盛岡ハートネット第12回例会「自殺予防 私たちにできること」第1部:手記④
2009年 12月 08日
盛岡ハートネット第12回例会「自殺予防 私たちにできること」の第1部は、「未遂者の手記」として、4人の方の手記を発表させていただきました。30代3人、50代1人、いずれも女性です。盛岡ハートネット事務局が手記を依頼し、補足的に取材し、まとめました。手記については、あくまで例会の場限りであって、そこ以外には出さない、会場で読み上げるのみという条件で寄せていただき、参加者にもプライバシー厳守を呼び掛けた上で、事務局が読み上げました。
このうち、50代の女性の方の手記について、ご本人が「ブログに載っけてもいいよ!」と言ってましたので、ありがたく、載せさせていただきます。
第1部:未遂者の声④
タイトル「心の温度」(50代・女性)
私は「消えてしまいたい」と感じたことについてお話しいたします。
7年前、近県から子どもの進学と共に盛岡市に転居しました。子どもにとって中学での不登校の体験から抜け出し、親子で見知らぬ地での生活がスタートしたのでした。
ひと月が過ぎるころ、私はやっと仕事が決まり、大学生の上の子への仕送りも必要であり新聞配達も始めました。疲れやすいと感じていましたが、やがて、横になるとすぐ眠ってしまったり、食欲も低下してきました。じっとしていても動悸があり、近くの総合病院で検査を受けました。
検査結果の出る日、先に精神科を受診しました。疲れていたとはいえ、体調が落ちてから思考力が著しく低下し、判断力が落ちたと感じていたからです。
精神科では甲状腺の検査結果が悪いので外科の方へと言われました。外科の担当医から甲状腺ホルモンが出ていないので体を休めること、服薬治療となるが薬の用量をきちんと守るようにと注意されました。この病気、慢性甲状腺炎はたとえば「熊の冬眠」のようなもので、お休みモードのなか動くのですから疲れやすく、食欲も低下します。頭も働きにくい状態になります。そのために思考力が落ちたと感じたのでしょうとのことでした。数値は少し上がっては下がったりと不安定な状態が続き、思考の低下は仕事にも影響が出てきました。
職場に休みたい旨を伝えると、試用期間内ですから辞めて下さいとの話になり、近くのスーパーで短時間、パートとして働き始めました。体の疲れもさることながら、仕事中に「もう帰りたい」とよく思いました。このような気持ちになったのは初めての体験でした。
決して難しいことではなかったのですが、なかなか覚えられないのです。また、一度に3つのことを並行して進めることができないのです。料理に例えるなら、野菜を茹でているうちに肉を切り、もう一方の火加減を見たりと合理的に進行するのが普通ですが、いわゆる手際よくできず、強いストレスを感じました。
このころから「消えてしまいたい」という感覚が表れるようになりました。気持ちというより感覚なのです。朝露が日が高くなるとスーッと消えるような、まるで存在していたことが無かったかのような感じです。
同じころ、子どもは進学後ひと月半で不登校となり、やがて昼夜逆転し引きこもるようになりました。私は数年前から子どもは解決のできない強い不安があると感じ、精神科の受診をさせたことがありました。しかし、医師は「子育ては賭ですよ」と言い、治療には至りませんでした。本人は不眠、不安をずっと抱えていたと思います。
子どもが中学での不登校のときに、スクールカウンセラーのAさんと知り合いました。
再び不登校になったことと、髪型が気に入らないと自分で切り、最後には頭を剃ってしまったり、睫毛を抜いたりとの行動に、これは精神症状ではと感じ、Aさんとの電話のやり取りが始まりました。やがては子どもは独語や空笑と統合失調症の急性期症状を呈するようになりました。
このころ私は不安のあまり、朝の6時を待てず、Aさんに5時58分に電話をかけたり、Aさんが研究室からの帰り電波が途切れてしまい深夜にメールが届いたりと、怒涛のような最中「私、死にたいとは思いませんが、スーッと、消えてしまいたいと感じるのです。スーッと」「それは突然、ふわーっと起きるのです」と話しました。
Aさんは「心が震えているのです。体調もすぐれない中で頑張っていて、疲れているのです。エネルギーが行き届かず、心の温度が下がって来ているのでしょう。少し休みましょう」と話されました。
私は「でも、休んでいたら、働かなかったら生活ができません。治療もできません。今でさえ食費にも困っているのですから」
Aさんは「私が守ります。ただ一つだけ約束をして下さい。あまりにぎりぎりでは間に合いません」
私は赤の他人であるAさんにここまで言わせてしまう状況にあると思うと、すぐに言葉が出ませんでした。
「私は今、警戒水位にあると感じていらっしゃるのですね」
「ええ、お二人とも、盛岡での(公的な?)支援が必要です」
翌日盛岡市役所へ行きました。
Aさんの社会的使命によって私は救われ、福祉のお世話になり子どもの障害による繋がりから同志ともいえる仲間を得て盛岡で生きています。
「疲れやすい」「熊の冬眠状態、お休みモード」「思考力の低下」「消えてしまいたい」これらの言葉に皆さんは何を連想されますか? 女性に多い甲状腺の機能低下や亢進で「心の冬眠」エネルギーの低下で「うつ状態」が起きたりします。私は今も甲状腺の薬を服用し、その後更年期で「うつ」になり、抗うつ薬も合わせて服用中です。
