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クラーク報告 その3

日本における地域精神衛生―WHOへの報告
 1967年より1968年2月に至る3カ月間の顧問活動に基づいて

 デービッド・H・クラーク

5 考察
5・4 老人の入院患者
 日本と西欧の精神病院の顕著な差は日本では老人の患者が少ないことである。精神病院の患者のたった4パーセントが60歳以上であるのに対し英国では約50%パーセントになっている。英国の病院ではこうした老人たちは、職員の大きな負担になっている。失禁し、身体的にどうすることもできず、しばしば身体障害があり、精神病であると同時に頻繁に身体的な病気があるので、看護婦や医師の時間と注意がものすごく必要である。こうした負担は日本の精神病院には現在のところ感じられない。日本の精神科医はこの理由が老人を支え、あがめ、愛するという伝統的日本の家庭状況にあること、それ故、精神的にまいってしまう老人がより少なく、精神科医のところにもこないし、従って、病院にも少ししかいないのだと推測する傾向がある。
 このことは多分かなりの真実性があり、老人医学という専門医学ー老人の病気とその治療ー西洋と日本ではちがった形で発展していくだろう。現在のところ、老人は英国や合衆国ほどは日本人口の大きな比率を示してはいない。これは古い世代の高度の死亡率と1944〜1948年代の多数の死亡によるとみられる。同様な人口構造がソビエト、ポーランド、ユーゴスラビア等にもみられる。人口中の老人の比率が増大し、一方で工業化がすすみ拡大家族がすくなくなるにつれて、より多くの老人が精神医学的援助を求めるようになるだろう。けれども英国の入院患者のゆきとどいた横断的(cross-sectional)な研究では、こうした負担となる老人のほとんどが、老年精神障害のために入院させられた患者ではない。この入院患者は何年も前に、若年又は中年の時代に、分裂病にかかって入院させられ病院で年をとった患者である。英国の精神病院の現在の「老人問題」の多くは1920年と1950年の内に入院させられたものである。こういう患者は現在の日本の病院にはいない。しかし現在のように慢性患者が、累積しつづけ現代医療によって生かされていれば、1980年から1990年代において日本の精神病院でも老人患者の数は非常に増加するだろう。このことは遠い先の問題のようにみえるだろうが、何らかの対策がすぐに行われなければ、大変なことになるだろう。

5・5 精神欠陥者のアフタケア
 日本ではこの分野において断続的なばらばらな努力はあったけれども、この問題の大きさを認識する必要があり、その対策の実行が必要である。
 他国と同様に日本でも精神欠陥者がものすごくたくさんいる。彼らは充分に個人生活を送れず、簡単に施設内の非生産的な生活に引っ込んでしまう。しかし、もしよい職員のサービスに支えられれば、独立生活をおくり、むだな失費となるかわりに国家の経済に莫大な貢献をすることができる。
 この人達は、多くの高度の精神遅滞者ーIQ30〜70の患者ーや永続的な思考障害をもっている慢性分裂病患者や若干のてんかんの人を含んでいる。こうした人々は、医療歴はさまざまであるが、社会的に無能である点では似ている。彼らは独立できず、結婚しそうにもない。単純な水準の仕事はできるが、複雑な仕事にはつけない。重い責任にもたえられないし、他の勤務者と満足な関係をもてない。周期的にまいってしまい、其の間医療を必要とし、しばしば入院する必要がでてくる。
 もっとも安易な解決策はこうした人々を施設におしこめてしまうことであり、こうした人々は、しばしばそこで人生の残りをすごす。こうしたやり方では患者の数は増加するだろう。その結果、国家の負担が大きくなる。アメリカ合衆国で1950年代に精神病院で非生産的かつ不幸にすごしているものが人口1万人当たり40であった。
 昔はこうした人々は農村経済にたやすくとけこんでいた。日本はいまでは急激に産業社会となっている。こうした欠陥者でも都会社会に適合していくことは困難だが不可能ではない。
 彼らは、そうは一般の人が望まない仕事をすることによってしばしば大切な工員になっている。彼らは、現在の日本に欠けている社会の支えという枠組みを求めており、地域社会の活動家との継続的な接触を求めている。現在こうした支えは、保健婦や福祉職員によって提供されているが、どちらも精神医学的訓練を受けていない。彼らは熟練した職場さがしを必要としている。現在この職さがしは労働省によって組織的にではなく、偶然にみつけるという形で行われている。彼らは精神医学的治療を即刻受けられることを望んでいる。あるものは以前通っていた私立精神病院から治療を受けている。しかしこうした人々に何年にもわたる人生の残りの期間、長期に支えを提供しその要求を医学的に受け入れているうという証拠はほとんどない。
 日本は原爆被爆者や傷痍軍人、引揚者のアフタケアや社会復帰問題にたくみにとりくんできている。今や精神欠陥者がこれからの主な社会復帰の問題としてあらわれてきた。

