精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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「私にはでき過ぎた子どもたち」

「私にはでき過ぎた子どもたち」

大沼れい(仮名)

 今、グレープフルーツのアロマ・オイルを焚き、「世界に一つだけの花」をBGMに、一人静かに過ごしています。少しでもこんな穏やかな時を送れるようになるとは想像もつきませんでした。
 私の歩んできた道は険しく、一生懸命に生きようとすればするほど、困難が次から次へと待ち受けていました。でも、なんとか乗り越えてきたのに、乗り越えられない壁にぶつかりました。
 発病! なんで? なんで私なの? どうして精神病なの? せめて癌だったら良かったのに…。
 今、考えると癌の患者さんに申し訳ないと心から思いますが、当時は本気でそう考えていました。
 人に病名を言えない病気。理解されにくい病気。頑張れない病気。精神病に対して自分が一番偏見を持っていました。いえ、今でも消えていません。自分の病気が理解できない。受入れられない。
 私のたった一つの武器を病気は奪ってしまった。頑張ると発作が起きる。頑張ると再発の危険が伴う。
 どうすればいいの? 私が何をしたというの? 私の心は恨みと憎しみで一杯でした。
 退院してからも、しばらくは1日22時間も眠る日が続き、毎日毎日が地獄の苦しみでした。
 今思うと幸いだったが、発病前に子どもがいたことです。子どもがいなかったら、今のような幸せな日々はなかったと断言できます。ただ、闘病中は子どものことが気がかりでした。手がかかる時期なのに、愛する我が子に何もしてあげられない。無理をしたら発作が起きて、かえって迷惑をかけてしまう。何年もジレンマが続き、施設に預けたほうが子どもにとって幸せなのではないかとも考えました。家の子がおままごとをすると、登場人物に必ず病人が出てきました。これでいいの? 不安と焦りで一杯でした。
 当時通っていた病院の医師はひどい人で、「何をしても疲れる」と訴えると笑って「じゃあ! 働きなさい」と言うので、仕事をしました。病状は悪化してしまいました。「どうしても疲れる」とまた訴えると、自分も飲んでいると言って、リタリンを処方されました。リタリンのおかげで家事はしやすくなりましたが、後で聞いた話だと、その薬は危険な薬で一種の麻薬のような症状が起きるそうです。実際、主治医を今の医師に替え、その薬を止めてからも副作用に長いこと苦しみました。
 今の医師は気さくというか、お気楽な性格で、当時、余裕のなかった私は慣れるのに時間がかかりました。けれど、ここまでこれたのも主治医のおかげと深く感謝しています。
 子どもたちに最低限の世話しかできず、細かいところまで行き届きませんでした。でも、常に心はかけていた気がします。そうすることしかできなかったのです。でも、かえってそれが良かったようです。
 発病する前の生活というと。上の子が生後3カ月から、有名芸能人の子どもが所属する幼児教室に通い、幼稚園から受験を考えていました。教育のために1日24時間(生活のすべて)を計算していました。お店に行くにも買物のためではなく、子どもに教えるために時間をかけました。「ここはパン屋さん」「ここはお魚屋さん」「ここはお米屋さん」と、お店を教えたり、中に入って商品の説明をし、覚えさせました。
 公園でも、図鑑を片手に花の名前を説明したり、掃除も洗濯もすべて子どもにより良い環境を整えるためでした。特に食事は念入りでした。無農薬の自然食品を選び、メニューを研究しました。私は必死でした。テレビも子どもに影響が良くないと思い、「お母さんと一緒」と「英語であそぼう」しか見ませんでした。
 テレビドラマで鼻歌まじりに掃除などしているシーンがあると不思議でした。私は一生懸命で必死で、鼻歌など出たことがなかったのです。そんな中での発病です。
 退院して家に帰ると、整然と片付けられた部屋に高価な教材が並び、我が子の姿がありませんでした。言葉では言い表せないほどショックでした。私の全てをかけて築いてきたものは、一体なんだったのだろう? この時たぶん、一番大切なものに気づいたのだと思います。ここから私の育児は180度転換しました。英才教育より、子どもが笑ってさえいてくれればいいと、当り前なことにやっと気づかされました。
 けれど、病気を抱えての子育ては、それはそれは壮絶な闘いでした。病気をして得たものは多いとわかってはいても、病気をしないで気づきたかった。やっと大切なものが見えてきたのに、病気が邪魔をする。
 そんな時、『心を病むって、どういうこと?』という本と出会いました。「病気になってよかった」の一文が心を刺しました。この人正気? と疑わざる得ませんでした。理解できませんでした。でも、心のどこかで、私もそうなれたらどんなに楽だろう! という思いもあったのでしょう。
