精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


by open-to-love
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

結婚したって、子供産んだっていいじゃない

特集 恋愛もしたいし、結婚もしたい!

………結婚をめぐる二つの物語………

結婚したって、子供産んだっていいじゃない(神奈川県 女性)

□娘を出産
 私は、統合失調症の当事者夫婦の妻で、一児の母です。
 2006年3月23日に、精神障害者のフォーラムで彼と出逢いました。
 ドクターに、
 「何? 同病の男性とつきあっている? 薬増やしましょう」
 と言われ、このままでは仲を引き裂かれて入院させられてしまうと思い、帰り道で母をまいて彼のアパートに転がりこみ、同棲しました。
 出会って10日で、私のお腹のなかには新しい生命が宿りました。
 7月に母と兄につかまり、強制入院。「堕ろせ」の大合唱の中で、彼との愛を育み10月に入籍。赤ちゃんにさわらない薬を選んでもらい、10カ月を過ごしました。
 12月に出産のため再入院し、精神障害があるから、出産の忙しいときに彼が暴れたらたいへん、という理由で立ち会い出産を拒否されそうになりましたが、話し合った結果、隣の部屋で彼が待つ権利を勝ちとりました。
 入院翌日の朝、破水し、分娩室に入って40分。夕方に元気な女の子を超安産で産みました。

□私は生まれてきてよかった
 「精神障害の両親に子供は育てられないから、赤ちゃんは乳児院行きになります。それがいやなら堕ろしてください」
 と言われているので、今、娘は私たちの手元にはいません。
 「精神障害の親で子供がかわいそう。子供の幸せを考えないのか?」
 と言われたので、一晩考えて、
 「子供の幸せは、大人になったときに本人が、生まれてきてよかった、と思うかどうかだ」
 と結論を出しました。
 私は、精神障害者となりましたが、生まれてきてよかったと思い、今とても幸せです。
 私は、娘が精神障害者となってもかまわないと思っています。仮に病気になってしまっても、よく時代劇で病気の殿様が「あー蝶々だ」とうれしそうに迫っている姿がありますが、その蝶々にあたるものを探してやり、本人が幸せを感じてくれればいいと思っています。
 今、週に2回、娘の面会に行っていて、育児の階段を少しずつ歩いて行っています。2歳を目標に引きとりたいと思っています。
 今後出てくる、当事者カップルの目標んいなればいいと思っています。
 精神障害者だって、恋愛したっていいじゃない。結婚したって、子供産んだっていいじゃない。
 たった一度の人生なんだもの。

夫がいなくなっても、三人の子供たちに囲まれて(石川県 女性)

□結婚、そして幸せな時間
 私は統合失調症です。20歳のとき発病しました。
 入院して服薬を続け、27歳で結婚できるまでに回復しました。3人の子供の恵まれましたが、子供を産むために薬をやめ、2人目と3人目を出産した後で、再発しました。
 今思えば、産むときに医者と相談すべきだったと思います。
 夫は、私が発病するたびに家事や育児、仕事にとがんばって、私を助けてくれました。
 母は、病気になると離婚する人もいるのにあの人はえらいね、と言ってくれました。
 プロポーズされたときも、
 「私は病気だから」
 と告げると、
 「病気じゃない。普通だ」
 と言って受け入れてくれました。再発はしましたが、治療を受けると、わりと早く回復しました。夫が私の精神安定剤のような存在だったからでしょうか。
 家族が増えたことで、測量会社を立ちあげました。暑い夏も寒い冬も山をかけずり回り、夫と組んで測量の仕事をがんばりました。大好きな夫と24時間いっしょで、とても幸せなときが12年ほど続きました。

□夫がガンに…
 しかし夫が40歳のとき、多発性骨髄腫という、助かる見込みが数パーセントというガンになってしまいました。
 夫は、本やインターネットで自分の病気を調べ、私に、
 「すぐ死んでしまうわけじゃない。5、6年は生きられるから」
 と告げました。でもその言葉は私には何のなぐさめにもならず、ただ精神的な支えである夫が、何年後かには死んでしまうのだという思いで、すごいショックでした。
 そのころも私は、精神科に通院していたのですが、夫の病気のことで、薬もきかない状態になってしまいました。
 夫は入退院をくり返しました。夫の支えにならなければならない私は、深い海の底でもがいているような状態でした。
 逆に夫は、何もできない私を助けてくれました。料理をつくり、子供の学校のこともしてくれました。
 そのころ中学生になった娘も体調をくずし、精神科へ通うようになりました。親や親せきの助けがなければ、私たち家族はつぶれてしまっていたでしょう。
 夫は本当に気丈な人でした。6年間の闘病生活の間、私を支え、子供の生活を見、自分の体の具合が悪いのに、夜遅くまで娘と同じ部屋で寝て、娘の相談相手になってくれました。
 私は、薬を飲んでもうろうとしているので、夫は、
 「お前は休め。子供は自分にまかせろ」
 と言って、私をかばってくれました。

□夫は心のなかで生きている
 今年で、夫が亡くなって4年目になります。子供たちもしっかりしてきて、大学、短大へと通っています。今は中2の息子と2人暮らしです。私の両親も健在で、近くに住んでいるので、いろいろと助けてもらっています。
 夫が亡くなって2年間ぐらいは、家事や子供たちのことで手いっぱいでした。
 病気になった娘も、高校生のときに弁論という自分を表現できる機会に出会い、父を亡くしたという悲しみも、娘の病気もいやされていきました。娘は2年続けて弁論の全国大会に出るくらいになり、短大へも進学し、自分の道を歩き始めました。
 私もその姿をみて、がんばらなければと思い、NPO法人のすみれ作業所へ通所するようになりました。
 作業所では軽作業をしたり、メンバーと談笑したり楽しい毎日です。仕事の合い間を見つけて、絵を描いたり文章を書いたりもしています。
 少しまじめすぎて、メンバーさんの欠点ばかり目につくこともあったのですが、遊び心も大切だと気づき、ジョークや楽しい話をするように心がけ、明るく元気に作業所へ通う近頃です。
 指導員さんに、自分の絵や文章をみてもらい、「なかなかうまいよ」とほめられ、いい気持ちになって自分の内面を表現しています。
 お医者さんからも、
 「具合いがいいよ。作業所に通いながらなおしていこう」
 と言われています。
 作業所へ通うようになり、生活のリズムがついて、体重も10キロほど軽くなり、身心ともに健康になりつつあります。まわりの人に感謝の毎日です。
 後で母から聞いたのですが、夫は病院のベッドの上で、
 「おれの人生は最高だ」
 と母や先生に言ったそうです。私には何よりのなぐさめです。
 私の心の中には、いつも夫は生き続けています。
(コンボ「こころの元気+」14号 2008年4月15日発行)
by open-to-love | 2008-04-26 22:53 | 恋愛・結婚・離婚 | Trackback | Comments(0)