精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』………その70

滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』………その70

滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』(1993年、中央法規)

八 昭和五〇年代の全家連運動
 昭和五三年の夏に、それまで三年間中断していた全国大会再開のため、時の理事長川村伊久氏は自分の所属する神奈川あすなろ会会長の旧知、有岡宣子氏や渡辺長四郎神奈川県連会長らに協力要請を続けるとともに、川崎市精神障害者家族連合会あやめ会にも働きかけました。県内保健所、精神衛生センターなどのソーシャルワーカーらも積極的にこれを支援し準備を重ね、横浜市従会館での第一六回全国大会は、開催直前には一部不穏な動きが出るのではないかと緊張しましたが、無事開会できました。
 終了後直ちに次回全国大会は全家連本部が独力で東京で開催することを内々に決めて、早速取り組んだのは、昭和四五年時に〓げた全国大会スローガンであった「精神障害者福祉法」案についての具体的内容検討です。あえて家族会役員および回復者そして身近なソーシャルワーカーのみの委員構成とし、五回ほどの討議を経て「精神障害者福祉に関する基本的見解」を上梓しました。その折、この委員であった乾三郎氏、青野敏夫氏(元理事長)らは、主として身体障害者福祉法、精神薄弱者福祉法文を基にアレンジし、精神障害者福祉法文(案)私案を作成しました。翌年第一七回全国大会は東京代々木の青少年オリンピックセンターを会場として開かれ、メインプログラムは国会議員による公開討論会でありましたが、テーマは「精神障害者福祉法」を五党がどう考えるかというものでした。そこで先述の「基本的見解」および「福祉法文」案を公開発表したわけです。当然のことながら、実際に参加した四党の国会議員は多少の考えの違いはあるにしても、基本的なことは大賛成であり、また来賓席には国政選挙立候補者も参加していました。この大会も盛会となり、本部役員は失いかけた自信を取り戻し、以後の全家連運動の方向や戦術を決める決定打となって成功裡に終わりました。
 翌年は本部事務局を中心に、国際障害者年に向けての精神衛生思想普及キャンペーン全国自動車キャラバンを組みました。先に公益助成金の助成で制作したイギリス、ベルギーなど先進西欧諸国の精神障害者に対する地域ケア社会復帰システムの一六ミリ映画フィルムを持ち、映画と講演会を開きながら二年間かけて約四〇県、北海道から九州、沖繩まで走り回りました。各都道府県庁所在地の繁華街で地元家族会有志と街頭演説やビラ配りを行い、県庁精神衛生主管課、国際障害者年担当課、精神衛生協会、精神病院協会等に地元役員と表敬の挨拶回りを続けました。こうして横浜、東京の全国大会に続き、各県連と全家連との提携事業、組織強化が推進されました。このキャラバンは、総理府の口添えで日本チェーンストア協会からの寄付金によって賄われたものでしたが、続けてトヨタ財団の助成を受け「精神障害者福祉ニードに関する研究」、更には社会福祉開発研究基金よりの助成で「精神障害者の社会福祉施策についての提言」をまとめ、それぞれ出版報告を重ね政策提言活動を実施しました。そして昭和五五年全家連が保健文化賞を、翌年理事長が国際障害者年総理大臣賞を受賞しました。
 その後昭和五八年政権与党の斎藤邦吉元厚生大臣を会長とする「精神障害者社会復帰促進議員懇話会」が結成されました。日本船舶振興会の助成で全国八ブロック家族指導者研修会が二年、その後映画と講演会を三年継続実施する間、昭和六一年車両競技公益資金財団からの助成で、昭和五八年厚生省が全国で実施した精神衛生実態調査を上回る家族一万余、回復者二四〇〇の当事者の「生活実態調査」を実施しました。また国の厚生科学研究費により、社会復帰、福祉に関する家族会活動のあり方を中心とする研究調査報告を出すとともに日本身体障害者雇用促進協会からの委託で、「精神障害者の雇用職業に関する研究」なども始めました。
 なお、この精神障害者社会復帰促進議員懇話会結成に至る経過では、昭和五五年の五党による国会議員の公開討論の後、出席者の与党代議士が幹事となって政権与党内に働きかけ、当初九名の参加者を得たものでした。自民党内の派閥の関係もあって数名の厚生大臣経験者のうちから長老格の斎藤氏が会長となりました。本来、家族会運動のような当事者団体の運動は、信仰、信条、思想を超え政治的には超党派であるべきだという声を何度も聞きましたし指摘も受けましたが、他の四党内での呼びかけがなかったことにより与党議員のみの構成になりました。一方野党議員の中には、予算を獲得するには与党でなければ残念ながら効果少なしと助言してくれた人もいました。事実こうした極めて政治的な判断がなされたとき、政治学者である京都大学の高坂正堯氏らを中心とするトヨタ財団研究の「高度産業国家における利害関係団体の福祉に関する研究調査」の調査対象となったのを参考にして、三菱財団の助成を受け「精神障害者の社会復帰・福祉施策形成基盤に関する研究調査」を実施しました。このような当事者活動の研究・調査の意味は、その結果を根拠にして運動、活動の基本にしてきていることにあります。
 全家連結成以来、地域家族会や県連合会では市区町村や県当局からの補助金や委託事業など財政的支援を少ないながらも徐々に獲得する中で、本部財政はずっと会員の会費と一部自転車振興会の助成で月刊「ぜんかれん」誌発行を続けてきましたが、先に挙げたいくつもの研究調査を中心にしてようやく昭和五九年、国の直接的助成に近い、厚生科学研究の委託を受けるようになりました。更に他の精神薄弱者、身体障害者の社会福祉全国団体がそうであったように、昭和六二年には国庫補助事業である小規模作業所運営助成金配分を、本会が受託実施するようになりました。
by open-to-love | 2009-12-29 10:54 | 滝沢武久 | Trackback | Comments(0)