精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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カテゴリ:保護者制度( 12 )

『三訂 精神保健福祉法の最新知識 歴史と臨床実務』

高柳功、山本紘世、櫻木章司=編著、公益社団法人日本精神科病院協会=監修(中央法規、2015年4月15日、4860円)
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 人権への配慮が要求される精神科医療では、精神保健福祉法や関連法(総合支援法、医療観察法)の知識が必要とされる。本書は、法に照らして日常の業務をチェックできるよう、具体的にわかりやすく関連法を解説した。保護者制度、精神医療審査会など、平成26年改正に対応。

目次
 三訂版 序
 第1章精神保健福祉法の要点
 第2章入院形態と行動制限
 第3章精神医療審査会と人権擁護
 第4章保護者制度の廃止とその問題点
 第5章精神保健指定医
 第6章障害者総合支援法
 第7章医療観察法の概要と精神科医療に与える影響
 第8章精神保健福祉法改正とその背景―戦後精神科医療の歩み
 第9章卒後教育―精神科研修必須化と専門医制度
 第10章精神保健指定医のケースレポート
 第11章これからの日本の精神科医療
 第12章よりよき実務のために
 付 録関係法令・資料
by open-to-love | 2015-04-12 21:09 | 保護者制度 | Trackback | Comments(0)
コンボお知らせメール便:厚労省に意見書提出&「元気+サークルズ」のお知らせ

盛岡ハートネットのみなさま

 こんにちは。コンボ広報チームです。今日はお知らせが二つあります。
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その1:
「保護者制度・入院制度の見直しに係る関係団体からのヒアリング」@厚労省
コンボからも意見書を提出
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 厚生労働省では現在、「新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム」を複数立ち上げ、さまざまな論点を整理しています。その中の一つとして、4月11日には、「保護者制度・入院制度の見直しに係る関係団体からのヒアリング」が行われ、各団体が意見を述べました。
 当日発表した関係団体10団体からの意見書等が、下記の厚労省ホームページに掲載されています(コンボの意見書も掲載)。ご興味のある方は、アクセスしてみてください。なお、4月27日にも別の10団体からのヒアリングが予定されています。
 第26回新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム及び新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム(第3R)「保護者制度・入院制度の検討」に係る第13回作業チーム資料→
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000027x0r.html
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その2:
第3回「西武線清瀬地区『元気+サークルズ』月例会」のお知らせ
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 コンボではPNPP(ピア・ネットワーク・プロモーション・プロジェクト/愛称「元気+サークルズ」)を行なっています。PNPPを行った結果、各地に出来上がった、 「〇〇地区元気+サークルズ」について、お知らせメール便で、会場や時間などをお知らせしていく予定です。以下は東京都内、西武線清瀬地区に立ち上がった「元気+サークルズ」、ご担当の岩下さんよりのご案内です。
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 「こころの元気+」をお読みの皆さん、そして精神障害を持ち日頃苦労しているみなさん、お元気でしょうか。 第3回「元気+サークルズ」を開催しますので、言いっぱなし、ききっぱなしの会を持ちたいと思います。普段思っている悩み、不満など話すためのサークルズですので、気軽に参加してみませんか。

■日時:4月22日(日)午後2時30分~4時30分
■場所:清瀬市市民活動センター 第2・3会議室
 (〒204-0013 東京都清瀬市上清戸2-6-10)
  アクセス → http://park17.wakwak.com/~kiyosesimin/01map.htm
  西武池袋線 池袋駅から準急で24分、西武池袋線清瀬駅北口から徒歩7分
■参加費 無料
■お問い合わせ:元気+サークルズ 西武線清瀬地区
  担当 岩下洋三 (090-3317-0976)
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 清瀬はJR武蔵野線を利用する人、西武線を利用する人が利用できる場所です。池袋駅が最寄りの方、また、埼玉県からの参加もありました。これからも、PNPPでは各地の元気+サークルズの紹介を行なっていく予定です。自分の地域でも、「いいっぱなし、ききっぱなしの会」を持ちたいと思っている方、 自分の地域では「いいっぱなし、ききっぱなしの会」は、ないのかなあと思っている 方、お問い合わせ・ご参加ください。
→ pnpp.comhbo@gmail.com (PNPP代表メール)
***********************************************************
以下のリンクから「こころの元気+」創刊号が無料でダウンロードできます。
http://comhbo.net/mental_energy/pdf_data/genkiplusno1_2.pdf

特定非営利活動法人 地域精神保健福祉機構(コンボ)
http://comhbo.net
http://twitter.com/#!/comhbo/
〒272-0031 千葉県市川市平田3-5-1 トノックスビル2F
TEL 047-320-3870 FAX 047-320-3871
info@comhbo.net (コンボ広報チーム)

http://comhbo-mail.blogspot.com/
こちらで過去のお知らせメール便がご覧になれます。
by open-to-love | 2012-04-19 00:47 | 保護者制度 | Trackback | Comments(0)
全福連「みんなねっと」37号(2010年5月)

■特集「障害者権利条約と保護者制度」その2

家族相談リーダー養成研修会(新潟)講演より

池原毅和(東京アドヴォカシー法律事務所・弁護士)

□権利条約は家族支援、保護者制度は家族負担の考え方

 障害者権利条約が保護者制度との関係でどんなことをいっているかというと、前文の中に、家族支援の必要性について述べられています。
 内容は、「家族は社会の自然かつ基礎的な単位であり、かつ、社会及び国による保護を受ける権利を有することを確信し、また、障害のある人及びその家族の構成員が障害のある人の権利の完全かつ平等な享有に家族が貢献することを可能とするために必要な保護及び援助を受けるべきであることを確信し(略)」と書いてあります。
 要するに、家族自身が社会や国から保護を受ける権利を持っていて、なおかつ、家族を保護することによって障がいのある人の権利そのものも、よりよく実現されるということです。だから、家族を保護したり支援したりすることが非常に重要ですよ、と権利条約でも確認されています。
 この規定から、支援の手を差し伸べないで、家族だけで解決しなさい、という保護者制度は、権利条約の考え方とは全く逆の考え方だということになります。

□誰もが相談して自己決定ができる

 次に、「精神障がいのある人の自己決定支援」についてですが、権利条約には、「障害のある人がその法的能力の公使に当たり必要とする支援にアクセスすることができるようにするための適切な処置を取る」と書いてあります。とてもわかりづらい表現ですが、大事なことは「支援を受けた自己決定」ということです。
 どういうことかというと、精神障がいがあるからといって、自分で自分のことを決める力がないと決めつけてはいけない、という考え方です。保護者制度では、精神障がい者は自分が病気だということがわからないから、保護者が代わりに医療を受けさせてあげなさいという規定になっています。けれど、権利条約は、物事を決めるときには、誰でも手伝いが必要だということが書いてあります。
 自分のことを自分で決めるときに、精神障がいのない私達は、一体どのようにして決めているでしょうか。
 たとえば、車を買うときに、誰にも相談せずに一人で決めるでしょうか。仕事を変えようかと思ったときに、自分一人だけで決めるという決め方は、むしろ珍しいですね。普通は意識してないけれど、相談しているはずです。私の場合であれば、車を買うとき妻に相談しないで決めたら、後でとんでもないことになるでしょうし、仕事を変えることだって、家族に相談しないわけにはいかないですよね。
 何かをするときに、特に重大なことや悩んだりするようなことは、相談しますよね。相談しようと思っていなくても、「最近困っちゃってね」と話をするわけです。自己決定というのは、確かに最終的には自分自身で決めていますけど、決める前に、いろいろな人に相談して、その中で情報を教えてもらって決めていくわけです。
 つまり、障がいのない人の自己決定は、多くの人に相談して決めたことになります。そして、相談する人が多くいる人の決めたことは、後から考えても非常にいい決定になります。つまり、いろいろな人に相談する中で、自分なりに考えながら決めることができるわけです。これは、すごく大事なものの決め方です。

□よく練られた自己決定は多くの相談できる人が必要

 たとえば“オレオレ詐欺”に引っかかって振り込みをしてしまう人のことを考えてください。
 オレオレ詐欺の被害にあう人の自己決定というのはどのような決定かというと、一人暮らしのお年寄りが多いので、電話が掛かってくると、「大変だ!」といって振り込みに行くわけです。
 もし、そこに家族がいたら、「急に慌ててどうしたの?」と聞かれて「孫が交通事故にあってすぐにお金が必要だから振り込まないといけない」といった場合、それを聞いた家族は「それは怪しい話だよ」と、ブレーキを掛けることができますよね。
 なぜ、騙されてしまう人がいるのかと考えたとき、一番の共通項目は、「孤独」だということです。つまり人間は、自分の周りに相談できる人がたくさんいると、よく考えた、よく練られた自己決定ができるのです。けれども、相談する人が少ない人は、どうしても練った考え方ができず、思い立ったらすぐに行動に移してしまいます。誰も止めたり批判したりしないためです。
 これは、精神障がいのあるなしではなく、相談する人がいるかいないかが理由になります。つまり、物事の決め方がそれなりに大人らしい、じっくりした決定がなされているのは、たくさん相談できる人を持っているためです。知り合いのネットワークがたくさんあるから、いい決定ができるわけです。

□人間関係の乏しさが頼りない決定につながる

 私達の周りにいる精神障がいのある人はどうなのかと考えると、私の兄は精神障がい者ですが、彼が年賀状を出す相手は、通院先のお医者さんとか、10通くらいです。一般的に仕事をしている40代、50代の場合、年賀状を10通しか出さないのは少し変わり者と思われます。でも、精神障がいのある人は、そういう状況に置かれているのです。
 私の場合は大学の同級生がいたり、仕事の仲間がいたり、地域で障がい者福祉の活動をしている仲間がいたりと、いろんなところで社会参加ができていることで、人間関係は広がっていきます。
 ところが、精神障がいがあることで、高校を卒業できなかったり、就職や結婚ができないという状況では、ネットワークが広がりません。相談するとしたら、家族かお医者さんということになってしまって、それ以上広がらないのです。そのバリエーションの乏しさ、層の薄さというのが、精神障がいの人が頼りない決定をしてしまったり、親なきあとに一人で生活していけるのだろうかという気持ちを起こしやすくしています。
 前回お話しした「医学モデル」に話を戻すと、なぜ、精神障がいの人が自分のことを決められないかというと、脳のドーパミンの出かたが多いとか、少ないという説明になります。
 ですが、これは、精神障がいの人が、しっかりと物事を決められないことの半分の原因かもしれないけれど、もう半分の原因は、その人達を包み込んで協力してくれる人のネットワークができていないということです。相談したくても、相談できる人がいないので、自分が思いついたらその通りに行動してしまって、立ち止まることが起こりにくいわけです。なので、しっかりと根のはれていない決め方になってしまうわけです。

□自己決定を支援する

 世界的に障がいのある人みんなが孤立しています。なぜかというと、社会をつくったときに、障がい者がいると考えないでつくってしまったので、いつも障がい者は仲間はずれなのです。意識して仲間はずれにしてはいませんが、存在を意識してなかったために、仲間はずれになってしまったのです。その結果、人のネットワークも広がらず、物事を決めることがとても単純なやり方になってしまうわけです。
 大事なことは、自己決定を支援するということです。障がいのない人に比べたら少なすぎる人間のネットワークを、もっと盛り立てていくことです。数で盛り立てるということは急には難しいですが、大勢に匹敵するような相談できる人や場所があると、思いのほかいい決定ができると思います。
 私の今までの経験では、本人と話し合えば大体のことは間違いなく進められます。中には、こだわりがあって、めがねを買い始めると、毎週何万円もするめがねを買い続けてしまう人もいますが、何回か会って話し合っていくと、本人なりにブレーキが掛かってきたりします。