5・6 精神療法と精神分析
 英国とアメリカ合衆国で「地域精神衛生活動」といえば、精神障害者に対する諸活動が含まれている。こういう諸活動では、カウンセリングや精神療法や精神分析が大きな比重をしめている。すべての外来クリニックでは精神療法を行う専門的な時間がたっぷりとられているが、精神分析的精神療法に対する一般の要望がたくさんあってそれを満たすことができないほどである。
 そんなわけで日本では精神療法に使われる時間がそう多くないことを知ったことは興味があった。多くの精神科医は精神分析についてあやまった知識をもっており、精神分析は日本人には適さないという自己満足的意見で正当化している。大学病院における精神医学的訓練計画は、神経解剖学、神経病理学、大脳生理学、現象学というたくさんの課目があるのだが、精神療法や精神分析あるいは社会精神医学の教育はほとんどない。熟練した精神科医はFreudの著作のいくつかを読んでおり、アメリカ精神医学において精神分析が大きい地位をしめていることも知っていたが、これが自分たちの仕事にはほとんど直接には適用されないと信じている。
 さらに吟味してみると、日本で困難のうちに診療をしている精神分析医はわずかしかいないが、知識人の間から治療の要求が少しずつでていることが分かった。情緒障害者がどこで援助をうけたかについてさらにしらべてみると、その答はさまざまである。ある人は薬物療法や大学精神科クリニックで支持的精神療法をうけ、ある人は内科医や一般医師によって、薬物、水治療法、温泉旅行等によって治療している。かれらの多くは医学的に関心がもたれないために拒絶されたと明かにかんじていたり、宗教とくに彼らに精神的不安や困難な問題に救いを与えるという立正佼成会や創価学会といった新興宗教にも傾いていく。
 世界中どこの国でもそうだが、日本にも精神障害者がたくさんいる。この情緒障害のあるものは日本文化の影響によって特定の方向にむけられており(日本での自殺率が女性の場合世界でまだ最高国の一つであることがそれを裏付けている)、ある種の情緒障害では、日本の生活様式に特有のストレスを示すような特別の満足方法がとられている。だがそれで情緒障害者がいつまでも満足しつづけるかどうかはうたがわしい。
 日本は工業国であり都市国家である。伝統的生活様式は急速に変容してきており、三世代家族は二世代家族に道をゆずり女性の役割は変化し、厖大な若年人口は世界の変動する若者の一部として自分たちを見ている。似たような変化が他の多くの先進国におきつつある。そこでは、情緒的ストレスに対処する伝統的な方法は不適切になり、疲れ切った現代都市の男性(女性も)は、産業化した社会で孤立しており、個人的助言やカウンセリングを希望している。日本におけるこうした要求は確実に高まってくると筆者は考える。多くの疲れ切った日本人が新しい宗教に行ったとしても、あるものは世界でもっとも進んだ社会が、もっとも価値があるとみなしている援助即ち専門的なカウンセリング、精神療法、精神分析を希望してくる。そこで日本の精神科医は、ためらいながらもこれにこたえることを余儀なくされるだろう。かれらは今のところこの挑戦に対する準備ができていない。情緒障害者に対する適切な設備をつくるとなるとそのためのサービスは非常に変化せねばならないだろう。即ち、外来クリニックは拡大され精神医学訓練は適切な精神療法の訓練を取り入れねばならないし、最後には大学医学部のカリキュラムもまたあらためねばならないだろう。

