」収支報告
 ☆盛岡ハートネット第20回「お茶っこの会」アンケート集計
 ☆盛岡ハートネット第20回「お茶っこの会」プレゼント「わたしを支えてくれるひと」

盛岡ハートネット刊行物
 ☆盛岡ハートネット刊行物一覧
  リーフ、ニュース、小論などの一覧です

盛岡ハートネットニュース
 ☆第1号
 ☆第2号
 ☆第3号
 ☆第4号
 ☆第5号
 ☆第6号
 ☆第7号「キラりん一座盛岡デビュー!」
by open-to-love | 2007-04-30 13:59 | 2群:盛岡ハートネット | Trackback | Comments(0)
障害克服へ一歩ずつ 盛岡で精神保健講座

 家族のための精神保健講座は、盛岡市肴町の市保健センターで、このほど開かれた。統合失調症患者の家族ら約三十人が参加。滝沢村の地域生活支援センター滝沢の上川原幸男所長が講演し「よりよい生活のため、家族のぬくもりを」と呼び掛けた。
 例えば、朝起きられないまま外へ出ない息子に対し、家族は「作業所で働いてほしい」などの高い目標から「起きろ、頑張れ」と言ってしまいがち。だが、起きられないという状態そのものが病状から発生していることも多い。「目標が高すぎると本人も家族もつらい」と、主治医によく相談して本人の状態を理解し、一歩一歩進むことの大切さを指摘。
 障害とそれに伴う生きづらさにより、本人は自己評価が低く達成感を持てなくなっている場合も多いので「家族はプラスのメッセージを送ることを心掛けよう」と説いた。(2007年2月16日付岩手日報朝刊)
by open-to-love | 2007-04-30 13:57 | 盛岡圏域:滝沢村 | Trackback | Comments(0)
ローザンヌ アール・ブリュット収集館

「芸術はわれわれが用意した寝床に身を横たえに来たりはしない。芸術は、その名を口にしたとたん逃げ去ってしまうもので、匿名であることを好む。芸術の最良の瞬間は、その名を忘れたときである」。
芸術家ジャン・デュビュッフェの言葉は、アール・ブリュットの概念を総括する根幹としてとらえることができる。アール・ブリュットの作者たちは、あらゆる文化的な操作や社会的な順応主義から自由である。彼らは精神病院の患者、孤独に生きる者、社会的不適応者、受刑者、あらゆる種類のアウトサイダーたちなのだ。
これらの人々は、沈黙と秘密、そして孤独の中、独学で創造活動を行っている。いっさいの伝統に無知であることが、彼らをして、独創性にあふれ、破壊的な作品制作を可能にしている。ジャン・デュビュッフェいわく、「われわれが目の当たりにするのは、作者の衝動のみにつきうごかされ、まったく純粋で生の、作者によって、あらゆる局面の全体において新たな価値を見いだされた芸術活動なのだ」。ジャン・デュビュッフェはアール・ブリュットという概念の提唱者であるのみならず、アール・ブリュット・コレクションの創始者でもある。1971 年、デュビュッフェは、当時すでに5,000 点を超えていたコレクションをローザンヌ市に寄贈したのである。
これをうけ、世界にも例をみないユニークな美術館が1976 年にオープンした。アール・ブリュット収集館は全世界における歴史的リファレンスを提示している。毎年3万5千人近くを数える来館者には、日本からの来館者も多く含まれ、美術館が収集してきた今日では3万点にものぼる作品との出会いがある。アール・ブリュット収集館が所蔵する作家は主にヨーロッパ出身であるが、北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、アジアの作家の作品にもわたっている。
これらのコレクションのなかで6人の日本人作家を挙げておく:戸次公明(1952)、藤関美佐枝(1952)、西川智之(1974)、吉田修三(1956)。兵庫県出身の作家、坂上チユキ(1961)は幻想的な動物や創造物を喚起するデッサンを手がけている。
アール・ブリュット収集館は近年、松本国三(1962)の作品を見いだし、彼の主な作品群を入手した。松本は大阪に生まれ、魅惑的なカリグラフィーの作品を展開中。漢字を作り直したり、変化させたり、新たに創作したりとまったく自由な試みがなされている。
アール・ブリュット収集館の活動は、世界各国からの来館者にこれらの創意工夫に富む作品群を発見してもらうこと、他の研究機関と協力しつつ、所蔵品の研究および充実を図ることである。常設展と平行して、当館では企画展を開催しており、これは海外の美術館に巡回することもある。出版物の発行もてがけていて、写真や映像による、アール・ブリュット創作の記録も行なっている。
アール・ブリュット収集館は文化の混血を奨励し、また他の芸術的分野とともに相乗効果をあげることをねらっている。当館はこれまでにも幾度か、ローザンヌ市のヴィディー劇場の上演演目に共鳴した作品を展示している。同様に、シネマテーク・スイスやローザンヌ市内の映画館と提携して、アール・ブリュット作家をとりあげたドキュメンタリー・フィルムを上映。また、展示作品と直接関連のあるコンサートやパフォーマンスは、展覧会のまさにその場で上演される。
アール・ブリュット収集館の多岐にわたる来館者には大勢の子供たちも含まれる。そこで子供のためのワークショップが用意されている。子供たちは自由に想像力をはたらかせ、その時の展覧会のテーマ(群衆、エクリチュールなど)に沿った作品を作り上げる。当館ではまた、若い人たちにアール・ブリュットの世界に親しんでもらうため、楽しく演出された展示ガイドも行なっている。

