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クラーク報告 その2

日本における地域精神衛生―WHOへの報告
 1967年より1968年2月に至る3カ月間の顧問活動に基づいて

 デービッド・H・クラーク

4 観察報告

4・3 精神遅滞施設
 私は7つの精神遅滞施設を訪問し、高い水準の訓練が与えられるのに感心させられた。これらの施設はパートタイムのかたちでコンサルテーションに参加する小児科医と精神科医と、教師の指導下に置かれていた。20以下の知能指数の子どもさえもが、志気の高い献身的な職員によって積極的に作業指導を受けていた。知能指数20~60程度の子どもが、こまかい技能を教えられ、積極的に、社会的な訓練を受けるとともに単純作業に従事していた。勿論、これはすぐれた施設であって、不充分な施設での基準についてはわからない。情報提供者のなかには、それを心配するものがあったが、子どもたちが、身近な医療監督の不足のために困っていると思われる証拠はなかった。しかし施設は不足しており、多くの町村では、精神遅滞者(児)が精神病院に収容されていて、病院での困った問題とされていたことは明らかであった。彼らはその退行した行動とか、他の患者や職員をいらだたせるという理由で個室に閉じ込められていた。
 しかし、どの精神遅滞施設の職員もアフタケアとフォロー・アップを憂慮していることを表明していた。施設では、時には、退園児をパーティに呼んでみたりしてこうしたことをやっていた。職員たちは、精神遅滞児の仕事を見付ける手助けをする職員(employment officers)がないことを指摘していた。こういう(アフタケアなどをやっている)施設は新しい施設であり、退園後10年、20年たったり、また世話をしてくれる親たちが死亡したあと、退園児を援助するのかと問われても誰一人わからなかった。普通学校に付設された特殊学級や特殊学校における精神遅滞教育は、日本においては、十分理解されているけれども、特殊学校の数は十分ではない。
 日本には、英国やヨーロッパ諸国に見られるような訓練センター(職業センター)はあまり発展していなかった。これは、普通教育では効果の得られない重度の精神遅滞児が、家庭で生活しながら毎日通所することのできるセンターである。これらの施設は家庭のちゃんとした中等度の障害児(Down症候群のような)を援助するのに最適であるとされている。毎日センターに子供を通わせることは、母親たちに息抜きを与え、その訓練を通して、成人の生活をさせる準備をし、社会的技術を身につけさせ、報酬のもらえる単純な作業を教えることになるわけである。
 私は重度精神遅滞(重症白痴)の施設を一つも見学しなかった。歩くことのできない不幸な人たちが一生涯の保護と配慮とを求めている。30年前には、こうした人たちは早死したが、今日では現代の薬物によって長期間生きながらえている。母親たちは多年にわたって献身的な看護を彼らに与えるであろうが、彼らの多くは施設保護が必要なのである。こうした患者の数は今後増加することは明白である。

4・4 健康保険
 情報を提供してくれた多くの人々は、この制度から生じる難点を指摘していた。それは日本に特有なとても複雑なものである。どの病院も、各患者がどの保険制度に属して居るのか、何割の知る権利をもっているのか、ということだけを調査する大きな保険課(Insurance Development)をもたなければならない。この煩雑さは、どの患者にとっても厄介であり、とくに、精神衛生サービスの対象者には、単純な人(精神遅滞)や混乱した人(精神病)や情緒的に疲労した人(神経症)たちが多く、この複雑な制度を利用することができないので、患者にとってはなおさらのこと厄介なのである。この保険制度は1968年には改正され、英国のように統一された国家保険制度にしようという話が出ているときいている。このような改正は、精神科の患者たちにとっての利益を多く招来することであろう。
 今一つの医療保険制度の側面はより直接的な批判を喚起するものである。医療サービスごとに異なる支払率は、私が理解している限りでは、中央社会保険医療協議会の論争と妥協とによって算出されたものである。しかしその委員会には一人の精神科医も参加していない。このことは、現行の医療保険支払制度が、全国的な精神医療のありかたを規定しているということからみて、不幸なことである。
 入院患者の治療の支払はうまくいっており、比較的ゆるやかである。医師は入院患者の治療で充分な収入を得て、病院を経済的に繁栄させることができる。しかし外来患者の精神科医療は支払が悪く、施された治療の長さとか、質だとか、程度だとかにかかわりなく、どの外来に対しても一様な割合で支払われている。このことは、個々の患者に長時間かけることを阻止し、ごく短期間の面接でできるだけ多くの患者を見るように医師を奨励していることになる。医師にとって精神療法を行い、計画的に長期の面接を行って生計を立ててゆくことは不可能だときかされた。裁判所、児童相談所、県の行政機関等で精神科医が助言しても、それについやした時間に相当する支払がないのである。このことは個人治療、とくに入院患者の身体的な治療に、医師の時間を費やさせ、地域精神衛生活動の問題に背を向けさせてしまう積極的な誘因がそこにあることを意味している。このようなことでは、必ずや地域精神衛生活動の発展はゆがめられ、虚弱化されるに違いないのである。

