「必ず治ると、一緒に歩いてくれる彼」
2009年 07月 03日
「必ず治ると、一緒に歩いてくれる彼」
永遠の幸せ(ペンネーム)
私はうつ病で、4年間治ったりなったりと繰り返しています。
病気になる前はテレビが大好きで、外に出てバタバタしている、ごく普通の人でした。
それが病気になってからは、テレビが時々ウルサク感じ、外にブラブラ出ることもなくなってしまいました。病気が重かった時は横になることも多く、泣いたり、ボーッとしたり、心の中は海の底にいて光もささない暗い感じでした。
今もうつ病で、よくはなりつつありますが、2〜3年の間で治っては働いて、少しするとまた病気になり、辞めて休養をとりの繰り返しです。元気な方から見ると、何をしても続かない、なまけていると思われると思いますが、私なりに頑張ってるんです。とてもわかってもらいづらい病気だと、病気になって気づきました。
私が病気になったきっかけは、21歳まで普通の恋愛をして交際していましたが、ある日別れを告げられ、その時の男から、「3年間一緒にいて(私から)何も得ることがなかった」と言われました。別れを告げられた悲しみもありますが、言われた一言にすごくショックを受けたことでした。
自信もなくなり、仕事も手につかなくなり、朝も起き上がれない、夜も眠れず、食欲もなくなり、2〜3カ月で体重が10キロ減り、こんな状態が続き、仕事も辞めることになりました。両親も最初は理解もできなく、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋のベッドにうずくまり泣いているのを怒ってばかりいました。
そして病院に通院しながらも私は、生きていても苦しいばかり、人から嫌われるのが恐くて常にビクビクした思いをするくらいなら楽になりたいと、自分で自分の身体を傷つけたり、睡眠薬をたくさん飲んだこともありました。心配をしてくれた友達が、毎日のように昼は一緒に居てくれたりと、とても感謝しています。
心配してくれる両親の気持ちにも気づかず、世間体ばかり気にしてウルサク言ってくると思い、反抗し、夜中まで友達と遊んだり、なるべく顔を合せないように避けていました。少し落ち着いたときでも、母が憎く、ストレスはすべて母にぶつけ、キツイ言葉を浴びせ、心の痛い思いをさせたと思います。
喧嘩の絶えない毎日の中で、友達を通じ、今の彼と出会いました。お友達の彼の親友で、4人で遊んだのがきっかけでした。その頃の私は、とにかく外に出るのも嫌で、とても人が怖かった。でも、なぜかその時だけは、初めて会う人にもかかわらず外に出る気持ちになったのです。
彼とはほとんどメールでのやりとりで、いつも変わらない、彼の独特な時間の流れがすごく好きになりました。彼はどんな小さな不安でも耳をかたむけて、よく聞いてくれ、不安を取り除いてくれました。彼を人間としても、とても尊敬しています。
そして彼と結婚しました。こんな私ですが、それでも旦那君は何も変わらず、必ず治ると一緒に歩んでくれています。
今は専業主婦として、治るまで休養も兼ねてゆっくりさせてもらっています。家事も夕方までにすませればいいと、私時間で進めることを彼が理解してくれました。それでも時々、主婦業ができないときもあります。それでも彼はゆっくり待ってくれ、手伝ってくれたりと支えてくれています。
母も、とても私の力強い支えとなってくれています。彼の両親も理解してくれて、すごく良くしてもらい、とても幸せに思っています。結婚してから改めて、私の両親、兄、彼の両親、彼のお兄ちゃんンはすごく大切な家族だと感じました。そしていつか子どもも欲しいし、より幸せになりたいと思っています。
私は病気になったことで、前より人の気持ちがわかるようになれたし、自分と向き合う良い時間になったと思います。
元気な日は朝早く起きれて、そんな時は紙粘土で何かを作ったり、いとこにお手紙を書いたり、早く元気になりたいので、気が向いたらプールに行ったり、ゴルフの打ちっぱなしにと、家にこもらずバタバタしたりすることもできる日があります。そんなことをしている私は、少しずつ治り、心にもゆとりができたと思えることがあります。
今まで沈んだ心の時は、私は周りの友達と比べ、働いていないので、怠け者と自分が許せず、大嫌いと嫌われると怖く思うこともありました。でも、私に今できることを頑張っていれば、そのうち毎日普通に生活し、いつか働けるようになり、自分を好きになれると思って過ごしていきたいです。
私は今、医療事務になるために、私にとって勉強しやすい通信という形で資格を取り、人のために役に立ちたいと思っています。これから先を楽しみに生きていきたいです。
(古川奈都子編著『心が病むとき 心が癒えるとき 仲間たちの体験から』ぶどう社、2004年)
永遠の幸せ(ペンネーム)