2006-2007 年度の展覧会プログラム
・ネック・チャンド チャンディガル在住のインド人作家による独創性あふれる環境芸術の展覧会は、アール・ブリュット美術館、ローザンヌ、(2005 年10 月7 日から2006 年2 月26 日)をはじめ以下の3カ所にて同時開催:-フランス: ファビュロズリー、ディシーサリーヌ・ロワイヤル、アルケスナンテットドール公園の熱帯温室、リヨン-ベルギー: ギスラン博士博物館、ヘント
-イタリア: 地方図書館、アオスタ、・アレクサンドル・ロバノフ アール・ブリュット美術館、ローザンヌ(2006 年3月から9月)
・リチャード・グレーヴス、アナーキテクト アール・ブリュット美術館(2006 年10 月から2007 年1月まで)
by open-to-love | 2007-04-30 13:22 | 心の病とアート | Trackback | Comments(0)
 アウトサイダー・アート (outsider art) とは、フランスの画家ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet; 1901年-1985年)がつくったフランス語「アール・ブリュット(Art Brut)」を、イギリスの著述家ロジャー・カーディナルが英語の「アウトサイダー・アート」という表現に訳し替えたものである。
 その意味は、デュビュッフェが1949年に開催した「文化的芸術よりも、生(き)の芸術を」のパンフレットには、「アール・ブリュット(生の芸術)は、芸術的訓練や芸術家として受け入れた知識に汚されていない、古典芸術や流行のパターンを借りるのでない、創造性の源泉からほとばしる真に自発的な表現」のことだとある。
 つまり、特に芸術の伝統的な訓練を受けていなくて、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向、モードに一切とらわれることなく自然に表現したという作品のことをいう。特に、子どもや、正式な美術教育を受けずに発表する当てもないまま独自に作品を制作しつづけている者などの芸術も含む。なお、デュビュッフェの作品をArt Brutに含めるケースもある。
 デュビュッフェ自身は、知的障害者が描いたものとは一切言っていないが、一般に、そういう障害者の作品をいうことがままある。一般にアウトサイダーアートは精神障害者の描いた絵画と思われているが、必ずしもそうではない。
 とかく、障害者を社会の枠外に置きたがる風潮のなかで、そうした人たちに対して「アウトサイダー」という言い方をする場合、差別的という非難をされてもしかたがない。アウトサイダー・アートを安直に、精神障害者のアートと結びつけることも好ましくない。その代わり、今日では、そういうさまざまな障害を持った人たちの作品を、エイブルアート、ワンダー・アート、ボーダーレス・アートという呼称で、社会につながりを持つための手がかりとして支援しようとする動きがある。国内では、トヨタ自動車などがその最大のスポンサーとして活動している。
 ただし、精神病院内におけるアートセラピーという背景事情があり、作者の多くが「結果的に」精神障害者だったことは、事実として認めなければならない。
 日本においては、1993年に世田谷美術館における「パラレル・ヴィジョン」という企画によって、本格的に紹介されている。
 また、デュビュッフェは、これらの作品を収集し、このコレクションは、現在、スイス・ローザンヌ市で「アール・ブリュット・コレクション」として所蔵されている。
 またオーストリアのウイーン郊外にある、マリア・グギング国立精神病院内のグギング芸術家の家は、入院患者のうち絵画の才能のある人たちが居住して創作活動を行っており、アウトサイダー・アートの拠点となっている。
 なお、アウトサイダー・アートの評価であるが、いわば、こちら側の視点で、あちら側の「芸術」を評価しているという構造自体がおかしい、と、現在の「評価方法」の根本に疑問を呈する論者もいる(アウトサイダー・アートの価値自体を認めないという立場とは異なる)。これは、プリミティブ・アートに対する西欧(文明)からの評価に対する批判と同じ視点である。
 2007年には日本各地でアール・ブリュット展が、2008年にはスイスで日本のアール・ブリュット展が行われる予定である。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
by open-to-love | 2007-04-30 13:17 | 心の病とアート | Trackback | Comments(0)