4・5 日本における精神医学の位置づけ
 地域精神衛生活動には多くの専門家が含まれているが、精神科医はその中心になる人物である。討論が展開するうちに、日本の精神医学と精神科医とが、外国の現代社会における位置づけとは異なる位置を占めていることが明かになった。
 地域精神衛生の発展が進行すると、社会はこれまでとは違ったかたちで精神科医や精神科医療を活用するようになると考えられる。それがどこまで発展するかは、社会が現在いかにそこでの精神科医を眺め、それを活用するかー一般大衆が精神科医をどのように見ているか、他の医師が彼らをどのように見ているか、精神科医が自分たち自身をどのように見ているかーによって定まるものである。
 日本では精神医学はかなり重篤な精神遅滞、精神病、癲癇および精神神経症の治療を行う医学の小さい専門領域である。それは性病学や皮膚病学程度に重要であっても、耳鼻咽喉学ほども重要ではない。このような伝統はKrepekinおよび、その後のドイツ精神科医の診断的現象学的接近法と固く結びついている。一般大衆は精神医学について全く無知である。一般の医師たちには、精神医学はかけはなれた専門なのである。医師であるのは皆、たくさんの「神経症」(ドイツ語のNeurose)を診察し治療するのが当然と思っている。こうした医師は、精神安定剤や鎮静剤を与え、必要なときは患者がよりよい生活をするように、しっかりした厳しい助言を与えて治療する。彼は、こうした患者たちをまれにしか精神科医に送ろうとは思わないのである。精神病者を扱っている医師の多くが自分を精神科医とは呼ばない。彼らがそのことばを用いたところで、それは心臓専門医とか皮膚科専門医以上のものを意味するわけでもないのである。彼らは自分を医師ー身体の医師ー全医学の一部として見ている。彼らは、患者に接する際には白衣をまとい、ほとんど事あるごとに身体検査を行う。彼らは診断を下し、普通、精神安定剤で治療するが、他の薬物で治療することもある。必要なときには、彼らはよりよき生活が営めるように慈愛に満ちた助言をする。
 日本の多くの精神科医は、彼らの責任を限定してしまうこのような位置づけを受け入れ、それを喜び、そして、器質的な問題のみに目を向け、情緒的なかかわりあいだとか個人的な再適応をも要求する精神神経症や精神療法や社会精神医学によってひきおこされる困難な問題にたちむかうことを避けるようにしている。
 この専門のリーダーたち、とくに、西欧の精神医学や精神力学について理解している精神科医は、(深いかかわりあいのない短期訪問を通して得たおおまかな印象とは反対に)日本人の伝統的な思考と感情を西欧の現代科学の知識と真に統合させようと試みている。
 彼らは西欧諸国における精神医学の位置づけを驚きとある種の羨望とをもって眺めている。精神医学の地位は、それが立派で裕福な専門であるとみなされている米国でとくに高い。米国では、人間とその心に関する科学的研究が個人と社会を変化させる価値の有る知識と理解と方法とをもたらすものであると一般的に信じられている。その結果、心理学や精神分析や精神医学は一般的に尊重されている。精神分析は人間の思考と感情の不合理な側面を説明してきたし、精神分析についての知識と理解は教養のある人たちの常識となっている。米国では、人が心理的に苦しんでいるとき、心理療法家や精神分析家やカウンセラーの援助を求める。彼らは、この援助に対して高い謝礼をする。精神分析療法は、精神医学に関する一定期間の教育訓練を経た、医師の資格のある精神分析家によって行われている。精神分析家より高い所得階層に属するものは婦人科医や外科医以外にごくわずかしかない。医師は皆、医学部において、ことにいくつかの学校では外科とおなじ時間数だけ充分に精神医学を教えられているので精神医学を理解している。従って、一般医は多くの患者を精神科医や精神分析家に依頼している。米国の精神科医は、自分の専門に誇りを抱いており、他の医学と区別されることをそれほど残念に思っていない。
 英国におけるその位置づけは、米国と日本のほぼ中間にある。医学界やその社会の中での精神医学の位置づけはその社会がどのような発展をとげてきたかによって著しく異なっている。各国はその固有なパターンを生み出さなければならないが、日本も現在これを懸命にやっているところである。日本が現在発展させようとしているパターンは、これからの地域精神衛生活動の型を決定することであろう。
 私には、日本の精神医学が世間から重症の精神病者を扱う専門だと見られているように思える。それだから、地域精神衛生活動も、分裂病や癲癇や精神遅滞に対するサービスだとみられてきたのである。
 一方において、増大した心因反応(うつ状態や不安状態)や神経症的疾患の患者が大っぴらに大学病院の外来に集まっており、都市の知識人、とくに西欧の考えに接している人々の間に深い精神療法や精神分析への要望が高まっているのに、資格をもつ治療者を見つけられないでいるときかされた。従って日本では、世論が医師に先んじて進んでおり、満たされない情緒的な問題に対して援助を求める声が高まっているように思える。個人的な問題に援助の手をさしのべる新しい宗教が大きく成長していることを見聞きしたことは興味のあることであった。