私はうつ病で、4年間治ったりなったりと繰り返しています。
病気になる前はテレビが大好きで、外に出てバタバタしている、ごく普通の人でした。
それが病気になってからは、テレビが時々ウルサク感じ、外にブラブラ出ることもなくなってしまいました。病気が重かった時は横になることも多く、泣いたり、ボーッとしたり、心の中は海の底にいて光もささない暗い感じでした。
今もうつ病で、よくはなりつつありますが、2〜3年の間で治っては働いて、少しするとまた病気になり、辞めて休養をとりの繰り返しです。元気な方から見ると、何をしても続かない、なまけていると思われると思いますが、私なりに頑張ってるんです。とてもわかってもらいづらい病気だと、病気になって気づきました。
私が病気になったきっかけは、21歳まで普通の恋愛をして交際していましたが、ある日別れを告げられ、その時の男から、「3年間一緒にいて(私から)何も得ることがなかった」と言われました。別れを告げられた悲しみもありますが、言われた一言にすごくショックを受けたことでした。
自信もなくなり、仕事も手につかなくなり、朝も起き上がれない、夜も眠れず、食欲もなくなり、2〜3カ月で体重が10キロ減り、こんな状態が続き、仕事も辞めることになりました。両親も最初は理解もできなく、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋のベッドにうずくまり泣いているのを怒ってばかりいました。
そして病院に通院しながらも私は、生きていても苦しいばかり、人から嫌われるのが恐くて常にビクビクした思いをするくらいなら楽になりたいと、自分で自分の身体を傷つけたり、睡眠薬をたくさん飲んだこともありました。心配をしてくれた友達が、毎日のように昼は一緒に居てくれたりと、とても感謝しています。
心配してくれる両親の気持ちにも気づかず、世間体ばかり気にしてウルサク言ってくると思い、反抗し、夜中まで友達と遊んだり、なるべく顔を合せないように避けていました。少し落ち着いたときでも、母が憎く、ストレスはすべて母にぶつけ、キツイ言葉を浴びせ、心の痛い思いをさせたと思います。
喧嘩の絶えない毎日の中で、友達を通じ、今の彼と出会いました。お友達の彼の親友で、4人で遊んだのがきっかけでした。その頃の私は、とにかく外に出るのも嫌で、とても人が怖かった。でも、なぜかその時だけは、初めて会う人にもかかわらず外に出る気持ちになったのです。
彼とはほとんどメールでのやりとりで、いつも変わらない、彼の独特な時間の流れがすごく好きになりました。彼はどんな小さな不安でも耳をかたむけて、よく聞いてくれ、不安を取り除いてくれました。彼を人間としても、とても尊敬しています。
そして彼と結婚しました。こんな私ですが、それでも旦那君は何も変わらず、必ず治ると一緒に歩んでくれています。
今は専業主婦として、治るまで休養も兼ねてゆっくりさせてもらっています。家事も夕方までにすませればいいと、私時間で進めることを彼が理解してくれました。それでも時々、主婦業ができないときもあります。それでも彼はゆっくり待ってくれ、手伝ってくれたりと支えてくれています。
母も、とても私の力強い支えとなってくれています。彼の両親も理解してくれて、すごく良くしてもらい、とても幸せに思っています。結婚してから改めて、私の両親、兄、彼の両親、彼のお兄ちゃんンはすごく大切な家族だと感じました。そしていつか子どもも欲しいし、より幸せになりたいと思っています。
私は病気になったことで、前より人の気持ちがわかるようになれたし、自分と向き合う良い時間になったと思います。
元気な日は朝早く起きれて、そんな時は紙粘土で何かを作ったり、いとこにお手紙を書いたり、早く元気になりたいので、気が向いたらプールに行ったり、ゴルフの打ちっぱなしにと、家にこもらずバタバタしたりすることもできる日があります。そんなことをしている私は、少しずつ治り、心にもゆとりができたと思えることがあります。
今まで沈んだ心の時は、私は周りの友達と比べ、働いていないので、怠け者と自分が許せず、大嫌いと嫌われると怖く思うこともありました。でも、私に今できることを頑張っていれば、そのうち毎日普通に生活し、いつか働けるようになり、自分を好きになれると思って過ごしていきたいです。
私は今、医療事務になるために、私にとって勉強しやすい通信という形で資格を取り、人のために役に立ちたいと思っています。これから先を楽しみに生きていきたいです。
(古川奈都子編著『心が病むとき 心が癒えるとき 仲間たちの体験から』ぶどう社、2004年)
by open-to-love
| 2009-07-03 00:03
| 当事者として
|
Trackback
|
Comments(0)