精神障害者の20世紀

<特集>精神障害者の現在・過去・未来

 今年は精神病者監護法が制定されて100年、また精神衛生法が制定されて50年を迎える節目の年である。
 わが国の精神障害者施策の歴史は浅く、身体障害者や知的障害者と比べ遅れている。それは、精神に障害のある人たちが、障害者ではなく病者として扱われ、長い間医療の対象とされてきたためである。
 今回の特集では、精神障害者施策の変遷、現在の状況、そしてわが国の近未来像としたい外国の状況を紹介し、21世紀の飛躍に向けた課題を整理する。

精神障害者は20世紀をどう生きたか

秋元波留夫(財団法人日本精神衛生会会長、共同作業所全国連絡会顧問)

精神病者監護法のもとで
 今から80数年前の1918年、日本の精神医学と精神医療の創始者としてよく知られている当時の東京帝国大学教授呉秀三は、その著書「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」で、「我邦十何万ノ精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ」という有名な言葉を残している。私はこの言葉ほど、切実に精神障害者の運命を表現した言葉はないと思う。この本は全国にわたって座敷牢の実情をつぶさに調査してその悲惨な状況を克明に記録したドキュメンタリーであるとともに、この非人道的な座敷牢を合法化し、その全国的広がりを許している「精神病者監護法」(1900年制定)と、これを黙認している明治政府を糾弾する告発の書でもあった。