□温かい人のネットワークが自己決定を支える

 精神障がいの人を支えるときの「支援を受けた自己決定」というのは、同じ土俵に立って、時には友だちであったり、親や兄弟であったり、先輩、後輩というような役割を果たしながら、本人が「こうしたい」ということに対して、もっと別な考え方はないだろうかという関わり方をしていくことで、本人自身が気づいていけるようにしていくことです。
 私達がどのように物事を決めているかを考えたとき、いろいろな人の協力を得たり、人の励ましや批判を受けながら決めています。その中で、大人としての決定ができていきます。これが、権利条約の教えるもう一つの大事な点です。
 このようなことから考えると、先ほどの前文に書いてある、家族は支援を受ける権利があって、家族が支援を受けることによって、本人自身も幸せに生きていくことができる、自分の権利をちゃんと持つことができる、そして、精神障がいがあるからといって物事を決められないのだと決めつけてしまうことは間違いだといえます。
 しっかりとした人間の温かいネットワークがあれば、大多数の精神障がいのある人は、自分なりの決め方ができる人たちです。なので、かなり病状が悪くて入院しなければならない場合もありますけれども、それ以外のときは、温かい人のネットワークの中で本人を支えていくことがとても大事だということです。
 人のネットワークは、社会とか地域のネットワークであって、家族だけで何とかすることではありません。これが、権利条約が保護者制度に対して教えているところで、保護者制度をやめなければならないところです。精神保健福祉法を改正するときには、保護者制度を廃止することだと思います。
by open-to-love | 2010-05-26 19:58 | 保護者制度 | Trackback | Comments(0)
※難しいことを、分かりやすく講演されています。大事なことですので、みなさん読んでくださいね。(黒田)

全福連「みんなねっと」36号(2010年4月)

■特集「障害者権利条約と保護者制度」

家族相談リーダー養成研修会(新潟)講演より

池原毅和(東京アドヴォカシー法律事務所・弁護士)

 今日は、障がい者の権利条約と保護者制度という、難しいテーマになっています。障害者権利条約(以下、権利条約)は精神障がいの関係の人たちにも大変大きな意味を持っているので、この機会に勉強しておいたほうがいいと思います。おそらく今後、いろいろな法律や制度に影響を及ぼしていくものだと思われます。
 最も大事なことで、権利条約が教えてくれることは、私たちが「障がい」と思ってきたものは何かということを、根本から問い直させてくれることに大きな意味がある条約といえます。

□なぜ権利条約をすぐに批准しないのか

 この条約は、2006年に国連で採択され、2007年には、日本としてこの条約を正式に受け入れる方向で検討しますということで署名をしています。最終的には「批准」という、その条約を日本として正式に受け入れますよということ、これが批准になりますが、批准がおこなわれると、条約は日本の法律と同じ取り扱いになります。
 なぜなかなか批准をしないのかというと、2009年の3月に、政府は条約を批准したいといっていました。ところが、障がい者団体は、批准はまだするなといっていたのです。それは、今まで権利に関する条約というものはいくつか批准されていて、例えば、女子差別撤廃条約や、子ども権利条約など、いろいろな条約が採択されています。けれど、日本政府は批准をすると、それですべて終わっています。そのため、簡単に批准されてしまうと精神保健福祉法や、障害者自立支援法、障害者基本法の改正もおこなわれないことになってしまいます。それでは困るので、批准をする以上は、条約の主旨に則って精神保健福祉法や障害者自立支援法の改正、家族の立場でいえば保護者制度を撤廃することを、政府がきちんと約束しなければ、海外に向けて外面だけつくろうような批准はしてくれるな、というやりとりがありました。まだ批准はしていませんが、現在「障がい者制度改革推進本部」という障がい者施策に関する本部ができたので、今後、批准をするために精神保健福祉法の具体的な見直しをしていくことになるはずです。

□「医学モデル」から「社会モデル」への考え方の転換

 この条約の一番大事なところは、「障がい」とは何かということについて、基本的な考え方に大きな転換をもたらしたことにあります。これは「障がいについてのパラダイムシフト」ということができます。パラダイムシフトというのは、考え方やものの見方の根本的な転換のことをさします。
 障がいに対するものの見方が変わったというのは、障がいというのは医学的な問題だという「医学モデル」という考え方から、「社会モデル」という考え方に転換されたことです。「医学モデル」とは、例えば脳梗塞になって左半身が麻痺してしまったという状態を考えてみてください。これは身体障がいになるわけですが、どうして身体障がいといえるかというと、脳梗塞によって能の右側の神経細胞の一部が死んでしまったために、体の左側が麻痺してしまったからです。これを身体障がいと呼ぶ、という考え方が「医学モデル」です。
 つまり、医学モデルで捉える障がいというのは、個人的な不幸であって、社会は関係ないという考え方になっているのです。これに対して「社会モデル」とは、神経が麻痺したり、怪我をして脚が片方なくなってしまったことは、障がいの一部分ではあるけれども、本当の障害は社会がつくっていて、社会との関係で障がいができあがっているんだ、という考え方です。例えば、障害のある人が建物の2階や3階まで上って行けないのは、車いすに乗っていて、脚が麻痺しているためだと考えるのではなく、車いすでも上って行けるようにエレベーターがついていないためだという考え方です。

□障がいの原因は社会にもある

 そう考えると、人が何かすることができないという原因は大きく2つに考えられて、一つは体が不自由だということ、もう一つは、社会がその人のために何もしてくれていないためだといえます。社会モデルという考え方に立つと、障がいというのは、半分は社会の責任だということができます。
 つまり、建物をつくるのにどのような建物をつくったらいいのか、人を雇うときに、どのような条件で雇わなければならないかなどを、社会は決めているわけです。この決め方によっては、使える人と使えない人が出てくることになります。もし、駅にエレベーターやスロープをつけなくていいという法律をつくったら、車いすの人は電車に乗れません。しかし、駅にはエレベーターをつけるという法律をつくれば、車いすの人でも行動できることになります。社会がどういう対応をとるかによって、私たちができることとできないことが決まってくるわけです。

□社会は平均的な人のためにつくられている

 私が病気になって入院したことがありました。退院のために外泊訓練することになって、病院から家に帰ろうとしたとき、入院する前には簡単に上ってきた階段がとても大変で、「何でこんなに階段がたくさんあるのだろう」と感じるほどでした。
 そのときに、駅の階段の角度と、一段の階段の幅がどの駅でも同じことに気づきました。そこで、ある人に「共通性があるのだけど、どういうことなのでしょうね」と聞いてみたら、建築基準法という法律があって、「ミスターアベレージ」という考え方ができたそうです。
 この「ミスターアベレージ」とは何かというと、ミスターは男性、アベレージは平均という意味ですから、建築基準法は平均的な男性の体力に合わせて決めているということになります。階段についても、このくらいの角度と段数、幅であれば難なく階段を上がれるのではないか、というイメージでつくったわけです
 しかし平均的な男性からずれている人たち、例えば高齢者、妊娠している人、病気になって体が弱っている人たちなどは、平均的な男性のような体力がないので、階段を上るのは大変になります。けれど、あらゆる社会制度というのは、平均的な人というイメージで物をつくっています。

□社会条件から外れることが障がいとなる

 障がいの問題を考えるとき、「うつ病だから朝8時30分までに職場に行くことができない」とは、「2週間に1回は通院しなければならないので仕事を休まなければいけない」などというと、「それではうちの会社で働いてもらうことはできませんね」といわれてしまいます。ではなぜ、8時30分までに出勤しなければならないという条件が決まっているのでしょうか。これも、平均的な労働者であれば、8時30分から働けるのではないか、というイメージをつくって、職場の条件をつくっているからです。
 そうなると、この条件から外れる人というのは、生活がしづらくなるし、ある意味条件から外れることが、障がいを持つことになるわけです。その外れる原因というのは、半身が麻痺してしまったとか、歳をとってしまった、あるいは、精神障がいがあるということが、条件から外れる原因になるのです。しかし、「10時30分でもいいから、帰りはもう少し遅くまでいてください」という、ゆるやかな職場の在り方をつくってくれることで、仕事をする可能性がもっと増えてくるわけです。
 障がいについての「医学モデル」から「社会モデル」への転換という意味は、障がいがその人個人のかわいそうな話ではなく、社会がどれくらいそういう人たちを受け入れる体制をつくっているか、逆に言えば、社会がどれくらいそういう人たちを仲間はずれにしているかによって、障がいの問題が決まってくるということです。
 この部分が、権利条約の一番大事なところになっていますし、パラダイムシフトという考え方の転換になります。

□配慮のない社会が障がいを生み出す

 次に、医学モデルの障がい観について説明します。医学モデルの障がい観とは、博愛とか慈善アプローチといった、個人に生じた不幸な事態に対して、「かわいそうだから何とかしてあげましょう」という考え方です。
 けれど、社会モデルの障がい観というのは、権利アプローチ、つまり障がいというのは、人間の多様性に対する配慮を欠いた、多数派の横暴であるという考え方になります。障がい者のいない社会は、世界的にみても、どこの国にもないわけです。つまり、障がいのある人がいる社会はごくあたりまえの社会だということです。
 極端にいえば、障がいがあるかないかは、肌の色や性別が違うことと同じように、人間の一つの在り方といってもいいはずです。そういう人はどの時代にも、どの社会にも存在しているわけです。だとすれば、そのような人も社会の一員なのだから、一緒に働けるように、一緒に幸せな生活ができるように社会をつくるのがあたりまえのことなのです。けれども、そういう社会にしてこなかった。別の言い方をすれば、そういう人たちを忘れてしまっていたともいえます。障がい者のことを考えていないから、当然社会で雇う条件が障がいのある人に合わないわけですね。これが配慮を欠いているということです。障がいのある人のことも考えて社会をつくることが、「社会モデル」になります。
 これが権利条約の一番大事なところで、精神障がいのある人が、社会に対して「私たちがもっと働ける状況をつくってください、作業所や福祉施設だけではなくて、普通の企業で仕事ができるような条件を用意してください」という要求が、当然の権利としてできるということです。

□保護者制度の「保護者」とは

 次に、保護者制度について話していきたいと思います。保護者制度の保護者とは、精神保健福祉法の第20条の中に、後見人、補佐人、親権者、配偶者、扶養義務者が、この順番で保護者になると書かれています。精神障がい者になると、このうちの誰かが保護者にならなきゃいけないということです。
 この中で、実際に後見人と補佐人が保護者になっている件数はあまり多くありません。
 次に、親権者というのは、20歳未満の子どもに対する親のことをいいます。なので、子どもが成人に達すると、親権者ではなくなります。精神障がいのある人の多くは、成人しているので、親権者も保護者になることは少ないといえます。
 3番目に保護者になるのは配偶者です。配偶者というのは、結婚した場合のつれあいのことですから、結婚していれば、そのつれあいが保護者になります。けれども、残念ながら精神障がいの人で、結婚をして家庭を持っている人はあまり多くありません。ですから、配偶者が保護者になるという事例もあまりないといえます。
 とすると、最後は扶養義務者ということになります。扶養義務者というのは、親子・兄弟(姉妹)のことで、民法に規定されています。そして、親子・兄弟に扶養義務を負う人がいない場合は、3親等以内の親族が扶養義務者になります。3親等以内の親族の範囲というのは、甥や姪、伯父(伯父)や伯母(叔母)のことです。この範囲の人が扶養義務者として保護者になる場合があります。

□保護者の役割と家族の負担

 保護者になった場合に何をしなければならないかというと、法律では大きく2つのことがあります。一つは、精神障がいのある本人に治療を受けさせる義務、もう一つは、財産上の利益を守る義務があります。
 実は、平成11年より以前には、「自傷他害防止監督義務」という義務がありました。これは、精神障がいの人が病気によって他人に怪我をさせたりしないように監督する義務のことです。平成11年に削除されていますが、この「自傷他害防止監督義務」というのは、非常に大きな問題がありました。
 なぜかというと、精神障がいのある人が他人を殺してしまうという悲惨な事件が起こったとします。このとき、保護者である親や兄弟には、精神障がいのある人が、他人に危害を加えないように監督している義務があるのに、その監督義務を怠ったために、事件が起きてしまったのだから、保護者もその責任を負いなさい、という判決がいくつか出ています。1億円近い損害賠償責任が認められた事件もあります。これは、非常に大きな問題だったので、平成11年に家族会が「自傷他害防止監督義務」は削除してほしいと訴えて削除されました。

□閉じ込めの方向に働く保護者制度

 けれども、削除にはなりましたが、治療を受けさせる義務は残っていると、裁判所や法律家の中でいう人がいます。治療を受けさせる義務があるのに、治療を受けさせないで事故が起こってしまった場合は、やはり保護者に責任があるのではないか、治療を受けさせる義務を怠ったといえるのではないか、とみなされて、平成11年以後も責任を認める判決が出ています。
 これはいわば、保護者制度の根本にかかわる問題です。家族側からみれば、保護者制度を撤廃してほしいと訴える理由の一つにもなります。本人を退院させたとき、もし万が一、事件が起こったら損害賠償金は1億円です、と言われたら、どんな親でも安心して本人を外に出してあげようという気持ちになりにくいわけです。
 これは、閉じ込めの方向に法律が動いているといえます。世界の動きは、精神障がいがあっても、地域で幸せな生活が送れるはずだ、という考え方に大きく変わっているというのに、いまだに保護者制度というのは、家族に対して重い責任を負わせているのです。明らかに世界の動きと逆行している、権利条約の考え方とも逆行していることになるわけです。

