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第7章「わが国の精神保健に関するシステム」1…精神保健を支える法律

増野肇著、一番ヶ瀬康子監修『精神保健とは何か』
(介護福祉ハンドブックシリーズ、一橋出版、1997年)

第7章 わが国の精神保健に関するシステム

ポイント

◆わが国の精神保健は「障害者基本法」と「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」によって定められています。
◆精神保健行政は、厚生省の機構改変に伴い保健医療局・精神保健課から障害福祉部・精神保健福祉課へとその管轄が変わり、「障害者プラン7か年計画」が立てられました。地域では、各保健所から市町村へと移行しています。
◆精神保健関連の施設には、医療施設、精神保健福祉センター、相談所、住居となる施設があります。また、ボランティアによるサポートシステムや、同じ課題を持った人たちの集まりであるセルフヘルプグループもあります。
◆精神保健に関する研究・啓発グループには、日本精神衛生会、精神神経学会、精神衛生学会などがあります。

1 精神保健を支える法律

 わが国で最初に精神障害者に関する法律ができたのは1900年の精神病者監護法です。これは、精神障害のために松沢病院に入院したはずの元相馬藩主が、実際は病気ではないのに、お家乗っ取りのために入院させられたと家臣が訴えたところから始まった相馬事件(1886〜1894年)が、世界的に有名になったことがきっかけで生まれたものです。この法律では、精神障害者の責任を持つ監護義務者を定め、私宅監置または入院させる時には警察署を通して地方長官に願い出るという内容のもので、自宅の部屋に閉じ込める私宅監置を公的に認めることにもなってしまいました。
 1917年の実態調査では、精神障害者数6万5000人に対して、病床数はわずかに5000であり、残りの6万人が私宅監置などの状態にあることが分かり、1919年に精神病院法が生まれます。しかし、予算の不足のため公的精神病院の数は増えず、現在の私立病院中心の体制が出来上がったのです。
 わが国に本格的な精神衛生法ができたのは、第2次世界大戦後の1950年です。この法律により、精神鑑定を行える資格を認定する鑑定医制度が出来上がり、精神病院の設置運営に対する国庫補助により、3万床の精神病院が3倍に増加します。戦後、抗精神病薬の開発などにより、精神科治療が進歩したことで、入院から地域への対応が求められてきた時、駐日アメリカ大使ライシャワー氏が精神障害者に刺されるという事件が起こり、精神障害者の地域での管理が問題となります。このような背景の中で、1965年に精神衛生法が改正され、必要に応じて強制的に入院させる措置入院の強化と、一方で、精神衛生センターと保健所による地域精神衛生体制が確立します。
 保健所における精神障害者社会復帰相談事業、職親(リハビリテーションに協力する事業所)による、「通院患者リハビリテーション事業」などにより、リハビリテーションが少しずつ改善されてきた時、強制入院患者を数多く詰め込んだ宇都宮病院において看護者による入院患者のリンチ殺人事件が起こり、世界的に問題となります。その背景には、措置入院、同意入院という名の強制入院制度があることが問題とされ、新たに、患者自身の同意による任意入院制度を中心に置くこと、鑑定医に代わり、資格を厳しくした精神保健指定医制度を置くことを定め、そして入り口だけで出口がないと言われていた法律の中に、授産所、生活訓練施設などの社会復帰施設の設置を盛り込んだ精神保健法が1984年に施行されます。この法律は5年後の見直しが決められており、そのなかで、グループホームの認定、欠格事項の緩和などが行われました。
 今後も5年ごとに見直しをしていくことになっています。
 1993年に、精神障害者を明確に障害者の中に位置づけた障害者基本法が成立すると、長い間求められていた精神障害者の福祉の面が一気に前進し、1995年には、「精神保健法」が「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」に名称変更となります。障害者手帳が導入され、厚生省の体制も変わるなど、大きな変化を見せつつあるのが現在の状況と言えます。これからは、保健所以上に市町村の役割が重要になり、保健所法の改正とともに、地域精神保健体制は大きく変化を見せるところにきています。
by open-to-love | 2011-02-11 23:16 | 増野肇『精神保健とは何か』 | Trackback | Comments(0)