 発病して、いろいろな人と出会いました。たくさんの出会いの中で、たくさん愛され、たくさん癒されました。自分の居場所が一つずつ増えました。そこで学んだことは、ありのままの自分でいいんだということです。病気の私でもいい、子どもに何一つしてあげられない私でもいい。ダメな私でもいい。完璧なんて不必要。常識や世間体なんて考えなくていい。自分が思った通り、感じたまま、生きればいいということです。
 うちの子は、私にはでき過ぎた子どもたちです。
 長男は、自分にあまり自信がないと思っているように感じますが、私から見るとなかなかの人格者です。正義感は強く、意思があり、やさしいです。生きる力をもっています。自分で決めたことは必ず成し遂げます。何より人を愛し許す心には感心しております。見習いたいですが、今のところ難しいです。長男のような人が総理大臣になったら、絶対に戦争などしないでしょう。絶対に!
 長女は、女の子なので違った面でしっかりしています。よく気が利き、3歳くらいから「リトル・ママ」と呼んでしまうほど、私を励まし助けてくれました。けなげなくらいです。自分のことは自分でします。経済観念もあり、お料理なども型にはまらず、才能があります。小学校のクラスでジャガイモの皮をむける子が3人しかいないと聞き、教えなくては!と思っている矢先に、台所でジャガイモの皮をむいている姿にビックリしました。親の私がピューラーを使っているのに…です。
 世話好きで、進んで「お誕生日係り」をしていました。毎月毎月、クラスの誕生日の子にプレゼントを作っていました。日に日に腕を上げどんどん大作になっていきました。バラエティーにも富んでいました。センスも良く、おしゃれで、明るく、お茶目でとても愛らしいです。
 私は我が子を高く評価していますが、特別な子では決してありません。普通の子です。ただ、私もそうですが、良いところは当り前で、悪いところばかり目についてしまうものですね。今は凄いな〜あ! と思った時に、「すごいね」と言います。偉いな〜あ! と思った時に、「えらいね」と言います。思ったこと、感じたこと、ありのままの気持ちを自然に表現しています。
 私が一番尊敬している人にアドバイスいただいたことを今実行しているのです。それは、必要以上に怒ってしまったり、干渉し過ぎないように、マスクをしています。溺愛しすぎて過干渉になってしまうのです。
 「病気をして良かった」とまでは思えませんが、私が病気をして得たものは多いです。病気をしてプラスだったと認識しております。
 幸か不幸か、同じ病気の知り合いが少ないです。ですから、自分の病状のことも最近知り始めたばかりで、自分が障害者であることすら、最近まで知りませんでした。ずっと難病だと信じていました。でも、健常者の中で健常者と信じて生活し続けていたので、ある意味で自立できました。少ない予算の中で英語もろくに話せないのに海外へ個人旅行しています。もちろん下準備や予定をたてたり予約を入れたりします。リハビリも兼ねて手話や日本語教師の勉強もし、ボランティアもしています。パソコンも少しずつ独学しています。
 統合失調症はどこに障害があるのですか? と主治医にお聞きすると、感情とか記憶とか思考といった根深い、わかりにくい箇所の障害だそうです。私の場合、怒りのコントロールが上手にできなかったり、多々不安がみられるようです。人ができないことができるのに、みんなが普通にできることができないのです。細かいところでいうと、一人で洗髪できません。歯磨きも以前は力を入れていて上手だったのに、今は磨くと吐いてしまいます。探し物ができません。本当に基本的なことができないのです。家族や友人の力を借りたり、定期的にヘルパーさんに来てもらって手伝っていただいてます。はじめは障害を認められず、人に力を借りることに抵抗がありましたが、今は、障害を克服するための手段と、ありがたく支援を受けています。
 怒りのコントロールも少しずつ、本当に少しずつですが、クリアーしています。主治医と別のクリニックのデイケアにも参加しているのですが、そこのドクターに「昇格です」と言われ、カウンセリングを減らされ、嬉しいやら辛いやら複雑です。でも、やっぱり認められるって嬉しいです。
 遠回りした、困難な道だったと、幾度となく涙を流しました。けれど、私の人生に無駄など何一つなかったと、今は素直に思えます。それを武器に、これからは生きて行きたいです。
 最後に、私のために、子どもたちのために、一生懸命努力を惜しまず応援し続けてくれている、愛する夫に、心から感謝します。「ありがとう☆」

(古川奈都子編著『心が病むとき 心が癒えるとき 仲間たちの体験から』ぶどう社、2004年)
by open-to-love | 2009-07-03 20:04 | 当事者として | Trackback | Comments(0)