□法律に規定された差別と偏見

 この制度の問題点について、もう少し考えてみたいと思います。一つ目の問題は偏見や差別を助長したり、強化してしまうことにあります。保護者制度というのは、精神障がい者には保護者をつけることを決めている制度ですね。でも、精神障がいの重さについては特に規定されていません。重度の場合に保護者をつけなさいとか、病状が軽いときに保護者をつけなくていいですと書いてあるわけではなくて、精神障がいになったら保護者をつけなさい、という法律が、精神保健福祉法の前提です。しかも、保護者がどのような仕事をするかというと、治療を受けさせるという仕事です。
 この法律は、精神障がい者をどのように考えているのだろう、と考えてみますと、ある人が精神障がいになったとします。その人には必ず保護者をつけます。そして、保護者になった人は、精神障がいの人に治療を受けさせるという仕事をする、ということです。ということは、精神障がいになったら、自分では医者に行かないだろう、治療を受けられないだろうという前提を、この法律では考えているということになります。つまり、精神障がいの人は病識がないから保護者をつけて、治療を受けさせるという仕事をさせることが必要なのだ、という前提で保護者制度をつくったのです。
 でも、実際の精神障がいのある人のすべてが、自分が病気であることが分からないのでしょうか。自分からは医者に行かない人ばかりかというと、そうではないですね。確かにそういう時期はあるかもしれません。でも、「自分は絶対病気じゃない」とか、「薬は絶対飲まない」といい続ける人は少ないです。

□3%に焦点をあてた法律が偏見を強める

 病識がない人は、医療保護入院という強制入院をします。これは、保護者が同意をして病院に入院させるという方法です。でも、この医療保護入院で入院している人というのは、統計的にいうと全国で10万人くらいです。今、精神障がいのある人は全国で約300万人です。ということは、全体の30分の1くらいしか、医療保護入院で入院する状態の人はいないということになります。つまり、自分が病気であることが分からなくて、無理矢理入院させられているという人は、3%くらいということです。そして、少なくても95%以上の精神障がい者は、自分の体の具合が悪くて治療が必要だ、長い目でみると薬を飲むことは必要だな、と思っている人のほうが圧倒的に多いということです。
 ところが、法律はこの3%の人に焦点をあてて、精神障がいの人は保護者がついて治療を受けさせないといけないと規定しているわけです。95%の人は、自分で分かっているのに、その人たちのことは考えていないのです。
 これと、偏見を強めることとどう関係があるのかというと、この法律を読んだ精神障がいのことを知らない人は、精神障がい者は自分が病気だと思わない人で、誰かが病院に連れて行かなければ治療ができない人だと思ってしまいます。ということは、いつまでたっても精神障がい者というのは、自分で自分のことができない人なのだというイメージが消えないことになります。明らかに精神障がいに対する間違った認識で法律をつくったわけです。

□日本の社会に根強く残る家族扶養の考え方

 2つ目の問題は、本人を子ども扱いしているということです。要するに、40歳・50歳になっても、親が医者に行きなさい、薬を飲み続けなさい、といい続けなければいけないというのが、この法律の建前です。
 それと、家族にとっての問題は、一言でいうと疲弊化、耐えられない苦労を一生涯続けなければならないという問題があります。保護者をしている人というのは、どういう人かを調べると、15年くらい前のデータでは、父親や母親は80%、残りは兄弟(姉妹)です。年齢をみると、65歳以上の人が60%以上で、70歳を越えている人が30%以上です。65歳以上の人というのは、現役を退いて年金生活をしています。このデータでは、年収300万円を切る人が約60%、年収が100万円を切る人も20%くらいいました。だから、年齢も高齢化しているし、経済的にも充分な状態ではないといえます。
 そして、家族に障がい者がいない家族と、子どもに精神障がいがある親の健康状態を調べると、明らかに精神障がいのある子どもを支えている父母のほうが、健康状態が悪いです。高血圧や心臓病があったり、家族自身の精神状態も抑うつ的になったりしています。つまり、家族は精神的にも身体的にも疲れ果てている状態であるということがよくわかると思います。
 この制度は、明治時代の監護義務者という制度から100年以上続いている制度です。子どもが病気になったら、親が一生かけて何とかしなさいという、非常に冷たいけれども、日本の社会に根強く残っている考え方です。そのために高齢の家族が、保護者にならなければいけないといえます。

□一度やったら辞められない

 保護者制度には、保護者になるときの規定がありますが、それ以上に問題なのが、辞める規定がどこにも書いていないことです。つまり、保護者を一生やれという制度になっています。その大変さというのは、歳を取れば取るほど大きなものになるわけですけれども、最後まで保護者でいるシステムになっています。
 このような場合の本人と家族の関係を考えると、共倒れが起きます。病気の状態がとても悪くて、支えてもらわないといけない人を、70〜80歳の人が支えなければならないのが、保護者制度の基本になっています。支えてもらわなければならない人が、支える力のない人に支えてもらっているわけだから、共倒れするしかないということになります。しかも、共倒れになることを、法律が予定しているわけです。辞めていいという規定はないし、社会は支えてくれない姿勢ですから、家の中で潰れなさいという話になってしまいます。ここに、保護者制度の悲惨さがあります。それでも、多くの家族の方は、考えられないほどの力を出して努力して支えています。

□あたりまえの家族として接することが難しい

 保護者制度の改正が平成11年にあって、自傷他害防止監督義務が削除されました。ただ、治療を受けさせる義務を怠っている場合は、責任を負わなければならないと解釈される場合があります。仙台で起こった事件ですけど、精神障がいのある本人が、何かの理由で会社を辞めさせられた経緯があって、社長を殺してしまったという事件がありました。そして、被害者の遺族から、本人の父が訴えられて、1億円の損害賠償の請求を受けました。裁判所も結果的にそれを認めたという事件です。
 このとき、裁判所は保健所に電話1本しなかったという認定の仕方をしています。ですが、実はお父さんは大変な思いをして、息子さんに恨まれながらも病院に運んだ、といういきさつがありました。本人の言動がおかしくなると、その都度、警察や保健所に電話して、2回ほど医療保護入院をさせることができました。ところがその病院は、早めに本人を退院させてしまうのです。今回の事件が起こってしまったのは3回目で、さすがにお父さんも参っていたわけですね。やっとの思いで入院させたかと思うと、家族から見ると病状が変わっていないのに、病院は退院させてしまう。そして、具合が悪くなって保健所に電話をしても、冷たくあしらわれてしまったという経験が何回かありました。しかも、それを乗り越えてやっと入院に結びつけてもまたすぐだめになってしまうということがあったので、3回目はあきらめてしまったのですね。そのときに事故が起こってしまったのです。裁判所の認定では、もう一度相談したら、保健所が動いてくれたかもしれないのに、何もしなかったから監督不行き届きになったという判断でした。
 自傷他害防止監督義務は削除されましたけれども抜本的に保護者制度そのものが消えない限りは、本当の意味で家族がごくあたりまえの家族として、本人と接することが難しくなってしまうといえます。

□保護者を休めるように改正

 もう一つの法律の改正点とは、自発的な受診ができているときには、保護者を休んでいいと改正されたことです。本人が自分で通院したり、自分の意思で入院できるときは、保護者の仕事を休んでいいという規定です。もし、病状が悪くなって医療保護入院や措置入院が必要になるようなときには、また仕事を再開しなければならないということになっています。

(次号に続く)
by open-to-love | 2010-05-02 11:21 | 保護者制度 | Trackback(2) | Comments(0)
家族依存から社会的支援へ

今も昔も変わらない家族の状況

■家族に依存している日常の支援

 わが国の精神障がい者の日常的支援は、ほとんど丸抱えの状態で家族に依存しています。地域にはグループホームやケアホームも徐々にできてきました。しかしそれも十分でなく、今なお家庭か病院かの二者択一の社会的意識は根強くあります。
 それでは任せている家族に、何らかの支援や援助があるのでしょうか。まず無いといって言いでしょう。病気を告げられたときから、家族は孤軍奮闘の荒波に放り出されています。ほとんど病気のこともこれから先どうなるかも分からず、自力で知識を得るしかない状況です。チャンスがあれば集団で学習する家族教室や熱心な専門職に出会えるかもしれませんが、それはごく一部で、個別に家族を支援する施策・システムは皆無です。日常のできごとも何とか家族で工夫して乗り切っていますが、高齢になるに従って困難になってきます。にもかかわらず、家族の対応のあり方や力に期待する傾向はあいかわらずです。

■家族が責任を持つのが当り前?

 精神障がい者の医療と福祉に関する法律「精神保健福祉法」ではその20条に「保護者」というものを定めています。保護者は概ね3親等内の親族がなります。保護者には精神障がい者の治療に協力し財産を守るなどの義務が課されています。精神障がい者には自分でそれをする能力が無いとする差別の法律ともいえます。
 この「保護者制度」に見るように、日本には未だに家族主義の観念が残っており、障害を持った人は家族が面倒を見るべきで、家族が責任を持つべきだという意識が強くあります。社会が責任を持って見るべきという発想は極めて希薄です。現実には核家族が大半を占めるようになり、家族相互の支援力は大きく後退しました。実際家族会の状況を見ても、両親と暮らしている人が70%を超え、兄弟など親族を加えると実に90%が家族と暮らしていますが、親は高齢となり、兄弟は自分の生活で手一杯というのが現実で、家族の支援力は明かに著しく低下しています。

■親の高齢化と今後

 家族会で話題になるのは、親が元気なうちは何とかするが、なくなったらどうなるかということです。親が介護を必要な状態になることもあるでしょう。
 この話題はいつも出ては消え、消えてはまた出るといった具合です。策も見つからずもう考えたく亡いという人もいます。しかし現実には、親が入院したり亡くなったりして、自宅で独りになる人たちが出てきています。この危機状態を周囲のサポートでうまく乗り切る人もいますが、乗り切れずに入院になる人も少なくありません。7万人の社会的入院者のことが問題になっていますが、これからは親を失った新たな社会的入院者が増えるであろうと危惧されます。今までのように親や親族に頼り、その受け入れ状況によって退院の時期が左右されたり、自立が遠のくという状況では、社会的入院も、家族も当事者も苦しむ状況も解決することはできません。

■これからは地域の支援力

 自分がどこで、どのように生活したいか、その選択はできるだけ自分で判断し、選択肢も用意されていてほしいものです。また家族のもとを望んでも、病気や経済的理由などで困難な場合もあります。それでも家族にというのは当事者の行為の責任を誰が持つのかという問題だと思います。成人に達していても、障害のある人は親や親族が責任を持つべきという考えは間違いであり、差別です。
 地域は今、少しずつ力をつけてきています。日本のあちこちで地域の支援力を強める試みがなされています。家族に支援と責任を依存せず、地域の支援力によって当事者の生活を支え、社会が責任を持って見守る体制が早くできてほしいと思います。それでこそ本当の意味の「自立した地域生活」の実現だと思います。

全福連「みんなねっと」通巻25号(2009年5月)特集「家族依存から社会的支援へ その1」
by open-to-love | 2009-06-14 20:55 | 保護者制度 | Trackback | Comments(0)
精神保健福祉法の歴史的変遷と保護者制度

(池原毅和 全家連顧問弁護士・東京アドヴォカシー法律事務所)

