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癒しのセクシー・トリップ

◆障害をもつ女性のセクシュアリティ

癒しのセクシー・トリップ(安積遊歩)

人を愛する気持ちにタブーなんてない

 22歳で親の家を出たときのことを思い出す。直接のきっかけは、まえにも話したように、年下の恋人といっしょにいられる時間と空間がほしくなったことにあるが、それ以前からずっと、親や周囲が私を性的な存在とは見ていないのを感じていた。兄や妹が年ごろになると、周囲は当然のように結婚の話をする。妹にはお見合いの話もチラホラまいこんでくる。ところが、妹と2つちがいの私には、だれもそんな話をもちだそうともしないのだ。
 あのころはまだ、自分でもからだへの否定感をいっぱい抱えこんでいたから、怖くて口には出せなかったが、「なんで、私を無視するの。私にはお見合いの話をしないの」と、いつも思っていた。そして、「恋愛や結婚の相手は自分で見つけなきゃだめだ。待ってたって、親や親戚が私にお見合い写真をもってくるなんてことはぜったいにない」とも感じていた。
 だから、家を出ることになって、止めようとする母に言った。「私は家を出て自分で結婚相手を見つけなきゃいけないんだから。お見合い写真の100枚でももってきてくれるんだったら、考えなおして家にいてもいいけどね」。母は泣いた。残酷なものいいをしたものだ。でも、あまりに「障害をもつ女(男)=無性」として扱われることが我慢ならず、恐怖でもあったのだ。
 それにしても、障害をもつ人の性は、なんと強固にタブー視されていることか。まるでこの世の中には女性、男性、そして「無性」がいるかのように、障害をもつ人には性なんかないとみなされてきた。運動などをとおして障害をもつ人自身が声をあげはじめてから、徐々に状況は変わってきているとはいえ、こうした見方はまだまだ根強く社会をおおっている。
 「無性」と位置付けられた障害をもつ人は、日本では、性とは無縁に生きることが望まれてきた。性への関心や欲望を超え、尼僧のように清く正しく生きるのが、いい生き方なのだと。このまなざしは、障害がある人にかぎらず、高齢者にも向けられてきたが。だから、障害をもつ人が恋愛や結婚を考えたり、性に関心をもったりすると、世間は「人さまの世話になりながら」「まったくいやらしい」とまゆをひそめる。
 この強い否定的なまなざしのなかで、障害をもつ人はみずからの性について考えることを拒まれ、口に出すことさえ怖くてできなくさせられている。私も、アメリカに行って「自分の自由に生きていいんだ」と実感するまでは、「障害をもっていても、結婚したい」とは、堂々と公言できなかった。一見なんでもオープンに話しているように見えて、こころは屈折した羞恥心にゆれていたのだ。でも、障害をもっていようが、もっていまいが、おなじ人間。人を好きになる気持ちにハンディキャップはないし、自分のからだに関心をもったり、性的なここちよさを求めたりするのはあたりまえのことだ。
 知的障害をもつ子どもにかかわる人たちのなかには、「どこでもマスターベーションをしたがって困る」などと、性の指導で悩んでいる人が多い。だけど、困るといって、何に困るのだろう。観ているほうがマスターベーションを「恥ずかしいこと」「してはいけないこと」とネガティブにとらえているから、それを目のまえで見せられるのが恥ずかしくて、その羞恥心から困惑するのだろう。
 たしかに「どこででも」するのはちょっと困る。でも、それは、「どこででもおしっこをされたら困る」というのとおなじ意味での「困る」にすぎない。一方、「マスターベーションをしたがる」のはちっとも困ることじゃない。人間だったら、ごくしぜんな欲求だ。だったら、自分の部屋でするように頼んだり、射精まで集中してできるようにトレーニングしたりと、解決の道はいくらでもあると思う。
 とくに医療関係者や養護学校の教師、施設の職員は、障害をもった人たちの性の問題で悩むのだったら、そのまえに、自分自身の性意識、つまり自分のからだを愛しているか、セックス=性交と思っていやしないか、マスターベーションを肯定できるかなどを問いなおし、また、自分とパートナーとの関係が真に対等なものかどうかを見なおしてほしいと思う。