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 精神障害者の「此邦ニ生レタルノ不幸」の源泉ともいうべき「精神病者監護法」は当時、野放しになっていた、座敷牢や民間の収容施設を取り締まる目的でつくられた、監禁を合法化する法律である。「監護」という奇妙な言葉は、「精神病者監禁法」を主張する政府案と、「保護法」とすべきだとする、法案の審議に専門家として参画した東京帝国大学法医学教授片山国嘉(呉秀三の渡欧中、精神病学講座を兼任した)の意見の妥協の産物であると言われている。
 この法律をつくるきっかけとなったのが「相馬事件(1884年、明治17年)」である。旧相馬藩主相馬誠胤(1852-1892年)が精神病にかかり、座敷牢に入れられたことに端を発して、旧藩主の忠臣と称する錦織剛清が、当時の旧家老志賀直道(志賀直哉の祖父にあたる人)と精神科医が結託して相馬家を乗っ取ろうとした陰謀だと主張し、藩主に精神病の診断を下した東京癲狂院(都立松沢病院の前身)の院長中井常次郎、当時の東京帝国大学精神病学教室教授榊俶が訴えられるという騒動に発展した。結局錦織の敗訴、誣告罪が課せられるという結果に終わったが、この事件で明らかになった、不法監禁の野放しを取り締まるためにつくられたのが精神病者監護法である。
 この法律は、精神病者を社会にとって危険であり、監禁の対象であると見なし、座敷牢を「私宅監置」と呼び、監置の責任を家族に負わせるために「監護義務者」制度をつくり、また、この法律の施行を内務省と警察の管理下に置き、警察は、監護義務者が監禁の責任を果たしているかどうかを監視するというものであった。わが国の精神障害に関する法律が監禁の合法化で始まったという歴史を忘れるべきではない。
 呉らの私宅監置廃絶の運動は議会を動かし、精神障害者の医療を国の責任で整備するための法律「精神病院法」が1919年に制定された。この法律は国および道府県に精神病院の設置を促進することを求めたものであり、私宅監置廃絶に絶対に不可欠な法律であり、この法律の制定と同時に、呉らの要求してやまなかった精神病者監護は廃止するのが当然であったにもかかわらず、そのまま生き残ることになった。その理由は、1914年に始まった第一次世界大戦に参戦し、帝国主義の道を走り出したわが国政府が軍備拡張に要する莫大な国費を捻出するために、精神病院設置運営の財源を出し惜しみする必要があったからである。その当然の結果として、「精神病院法」とは名ばかりで、精神病院の設置は一向に進まないばかりか、「精神病者監護法」のもとで私宅監置の悲劇はいっそう拡大していった。
 30年にも及んだ精神病院法と精神病者監護法の並立なる奇怪な状況に終止符が打たれ、私宅監置が廃止されたのは、太平洋戦争が終わった5年後の1950年、「精神衛生法」が制定されたときであった。呉が「私宅監置の実況」で私宅監置の廃止を訴えてから32年の歳月が過ぎていた。呉はついにこの日を見ることができなかった。
 今年はわが国の精神障害に関する最初の根拠法令である「精神病者監護法」が制定されて100周年である。「精神病者監護法」のもとでの精神障害者の生きざまをあらためて振り返り、そこから精神障害者がこの国に生まれたことを喜べる未来を迎えるための教訓を学び取ることが大切である。

15年戦争と精神障害者
 精神病院法が有名無実で、精神障害者が座敷牢に閉じ込められなければならなかったのは国が貧乏で精神病院をつくるお金がなかったからではなく、戦争に備えるための軍備にお金をつぎ込んだためであることはいま述べた通りだが、第一次世界大戦以後の帝国主義の歩みの必然の結果である、満州事変から太平洋戦争へと続く15年戦争は、一般市民にもまして精神障害者に大きな災厄を齎した。
 15年戦争によって蒙った精神障害者の災厄は、空襲による負傷や死亡などの直接の被害だけではない。戦争の長期化とともに食料の不足が深刻となり、1941年4月から食料の配給制が施行されたが、不十分な食料配給のあおりをまともに受けたのが精神病院に入院している人たちであった。この悲惨な事実をはっきりと物語っているのが精神病院の死亡統計である。ここでは当時の代表的な精神病院であった傷痍軍人武蔵療養所(現在の国立精神・神経センター武蔵病院)と東京府立松沢病院(現在の都立松沢病院)の状況を述べることにしよう。
 傷痍軍人武蔵療養所は精神障害軍人を治療する軍事保護院の施設だったため、身体的には丈夫な若い人たちが多かったにもかかわらず、1941年頃から死亡者が増加した。死亡者は1940年には1人であったが、1941年26人、1942年55人、1944年になると100人を超え、敗戦の年、1945年には160人、実に在院患者の4分の1、4人に1人が死亡した。死亡者の増加は戦後も続き、死亡者の数が平年並みとなったのは1950年以後である。食糧不足は戦後も数年続いたからである。
 東京府立松沢病院の状況はさらに深刻である。松沢病院は武蔵療養所と違って、一般市民の治療施設で高齢者も多数含まれていたこともあって、食糧不足の影響はいっそう大きかった。この病院の平時の死亡者は年間20人程度であるが、日中戦争の始まる前年の1936年にはすでに73人に増えており、1938年には121人、1940年には352人という多数の死亡者が出ている。太平洋戦争が激しくなるとその数はいっそう増え、1944年には422人、敗戦の年1945年には480人と激増し、在院者の約半数が死亡している。松沢病院で死亡者の数が普通の水準に戻ったのは1952、3年以後である。このような痛ましい死亡の原因は、松沢病院の記録が明らかにしているように、食料の不足による慢性栄養失調である。松沢病院や武蔵療養所は公的施設であり、闇の物資調達は不可能であり、政府の食料配給計画を忠実に守らなければならなかったのである。この二つの施設だけでなく、おそらく当時の全国の精神病院の患者は同じような状況に置かれていたにちがいない。精神病院に入院している精神障害の人たちの多くは、一般市民のような食料調達の自由をもたず、食料は病院から支給されるものだけに限られた。死亡はその結果であるから、病死というより、事故死であり、正しくは政府の不当な配給計画の実施による他殺というべきである。