「心の温度」をコントロールしながらですが、誰かの「ふるえる心に」そっと温かい息を吹きかけるような人であり続けたいと思います。
このうち、50代の女性の方の手記について、ご本人が「ブログに載っけてもいいよ!」と言ってましたので、ありがたく、載せさせていただきます。
第1部:未遂者の声④
タイトル「心の温度」(50代・女性)
私は「消えてしまいたい」と感じたことについてお話しいたします。
7年前、近県から子どもの進学と共に盛岡市に転居しました。子どもにとって中学での不登校の体験から抜け出し、親子で見知らぬ地での生活がスタートしたのでした。
ひと月が過ぎるころ、私はやっと仕事が決まり、大学生の上の子への仕送りも必要であり新聞配達も始めました。疲れやすいと感じていましたが、やがて、横になるとすぐ眠ってしまったり、食欲も低下してきました。じっとしていても動悸があり、近くの総合病院で検査を受けました。
検査結果の出る日、先に精神科を受診しました。疲れていたとはいえ、体調が落ちてから思考力が著しく低下し、判断力が落ちたと感じていたからです。
精神科では甲状腺の検査結果が悪いので外科の方へと言われました。外科の担当医から甲状腺ホルモンが出ていないので体を休めること、服薬治療となるが薬の用量をきちんと守るようにと注意されました。この病気、慢性甲状腺炎はたとえば「熊の冬眠」のようなもので、お休みモードのなか動くのですから疲れやすく、食欲も低下します。頭も働きにくい状態になります。そのために思考力が落ちたと感じたのでしょうとのことでした。数値は少し上がっては下がったりと不安定な状態が続き、思考の低下は仕事にも影響が出てきました。
職場に休みたい旨を伝えると、試用期間内ですから辞めて下さいとの話になり、近くのスーパーで短時間、パートとして働き始めました。体の疲れもさることながら、仕事中に「もう帰りたい」とよく思いました。このような気持ちになったのは初めての体験でした。
決して難しいことではなかったのですが、なかなか覚えられないのです。また、一度に3つのことを並行して進めることができないのです。料理に例えるなら、野菜を茹でているうちに肉を切り、もう一方の火加減を見たりと合理的に進行するのが普通ですが、いわゆる手際よくできず、強いストレスを感じました。
このころから「消えてしまいたい」という感覚が表れるようになりました。気持ちというより感覚なのです。朝露が日が高くなるとスーッと消えるような、まるで存在していたことが無かったかのような感じです。
同じころ、子どもは進学後ひと月半で不登校となり、やがて昼夜逆転し引きこもるようになりました。私は数年前から子どもは解決のできない強い不安があると感じ、精神科の受診をさせたことがありました。しかし、医師は「子育ては賭ですよ」と言い、治療には至りませんでした。本人は不眠、不安をずっと抱えていたと思います。
子どもが中学での不登校のときに、スクールカウンセラーのAさんと知り合いました。
再び不登校になったことと、髪型が気に入らないと自分で切り、最後には頭を剃ってしまったり、睫毛を抜いたりとの行動に、これは精神症状ではと感じ、Aさんとの電話のやり取りが始まりました。やがては子どもは独語や空笑と統合失調症の急性期症状を呈するようになりました。
このころ私は不安のあまり、朝の6時を待てず、Aさんに5時58分に電話をかけたり、Aさんが研究室からの帰り電波が途切れてしまい深夜にメールが届いたりと、怒涛のような最中「私、死にたいとは思いませんが、スーッと、消えてしまいたいと感じるのです。スーッと」「それは突然、ふわーっと起きるのです」と話しました。
Aさんは「心が震えているのです。体調もすぐれない中で頑張っていて、疲れているのです。エネルギーが行き届かず、心の温度が下がって来ているのでしょう。少し休みましょう」と話されました。
私は「でも、休んでいたら、働かなかったら生活ができません。治療もできません。今でさえ食費にも困っているのですから」
Aさんは「私が守ります。ただ一つだけ約束をして下さい。あまりにぎりぎりでは間に合いません」
私は赤の他人であるAさんにここまで言わせてしまう状況にあると思うと、すぐに言葉が出ませんでした。
「私は今、警戒水位にあると感じていらっしゃるのですね」
「ええ、お二人とも、盛岡での(公的な?)支援が必要です」
翌日盛岡市役所へ行きました。
Aさんの社会的使命によって私は救われ、福祉のお世話になり子どもの障害による繋がりから同志ともいえる仲間を得て盛岡で生きています。
「疲れやすい」「熊の冬眠状態、お休みモード」「思考力の低下」「消えてしまいたい」これらの言葉に皆さんは何を連想されますか? 女性に多い甲状腺の機能低下や亢進で「心の冬眠」エネルギーの低下で「うつ状態」が起きたりします。私は今も甲状腺の薬を服用し、その後更年期で「うつ」になり、抗うつ薬も合わせて服用中です。
「心の温度」をコントロールしながらですが、誰かの「ふるえる心に」そっと温かい息を吹きかけるような人であり続けたいと思います。
by open-to-love
| 2009-12-08 16:52
| 第12回例会:自殺予防
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