■精神保健福祉法の歴史

 精神障害者とその家族にかかわる法律が初めてできたのは、1900(明治33)年であった。この法律は、法律が定める手続によらなければ精神障害者を隔離できないことを定めたという点では近代への幕開けを告げるものであった。しかし、この法律は同時に四親等内の親族等に監護義務を負わせ、行政庁の許可によって精神障害者を私宅監置とすることを定めるだけのもので、精神障害を疾患とみる認識やそれを治療し改善してゆくという視点はほとんどなかった。したがって、精神病者監護法の時代は「治療なき隔離の時代」ということができる。
 1950(昭和25)年に精神病者監護法を廃止して精神衛生法が制定される。当時の精神衛生法には、通院医療や任意入院の規定はなく、同意入院(現在の医療保護入院の前身)と措置入院の規定が中心であった。在宅医療を予想している規定は、措置入院解除後の引き取り義務(同法41条)と訪問指導(同法42条)だけで、これらも通院医療を本格化することを予定したものではなかった。ともあれ、精神衛生法は、精神障害が医療の対象となる疾患であり、その治療のために医療機関への入院を前提とする考え方までには到達したといえる。いわば治療なき隔離の時代から「治療つきの隔離の時代」への転換が図られたと言ってよいであろう。
 1965(昭和40)年には、ライシャワー事件をきっかけに精神衛生法が改正されることになる。1960年代初頭、米国ではケネディ大統領が脱施設化と地域医療福祉の充実を訴え、施設収容中心主義から脱施設主義への障害者福祉政策の転換が図られ始めていた。その思想に触発され、精神衛生法も精神衛生センターを各都道府県ごとに設置すべきことを定め、保健所に精神衛生相談員を配置し、さらに通院医療費公費負担制度を新設するなどして、在宅の精神障害者の医療の重要性に目が向けられるようになった。
 しかし、現実には1965(昭和40)年以降、入院患者数はうなぎ登りに増加していった。1966(昭和41)年には入院患者数は19万7000人であったが、1975(昭和50)年には28万1000人、1986(昭和61)年には34万人に達した。精神衛生法時代は地域医療の重要性の認識が芽生えたとは言いながら、現実は施設収容中心主義の全盛期となったと言うべきであろう。
 1987(昭和62)年、宇都宮病院事件をきっかけに精神衛生法は精神保健法に大改正される。この改正では精神医療審査会の新設を中心にした入院患者の人権確保の制度を構築することが喫緊の課題となったが、同時に精神障害者社会復帰施設に関する規定を置いた。これは法が、はじめて精神障害を単に疾患としてのみ捉えるべきでなく、障害としても認識すべきことを示したものであり、この後、精神障害者に対する福祉的措置の領域が広がり、精神保健法は単なる医療の法ではなく、福祉に関する法としての側面も持つことになる。
 1993(平成5)年の法改正では、精神障害者地域生活援助事業(グループホーム)が新たに法定された。この改正は精神障害者福祉観の大きな転換を示すものであった。1987(昭和62)年段階の精神障害者社会復帰施設の思想は、やや図式化して言えば、旧来のリハビリテーションモデルを前提にし、精神障害者に対して社会に適合できるように訓練を施し、その社会復帰を図るというものであった。これに対して精神障害者生活援助事業は、社会の側にサポートシステムをつくり、旧来型のリハビリテーションからすれば、いわばリハビリが不完全な状態であっても、その不十分なところは本人が補うのではなく、社会の側のサポートシステムが補うことによっって精神障害者の地域生活を可能にしようとするものと理解することができる。これは「変わるべきは障害者ではなく社会である」とするノーマライゼーションの理念により忠実に従おうとするものであり、精神障害者福祉政策に大きな転換を宣言するものであった。
 折から、この年の12月には障害者基本法が成立し、精神障害者も身体障害、知的障害とともに障害者としての位置づけを与えられることになった。
 1995(平成7)年には、法の名称も精神保健法から精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(略称:精神保健福祉法)と改称され、手帳制度を定めるなど福祉法としての側面を前進させ、1999(平成11)年には、後述するように保護者制度、医療保護入院などに実質的な改正の手が加えられ始めた。

■保護者制度の変遷

①本人と家族の関係と保護者制度

 保護者制度については、従来から家族に過大な負担を帰するものであり、本人の自律、自己決定という点からも問題があるという指摘がなされていた。
 1999(平成11)年の法改正では、こうした批判の一部を容れて、保護義務を果たすべき時期を限定し、本人が通院や任意入院をしている場合には、保護義務を行わなくてよいこととした。これは、本人に判断能力が保たれていて自主的な治療が成立している場合にまで、保護者が治療を受けさせる義務を担うのは、本人の自己決定に対して保護者が必要以上に介入することになることに立法者が気づいたことを意味している。この改正で、本人が自己決定すべき場合と、第三者が本人に代って適切な決定をすべき場合が、ある程度明確にされてきたと言うことができる。
 しかし、改正法の規定は、あまり明瞭ではない。治療が中断している場合であっても、常に本人の判断能力が損なわれているという訳ではないので、自主的な治療が継続している間は保護義務は休止するが、治療が中断すれば保護義務が復活するという規定の仕方は、本人の自己決定能力の切り分けとしては適切ではないと考えられる。本人の自己決定権を尊重しつつ、あわせて、本人自身が適時に適切な医療を受けることを判断することができない場合には、第三者が本人に代って判断するという仕組みにするのであれば、治療の継続性を基準にするのではなく、本人の能力を基準にすべきものと考えられる。
 家族の負担という点では、全家連の調査でも、保護者を担っている人のうち60歳以上の人は63.8%、70歳以上の人が約30%、年収300万円未満の人が半数を超え、年金生活をおくっている人が4割以上、自分自身も健康状態がすぐれないという人が多く存在していることが報告されている。
 こうした保護者を担っている人の実情からすると、保護者を担う高齢の親には、実際には法律が要請する保護義務を果たすことは期待できない。現状のまま保護義務の担い手を高齢化した親に求めるとすれば、保護者による支援を必要とする本人は、十分な支援を受けることができず、保護義務を負わされた親はその負担に耐え切れず、共倒れしてしまうことになる。また、家族は生活歴や狭い生活環境の中で、本人と心理的にも経済的にも利害が衝突したり葛藤関係を生じる場合がある。家族が保護者となった場合に、純粋に本人だけの利益を考えて本人の権利を擁護することができるかどうかには疑問がある。
 さらに問題なのは、2003(平成15)年7月に成立した心神喪失者等医療観察法における保護者の役割である(表1)。この法律では、保護者の任務が10種類増えているのだが、それらは、いずれもこの法律の対象になる精神障害者が審判手続への対処の仕方などについて適切に対処できないであろうという配慮から保護者に権利擁護者的な役割を与えたものである。
 しかし、すでに述べたような保護者を担う者の実態からすると、心神喪失者等医療観察法が期待する権利擁護者としての役割を現実の保護者が果せるのかについては相当に疑問がある。第一に、保護者は高齢化し、経済的にも健康面でも十分な権利擁護活動ができない場合が少なくない。また、本人と葛藤関係がある場合があり、この法律が対象にするような犯罪行為の被害者はむしろ家族である場合が多く、保護者は同時に被害者の遺族である場合も想定される。さらに、この法律が権利擁護者に期待する役割は、抗告すること(高等裁判所に不服申し立てをすること)や裁判所からの書面を受領することなど一定程度の法律的知識を有しなければ適切に対処できないような行為が多く含まれている。
 加えて保護者のない単身の精神障害者はますます増加する傾向にある。権利擁護者は、本来、本人の「最善の利益」を図ることを基準として活動するか、本人の自己決定を勘案して「代行判断」(本人が十分な能力を保有していたら選択したであろう選択肢を選択する)基準に基づいて活動すべきものであるが、一方で、保護者は精神保健福祉法では、「治療を受けさせる義務」を負担している。精神保健福祉法のこの義務は、治療を受けないという選択肢を想定していないので、保護者はこの義務に忠実であろうとすれば、代行判断基準に基づいて活動することには相当の障害があるであろうし、最善の利益基準に立っても、医師の指示に従って、治療を受けさせるという硬直化した法的義務は、個別の状況における最善の利益の判断と相容れない場合も生じうる。患者の権利擁護者の基本的な役割は、患者の意思を無視した専断的な医療に抗して患者の自己決定権を守ることにあるので、精神保健福祉法の保護義務と権利擁護者としての役割は、相容れないものがあると言わなければならない。

②保護者を担う家族の負担と社会的支援のあり方をどのように考えるべきかという点

 以上のように保護者制度は精神障害者本人の権利擁護のために有効な制度とは言えないし、長年にわたる闘病生活に疲弊した家族を共倒れさせる危険性をはらんだ制度であることから、全家連としては廃止を求めてきた。
 しかし、単純に保護者制度がなくなるだけで、家族の負担が軽減されることにはならない。家族としては、本人も家族も年齢相応の自立した個人としての関係を持てることを望んでいるはずである。40歳を過ぎた精神障害のある息子に70歳を過ぎた親が、未成年の子どもを扶養するかのように接し続けなければならないというのは健全な家族関係とは言えないであろう。本人と家族がこうした関係から抜け出してゆくためには、本人が独立した個人として衣食住をまかなうに足りる社会的な支援を受けることが必要である。そのために本人の自立度に合わせたさまざまな段階の住居形態、生活支援形態、就労形態、所得保障形態、社会参加の場の確保などが質量ともに増加していかなければならない。
 精神保健福祉法は、純粋な福祉法ではないが、すでに述べたように1987(昭和62)年法改正以降、福祉政策を法制化し、1999(平成11)年法改正では居宅介護等事業(ホームヘルプサービス)、短期入所事業(ショートステイ)も加えられた。法制度のメニューとしては相当程度のものが出揃い、今後は、これらを必要とする成因障害者の数に見合った量の増加と、利用の勧誘、促進を図ることが重要な課題となる。

■精神保健福祉法の改正と保護者制度の将来

 脱施設化から地域医療福祉の充実へという政策転換の必要性は、わが国でも40年以上前から認識され、法制化されてもきたところであるが、現実の入院者数は未だに33万人を超え、その内の45%以上の人が5年以上の入院者である。この大きな数字はここ20年間大局的には変化していない。また、社会的入院者が7万人から15万人程度存在するという事実も、度重なる法改正にもかかわらず、ほとんど変化していない。次の法改正では、精神医療福祉におけるこうした精神衛生法時代から変化しない慢性的な入院依存、施設中心主義体質から、真に地域医療福祉への転換を図る革新が行えるかどうかが要となるであろう。
 その場合、保護者制度は廃止し、それにかえて真に権利擁護者としての役割を認められた、新たな権利保護制度が創設されるべきである。また、精神障害のある人たちの地域での自立した意義ある生活を支えるための充実した支援システムが、7万2000人を超える社会的入院者の受け入れは当然として、さらに拡充されてゆくことが強く求められることになるであろう。

《保護者の役割の変遷》=保護者の機能

◇精神病者監護法(1900年)=ポリスパワー的(監護義務、監置権限)

◇精神衛生法(1950年)=ポリスパワー的(自傷他害防止監督義務、措置解除者引き取り義務)。パターナリズム的(治療を受けさせる義務、診断協力義務、医師の指示に従う義務)。権利擁護・抑制的(同意入院の同意権)

◇精神保健福祉法(1999年)=ポリスパワー的(措置解除者引き取り義務)。パターナリズム的(治療を受けさせる義務、診断協力義務、医師の指示に従う義務)。権利擁護・抑制的(医療保護入院の同意権、移送の同意権)。新しい役割=アドヴォカシー的(精神医療審査会に対する退院請求等申立権)

◇心神喪失者等医療観察法(2003年)=新しい役割=アドヴォカシー的(審判における意見陳述権、付添人選任権、審判期日日出席権、退院許可等の申立権、処遇終了の申立権、抗告権、再抗告権、裁判官の処分に対する不服申立権、裁判所の処分に対する異議申立権、処遇改善請求申立権)

《精神医療・保健・福祉に関する法律の動き》
1900(明治33)年「精神病者監護法」
◇治安を第一目的
 ○私宅監置
 ○監護義務者

1919(大正8)年「精神病院法」
◇保護治療の方向性
 ○公立病院の設置
 ○代用病院

1950(昭和25)年「精神衛生法」
◇社会防衛・医療及び保護の対象
 ○私宅監置の禁止
 ○入院制度(措置・同意)
 ○精神鑑定医制度
 ○保護義務者制度

1954(昭和29)年「精神衛生法一部改正」
◇精神病院設立ブーム
 ○精神病院設置運営への国庫補助拡充

1965(昭和40)年「精神衛生法」改正
◇治安対策の強化・地域医療の前進
 ○通院医療費公費負担制度(32条)
 ○保健所の訪問・相談
 ○精神衛生センター

1987(昭和62)年「精神衛生法」
◇入院医療から地域ケアへ
 ○任意入院制度
 ○精神医療審査会
◇人権の擁護・社会復帰促進
 ○社会復帰施設(援護寮・福祉ホーム・授産施設)