4・6 精神医学におけるリーダーシップ
 Blain博士は、1953年に日本の精神医学におけるリーダーシップの問題について雄弁に次のように記している。「どこにそのリーダーシップがあるのか? 誰がWHOの年次報告書の妥当性について研究しているのか?」、「しかも、今のところ、厚生省の精神衛生担当課には一人の精神科医もいないのである」。Lemkau博士も、「これだけの大規模(50億円)な計画には、重要な刺激(指導)とある程度の統制を行う少なくとも一人の精神科医を含めた9人の職員が必要であろう」と指摘している。
 750億円が計上されるようになった今日の状態は、不幸にして、少しも改善されていない。私のお会いした多数の上級の精神科医は、精神衛生活動の将来についていろいろ考えていたけれども、中央の行政官庁の有力者の地位にあるものはいなかった。
 Blain博士は、厚生省内に精神科医が一人もいないことを指摘した。私は省内の医師のうちに今は2人の精神科医がいることを知らされた。しかし、彼らは2人とも省内では若輩であり、精神医学の経験は浅かった。厚生省には上位の位置にいる経験豊かな精神科医はいなかった。
 行政官庁における医療とくに精神科医療の専門家による指導制の問題は日本だけのものではない。どこの国においても行政官庁の医療部門の地位は行政経験の豊富な行政官、普通は公衆衛生の専門家をもって充当されて、その専門領域のリーダーシップは、その専門科に専念した人によってとられている。この2つのグループを一緒にするように仕向けてゆく方策がなければならないのである。
 この点精神医学では、困難性が倍加する。この専門領域は、多数の長期在院患者を扱い、病院の開設、職員構成、組織に関する管理的な決定が、しばしば患者の社会復帰の機会を決定し、数十年にわたる活動のあり方を決定する。とくに大切なのはこれらの活動が専門の精神科医によって指導されなければならないことである。しかし、このような経験は省内のデスクで働くことではなく、精神医学と精神科クリニックや病院における多年にわたる勤務を通じてのみ得られるものなのである。
 米国では、精神衛生のコミッショナーが知事に対して直接に具申することのできる各州の上級官吏であり、州の閣僚の一人であることが多い。知事がその人を個人的に選び指名するもので、その人は通常、経験の長い官吏であることは少なく、上級の精神科医であり、しかもしばしば専門的にも優れた人である。英国では、厚生省技監補(the Chief Medical Officers of the Ministry of Health)の一人は精神科医でなければならないし、その人は大臣に直接具申できる権利を与えられている。この技監補は上級官吏であると同時にしばしばその専門の優れたメンバーである。近年、指導的な位置にある精神科医が3年の約束で、厚生省に入っている。
 Blain博士が1953年に「精神科医が厚生省でもっと高い地位を占めないと日本の精神衛生活動は満足のゆく発展ができないだろう」と述べたが、その意見に私も同感である。
 日本の精神衛生課は、厚生省の10局の1つである公衆衛生局の7課の1つにすぎない。このふ充分な位置づけは厚生省内において与えられている精神衛生への重要度を示すものである。このような地位は、厚生省が戦後間もなく組織された当時、主要課題が伝染病や児童福祉や社会福祉であった当時は、適切なる評価であったのであろうが、それは現在の状態に対応するものではない。
 いかなる行政官庁においても、いかなる局においても、ある業務の活動と予算と重要性を削減して、その代わりに、他の活動を盛んにするものである。例えば、近代国家における肺結核の部門は縮小しつつあり、他方、製薬部門が増加している。多分、日本政府もその部局を調査したならば、今日の重要性によってそのことを認識することであろう。このような再評価は省内に地位を得ている人たちにはいつも不評判である。それは優先権をくつがえし昇進についての個人の期待を危険にさらしさえするからである。しかし、そのことは、責任ある人々の時にはしなければならない課題なのである。
 国立精神衛生研究所が市川に現存しており、すばらしい研究業績をあげ、それはその出版物や国際的名声によって示されている。多数の価値ある調査ー患者、治療設備、専門職員の数と質等についてーが行われ、全国規模の訓練計画がたてられている。しかし、その予算は制限され、拡大計画は繰り返し経済理由により延期させられている。
 進んだ国々は、調査に投資することが、国家の進展に不可欠であるということを学んでいる。日本の唯一の国立精神衛生研究所の予算を削減したりすることは、不経済なことであると言わなければならない。