精神衛生法から精神保健法・精神保健福祉法へ
 「精神衛生法」という近代国家なみの新しい名前を用いた法律が初めて制定され、精神病者監護法と精神病院法の二重支配の時代が終わったのは、敗戦から5年たった1950年のことである。しかし、精神衛生法は精神病院法(1919年制定)の隔離収容主義をそのまま受け継ぎ、精神病院、とくに私立精神病院を増やす施策を最優先したため、精神病院、精神病床は増加の一途をたどり、1960年代に始まる「脱施設化」(精神障害者の処遇を施設中心から地域中心に移す政策)の世界的動向から逸脱する結果を招いた。
 宇都宮の一私立病院で起きた患者の人権侵害事件(1983年)が契機となり、国の内外からの精神衛生法改正の厳しい要求に押されて、政府は法改正を余儀なくされ、1988年、精神衛生法は精神保健法に改められ、入院患者の権利を保障するための規定が設けられるなどの改正とともに、初めて授産施設、援護寮などの社会復帰に関する制度が設けられた。さらに1995年には、障害者基本法の成立を享けて、それまで皆無であった精神障害者の福祉施策を取り入れ、精神保健法が「精神保健及び精神障害者の福祉に関する法律」(精神保健福祉法)に改められた。
 わが国の精神障害者施策が精神衛生法の施設収容一辺倒から、精神保健法で社会復帰を取り入れ、さらには精神保健福祉法で福祉施策を加えるように変化した要因として、第1に、1960年代に始まる抗精神病薬の開発などによる精神障害の治療の進歩によって、精神病院に入院している人たちの退院と社会復帰の可能性が増大したこと、そして第2に、1980年代から民間の草の根運動によって地域で生活する精神障害者の働く場所(共同作業所など)、住まう場所(グループホーム、アパートなど)が全国に広がり、その活動の中から地域リハビリテーションの現状からみて、あまりにも立ち遅れている精神障害者の社会復帰と福祉に関する法制度の改正、整備を要求する運動が熾烈になったことを挙げることができるだろう。
 このようにして、現行の精神保健福祉法は、医療・精神保健に加えて社会復帰、福祉の施策を取り入れ、一応は時代の要請に応えた形となっている。しかし、その内実をみると、医療では精神病者監護法の監護義務者が保護者制度として温存されているとか、精神障害者の定義に社会復帰、福祉の対象としての障害者の視点が欠落しているなど改正を要する点が少なくないばかりでなく、社会復帰、福祉の施策にいたっては、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法に比べてあまりにも落差が大きく、法の下での不平等の見本のようなものである。一例を挙げれば、精神保健福祉法の下での授産施設の職員定数は身体障害者福祉法、知的障害者福祉法による授産施設の職員定数の半分である。
 精神保健福祉法は第1条目的で精神障害者の「社会復帰の促進及びその自立と社会経済活動への参加の促進のために必要な援助を行う」ことを謳っているが、それは本当に実行されているのだろうか。その答えが否であることを、わが国精神医療の恥辱ともいうべき社会的入院の存在が歴然と証拠だてている。

