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危機でこわれる現代家族

危機でこわれる現代家族(『老いる準備』)

第3章 介護保険が社会を変える

介護保険は家族革命だった

危機でこわれる現代家族
 介護を家族頼みにしようとも、家族は現在、機能しているのだろうか。もう少し踏み込んでいうと、家族が家族として機能したことが、ほんとうにこれまであっただろうか。たんにノスタルジーのなかだけではなく、家族が家族らしく機能したことなんて、一度だってあったのかと思う。
 保守的な論者は、女がわがままになったとか、母性愛の本能がこわれたとかいう。が、こわれるものなら「本能」ではないし、うらがえせば、これまでの家族介護は、ひたすら女の忍従のもとに成り立ってきたことを、これらの人々は、はしなくも認めていることになる。こういう人たちに、あなたが理想的だと思っている家族は、いつの時代の、どんな家族なのか、と問うてみたらよい。三世代同居で、子沢山で…という明治時代の大家族のイメージが返ってくるだろうが、この時代には平均寿命が50歳代であることが忘れられている。それに家族のなかに成人の女が複数いれば、育児や介護負担はずっと軽くなる。家族の負担がこんなにも重くなったのは、夫婦に子どもだけの家族のなかで、たったひとりの成人女性である妻の肩に、すべてがのしかかってきたからこそである。
 こういう家族を、家族社会学では「近代家族」と呼ぶが、この家族が危機に弱いことは、経験的に証明されている。身内に病人や障害者、寝たきりの高齢者を抱えたとき、家族は結束してこの危機に立ち向かう力を発揮するだろうか。私たちのイメージにあるのは、家長が家族を背後に背負い、外敵に立ち向かう「大草原の小さな家」の家族だが、こんな家族はもはや映像のなかにしかない。
 社会学者というのは、ミもフタもない現実を見ているリアリストである。現代の家族は、内側に危機を抱えたとき、結束する以上にこわれる可能性が高い。こわれなかった家族は、例外だからこそ「美談」となる。この美談は、当事者のなみ大抵でない努力と、偶然の幸運で成り立っている。経験的にいえば、危機に直面した家族の多くは、離婚に至ったり、家族のなかの異分子を抑圧したり、排除したりすることでようやく保たれている。
 障害者の家族を研究しているある家族社会学者の研究によれば、赤ちゃんが障害をもって産まれたとき、産んだばかりの母親がいちばんショックを受けているときに、その母親をさらに追い詰めるような言葉を吐くのは、夫とその家族であるという。妻のいちばん身近にいて妻を支えてあげる立場にいる、しかもその子どもをつくる原因の半分を担った当の夫が、現実を否認するという行動をとる。「こんな子はオレの子じゃない」と夫がいい、夫の親が「うちはこんな家系じゃない」という。危機に陥っている人を、さらに奈落の底に突き落とすようなことを、家族は平気でやっている。
 たとえば中途障害者の場合には、離婚率が高いことがわかっている。夫が中途障害を持った時、妻が愛で支えるなどという「美談」は、もともと夫婦関係のいい場合の話。夫婦関係に問題を抱えていたところでは、危機をきっかけに家族はこわれる。妻が中途障害者になった場合の離婚率は、その逆の場合より高い。だいたい家族というものは、危機が起きたらそれまでのウミがどっと出る、そういうものであるらしい。
(上野千鶴子著『老いる準備 介護すること されること』学陽書房、2005年)
by open-to-love | 2007-09-02 17:20 | 障害福祉と女性問題 | Trackback | Comments(0)