 5 考察
5・1 精神病院在院患者の動向
 精神病床にはある種の動向が認められた。すなわちここ15年間新しく作られた多くの日本の精神病院は分裂病患者に利用され満床になっている。訪問した病院ではすでに慢性患者が増加していく傾向があった。5年以上在院している患者数は増加し、しかも、これらの患者の大多数は25歳から35歳の若い人々であった。ふつうに寿命を全うするとなれば、この患者はあと30年間も病院に在院する可能性がある。
 日本はヨーロッパと同じような悩みに直面している。分裂病者が病院に集められ身体的治療を受け、無為なままに閉じ込められている。患者達はここで長い生涯を送り、入院患者数は増加し、病院は無為で希望もなく施設病化した患者で満員になる。最近になってやっと、社会精神医学や積極的な治療、社会復帰の的確な活用によってこうした動きが逆転されつつある。
 この点に関し調査を行う必要がある。どのくらい慢性患者ができているかを明らかにし、将来の動向を予測するために在院患者の年齢と入院の日付を注意深くチェックすべきである。このことは規則的なチェックによって監視されるべきである。

5・2 精神病院の敷地
 ヨーロッパでおかしたある種の失敗を日本がまたくりかえす危険が本当にある。最初に西ヨーロッパとアメリカ合衆国の東部で癲狂院(asylums)がもうけられた時、辺鄙地が安価だという理由で田舎にたてられた。最初は小さな施設であり、希望と積極的な治療の場であった。それが事故を起こすことを恐れてだんだん安全手段を増加させることとなった。患者は退行し無為になったが、ゆきとどいた医療によって生き延びたために生き残り、その人数は確実に増加していった。町から離れているので、社会復帰や地域社会との関係は困難であった。往き来するのが困難なので家族は病院を訪問しそびれるし、患者は家族に会いに行く気力がなくなる。徐々に収容所は規模が大きくなってきた。新しい施設を人口の中心地からはなれた安い土地に建てるのは一見経済的にみえるが実はそうではない。社会復帰はきわめて困難になり、その結果患者は永久下宿人になってしまいがちである。施設は次第に大きくなり、究極的な経費はより膨大なものになる。もしも精神科の治療組織単位が小さく町の中にあるなら、家族との接触は維持されるし、社会復帰はよりたやすく、慢性患者の退院はより速やかになる。最初の土地代が高くても、施設は小さいままでいいし、そのほうがはるかに価値が高い。

5・3 精神病院のコントロール
