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一条ふみと岩手ー記録活動と“底辺女性”への視点…⑲

一条ふみと岩手ー記録活動と“底辺女性”への視点…⑲

3-2 書くこと・声を上げること/対話すること

 書き、声を上げ、自らの現実を可視化させる。その上で、対話を志向する。女性同士がつながるために。抑圧された者同士が手をつなぐために。そのために、森崎と一条から学ぶべき視点とは具体的にどんなことか。▽過去と現在▽女性と〝底辺女性〟▽中央(都市)と地方(農村)-という3項目について、2人の視点のいいとこ取りをして、相互補完的に、「対話の女性史」なるものを構想して、発表の締めくくりとします。

3-2-1 過去と現在との対話

 森崎は自身の来歴や思いと岩手・北東北の歴史風土との対話から、双方をイマジナティブに連結しましたが、岩手の近現代との間には断絶があった。縄文や古代とは対話してますが、近現代とは対話し得ず、むしろ拒まれ、終わっている。その断絶をつなぐために必要なのは、『幻想』の世界のみならず、実証的な研究の積み重ねというレベルで、縄文や蝦夷の独自性を過度に称揚するのではなく、国家の論理との相関関係の中で、冷静にその独自性と関係性を推し量ることが必要でしょう。
 ここで、大いに参考になるのが、古代史研究の第一人者八木光則さん(盛岡市)の提唱する「蝦夷社会の内なる発展と、それに対する国家の論理との相克」という、古代~中世史研究の新たな視座です。

奥州藤原氏の性格:独立政権説と国家枠組内説

独立政権説(高橋富雄・板橋源)
「征伐と忍従を強いられた古代蝦夷、彼らの自立と発展の結実としての安倍~藤原氏」

国家枠組内説(遠藤巌・大石直正・斉藤利男)
高橋説を内からの発展を重視しすぎた「奥羽独立王国論」として批判(大石直正)
「公権の行使者や中央に連なる者として、国家権力の枠組みの中で実権を握った藤原氏」

八木の提唱:「蝦夷社会の内なる発展と国家の論理の相克が必要」
(「平泉研究の課題」2008年7月12日、盛岡市西部公民館古代史講座)

 戦前の「野蛮な縄文」「国家への反逆者だった安倍氏」という見方の揺り戻しとして、戦後の縄文・蝦夷・安倍氏・さらには平泉藤原氏の独自性の強調は、東北人に元気を与えるがあまり、過度に過ぎた面がありました。森崎の記述にも、そんな時代背景が反映しています。それに対して八木さんの指摘は、過度に貶めるのでもなければ過度に称揚するのでもない、バランス感覚に優れた指摘と思います。ようやくこうした視点で研究できる時代になったともいえましょう。
 さらに、いかに「国家の論理と内なる論理」がせめぎあってきたかの検証は、ひとえに古代~中世のみならず、さらに近世、近現代へとつながらなければなりません。例えば、「婦人年」と「遠くで鳴る鐘」。そのためには、縄文~古代~近世~近現代研究者の間、それぞれと女性史研究者の間の対話も必要となります。
by open-to-love | 2010-02-11 22:13 | 黒田:岩手大学術講演会 | Trackback | Comments(0)