1993(平成5)年「精神衛生法」改正
◇施設から地域へ
 ○地域生活援助事業(グループホーム)
 ○一部欠格条項の見直し

1995(平成7)年「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(略称:精神保健福祉法)
◇自立と社会参加
 ○精神障害者保健福祉手帳
 ○社会復帰施設(福祉工場を加え4類型に)
 ○社会適応訓練事業(通リハ)

1999(平成11)年「精神保健福祉法」改正
◇身近な窓口(市町村)でのサービス提供
 ○保護者の義務の一部軽減
 ○医療保護入院等のための移送
 ○居宅介護等支援事業(ホームヘルプ)
 ○短期入所事業(ショートステイ)
 ○地域生活支援センター
 ○市町村の役割
(全家連発行「家族会リーダーハンドブック2001」より一部改変)

季刊「Review」13-1(49),2004 特集「精神保健福祉法改正への提言」
by open-to-love | 2008-12-11 21:56 | 保護者制度 | Trackback | Comments(0)

保護義務問題

滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』(中央法規、1993年)

第2章 こころの病の対応

8 保護義務問題

 患者と家族の関係は加害者と被害者の関係ではありません。まして本来は互いに反発し合うものでもありません。昭和62年の精神衛生法改正から精神保健法成立までの間、明かに検討を要する問題と言われながら一切手を触れられなかったテーマがあります。それは家族らの保護義務制度問題でした。
 この保護義務制度については、家族法、民法そして刑法などの側面から法的にはいろいろ論議のあるところです。それにしても現実は家族が期待されている身内の精神障害者に対する物心両面における保護を有効に果しえていないことは周知の事実であり、その建前と現実の矛盾がむしろ日本の精神医療の長期在院化などの構造的問題点をなしているという皮肉な現象を呈しているのです。入院前・退院後の、日常生活における症状出現にしても、あるいは家族関係から生じる症状の出現や力動的な対人関係においても、親子、兄弟姉妹という間柄ゆえにほとんど適切にコントロールしたり「保護」する機能を果すことができないことは明らかなのです。その上、ほとんどの家族、とりわけ両親は高齢化し身体的にも経済的にも、そして精神的エネルギー面でも明かに下り勾配状態にあり、これらの面でも十分には「保護」機能を果たし得ません。このことは、すでに家族会の実態調査で実証しました。たとえば精神症状の出現に伴い、ごく初期には双方に不安定状況が出てきますが、それでも少し社会的バランス感覚をもつ家族側は「とにかく尋常ではない」「これではうまくないのではないか」という認識を容易にもつに至ります。しかし往々にして、本人や家族の精神病(症状、障害)についてのイメージは現代精神医学における症状診断のそれと著しく異なったものとなります。精神病(障害)とは「すべてが支離滅裂」「形相ただならず放言異態」「全く周囲に危険な言動」等々最悪の状態の集合であるかのような想像が独り歩きします。しかも病状出現が間歇的であることも加わり、不可視的で客観視できないため多くの家族は問題解決を欲しながらしばしば袋小路に陥り、かえって混乱した状態を呈します。困ったあげくにやむなく精神科受診(多くが入院)させようと決意します。ここに至っても日ごろの精神病院イメージ(暗く、鍵や鉄格子があって一度入ったら出られないという不安、事故、事件のときのニュース報道)が影響して、もちろん本人にはまったく受診の意思はありません。
 そして現行法上の、というより正確にはずっと引き続いてきた家族らの同意による医療保護入院に至るわけです。こうして家族は嫌がる本人の首に鈴をつける役割を果たさざるを得ず(同意手続き)、精神病院構造も含めて何も知らないままといった状態で、ひたすら問題解決を願う一心から専門関係者に唯々諾々と従います。こうしてかえって本人と家族との関係は感情的対立(入院させるとき家族は加害者で、その反動で家族に反発すると、今度は本人が加害者のごとく)を際立たせる役割を負うのです。家族がいわゆる保護義務者としてです。
 先述したように、親権を行うような20歳未満の場合のみならず、患者本人が20歳から50歳代に至るまでも、親子兄弟姉妹の関係は狭い島国の我が国で終始問われ続けてしまうのです。先に近代国家として発展を遂げた西欧先進諸国には一定の成人年齢に至れば保護義務は言うに及ばず、扶養義務も課せられてはいません。いわんや、両親が65歳すぎ、老人福祉の対象になってまで、それをも返上して扶養保護義務を担おうとする姿は哀れですらあります。可能なことを相互に支え合うのは家族の自然な心理ですが、不可能な現象、例えば家族内感情といった的確に客観化されにくい精神症状を呈する患者本人と家族との関係は、当事者たちだけでは実質的に調整が著しく困難、もしくは不可能な現象であって、すでに支え合いの限界を超えています。この場合、むしろ部外者が冷静、客観的な整理のため介入、支援するのが近代精神医学であり、心理学であり、かつその他社会政策といった類いのものではないでしょうか。同胞を思いやる自然の発露を的確に効果的ならしめるためのかかわりや治療、支援システムを常時確立していくことこそが近代医療であり、あるいはまた福祉の論理や技術と言えるのです。

※今から15年前の本での指摘です。著者の先見の明に敬意を表します。かつ、家族の立場から一方的にもの申すのではなく、その思いを一般化し、論理化する姿勢に、私たちは学ばなければなりません。そして、私たちは、この指摘は今なお有効であることに、すなわち、著者の指摘がこの世の中にそれほど活かされていないという現実に、心して向き合わなければならない、とも思います。(黒)
by open-to-love | 2008-06-26 23:12 | 保護者制度 | Trackback | Comments(0)
滝沢武久『精神障害者の事件と犯罪』(中央法規、2003年)

第4章 知られざる事実の数々−市民が抱く誤解の数々を解きほぐす

■池田小事件で傷ついた人たち

■治安対策だった「強制入院」システム

■精神障害者による殺人事件の被害者は誰か

■精神障害者の家族に過重すぎる法制度

 第2の問題は、「個人主義」をベースにした近代民主主義を標榜する欧米先進国とは違い、日本ではあらゆる生活の局面で「家族」や「家庭」が重要視される社会であるという点である。例えば、民法にある「三親等以内の家族に対する扶養」という概念は、生活保護法でも同様に、絶対的もしくは相対的扶養義務という形で「世帯単位」「他方優先」となる。そして、精神衛生法でも「扶養義務」に準じた「保護義務」が規定された(現精神保健福祉法にも規定されている)。家族は同意して精神障害者の「医療」「保護」をし「自傷他害を防止」しなければならない、と法律でうたってきたのだ。「家庭内トラブル」はマスコミの〝善意〟(と称される)で報道されることは少なく、公にならないことも多い。精神障害者と法的・心情的に対峙してしまうことによる最大の被害者・加害者は本人・家族であるという事実も、なぜ家族が事故や犯罪の被害の対象になるのかも、善し悪しは別として、あまり伝えられてこなかったのである。
 こうした社会や制度・システムのあり方は、精神障害者がもつさまざまな課題を家族が丸ごと抱え込まざるをえない環境をつくり出している。そしてコップの中の嵐のように生じた葛藤が増幅した結果、多くの不幸な事故を家庭内で生むという悪循環に結びついているのではないかと考える。
 何とか世間に知られずに「身内」で解決しようと躍起になる家族は、長期間にわたって生活費や医療費を負担しなければならない苦労の反動として、知らず知らずのうちに患者に心情的圧力を与え、抑圧的な対応をとり、過干渉になる。それが患者との関係を険悪にさせる。専門家の医師からの示唆で、時に治療の名のもとに、本人を鉄格子の中に押し込める役割を果たそうとする。
 入院の働きかけが、「鍵や鉄格子」のある病院へは行きたくないと思う患者の気持ちと相反し、服薬を勧める言動が、薬の副作用のつらさに悩む本人の気持ちを推察できない家族に対する不信感を生む。そしてそれらが新たな摩擦の火種となる。極端に発展した場合は、抑圧者を取り除こうとする「肉親殺害」が本人の心の中で芽ばえ、あるいはその衝動が誘発される。赤軍派事件で有名な運輸事務次官の山村新次郎代議士が実娘に殺された悲劇など、これに当たると思う。日本の著名人の家族にはこのような対応が多く、かえって事態がこじれているとよく聞いたものである。実際、小さな家庭内摩擦が非常に多い。
 心悩む患者にとって、最も大切な心安らぐ場、心をいやす場、と同時に少しは感情表出できる場が、日本には家庭にも専門の精神病院にもないのだ。熱心な家庭なるがゆえ、本人の望まぬ「鍵や鉄格子を装着した病院」の構造なるがゆえ、心安らぐ場であるべきところが、どこにも見当たらない。なかなか有効な手段が見つけ出せず、世間の冷たい目に堪える家族の側も大変な心理的な負担である。
 かつて力動的精神医学の一部から、「分裂病家族論」という考え方が提起されたことがある。私が三浦半島の保健所に勤務していた1965年ごろに知った話である。その論を簡単にいえば「統合失調症は家族の育て方に起因する」である。発病の原因も含めて家族関係に「責任」があるという説だ。こうなると、家族には逃げ場がなくなる。
 しかし私の個人的経験でも、本人とどのように接触すればよいのか、医療者からアドバイスを受けた記憶はほとんどない。職業者になってから参加した研究会や学会の論議では、病院や施設の職員から「過保護な家族とか冷たい家族」という声をよく聞く。では、具体的にどうすればよいのか、内容のある指導や助言、あるいは参考書は何もなく、もしあったとしてもその根拠は希薄なものだった。にもかかわらず、専門家のそうした言は、家族に精神的な緊張や負荷を更にかける。患者への対応にも悪い影響を与えやすい。教育論と同様に、遡及しえない過去に原因を探られるほどつらいことはないのに、そこを突こうとする精神医療の専門家の言葉に家族は萎縮してしまう。ケースワーカーとして患者や家族と接するなかで、私はこの科学的な根拠の少ない「学説」こそが、しばしば「患者と家族との関係を悪化させる」と感じた。
 私が遭遇した例では、よくこんなことがあった。法律の問題でもあるのだが、昔は家族や後見人の同意入院という形をとっていたので、患者が嫌がった場合、精神病院への強制入院の手続きや支払いは、実質上ほとんど家族や後見人が行わなければならない。家族(多くは中高年齢の両親)にとっても心底望んだ結果ではあるまい。ところが入院後、医者や看護師たちは、患者に「ここに入院させたのはあなたの家族の要請ですよ」などと、責任を回避するかのような台詞を平気で口にするのだ。これでは「心の病」の治療の微妙さを理解していない、といわれても仕方ない。
 「家族とも十分話し合いましたが、私が医師としてあなたの様子から判断し、あなたの病状を治療するべくあなたをここに入院させることにしました」というくらいの医師の主体的な姿勢や、患者や家族に対するインフォームド・コンセントが本来あるべきだ。しかし残念ながら、こうした医師はまれなケースであった。こういった精神医療が日常的な姿勢となった根本には、先ほど述べた一番目の問題、すなわち治療手段として安易に強制入院を認めているという現実が横たわっている。「精神障害者は病感・病識がないから、強制治療・強制入院をさせても構わない」という本来は入院の「例外的」であるべき手段が日本ではいつのまにか「一般化」して広がったのである。
 私がつきあったあるいは指導を請うたベテランの医師のなかに、「精神医療には強制入院が必要」と安易に話す人がいることには驚いた。なぜならば「強制治療はあくまでも例外」であるべきだと思うからである。本来「きちんと時間をかけて」本人の心を受けとめなければならないのに、面接時間の余裕がなくなりすぎた精神科の治療システムのなかで、しだいに結論のみを先行させる習慣が定着した医師は少なくない。司法とともに精神医療は事件・事故や犯罪防止という社会治安機能の役割に埋没してしまったのである。
by open-to-love | 2008-06-12 23:31 | 保護者制度 | Trackback | Comments(0)