 多くの日本の精神科医は筆者に、精神病院の基準を統制するという課題があることを述べていた。日本には現在800を超える精神病院があり、そのうち80パーセントが1945年以後に創設されている。それ故ほとんどの精神病院は新しい施設であり、そこで医師、看護婦、患者といった人々が依然としてある形の人生をすごしている。あるものは非常によくやっているが、他のものはそうでないことを筆者は聞いている。また精神病院の約3分の1は、快適で、衛生的な身体医学的ケアはいうまでもなく専門的な精神医学的ケア、あるいは社会治療についての好ましい基準に達していないことを知った。またこうした問題点でとくに悪いのは、院長や看護婦が以前に精神医学の経験を持たなかったり、自分の投資回収に不安をもつ所有者が施設を超満員にさせて収入をあげようと医療スタッフに圧力をかけていることであることも分かった。
 現在精神病院はすべての病院と同じように県の機関によって監査されている。この監査チームには普通医師1名が加わるが精神科医が入ることはめったにない。このチームでは衛生上の危険を予防したり定員過剰を予防したりするには大体充分であるが、どんな精神医学的ケアが与えられているかを査定することはできない。
 精神科施設の管理には特別な問題点がある。通常病院やナーシングホームは公衆の詮索の的となりスキャンダルがおこりがちである。患者は家庭にかえると自分たちの見たことを話すので、家族は病院に来て不当を訴える。ところが精神科患者は妄想を抱いているとみなされてしまい、患者の不幸や不安はしばしば割り引きされてしまうし、家族も精神病院と縁が切れるのを望まないことが多い。かれらは問題をおこす家族の一人が閉じ込められるのを幸いと思っているし、あまり質問してくることがない。だから精神病院は普通の病院よりも悪弊がよりたやすく発展し増加しやすい。
 それ故日本では精神病院の基準を改善する必要があるし、とくに社会精神医学におけるより好ましい基準を奨励する必要がある。
 ひとつの解決の可能性は高度の力量のある国家監査制度をもうけることだろう。こうした手段(The Board of Control)は多くの施設が創設されていった時に英国で効力を発揮した。監査官(Commissioners)には高給が支払われ経験のある精神科医が含まれていたー何人かはその国のもっとも有能な精神科管理者であった。彼らは病院を訪れ、法律によって地方で出版されることになっている報告書を書いた。彼らは病院の許可を取り消したり、患者の退院命令をだしたり、職員(院長も含む)の更迭をさせることができる。この監査官は非常に恐れられていたが、あちこちの領域について新しい改善の情報を、ある地域から他の地域に知らせるという大切な教育的な影響をもあたえてきた。この監査官はすべての英国の病院(全精神科病院を含む)について、厚生省が責任を持つようになったあと、他の管理や監査の方法が発展したので最近ついに解消した。しかし監査官のいくつかの活動を復活させようとする運動がすでにおきている。
(その3に続く)
(野田正彰著『犯罪と精神医療 クライシス・コールに応えたか』岩波現代文庫、2002年)
by open-to-love | 2008-01-12 16:51 | クラーク報告 | Trackback | Comments(0)