セクシュアリティーにロール・モデルはない

 障害をもつ人のセクシャリティーを考えるとき、そこになにか特別のものがあるとすれば、それは、自分が性的な存在ではないと思いこまされ、みずからの性を語るのが恐怖だということだけだろう。それ以外は、障害のない人たちの社会の女と男の関係をきちんと踏襲しているだけだ。
 障害のない人たちだけで成り立っているようなこの社会、もっと正確に言えば、障害のない男中心の社会のなかで、障害のない女性たちも、百色も千色も、人数ぶんのしあわせがあるはずなのに、一色のしあわせに彩らされている。彼女たちがもっともっと多様な生き方をしてくれないことには、障害をもった女性たちはほんとうに困るのよね。自分たちもその色に染まらなきゃいけないように思わされちゃうから。
 日本の結婚制度が女性に期待している役割が担えないから結婚できない、自分が女性であると認められない-障害をもつ女性で、そう思いつめている人はいまも多い。彼のために料理ができない、洗濯ができない、身のまわりの世話をやけない…だから、女性として失格だと。
 性の場でも、女性から求めてはいけないという社会通念があるうえに、「セックス=性交」一辺倒で、多様な性のあり方を受け入れる土壌がない。だから、足が変形していて十分に開かなかったり、むりな姿勢をとると骨折しかねなかったりするから、ほんとうは性交をしたくなくっても、そんなことは言っちゃいけないと我慢しつづけることになる。
 結婚のあとには、さらに出産という大難関が控えている。「女は結婚して一人前、子どもを産んで一人前」の大スローガンが深く静かに鳴りひびきつづける。そんなことを聞かされつづけていたら、子どもを産むと自分のからだが危うくなるような障害をもっている女性だって、自分のいのちと引き換えにしても、子どもを産んでみたい、と思うようになる。
 もちろん、ほんとうに子どもがほしい人は産めばいい。でも、自分のからだをボロボロにし、いのちを賭けてまで子どもがほしいというのは、「女のしあわせは、子どもを産むこと」という社会の常識に追いつめられてのことじゃないだろうか。
 私自身、結婚というかたちへの囚われから解放されたのちも、新しい恋人との関係のなかで、「1回くらいは妊娠してみてもいいかな」と思うことがあった。その気持ちは、いま、正直にふり返って考えると、自分の子どもがほしかったからではなく、妊娠することで、「私は女なんだ」と確認したい、というところからきていたと思う、私の場合は。「女として見られたい、結婚してみたい」の連鎖がいかにおかしいかは身にしみてわかり、もうその呪縛から自分を解き放つことができたつもりだったのに。
 ところで、最近は日本でも、学校教育のなかで性教育が行われるようになって、性をとりまく状況はすこしずつ変わってきているが、それでもいぜんとして、公の場で性が語られることは少ないようだ。望まない妊娠をした場合、肉体的にも精神的にも大きな負担を引き受け、キズを引きずるのは女性のほうなのに、「女の自分が言うのは恥ずかしい」なんて言って、避妊について彼と話せない女性も多い。パートナーと性のことを話し合うのは、恋愛関係にとって基本的なことなのに、それができていないカップルの話を聞くと、胸がいたくなる。
 障害をもつほとんどの男性の性意識も、やはり男社会で生きる障害のない男性のそれをしっかり踏襲している。運動のなかでも、「相手がいなけりゃ、ソープ・ランドに行けばいい」「ストリップを見にいかなきゃ損だ」なんて、男たちは平気で言っていた。男同士が集まると、その自慢話や卑猥な話になるし、「障害があってもソープ・ランドに行ってきた!」と成果のように話す人もいたりする。それを聞いても、あのころの私は「かわいそうに、可能性がないんだから、しようがないか」と、あまり気にもとめずにいた。「どっかおかしい。ちがうんじゃない?」とも感じていたのだが、彼らにきちんと反対できるほどじゃなかった。
 結局、問題は障害のある・なしじゃない。障害のない人たちの女と男のありようが、あまりにきちんと障害をもつ人たちのなかに反映されてしまっているということなのだ。私たちの問題というのは、障害のない人たちの社会の問題の裏返しとしてある。障害をもつ女性にとって、足が十分に開かないことが結婚できない理由、男の人を愛せない理由になっているというのは、裏返せば、障害のない女性は、足が十分に開くことが最大のセールス・ポイントだということだ。障害のない女と男が精神的に対等な関係をつくることができていれば、こんなことにはならないはずだ。
 養護学校では、「障害のない人に一歩でも近づけ」としつこく言われつづけたけど、そのモデルたる人たちの世界自体がゆがんでいるのだから、それを見習っている、障害をもつ人の世界がゆがんでしまうのもあたりまえの話。障害のある人の世界だけを正そうとしても、この社会にはロール・モデルがない。
 そのことにはっきり気がついたのは、結婚というものをくぐりぬけてからだった。就学差別を超え、なんとか障害者差別も超え、「さあ、これで自由な世界だ」と、実質的には結婚と変わらぬものをしてみたら、そこで見えたのは、社会全体をおおう女性差別の厚い壁だった。どこまでつづくぬかるみぞ。残念ながら、この社会にはいいロール・モデルはない。性別役割がつくるこの女性差別を打ち破って、女と男が対等で平等な関係をつくる道は、自分でさがすしかない、そう思い当たった。

あさか・ゆうほ 1956年生まれ。ヒューマン・ケア協会ピア・カウンセラー、コウ・カウンセリング日本リージナル・リファレンス・パーソン
初出:『癒しのセクシー・トリップ』(第6章「性差別の厚い壁」より抄録)、太郎次郎社、1993年

(日本のフェミニズム6「セクシュアリティ」解説・上野千鶴子 岩波書店、1995年)
by open-to-love | 2008-02-26 15:18 | 障害福祉と女性問題 | Trackback | Comments(0)