5・7 精神衛生運動
 日本政府が地域精神衛生活動について助言を求めたのは、日本での地域精神衛生対策が今日まで何故成功しなかったかという問題に強い関心をもったからである。著者はこの要求に応えて、この原因を理解するよう努力してきた。日本の状況と英国やアメリカ合衆国の状況とのちがいで目立つ相違は、精神衛生に貢献する素人の団体がわずかしか発達してきていない点である。これはこの国の社会構造の基本的な差によるものだと筆者はいわれてきた。
 英国やアメリカ合衆国ではほとんどがすべての社会的発達ー種々のサービス、諸施設、新しい法律等ーに対して、数十年にわたる関心の高い活発な素人の団体の宣伝、討議や実験が先行してすすんできた。こうした人々はのろのろしている専門科の尻をたたき、同じように心の悩みをもつ人々を組織し、圧力団体となって法律を改めさせ、サービスを提供し施設等を建てた。
 ここ20年の間、英国では全国精神衛生協会が精神衛生法規を改正させるよう活発に運動をし1959年の精神衛生法で極点に達した。この運動が先進的な青少年訓練センター、精神遅滞者病院、保護工場の監督者訓練コース、精神病者のハーフウェイ・ハウスを建設し、また皇族や著名な政治家の出席する大事な国家会議を毎年開催している。
 素人団体はまた講演や新聞雑誌、映画や国営テレビ、園遊会、バザー、慈善興行によって一般の人々に対して精神病者や精神遅滞者の要求を伝え、彼らに積極的な関心をひかせるための公衆教育を行っている。こうした仕事から「病院友の会 Friends of the Hospital」の集団や、病院内の奉仕員をはじめ、精神衛生関係施設や精神的欠陥者に活発に支援を与え、専門家にとって非常にたすけになるような他の多くの団体が発生した。日本では原爆被爆者、旧軍人、ソシアルワーカーのような圧力団体にくらべて、こうした素人の精神衛生団体が少ない。こういう団体のないことは大衆一般の精神病や精神病院についての無知や恐れや偏見があるからであり、また団体のないことが偏見の原因にもなっている。このことは精神病を理解し、それに対する偏見をとりのぞくための公衆教育が欠けていることに関係があるのだろう。こうした教育計画なしには地域精神衛生活動は急速に発展しないであろう。

