精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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精神科とDV

小西聖子著『ドメスティック・バイオレンス』(白水社、2001年)
第1章 ドメスティック・バイオレンスとは何か
第2章 ドメスティック・バイオレンスの施策
第3章 ドメスティック・バイオレンスの実態
第4章 なぜ逃げないのか
第5章 被害者と加害者の心理
 被害者の心理と症状
 被害を受けることの「意味」
■精神医学的症状■
■精神科とドメスティック・バイオレンス■
 加害者への介入
 加害者のタイプ
 被害の過小評価と否認
 ドメスティック・バイオレンスの多軸性
 同居していないパートナー間の暴力
 パートナーの対人関係
第6章 ドメスティック・バイオレンスへの対応

■精神医学的症状■

 強姦や暴力の被害を受けたあとに、PTSD(外傷後ストレス障害)が起ってくることがあるのは広く知られている。児童虐待やドメスティック・バイオレンスの被害のあとにも、PTSDが発症することがある。ただし長期にわたってくり返し被害が起こっている場合には、ふつうのPTSDの症状に加えて、慢性的な抑うつ症状、慢性的な解離症状、疼痛を含む多彩な身体症状、対人関係の不調、自殺念慮や自殺企図、不安定な感情、物質乱用などが症状としてあげられる。自己評価は極端に低下する。
 DSM-Ⅳ(アメリカ精神医学会の診断基準)には、PTSDの診断基準として6つの条件が示されている。簡単に説明すると、

①トラウマとなるようなできごとが起ったこと。
②外傷的な記憶が侵入的に再体験されること。
③外傷を想起させるようなものごとを回避し、感情や活動の範囲を縮小し、あるいは麻痺させること。
④できごと以前にはなかった、いつも緊張がとけずに見張っているような状態
⑤それらが1カ月以上続いていること
⑥それらが著しい苦痛や生活上の障害を引き起こしていること。

の6つである。この表現だけではそれぞれ当てはまっても、PTSDと診断がつくわけえではない。それぞれさらに細かい条件や症状数が設定されている。
 ドメスティック・バイオレンスが、変形のPTSDをもたらすことが確認されてきたのは比較的最近のことである。たとえば強姦被害のあとの症状が、1970年代からレイプ・トラウマ・シンドロームとして概念化され、さらにPTSDという診断名に組み入れられ、厖大な研究が20年余にわたって行われていることに比べると、ドメスティック・バイオレンスのPTSD研究の歴史は短い。
 また、ドメスティック・バイオレンスの被害のあとの症状は、現在のPTSD診断基準ではうまく説明できないような症状があることが多い。現在のDSM-ⅣにおけるPTSDは、戦闘体験や、強姦被害体験を基礎にしてつくりあげられてきたからである。
 PTSDではなく、うつ病、解離性障害、あるいは全般性不安障害、パニック障害、身体化障害などと診断したほうが適当な場合もある。これらの障害が、パートナーの虐待を原因として起ってくることも稀ではないのである。症状単位でいうと、ドメスティック・バイオレンスの被害者にもっとも多くみられるのは、抑うつであるという。

