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自殺未遂の実態…実数と男女差

高橋祥友著『自殺未遂—「死にたい」と「生きたい」の心理学 (こころライブラリー)』
(講談社、2004年10月)

第2章 自殺未遂の実態

■自殺未遂の実数

 既遂自殺については、毎年、警察庁と厚生労働省から統計が発表されている。ところが、未遂となると全国的なデータは皆無である。
 せいぜい自殺未遂に及んで居両機関を受診した例について、各医療機関がそれぞれのデータを持っているに過ぎない。それを全国的に集計し、公表するというシステムはない。
 また、自殺未遂といっても、医療機関を受診するほどの危険性を伴うものはなんとか把握可能であるが、受診するまでに至らなかった自殺未遂に関しては、どの程度起きているのか、全容は捉えられていない。そこで、自殺未遂に関しては、あくまでも推計に基づく数しか現状では手に入らないことを断っておく。
 WHO(世界保健機関)は、自殺未遂は既遂の10〜20倍の数が生じていると推定している。最近の日本では年間自殺者3万人台が続いている。ということは、未遂者は30万〜60万人存在すると考えられる。
 このように、未遂・既遂比は10〜20対1であるのだが、これは全年齢を通じての比である。子どもからお年寄りまですべての年齢を含めた上での数字なのだ。
 年齢によって、未遂・既遂比は異なるという点も指摘しておこう。たとえば、若年者では未遂・既遂比は100〜200対1であるのに、高齢者の場合、4対1であるという数字も報告されている。
 要するに、若年者の場合、自らを傷つける行為に及んだとしても、既遂に至る率は、高齢者に比べると低い。ところが、高齢者の場合は、自傷行為が、即、命を落とす結果につながる率が高く、介入の余地がより少なくなりかねない。
 これは、高齢者の方が、自殺願望が確固としていることを示しているのかもしれない。さらに、同じ手段を使ったとしても、若い人に比べて、高齢者は身体の抵抗力が低いために、実際に命を落とす結果につながる可能性が高いことを示しているとも考えられる。
 さて、10〜20人の未遂者のうち、既遂に終わる人がひとりいるという事実を、読者はどのように考えるだろうか。「行動に及んだ10〜20人のうちひとりしか実際には自殺まで至らないのか」と考える人もいるようだが、むしろ、これはきわめて高い危険を示している数字と考えてほしい。
 たとえば、最近では、日本全体で1年間に10万人たり27件の自殺が生じている。この率と比較すると、一度でも自殺未遂に及んだ人は、その後も同様の行動を繰り返して、結局、自殺で命を落とす確率は、自殺を図ったことのない人に比べて、200〜400倍も高いことになるのだ。
 自殺未遂はこのように深刻な結果を暗示する重要な危険因子であることを念頭において、適切な対応をしなければならない。

■男女差

 既遂自殺に関しては、男性のほうが女性よりも多いというのが世界的な傾向である(中国のように女性の自殺率の方が男性よりも高いと報告している国もあるのだが、これはきわめて例外的である。現時点では、中国ではいくつかの地域の調査を行い、それに基づいて全国の自殺数を推計している。それがカバーしている割合は全人口の約1割である。将来、全国調査のデータが集計できるようになれば、中国における既遂自殺者の男女比は、他の国々と同様に、男性のほうが高いということになる可能性がある)。
 日本でも、既遂自殺者数は、男性のほうが女性よりも約2・5倍高い。
 さて、既遂自殺の男女差は男性のほうが高いのとは対照的に、未遂は女性のほうが高いことが明かになっている。
 既遂は男性に、未遂は女性に多いことについては、生物学的背景と社会的な背景からいくつかの説明が試みられている。
 まず、生物学的に、男性のほうが衝動性をコントロールする力が弱く、自殺を図ろうとするときに、より危険な方法を用いる傾向が強い。
 また、これ以上に、社会的な制約も大きい。問題を抱えたときに女性の方がはるかに柔軟な態度を取ることができるようだ。問題を言葉に出して表現したり、他者に助けを求めたりすることに抵抗感が少ないという特徴が認められる。女性は、強い風が吹いてきてもまるで柳の枝のようにしなやかに対応できるようなところがある。
 それに比べると、男性は「人に相談しても仕方がない」「弱音を吐けない」「自分で解決するしかない」といった「男は強くなければならない」という社会的な刷り込みが強すぎる。
 男性は老大木にたとえることもできるのではないだろうか。最後の最後まで、強風にひとりで立ち向かい、がんばり抜いたあげく、幹の真ん中からポッキリと折れてしまう。そんな強さと弱さを兼ね備えている。
 問題を抱えたときの対応の差が男女の間にあるように思うのだが、このような男女差が、既遂や未遂の男女比の差に反映しているように考えられる。
 こんな男女比を裏打ちするような経験をしたことがある。数年前に、ある新聞に、中高年の男性のメンタルヘルスについてコラムを執筆する機会が与えられた。
 コラムが掲載された日は問い合わせや相談の電話が何本もかかってきた。ところが、あるときふと不思議な現象に気づいた。中年の「男性向き」のコラムであるはずなのに、相談してくるのは圧倒的に女性であったのだ。ご主人について心配してくる人もいれば、自分自身の悩みを相談してくる人もいた。
 ほとんどの人は名乗らない。相手は私のことを知っているのだから、私が逆の立場であったら、まず自己紹介をしたうえで、相談を切り出すだろうと、ときどき妙な気持ちになった。しかし、身分を明かさないでいられる電話だからこそ相談してきたのかもしれないので、あまりその点については拘らずに、電話を受けた。
 さて、自分が誰であるか言わなくても相談できるのに、相談者の大多数は女性であることに驚いたものである。
 これは精神科受診についても当てはまる。とくに男性は、「誰もこんなことを理解してくれるはずがない」「弱音なんか吐けない」「自力で問題を解決しなければならない」という気持ちがとても強い。
 そして、深刻な問題を抱えても精神科を受診しようなどとは決断できない。精神科受診とは言わないまでも、他人に相談することさえ潔しとしない傾向が男性には強いのだ。
 精神科医をしていると、言葉に出して悩みを表現することがどれほど大切かよくわかる。
 問題を言葉で表現することによって、その問題と自分の間に少しだけでも距離を置くことができて、冷静になるきっかけになる。
 また、真剣に耳を傾けてくれる人がいると、ひとりでは思いもよらなかった視界が開けてくることもしばしば経験するはずである。
 「最後に決断を下すのは自分だ」といった考えは立派である。でも、すべてをひとりで背負いこむと、解決策がひどく限られたものでしかなくなってしまう恐れがある。誰にも相談せずに、ひと思いに命を絶ってしまう行為に及ぶことにも、問題を抱えたときにどのような態度に及ぶのかといった男女の対応の差が現れているように思えるのだ。
by open-to-love | 2009-10-10 20:39 | 自殺未遂/自殺 | Trackback | Comments(0)