社会の偏見にかこまれて

第3章 外来通院中の事件

社会の偏見にかこまれて

 十数年前(1982年当時からみて)、西日本のある地方裁判所で、通り魔殺人の犯人の父親に対し、ひとつの判決が出た。患者の監督不十分により、被害者の妻に890万円払え、というものだった。
 それから9年たって、同じく西日本のS市であった別の通り魔殺人事件に次のような判決が下された。精神病者に夫を殺された妻が、精神衛生行政の責任者であるS市市長に損害賠償請求をしていたが、当該地方裁判所は、「精神衛生法にいう相談員の訪問指導はサービス行政であり、どんな障害者に対しても必ずしなければならない、という義務を負うものではない」として、請求を棄却したのである。地域精神衛生はサービス、つまりやってもやらなくてもいい、ということであった。
 これらの判決文は、二つの判決で一体となって、精神科医療の不備については一切ふれず、病者の保護責任をすべて親族に負わせようとする、社会の精神病観を巧みに要約している。
 親の監督責任と行政の責任という二つの異なる観点から訴訟が起こされているが、二例ともに、病者は精神病院への入退院を繰り返し、当時は外来通院中であって、家族も患者の治療にはかなりの努力をはらっていた。にもかかわらず、ともに精神病者の保護責任はすべて親にあるから、親がつぐなうべきだとされてしまった。ここで私は、裁判官に代表される市民の精神病観、あるいは精神科医療観を、現実に病者が受けていた医療との関係で明かにしてみたい。

 □事例5 海辺の通行人殺害

 まず西日本の通行人殺害事件について。真夏の朝八時ごろ、24歳の強健な男Eが、彼の家からやや離れた海岸で丸裸になって釣りをしていた。近くにやってきた女性に突然殴りかかった。これを止めようとした通行人A(49歳)の頭部・顔面などを、小石を手にしてめった打ちにし、頭蓋骨骨折、脳挫創などの傷害を負わせて殺してしまった。そのため、被害者の妻が原告となり、加害者の父親を相手どって損害賠償を求める訴訟を起こしたのである。890万円の損害賠償判決は、2年後に出ている。
 Eは少年期はおとなしい性格で、スポーツ好きであった。高校野球で有名な学校に入り、野球部に入ったりした。卒業後、大都市に出ることを希望し、大手の水産会社に入社した。神奈川県の会社の寮から東京丸の内に勤めるようになった。入社後二カ月を経ずして、飲酒・浪費などで生活が乱れるようになる。女遊びを覚えたようで、給与では追いつかず、父に送金をねだるようになった。6カ月ほどたった年の暮れ、「食事に毒が入っている」
といいだし、父親に連れられて郷里に帰った。大都市での生活に表面的に適応しようとして失敗し、被害妄想の世界に落ち込んでいったと思われる。
 すぐ、父の知人の紹介で、家からバスに乗り換えて1時間かかるT病院に入院した(1964年11月から65年8月まで10カ月間)。その後も、薬品による自殺や縊首自殺をはかり、再び66年3月から8カ月間、同病院に再入院となる。やがて、父の勤める会社の関連会社に就職したが、6カ月ほどして同僚に暴行を加えた。男性の前歯を折り、女性を叩いている。翌日、遠くの都市に家出し、父に連れられて帰ってからも興奮し、両親を殴る。そこでさらに16カ月間、入院している。入院中も看護人や医師に殴りかかって暴れることがあったという。息子が入院しているあいだは、父母が交互に週1回、面会に行っていた。その後、社会的寛解(精神分裂病の症状は若干残っているが、病勢の進行が停止し、一応社会生活ができる状態)ということで退院し、月2回、外来通院をしていた。医師の指示では、「就職も充分可能であり、その準備をするように」とのことであった。
 事件は、退院した翌年の夏に起こっている。事件の前日の朝、父はEから「夜眠れない」と訴えられたが、暑い季節でもあり、さして気にもとめなかった。しばらくして、Eは近くの都市へ遊びに出かけたいといいだした。それで気も晴れるだろうと、父は小遣い銭を渡して送り出した。その夜は息子は帰ってこなかった。気になった父は、息子の友人宅に電話で問い合わせたが、行方が分からない。翌日の朝も、あちこち友人宅に問い合わせたが誰も見ていないという返事だった。以前のこともあって自殺を心配した父は、朝7時、警察に本人の捜索願いを届け出ている。

 ところが、判決文はこれらの父の配慮に対し、「Eはいつまた再発するかも知れない危険を包蔵し、一旦発病した場合には、あるいは狂暴な行為に出るおそれがあるということは、病気の性質、従来の発病の経過に照らし容易に予測することができ、しかも本件凶行の日の前日の朝には発病の前兆である不眠を訴え、かつ、僅か金3000円しか持たないで出かけたまま帰宅しなかったのであるから、被告(Eの父)としては、単にEの友人宅に聞き合わせたり、Eの自殺をおそれてその旨警察に連絡をとるに止まらず、当然発病のおそれがあること、及びその際狂暴になるおそれがあることにも思慮をめぐらせ、これを前提とする警察への依頼、自ら捜索に当ることなど、さらに積極的に出て、無惨な結果の発生を未然に防止することにつとめるべきであった」と論難し、そこから直ちに、父が監督義務を怠ったと結論を下している。
 しかし、精神科医でもない父親に〝一旦発病した場合には、凶暴な行為に出るおそれがあると容易に予測することができる〟と決めつけるのは、かなり無理がある。父親は、医師の指示にもとづいて入院をさせ、よくなったというので、医師のいうとおりに退院後は外来通院を続けるように配慮してきたのだった。これ以上のことが家族に要求されるとしたら、「Eを座敷牢に閉じ込めておくか、常時尾行して監視する以外に、やりようがない」と、被告側は当然反論している。判決文ではそれを認めていない。
 事件後、T病院の担当医は、Eの病気は「精神分裂病の緊張型ないし幻覚妄想型に属し、幻覚・妄想を生じてはとかく物事を自己に妨害的に考え、また病気の起こり方が早く、主に不眠などその前兆がみえ始めてから、普通3日もしくはそれより短い期間で極度の精神的興奮状態に達し、凶暴的になる性質のものである」と答えている。しかし「3日を経ずして凶暴になる」と判断しながら、いったいなぜ退院させたのだろうか。たとえEは寛解(一応病勢がおさまった段階)して退院が適当であると思ったとしても、医師が指示したような2週間に1回の通院では、「3日を経ずしてあらわれる」ような症状再燃を予防できるとは考えられない。症状再燃がそれほど短時間のうちに現れると、前もって判断していたのであれば、少なくとも週1ないし2回の外来通院が要求される。実際は、Eが最後の通院から事件まで24日間もたっていた。しかし判決では、Eの通院が遅れていたことについては、全くふれられていない。おそらく、T病院の医師は、事件が起ったがゆえに「3日を経ずして凶暴になる性質のもの」と証言したのであろう。
 事件後、Eは心神喪失で不起訴となり、県立病院に措置入院となっている。(心神喪失とは、「精神の障害により、事物の理非善悪を弁識する能力がないか、またはこの弁識に従って行為する能力のない」場合をさす。措置入院とは、精神衛生法による強制入院のこと。)
 父は「病院を信じ、医学と家族の愛で治そうとしてきた…」と、判決にわりきれない思いをいだいた。だが律儀な父は、被害者の遺族に息子に代わって何らかの償いをしたいと思い、控訴をすすめられても断った。賠償額は、退職金の前借りなどで工面して支払っている。その後Eは県立病院に入院を繰り返し、退院中は医師から1週間に1回の通院を指示されている。村人の反応は、Eの父が几帳面な人で付き合いにも篤いこと、また被害者がこの近隣の人でなかったこともあって、それほどEの退院、外泊などに反対もしていない。
 主治医も父親も、「このような事件を起こした以上、本人の再起を願いながらも、再び他害の事件が起こらないように慎重にならざるを得ない」と、事件後十数余年を経て私に語った。
 そして父は、「不幸な事件が起らないように」家族としてできることは何でも協力したい」と結んだ。ただ「息子はそっとしておいてほしい」という。E自身は事件について何もいわないけれど、ふと父に、「僕は大きな十字架を背負っている」ともらすことがある、という。

 家族におしつける医療責任

 さて、経過を追っていくかぎり、Eが寛解状態にあったとは思えない。1964年秋の発病以来、何度かの暴行、2度の自殺未遂を繰り返しており、それは重大な結果にならずにすんでいるとはいえ、Eが不安で耐え難い病的世界に、断続的に直面していたことをうかがわせる。それに、2回目、3回目の入院がいずれも事件を起こしての入院であることは、外来での症状把握の甘さを物語っている。
 またEの通院は、裁判では「2週間に1回行われていた」という前提になっていたが、事実は最後の通院が24日も前であった。これも、主治医のEの病態に対する認識がどの程度のものであったかを伝えている。
 いくつかの事例(事例6や事例11など)で、殺人事件を起こすと精神科医によって、病者が凶暴であったとか、反社会的な性格の持ち主であったとか述べられる。事件以前にもしそう判断していたのならば、家族や保健所へはどう指導していたのか。また3週間をこえる期間をあけての外来医療とは、何だったのか。現行医療では2週間をこえる投薬は、てんかんなどの特定患者を除いて認められていない。もちろん、精神病や神経症については認められていない。〝3日を経ずして凶暴になる〟といった患者を、2週間先を予測しながら外来で疾病管理していくことは、私には不可能である。
 例えば私たちの病院(滋賀県長浜赤十字病院)の外来患者の実数は、年間1300人(1日約60人)である。私たちはカルテと別に、外来患者の簡単な通院カードをつくっている。通院が2週間以上も途絶えた者は外来看護婦が必ずチェックし、主治医にカードをまわす。主治医はそのカードを見て、そのままにしておいていい者、通院を促す手紙を出す必要のある者、主治医が電話、訪問などにより直接接触するか保健婦に訪問を依頼する必要のある者、に3分類する。通院を促す手紙は2回まで出し、それでも来院しない者は、残念ながら一医療機関としての責任はないと判断することにしている。もちろん、このようなサービスは医療保険によるものではない。あまりにも不備な現行の外来医療への、私たちのささやかな抵抗にしかすぎない。そうしながら、私たちは病者の自殺や、症状の再燃を常に心配している。2週間に1回の外来では心もとない患者も、かなりかかえてやっているのが現状なのだ。
 実はこの事例にみられる精神科医療ーここで問題になっているのはとりわけ外来医療であるが―が日本の平均的な医療の姿なのである。病者からみても、家族からみても、おそらく担当精神科医からみても、不備な精神科医療水準については一切不問のままに、精神病者の犯罪責任のすべてを父親に押し付けたことに、この判決の重大な問題があった。現在は、形ばかりで内容の貧しい精神病院が多数できたとはいえ、病者の医療・保護をそっくり家族に押し付ける発想は、戦前の私宅監置と変わっていない。かつて、呉秀三、樫田五郎は、1918年に、『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』を著した。当時、政府は精神病院をつくろうとせず、「精神病者監護法」のもとに、精神病者は家族の責任において座敷牢に閉じ込めさせた。東大教授だった呉は、その状況に憤慨し、教室員を動員して1府4県の私宅監置の実例(105例)を報告書にまとめている。呉は、この本の最後に述べている。

 全國凡ソ十四五萬ノ精神病者中、約十三四万五千人ノ同胞ハ実ニ聖代醫學ノ恩澤ニ潤ハズ、國家及ビ社會ハ之ヲ放棄シテ弊履ノ如ク毫モ之ヲ顧ミズト謂フベシ。今此状況ヲ以テ之ヲ歐米文明國ノ精神病者ニ對スル國家・公共ノ制度・施設ノ整頓・完備セルニ比スレバ、實ニ霄壌月鼈ノ縣隔相異ト云ハザルベカラズ。我邦十何萬ノ精神病者ハ實ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ。精神病者ノ救済・保護ハ實ニ人道問題ニシテ、我邦目下ノ急務ト謂ハザルベカラズ。

 呉がこう嘆いてから60年、確かに座敷牢はほとんど見られなくなった。しかし、すでに成人になった精神病者の医療や保護の責任を、なお親族に押しつける思想は変わっていない。この判決の求めているものは、精神医療の不備を不問にしたまま、問題を起こしそうな病者は必ず病院に入れておけ、と家族に迫るものにほかならない。

