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ナチス・ドイツの「安楽死計画」とは?

問14 ナチス・ドイツでは、障害や疾病をもつ人たちが大勢殺されたといいます。そのことについて詳しく教えてください。

 ヒトラーは1939年9月1日付で、次のような極秘命令を出します。「帝国指揮官ブーラー、ならびに医学博士ブラント、この両名に対し、その病状から厳密に判断して治癒の見込みのない患者に、人道的見地から慈悲死を与える権限を、特定の医師に拡大して付与する責任を移植する」。―この命令書にもとづいて、ドイツとその占領地域では、病院や施設にいた、精神病の患者さんや障害をもつ人たち(とりわけ子どもたち)が特定の施設に送り込まれ、一酸化炭素や薬物によって、また故意に飢餓に追い込まれて殺されました。45年の敗戦までの犠牲者の数は、約20万ともいわれています。
 殺された人たちの多く、とりわけ精神病の患者さんたちは、1933年に制定された断種法(問13参照)にもとづいて、すでに強制的に不妊手術を受けさせられていました。そういう意味で、この「安楽死計画」はナチス・ドイツが行った優生政策の最終局面といえるでしょう。39年9月1日というのは、実は、ナチスがポーランドを侵攻した日で、その2日後の英仏の対独宣戦によって第二次世界大戦が開始されます。つまり、ヒトラーは「総力戦」の開始とともに、それまで不妊手術(子どもを産ませない)という間接的な方法で淘汰をもくろんでいた人びとを、殺害という直接的な方法で社会から抹消しようと決めたのです。
 しかし、安楽死計画は、ある意味で優生政策の終焉でもありました。優生学というのは、人間の淘汰を出生後ではなく、出生前に行おうとし、そのための知識や技術を開発しようとしました(問12)。出生後に「虚弱者」を殺すことが許されるなら、優生学はもはや不要となってしまうのです。だから、当時のドイツの優生学者さえ、安楽死には否定的でしたし、彼らが最も重要だと考えた(強制的)不妊手術は、この同じ9月1日に中止を命じられているのです。
 戦争の開始とともに、安楽死計画は実施されましたが、精神病院にいた患者さんや施設にいた障害をもつ子どもたちが次々と「謎の死」をとげていくにつれ、政府の殺害計画は当時すでに一般人の感づくところとなりました。カトリック教会の司祭たちが、これを公の場で非難するに至って、ヒトラーは41年8月に口頭で、その中止を命じます。実際には中止されず秘密裏に続行されましたが、戦況が厳しくなった43年には大規模な殺害計画が再開されました。その理由は、爆撃などの負傷者を収容するためにベッドを空けること、あるいは不足していく生活物資を「健康」な人間にのみ充てることでした。
 精神病の患者さん、知的障害をもつ人たちの殺害を正当化するような考えは、実は、39年以前にドイツで説かれていました。法学者のビンディング(1841〜1920)と精神医学者のホッヘ(1865〜1943)は、1920年に『生きるに値しない生命の抹消の解禁』という本を公刊しています。その中で、彼らは、重度の知的障害者を「人間の抜け殻」と呼び、そういう人たちは「生きる意思も、死ぬ意思もない」のだから、その人たちを殺しても罪にはならないし、福祉の財源も削減できると主張しました。ホッヘ自身は、ナチスの安楽死計画が自分たちの考えるのよりも乱暴に行われていることに批判的だったようですが、彼らの主張が安楽死計画に一つのきっかけを与えたのは事実です。
 また「中止」を余儀なくされた41年に、ナチス政府は、安楽死計画の必要を国民に訴えるため「私は訴える」というプロパガンダ映画を作成しています。それは、不治の病にかかった自分の妻を、その希望にもとづいて安楽死させた医師が、殺人罪に問われた法廷で逆に安楽死を「人権」の一つとして肯定するという物語でした。さらに、ヒトラーがそもそも安楽死計画を思い立った一つのきっかけが、重度の障害をもつわが子を安楽死させてほしいという、ある夫婦の直訴だったことも確認されています。
 脳死状態や「植物状態」の人に、生命の尊厳はあるのか。自己決定や親の意思にもとづく安楽死は、認められるべきではないのか。―そんな主張を今日よく耳にしますが、ナチスの安楽死計画もまた、そういう声に後押しされていたのです。

優生思想を問うネットワーク編『 知っていますか?出生前診断一問一答』
(解放出版社、2003年2月)
by open-to-love | 2008-05-02 19:59 | 優生思想 | Trackback | Comments(0)