■精神科とドメスティック・バイオレンス■

 ただし、ドメスティック・バイオレンスの被害者が精神科を受診するときの状況を考えてみると、このような診断の前に大きな問題がある。私はふだんは被害者相談にきた人たちなどを診療しているので、そのときにドメスティック・バイオレンスの被害そのものがほとんどである。
 けれども、一般の精神科臨床ではそんなことはない。精神病院の外来診療をやっていて、ドメスティック・バイオレンスの被害者をみつけたことがあったのが、そのときに患者は、最初はドメスティック・バイオレンスについて話さなかった。その女性は最初、不定愁訴をたくさん抱えた50代の女性としかみえなかった。
 内科や心療内科をおとずれて、腰の痛みや、吐き気や、めまいを訴え、検査をしてもとくに器質的な原因は発見されず、ちょっと温和精神安定剤をもらうか、対症療法の薬、頭痛薬や吐き気どめや降圧剤などを山のようにもらい、それでもよくならないという不満をもって精神科にきても、また医者に相手にされず、よく話を聞いてもらえない人たちがいる。
 典型的なのは中高年の女性であり、「更年期障害かもしれませんね」と言われて診察は終わりになることが多い。もちろん更年期障害が実際にあることもあるし、内科的な原因があることもあるから、医学的検索は必要だが、それが終るとその先医者は興味を失ってしまう。患者は相変わらず、毎回からだの不調を訴え、薬をもらっていく。
 伝統的に、精神科医が治療の主たる対象にしていたのは精神病である。あきらかに精神病ではなく、また明確な神経症でもない人たちに対して、精神科がこれまであまりていねいに扱ってこなかったのは事実だろう。
 まだ私が暴力被害の仕事をする前のことだったが、こういう人たちの話を詳しく聞いてみると、とにかくだれも自分のことに関心をもってくれる人がいない、話を聞いてくれる人がいない、症状のつらさを理解してくれる人がいない、と思っていることが多いことはわかった。
 それでも精神科の診療で毎回長い時間を割くこともむずかしいから、せめて最初の一回だけは本人の納得がいくまで話を聞き、説明しようと当時私は思っていたのだが(それだけでも、つぎの週からかなり具合がよくなる人もいた)、そのときに、夫の暴力について話した女性がいたのである。その人は夫が定年を迎えてから、自宅で荒れ、妻を殴るようになったということであった。かなり高年になってから暴力が始まるケースもけっこうあるのである。痴呆が始まってから夫が暴力をふるうという人にも出会ったことがある。
 しかしそのとき、私は家庭のなかの暴力の深刻さについて知らなかった。それは夫に問題があるのだから、夫の治療が必要なこと、精神科に連れてこられなければ、内科でもいいのだからとりあえず行かせてみて、いまの状況を話させること、うつ状態や、もしかしたらそのほかの疾患があるかもしれないことなどを女性に話したと思う。
 けれども暴力をふるわれている人がそれを実行するのはむずかしかっただろう。暴力そのものに関しては、身の危険を感じたら警察に行くように、がんばりすぎないようにとしか言えなかった。本人も何度か外来に来られたが、暴力の問題は解決しなかったと思う。
 もちろんこのような症状を訴えてくる人が、みんなドメスティック・バイオレンスの被害者だというわけではない。けれどもこの人以外にも、体の症状だけを訴えて、医者に本人の苦痛や困難が伝わっていないドメスティック・バイオレンスの被害者が多いのではないかと、最近私は感じている。しかも身体症状が重い場合、被害者は「とにかくよくならない。体をよくしてほしい。頭痛薬がほしい、胃腸薬もほしい」と、体の症状の苦しさを訴えることでいっぱいになってしまって、それ以上に話が進まない。身体症状の重さはその人の抱える心の傷の大きさを示していると思われるのだが、本人自身もその2つの結びつきを無視していることもある。自分の解決できない苦痛な問題に対する、一種の否認だといえる。
 ドメスティック・バイオレンスの被害者は、ずっと自分の感情や判断を無視されつづけてきている。自分の都合など聞いてもらったこともなく、防ぎようのない暴力に晒され、それでもだれにも注意を払われていないとすれば、とつぜん会った人とコミュニケーションがうまくできないのも当然だろう。
 またもし、ドメスティック・バイオレンスについて話したとしても、医者がまったく無視してしまうこともありがちなことだ。「夫が殴るのはしょうがないですよ、その年代では。まあちょっとがまんしなさい」といってしまう医者は確実にいそうである。
 アジアのドメスティック・バイオレンスの被害者の症状に、どんな特徴があるかはっきりとはわかっていない。だからこれは私のたんなる推測なのだけれども、日本では抑うつとともに、身体化が多いのではないかと思っている。暴力の苦痛を訴えてもだれも聞いてくれず、その恐怖についても理解されず、外面をとりつくろうことを要求されていると、体にしか症状を表すことはできなくなるのではないだろうか。ほかのできごとによるPTSDの場合にも、日本人に身体化が多いのではないかと専門家は推測しているのである。
 しかし、このことがまた本人の苦痛の本質をみえなくさせてしまう。暴力被害の訴えはだれも聞いてくれなくとも、体の具合が悪いことなら医者は聞いてくれるから、それで彼女たちは医者にいき、症状だけを話す。けれどもたくさんの薬はドメスティック・バイオレンスの被害者への援助の代わりにはならない。
 この点では、ドメスティック・バイオレンスの概念が医師に理解されることは非常によいことだといえよう。それが女性のメンタルヘルスに大きな影響を与えることを知れば、少しは扱いも変わってくるだろう。
 女性の精神病患者のなかにも、ドメスティック・バイオレンスの被害者がいる。この人たちは、精神病と女性であることと二重のマイノリティ性を背負っているといえる。精神障害者のなかには家族に暴力をはたらく人もいるが、また家族から暴力を受ける人もいるのである。日本におけるその実情は、まだ不明である。
by open-to-love | 2008-08-14 20:12 | DV(IPV) | Trackback | Comments(0)