 □事例6 大都会の隣人殺し

 西日本のある大都市での裁判は、外来通院中の精神分裂病者の路上殺人に対し、市の責任を問うて被害者の妻が起こしたものである。原告の主張は2点ある。1つは、加害者F(31歳)の妻もまた精神分裂病者であり、母(74歳)も老弱で保護義務者になる視覚はなく、この場合、精神衛生法第21条(保護義務者がその義務を行うことができないときは、その精神障害者の居住地を管轄する市町村長が保護義務者となる)により、S市市長が保護義務者となり、他人に害を及ぼさないよう監督する義務がある。第2は、仮に母が保護義務者だとしても、同法第43条で管轄の保健所長が精神衛生相談員を派遣するなど、訪問指導の義務がある。それを怠ったために事件が起きた、というものだった。
 原告の主張に対し市側は、第1の点については、Fの両親は1974年12月に市家庭裁判所の審判で保護義務者に選任されており、また妻も事件当時は日常生活に支障はなく保護義務を全うできた、と反論した。また第2の点については、主治医はFを寛解と診断し、県知事あてに提出した退院届にも訪問指導の必要がない旨記載されており、主治医の意見に従ったものである。Fのようにすでに専門の精神科医の治療を受けている患者については、指導を行う必要はない、と反論した。付け加えて、精神衛生相談員は精神科に関する講習を短期間(3カ月間)受けただけでその資格を授受されたにすぎない。訪問指導の要否を独自の判断にもとづいて決定すればm精神障害者の人権保護の観点からむしろ問題がある、と述べている。

【注】保護義務者については、精神衛生法第20条で配偶者、両親などの順位を規定し、さきほどの第21条、市町村長の代行の規定が入ったのち、第22条において以下のように義務規定されている。この義務規定は、成人に達した患者の場合も親の責任としていることに、大きな問題がある。とりわけ〝精神障害者が自身を傷つけ他人に害を及ぼさないように監督〟することを義務規定し、配慮とか指導をこえて、監督という言葉に家族の社会防衛的義務を規定している。

第22条
 ①保護義務者は、精神障害者に治療を受けさせるとともに、精神障害者が自身を傷つけ又は他人に害を及ぼさないように監督し、且つ、精神障害者の財産上の利益を保護しなければならない。
 ②保護義務者は、精神障害者の診断が正しく行われるよう医師に協力しなければならない。
 ③保護義務者は、精神障害者に医療を受けさせるに当っては、医師の指示に従わなければならない。

 また、この裁判で主要な問題になっている訪問指導については、同法第43条に「精神障害者であって必要があると認めるものについては、保健所は、精神衛生相談員か、指定した医師をして、精神衛生に関する相談に応じさせ、及びその者を訪問し精神衛生に関する適当な指導をさせなければならない」という規定がある。

 さて、事件の経過に入ろう。事件は1978年初夏のある日の朝、9時すぎ、S市の郊外の被害者の家の前の路上で起こった。
 Fの母は隣家を被害者A(35歳)に貸していた。Aはそこで装飾店をひらいていた。この日はたまたまAが路上で近所の人と雑談しているところへFが来あわせ、一緒に話をするうちに口論になってしまった。自宅に戻ったFは包丁を持ち出してAに襲いかかり、身体をめった突きにして刺殺したのである。
 Fは、男5人、女4人の9人兄弟の次男に生まれた。長兄は十数年前に死亡。当時、家族は72歳の母とF、Fの妻、生後まもないその娘、弟Bの5人であった。Fは、中卒後は精密器具の工場に勤めながら、夜間の工業高校に進学した。しかし、半年ほどで通学しなくなり、酒・タバコをおぼえ、ゴルフ場のキャディなどのアルバイトをし、やがて京都に出て、工場などを転々としていた。1967年バイクを窃盗、近所の鯉を盗んだりしてつかまり、1年間少年院に入る。69年、土木工事の仕事などに携わっていたが、この頃から怒りっぽく、よく他人と衝突した。家財道具を勝手に入質し、日本一の商事会社をつくると法務局へ行ったり、自宅の屋根を葺きかえるといって屋根に登り瓦を路上に投げつけるなど、誇大妄想、奇矯な行動があり、近所のT病院に措置入院となった。これが初めての入院で、1969年10月から71年8月末までである。退院して1年たらずで胃腸障害を執拗に訴えるようになり、Y大学病院で胃潰瘍の手術を受けている。この入院中、病室で付き添っていた父親に衝動的に暴行を加え、頭部を殴り(意識喪失)、肋骨3本を折る(全治2カ月)。この傷害事件で再びT病院に措置入院となった(第2回入院、1972年5月から74年6月末まで)。退院して4カ月で再びFの様子は不穏となり、今回は措置入院ではなく、母を保護義務者として母親の同意による入院となる(第3回入院、74年11月から76年7月末まで)。
 さて、精神科の退院時にはその病院に、保健所からの訪問指導を必要とする状態かどうかが問われる。第3回目の退院の時、T病院長はS県知事あての退院届の「訪問指導の要否及び意見」に「否」と記載した。
 退院時のFの状態をふりかえってT病院長は、「よくなった時は非常に柔和な笑顔が出ますし、人なつっこい所も、やさしい所もありますので…」といっている。ところが、事件が起った後、T病院長は、Fは単なる分裂病ではなく、精神病質もあり生来的に衝動的な性格である、と診断しているのである。
 精神病質という概念は、生来性の異常性格を指すものである(もちろん、精神病にははいらない)。本来、性格とは長期間持続するものであり、「よくなった時は非常に柔和…」というのでは矛盾する。おそらく、少年院などで身につけた攻撃的言動、精神分裂病による人格変化、および殺人事件を起こしたことを、後からふり返って精神病質と呼んだのであろう。事例11においても、同じような精神科医の説明がみられるが、殺人事件を起こすと〝分裂病に精神病質人格が加味されていた〟という言い訳は、説得力に乏しい。
 退院した翌年、Fは入院中に知り合った女性と結婚。次の年には女の子が生まれた。その後に自動車免許も取得し、母の農業を手伝うかたわら工場に勤務していた。しかし、その年の春ごろから怒りっぽくなり、同僚と口論して辞めている。
 ところで、Fの母はAに家を貸していた。Aの内装関係の商売は発展して、事務員も3人雇っていた。そして、AはよくFの家の前に車を停めていた。そのためFが外から帰ってくると自分の自動車の置き場がなく、腹を立てることがあった。事件前のFとAの関係は、そのくらいのものだった。
 裁判では、Fの事件前の精神状態には異常がなかったとされているが、実際にはいらいらし、怒りっぽく、同僚との仲違いで前記工場を辞めたりしている。家の外に置いてあったガラス障子に石を投げて壊したこともあった、と母はいう。またFは、「Aの従業員がわしを見ちゃ笑う、とかなんやかや言うよりました。笑うじゃろう思うよりました」と母はいっている。気になった母はFの妻にも、何度か「気がいらいらしよるようなが、ちょっとおかしいんじゃない」と問うている。妻はそのとき、「別に変わったことはない」と否定しているが、このような状態で5月下旬の殺人に至っているのである。

 公的責任抜きの地域精神医療

 ここでは、精神科外来医療の現実と地域精神医療について考えてみたい。
 市側は、たとえ市長が保護義務者になったところで、「病者が定期的に通院して、継続的に治療を受けているか否かを重点として観察することで足りる」とし、その観察の根拠としては、Fの精神障害者通院医療費公費負担の申請書が提出されていたので、通院が行われていると判断したというのである。(1965年より精神障害の外来医療に限って、申請すれば、健康保険の自己負担額のさらに2分の1が公費で負担されるようになった)
 たしかに最後の公費負担申請書には、78年2月1日から7月末日まで週1回通院と、T病院長によって記載されている。だが、実際の通院は2月1日(事件の4カ月前)が最後で、しかもこの時には、安易にも4週間分の薬が一度に渡されていた。違法な投薬である。判決文は最後の外来を、「事件直前」といっているが、4カ月も間があいている以上、医療は途絶えていたと見なさざるを得ない。また4月下旬には、別の用でFはT病院を訪れているが、この時もT病院長はFに会っておきながら、外来通院が中断していることに気付いていない。証言では「特段の異常を感じなかった」とのみ答えている。
 事件後、Fは、「思考が支離滅裂、顔貌も表情乏しく、幻覚がみられ、相当悪化した精神分裂病」と判断されている。この悪化についてT病院長は、「刺殺事件そのものによる影響が大きい」というのだ。
 これは明かに矛盾である。事件前は正常であり、殺人事件を犯したために発病したというのなら、責任能力があるとして罪に問われるべきである。事件が起ると心神喪失で措置入院にし、後からの説明として〝精神病質人格のために事件を起こしたのであって、その事件のために分裂病の症状が再燃した〟というのでは、あまりに素人だましである。精神医学の名のもとに、このようなことが行われていいはずがない。しかし、多くの事件が、この類いの説明によって処理されていることも現実ではある。
 判決文は、保護義務者の責任については、前の事例5の判決と違って、「精神衛生法22条は精神障害者による自傷他害防止のための監督を掲げているが、その〝他害〟防止を強調してこの観点から逆に保護義務者たりうる適格性を云々することは、法の立法趣旨に悖(もと)り、精神障害者の社会生活への適応を阻害するおそれがある」と、妥当な判断をしている。保護義務とは他害防止が第一ではなく、まず患者の保護のためであるからである。だが、市の地域精神衛生活動の不備については、T病院長の説明をそのまま認め、Fは犯行時にそれほど症状悪化していなかったので、精神衛生相談員の訪問指導が必要であったとはいえない、とした。
 結局この判決も、不備な外来医療、有名無実の精神衛生行政を、是認することで終っている。精神科外来がどれほど必要とされているか、その実数を示すデータはないが、1973年の厚生省の『精神衛生実態調査』は次のようなパーセント数を掲げている(10年おきに実施され、第3次にあたる73年の調査は、実施率が54パーセントにとどまったため、パーセント数だけを述べ、全国推計値はだしていない)。それによると、精神神経科に外来通院している者は20・8パーセントにすぎず、精神神経科に外来通院する必要があるとみなされる者は55・5パーセントに達する、と指摘している。この調査報告はあいまいで信頼度は低いが、それにしても現実に通院している者と、通院を要する者との、その差は、あまりに大きい。しかも、外来通院の実際の内実は、事例5、6に示されたとおりのお粗末さである。
 2つの判決は一体となって、精神病者をかかえる家族に「ただ苦しみなさい」といっているように見える。

 □事例7 ニュータウン傷害事件(略)

 精神衛生の上級機関を(略)

野田正彰『犯罪と精神医療 クライシス・コールに応えたか』(岩波現代文庫、2002年1月)=1982年10月刊『クライシス・コール 精神病者の事件は突発するか』(毎日新聞社)を改題した新編集版
by open-to-love | 2008-05-11 23:10 | 保護者制度 | Trackback | Comments(0)
精神障害者政策と人権侵害

 わが国の精神障害者の権利侵害を生み出してきた背景を、大きく3つのことに求めることができるのではないでしょうか。ひとつは、社会防衛対策としての精神障害者政策が続いてきたことです。もうひとつは、伝統的な「家」制度下での家族への責任転嫁と医療モデル下での家族責任論があります。さらにもうひとつ、精神障害者の隔離が生み出した根強い偏見をあげることができます。

