精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』………その38

滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』………その38

滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』(1993年、中央法規)

九 精神鑑定の難しさ
 ときどき起こる精神障害者による社会的事故(殺傷事件)の折に、精神鑑定により刑罰を問われない、すなわち無罪になるケースが報じられることがあります。もしその鑑定で症状がゆえと診断され、治療のために精神病院へ入院措置となったときにも、市民は誤解をもちます。傷害、殺人事件の主が、刑務所か精神病院のどちらかに入ることで、その質の違いを見分けられないような、大いなる誤解を生むのです。
 現行精神保健法の前身、精神衛生法のそのほとんどの条文には「精神の症状により自分または他人に危害を加えるおそれのある者」を精神鑑定し、「必要であらば強制的にでも入院措置することができる」とあります。そのための手続き条文が実は圧倒的に多いのです。旧条文では約七割の項目を占めていました。
 しかし鑑定医が精神医学を大学などで学び、その上経験を積んだとしても、人間の行為を予測することは極めて難しいことなのです。良心的な医師は「厳密には自傷他害の予測は困難」と言っています。それでいて法の建て前は精神病患者の医療と保護であり、実際には(残念ながらいまだ大半が鍵と鉄格子のある)精神病院への入院手続きが中心だったのですから、精神鑑定(診断)がいかに難しいか想像するべきなのです。と同時に事故、事件を犯したとき、たとえ病状による部分があるにしても一定の償う義務と権利が患者にもあることを真剣に考えるべきです。人間の行為の判断背景に、その人の行為について、一定の義務と責任が必ず表裏一体となっている時、その片方がないことは、もう一方も(すなわち人権も)保障されないことになってしまうのです。
 従来、軽々しく「心神喪失」「心神耗弱」の判定がなされすぎたのではないでしょうか。もっとじっくりと真剣に心病む人の声を聞く精神科の診療を家族としては期待しています。
by open-to-love | 2009-12-28 17:47 | 滝沢武久 | Trackback | Comments(0)