5・8 社会精神医学
 地域精神衛生活動が日本で花を咲かせない理由の一つは、日本の精神科医の多くが社会精神医学を理解していないことにある。現代精神医学のいくつかの側面は日本でもよく理解され応用されているー診断精神医学、精神薬理学、脳波学、発生学は理解され応用されているが、精神病理学や精神分析のような他の形のものは理解されてはいても活用されていない。社会精神医学に至っては理解も応用もされていない。
 比較疫学や比較文化精神医学は日本では大変よく理解されていて、いくつかの興味ある研究に応用されてきている。「社会精神医学」はとくに英国でここ20年の間に発達してきたもので、患者及び病気を社会という文脈の中でみようというものである。これは患者の病気の診断に応用されまた治療に応用されている。それは基本的に新しい次元であり、患者が心の悩みをもって医師を訪れたときおこる問題点をみつめる新しい観点である。精神科医はもはや単に患者の内心におきていることだけをみるだけではなく、全体の状況、すなわち患者の周囲、家族、仕事、社会階層だけでなく、精神科医自身すなわち自分の感情、反応、および先入観などをみつめ、さらに直面する問題がおこっている医療状況や社会全体の枠組みの中でその位置づけをみつめるのである。
 この観点を発展させるために、精神科医は社会科学、とくに力動学に通じた社会科学者や社会学者の啓発的な研究文献に注意を払うようになった。精神科医は、ここ20年間この研究を実りあるように応用できるところまで多くのことを学び、かれらの実践を変化させてきた。
 社会精神医学はとくに英国精神医学の実践を変革させてきたし、地域精神衛生活動が展開してきたのはこうした背景にもとづいている。これらの原則の多くは1953年にWHOが出版した精神衛生専門委員会の第三報告に述べられている。この勧告を応用することによって、英国の精神衛生活動は多大の利益をあげたのである。
 精神病院内に一つの革命がおきつつある。たとえば患者の役割が再検討され、病院の社会組織は職員の特権によるヒエラルキーを維持するためではなく、患者の社会復帰に焦点をあわせて再構成されてきている。こうしたことから開放制、産業療法(Industrial Therapy)、ハーフウェイ・ハウスが登場してきたのである。
 きわめて多数の患者の社会復帰を行い、その後患者を破綻させた有害な社会条件の役割を把握することによって、病院外の精神科サービスー保護工場、ホステル、デイケア・センター、治療的ソシアルクラブやソシアルワーカーーの業務の拡大を非常に発展させた。
 これに関連して、英国での素人の精神衛生団体の運動に対して精神科医は慎重な参加のしかたをしており、この団体が政府に強力な政治的圧力をかけることになった。こうした素人団体はまた、自殺予防協会(Samaritans)のような現在積極的に精神衛生活動に貢献しているボランティアを養成した。
 治療的コミュニティという治療法もまた社会精神医学的研究からでてきたものである。この方法では小規模施設にいるすべての人々ー患者、医師、看護婦やすべての職員ーは、一堂に会して相互に平等の立場で、話し合いを行って物ごとを決める。これは性格異常者に対して展開されてきたものであるが、精神病院の患者のすべての層にもうまく応用されてきた。主な方法は定期的なコミュニティ会議を開き、そこで職員が概況報告をし、意味のある出来事をすべてくわしく社会分析をし、役割遂行や現実検討の機会を提供することである。その基礎にある原理は許容性、平等主義、民主主義、全体の同意による決定と仲間集団による社会的管理である。この方法は強烈なものであり、全員とくに職員に多大の要求が課せられる。職員は集団のコミュニケーションの巧みな技術や精神療法的洞察および柔軟な個性をもつ必要があり、職業的な防衛としての反動形成の多くを捨て去るように準備しなくてはならない。
 こうした接近方法や、普通に仕事している精神科医の生活についてのすべての研究が、最後に非常な効果をあげた。英国の精神科医は現在、病院、外来クリニック及び地域社会で働いている。外来クリニックではソシアルワーカーと非常に密接に協同し、ソシアルワーカーの報告や活動が非常に役立っている。地域社会では頻繁に患者の家族を訪問し、家庭医や地域のソシアルワーカーや保健婦としょっちゅう相談している。精神科医は診断やある種の治療ー薬物療法、身体的治療や精神療法ーではいつもエキスパートである。しかし種々の調査や多様な処置においては他のメンバーー看護婦、ソシアルワーカー、一般医師、家族成員あるいは他の患者ーがもっとも積極的なチームの一人である。
 英国の精神科医で「社会精神医」とよばれるのは限られたものだけだが、こういう観点は英国の実際活動に広く浸透している。従って、ほとんどすべての精神科医が自分の専門的な仕事の一部として地域活動に何らかの形で参加している。
 筆者が日本を訪問し話し合った時、こうした考え方がほとんど知られていないし理解されていないことを知った。ごくわずかなパイオニアが何年もの間、つねに反対に出合い、しかも自分の職業にとって不利であっても、何年もの間こういう仕事に深くかかわってきた。多くの日本の精神科医は、Maxwell Jonesの著書を読んでいたが、それを応用し何らかの試みをしてきた人はごくわずかであった。地域精神衛生活動の発達がゆっくりしている(同様に精神病院の活動性と自由が欠如している)数多くの理由の一つは、日本の精神科医の間に現代の社会精神医学の原理についての理解が欠けていることによることは疑う余地がない。
(その4に続く)
(野田正彰著『犯罪と精神医療 クライシス・コールに応えたか』岩波現代文庫、2002年)
by open-to-love | 2008-01-13 17:42 | クラーク報告 | Trackback | Comments(0)