(1)社会防衛としての精神障害者政策
 わが国の精神障害者に関する最初の法律は、1900(明治33)年に制定された精神病者監護法です。この法制定の目的は、精神病者のなかには社会に害悪を流すものが多いから社会に害が及ばないようにしたいという、治安を第一に考えた社会防衛思想にもとづくものでした。精神病者を保護し、社会に害を及ぼさないようにするために私宅監置(座敷牢)を合法化したのです。私宅監置するためには、後見人、配偶者、四親等以内の親族やそうした親族がいない場合には市町村長を監護義務者として任命し、警察へ届け出、行政の許可を得、私宅監置が行われたのです。1919(大正8)年に、精神病院法が制定されましたが、公立病院の建設は予算不足から一向にすすみませんでした。
 第二次世界大戦後の1950(昭和25)年に制定された精神衛生法は、これまでの私宅監置制度(座敷牢)や治安対策に代わって、精神障害者の医療や保護を行い、国民の精神的健康の保持や向上をはかることを目的としたものでした。しかし、基本的には、措置入院(精神障害者が自傷他害の恐れがある場合、都道府県知事が精神保健指定医の意見にもとづき、本人、保護者の意思に反してでも強制的に精神病院に入院させる制度)や、家族の同意による入院である同意入院が入院制度の中核であり、社会防衛思想を残したものでした。
 1964(昭和39)年、アメリカのライシャワー駐日大使が精神分裂病(統合失調症)の青年にナイフで刺されて負傷する事件が起りました。この事件に対してマスコミは一斉に「精神障害者を野放しにするな」というキャンペーンを張り、その結果、法改正の検討においては社会防衛の観点が強化され、社会復帰の施策は後退することになりました。
 さらに、今日の「心神喪失者等医療観察法」は、社会防衛政策の最たるものです。2003年7月10日に法律は成立しましたが、法案の重大な問題点が各方面から指摘され、また、日本精神科病院協会による自民党厚生労働族議員への多額の政治献金が明かになり、「金で買われた法律」との批判が急速に高まるなかで、与党による参議院での強行採決がなされ、最終的には衆議院で再議決されたのです。
 「心神喪失者等医療観察法」は、心神喪失又は心神耗弱を理由として、検察官が不起訴処分にした人や刑事裁判で無罪、あるいは減刑を受けて執行猶予になった人が対象です。対象となる行為は、殺人、放火、強盗、強姦・強制わいせつ、傷害にあたる行為です。これらの人について、裁判官1人と精神科医1人との合議体の一致した判断により、継続的な「医療を行わなければ心神喪失又は心神耗弱の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれ」がある、すなわち「再犯のおそれ」がある場合には、無期限の強制入院や、精神保健観察下の強制通院を科されるというものです。
 この法律には多くの問題点があります。
 第一には、対象行為の「再発防止」という社会防衛目的で無期限の拘禁が行われることです。これは、現在の社会参加促進をめざして地域生活支援を整備していこうとする動きに逆行するものです。
 第二には、対象行為を行う「おそれ」という予測不可能な要件で拘禁することです。当事者は、多くのストレスによって症状が再燃する可能性をもっています。それは地域生活のなかで、症状の変化を察知できるような密な支援が行われてこそ予測可能となるものです。地域で当事者を管理することでは症状の再燃を予測することはできません。
 第三に、「再入院」という隔離を受診や治療を継続するための脅しの手段にするものであり、自発的に受診し、自らの障害を受容する機会や地域生活を送る主体性を奪い取るものです。
 それでは今、どうしてこの法律が現実化してきたのでしょうか。多くの精神障害者は、社会的に責任をとることができる人たちであり、社会生活が可能な人です。しかし、この法律の国会論議が行われているときに、池田小事件をはじめとするいくつかの不幸な事件が起りました。そのとき国は、それらの不幸な事件が起った背景を明かにせず、また、不幸にして犠牲となった犠牲者への国家賠償をどのようにすすめるかといった議論も行わないまま、こうした不幸な事件を精神障害者が共通してもつ「危険性」ゆえに生じたものと結論付け、「社会防衛」という過ちをまた犯したのです。
 本書では、心神喪失者等医療観察法や犯罪被害者の支援について個別に述べることはしませんが、精神障害者の地域生活施策を議論し、整備するなかでこそ、犯罪を犯す可能性の高い精神障害者の支援が可能となると考えます。

(2)伝統的な「家」制度下での家族への責任転嫁と医療モデル下の家族責任論
 1900年の精神病者監護法では、精神病者は「監護」されるべき対象であり、それは親族(家)の責任であると定められています。もちろん、この段階の監護には、医療や治療さらに福祉といった色彩は一切含まれていませんでした。
 伝統的な「家」制度は、家長夫婦を中心とした親族で構成され、その家の財産や家業を先祖から子孫に受け継いでいく共同生活のあり方です。そのなかで精神障害をもつ人は、いわば「家」の厄介者でした。ただ、その家の秩序を乱さない限りは、家の成員として認められたのです。しかし、なんらかの形で秩序を乱した場合には、その人を家の責任で座敷牢に閉じ込めることを許可するというのが1900年法でした。こうした、伝統的な「家」制度下での家族への責任転嫁が1950年まで半世紀続いたのです。
 精神病者監護法が廃止されて精神衛生法が制定されたのが1950年です。ここでは、私宅監置を認めず精神病者は精神病院以外に収容しないことを明確にしました。その頃、抗精神病薬の導入により入院中心の処遇が主となりました。精神衛生法では、保護義務者を医療の協力者として明確に規定し、医師の診断に協力する義務や、受療場面では医師の指示に従う義務、退院時の引き取りや退院後の保護義務を家族に課したのです。
 こうして今日まで、家族に代わって家族の厄介者となった精神障害者の面倒を見る医師の指示が絶対的なものであるといった社会が創りあげられてきました。その状況下で、家族でさえ面倒をみることができない厄介者を、精神病院が面倒をみているのだから文句を言わせないといった無権利状態がつくられていきました。ものを言わずに素直に従い、最後には自分の子どもや家族だから受け入れるのは当然だという攻撃が、家族に向けられてきたのです。

(3)精神障害者の隔離が生み出した根強い偏見
 1984年の宇都宮病院事件が大きな問題になったことをきっかけに、精神医療従事者、法律家、当事者団体など各方面から、精神医療改革を求める声が高まりました。また、この問題は1984年8月に国連の「差別防止と少数者保護の小委員会」で取り上げられ、1985年5月に国際法律家委員会(ICJ)などの調査と改善勧告を受けました。
 国際法律家協会(ICJ)と国際保健専門職委員会(ICHP)の合同第一次調査団は、宇都宮病院で個別におこった患者虐待事件としてではなく、日本における精神科医療制度全体に大きな課題があり、精神衛生サービスの新たな方策、法的保護の新たな形態の検討を急がなければならないと勧告しました。ICJとICHPによる第一次勧告は、入院手続きや入院中の患者に対する法的保護の欠如や、長期にわたる院内治療が大部分を占め、これに比して地域医療及びリハビリテーションが欠如しているという治療システム全体の問題を指摘したのです。
 ところで、この調査団が驚いたことは、1967〜68年に国連の代表として来日したWHO顧問のD・H・クラークの報告に基づいた改善がほとんど実施されていないという事実でした。クラークは、東京・横浜など9つの自治体の優良・最優良t言われる15の精神科病院(公立7、私立8)を訪問し、その調査結果を日本政府に勧告しました。積極的な現代的治療法や社会復帰活動を医師や看護職が会得し、仕事や日中活動のプログラムを展開すること、あまりにも頻繁に使用されている孤立や退行へ導く有害な鋼鉄製の柵や閉鎖回路式の安全区画を改善することなど、当時の収容所化したわが国の精神科病院の実態を憂いた勧告でした。宇都宮病院事件を契機にわが国を訪れた調査団は、クラークの報告と勧告を政府や専門職が賛意をもって受けとめていたにもかかわらず、どうして日本の精神科医療に変化が生じず、しかも病院内殺人という事件が生じたのか、不思議だったようです。
 宇都宮病院事件は、世界中から非難を浴びて、精神衛生法から精神保健法へという法改正のきっかけになりました。新たに、本人の意志に基づく任意入院、強制入院や行動制限の判断は指定医という資格のある精神科医のみが行うこと、患者の側が退院請求や処遇改善請求を申し立てる権利、入院時にそれらの権利を告知されること、退院などの請求や病状報告を審査する精神医療審査会、通信面会の保証や保護室収容・身体抑制についての条件などが盛り込まれました。
 しかし、常勤の精神保健指定医が不在のままで、医療保護入院や患者の行動制限を行っていた越川記念病院事件(1989年、神奈川県)や、転院した患者の死亡を契機に医療・看護体制のずさんさや患者処遇の問題が発覚した大和川病院事件(1997年、大阪府)をはじめ、精神科病院で発生した人権侵害事件は数限りなくあります。

(4)精神科特例という人権無視
 わが国には、医療法という法律があります。この医療法のなかには、精神科病院は、患者と医師や看護師の比率が他の病院や病棟よりも低い水準でよいという規定があります。他科の病院では、医師は患者16人に対して1人が必要であり、看護師は、患者3人に対して1人が必要です。しかし、精神科病院では、患者48人に対して医師が1人の基準であり、看護師は6人に対して1人(2006年以降は患者:看護師は4:1《当面の間は5:1で看護補助を含んでもよい》)となっています。
 48人入院している病棟を想像してください。内科や外科などでは、そこに3人の医師と16人の看護師が病棟スタッフとしてかかわることができます。19人の集団が、そこにはできあがります。もちろん、そこに入院している患者の治療方針やなんらかの医療や看護上の問題が生じた時の解決をめぐって集団での議論が可能となるでしょう。しかし、精神科病院では、たった1人の医師で48人の患者を治療しなければならず、スタッフ間の集団議論も非常に困難となります。

※病床種別による医療体制の基準※
【精神病床】
定義=精神疾患を有する者を入院させるための病床をいう。
人員配置基準=
「1.大学付属病院ならびに内科、外科、産婦人科、眼科および耳鼻咽喉科を有する100床以上の病院」
医師・・・16:1
看護職員・・3:1
薬剤師・・70:1
経過措置(2年6月間)
看護職員・・4:1
「2.上記以外の病院」
医師・・・48:1
看護職員・・4:1
薬剤師・150・1
(ただし当分の間、看護職員・5:1、看護補助者と合わせて4:1とすることができる)
経過措置(5年間)
看護職員・・6:1
【療養病床】
定義=主として長期にわたり療養を必要とする患者を入院させるための病床をいう。
人員配置基準=
医師・・・48:1
看護職員・・4:1
看護補助者・6・1
薬剤師・150:1
【一般病床】
定義=精神病床、結核病床、感染症病床、療養病床以外の病床をいう。
人員配置基準=
医師・・・16:1
看護職員・・3:1
薬剤師・・70:1
経過措置(へき地の病院または従前の「その他の病床」200床未満の病院)
看護職員・・4:1

(5)社会的入院という名の権利侵害
 また、わが国には社会的入院という名の権利侵害があります。「社会的入院」とは、明確な定義のある状態ではありませんが、適切な地域の支援があれば退院可能な者を社会的入院者といいます。ただ、この定義は、あくまでの判定者(医師)の主観が入るものであることを留意しなければなりません。では、どうして精神科病院の社会的入院を深刻な課題として取り上げなければならないのでしょうか。
 大島巌は、長期入院の問題を4点に分け、整理しています。第一は、施設症が高頻度で生み出されるという点です。この施設症は、無感情や特有の退行現象さらに受け身的依存性となって精神障害そのものを重症化させるのです。第二に、生活の質からは、食生活や嗜好品、趣味娯楽、社会関係、アメニティすべてにおいて恵まれた状況にあるとは言えません。第三に、病棟内の人間関係が、医師を頂点とした階層構造となっており、暴力や脅しがまかり通る素地が存在するという点です。第四点として、身体や精神の自由の阻害は、基本的人権の侵害であるという非常に重要な問題があります。
 日本国憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と、自己決定を含む幸福追求権を規定しています。
 しかし、多くの精神疾患をもつ人は、その症状が重いときにすすんで入院治療を自己決定することができません。このため、保護者と精神保健指定医との間で同意する医療保護入院や、二名の精神保健指定医が入院措置を決定する措置入院が必要となってきます。これらの非自発的入院は、本人が病状により自己決定できないときに、国が本人を保護し自己決定を補っていると考えることが必要でしょう。
 ただ、その自己決定が困難な状況は、そんなに長く続くものではありません。本人が、適切な支援を受け自己の状況を理解できるようになったとき、治療の方針や期間あるいは方法について伝えるべきでしょう。また、適宜、本人や本人の支援者を交えた治療方針の検討が行われるなかで、どのような療養生活を送るかを自己決定することが可能となるのです。そうした取り組みが行われずに、精神科病院では、パターナリズム的発想による「処遇」が展開されてきたのです。
 精神障害をもつ当事者や家族の運動が活発になり、自己の要求を主張することができなかった当事者たちが精神科医療を権利として捉え、精神科医療をともに築き上げる運動がようやく高まってきました。しかし、その運動が、医療を敵とするものとなってはなりません。パターナリズム的処遇による医療が歩んできた歴史を批判的に踏まえ、当事者が、自らの権利が護られ、最も過ごしやすい生活を支える地域福祉実践を創りあげるなかでこそ、精神科病院の社会的入院解決の道筋が明かになってくるのではないでしょうか。

シリーズ◆障害者の自立と地域生活支援6 障害者生活支援システム研究会編「精神障害をもつ人が地域でくらしていくために 介護保険統合論と、求められる社会的支援」執筆・山本耕平(かもがわ出版、2004年)
by open-to-love | 2008-03-28 22:56 | 保護者制度 | Trackback | Comments(0)