21世紀に向けて
 現在、全国の精神病院には34万近くの在院者がいるが、その少なくとも4分の1、8万人以上の人たちが引き取り手がないとか、退院しても生活のめどがつかないなどの病状以外の理由で病院暮らしを余儀なくされている「社会的入院」と呼ばれている人たちである。入院の必要のない入院という不条理なことが、今わが国ではまかり通っているのである。その主な理由が、退院できる人たちを受け入れる地域の態勢が整っていないことにあることはあまりにも明らかである。民間の努力で法内、法外の共同作業所やグループホームが全国に1500か所近くつくられているが、それではとても足りないのである。
 総理府が1996年に発表した「障害者プラン。ノーマライゼーション7か年戦略」も、社会的入院の問題を取り上げ、その原因が地域の社会復帰資源の不足にあることを認めて、社会復帰施設の拡充、強化を約束し、極めて低いものであるけれども、数値目標まで掲げているが、7か年の半ばが過ぎた現在まで、まったく実現されておらず、精神保健福祉法による社会復帰施設の設置が進まないので、無認可小規模作業所が精神障害者の地域リハビリテーションの担い手の役割を果たしているのが実情であり、社会的入院の解消とは程遠いありさまである。
 21世紀に向けて今必要なことは、国が「障害者プラン。ノーマライゼーション7か年戦略」の約束を実行し、精神保健福祉法の目的である精神障害者の「社会復帰の促進及びその自立と社会経済活動への参加の促進」を謳い文句ではなく、現実のものとすることである。そのためには、精神障害者の地域リハビリテーションの実態を担い、社会的入院の解消と精神障害者の福祉に貢献している1000余を数える全国の無認可小規模共同作業所、あるいは無認可小規模グループホームが、これまでのように助成金の不足から運営に苦しむことがないような施策を講ずることが必要である。
 先般、社会福祉基礎構造改革の一環として社会福祉事業法が「社会福祉法」と改められ、これまで極めて困難であった社会福祉法人取得の条件が緩和され、無認可施設が法定施設となる道が広げられたことは、障害者福祉制度の一歩前進として評価されるが、重大な問題は、法定授産施設などの助成制度が従来の措置制度から利用者の支援制度に変わることであり、支援費の決め方がまだ検討中ということである。
 すでに国および地方自治体では、財政再建を旗印として社会福祉の予算の切り下げが強行されている。もしも措置制度から利用者の支援制度への転換が財政緊縮の意図のもとでの方便であるとすれば、社会福祉の切り捨て以外のなにものでもない。障害者プランの「数値目標」にしろ、精神保健福祉法の「社会復帰の促進及びその自立と社会経済活動への参加の促進」にしろ、それが実効を伴わないのは、それに必要な予算が伴わないからである。どんなに立派な政策でも、必要な予算がなければ絵に描いた餅にすぎない。
 現代の精神障害者は、今世紀初めの「私宅監置」の時代とはまた別の意味で、「此邦ニ生レタルノ不幸」を背負っていると言わなければならない。
 精神障害者にとって、20世紀は「此病ヲ受ケタルノ不幸」と「此邦ニ生レタルノ不幸」の二重の不幸を背負って生きた時代であったが、21世紀をすべての障害者が「この国に生まれたことをしあわせに思う」時代にすることこそが、これからの障害と福祉に携わる人たちに課せられた使命であろう。
(あきもとはるお 財団法人日本精神衛生会会長、共同作業所全国連絡会顧問)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行「ノーマライゼーション 障害者の福祉」2000年7月号(第20巻 通巻228号)
by open-to-love | 2007-04-30 13:12 | 考古学・歴史 | Trackback | Comments(0)