精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


by open-to-love
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』………その37

滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』………その37

滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』(1993年、中央法規)

八 精神科医療における保護義務
 精神科における医療、保護という表現に、収容隔離保護という意味合いのあったことをお伝えしました。それと同時に精神(心)の病気は、自分(患者)自身が病気を気づきにくい、すなわち病気という自覚、認識を持ちにくい(病識がない)場合が多いから、医療者が積極的に介入して面倒を見る必要がある、という考え方があります。とりわけ日本では、両親、同胞などが保護義務者という手続きをして本人に代わって医療に(受診を)依頼をするということで、保護義務者の医療保護入院(以前は同意入院)という制度をつくってしまいました。私たち家族はそう教えられてきたのですが、はたしてそれで良かったのでしょうか。
 最近、病院、保健所でデイケア、患者クラブ、地域社会では地域作業所などが設置運営され、精神病院入退院経験者が、社会復帰、社会参加の足場として大いに役立っています。その人たちのいろいろな声を聞くと、発病(発症)時、実は本人自身に実に大きな不安、緊張などの自覚があったことが語られます。それなのにその不安、緊張に適切に対応するより、いわば強制的介入医療という形の対応をしてきたのです。よく専門家が「真の精神医療は患者と医療者の信頼関係」にあるといいますが、近すぎて「木を見て森を見ない」家族に代わり、余裕も持って患者の心を開く役割をすべきなのに、病院(鉄格子と鍵のある)に強制収容入院をする、しかも個々の面接等より薬物投与中心の治療、という方法が多かったところに、日本の精神医療の悲劇があります。
by open-to-love | 2009-12-28 17:47 | 滝沢武久 | Trackback | Comments(0)