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カテゴリ:クラーク報告( 4 )

クラーク報告 その4

日本における地域精神衛生―WHOへの報告
 1967年より1968年2月に至る3カ月間の顧問活動に基づいて

 デービッド・H・クラーク

 6 勧告
6・1 政府
 日本政府に対して、精神衛生活動の現在の組織に関して真剣に考慮するよう勧告する。地域社会の精神衛生活動が、充分に発展していないと思われているという理由で、筆者の勧告が求められた。筆者の検討では、精神病院の長期入院患者の数は、着実に増加しており、日本の経済的負担を増大させているという注目すべき状況にある。
 筆者は注意する必要のある幾つかの領域を指摘したが、とくに、精神医学的中央管理の問題が極めて重要である。この領域では、1953年のBlain博士の報告以来、ほとんど変化していない。
 従って、次のことを勧告する。
(1)精神衛生は公衆衛生、児童福祉および他の部門に匹敵する部局でなければならない。
(2)厚生省はもっぱら職員の配置について配慮すべきである。長期計画として、有能な訓練を受けた若い精神科医を職員として充当すべきである。さし当っての問題としては、著名な専門家(定年退職教授など)に新設の精神衛生局を指導してもらうため、特別補佐役または特別雇傭の形式の可能性を検討すべきである。
(3)国立精神衛生研究所を強化拡大し、その予算の増加がなされることが必要であり、国立国府台病院の臨床設備が、研究所に割り当てられて研究や研修のためにもっと活用されることが必要である。

6・2 精神病院の改善
 日本では非常に多数の分裂病患者が精神病院に入院患者としており、患者は長期収容による無欲状態におちいり、国家の経済的負担を増大させている。社会療法、作業療法および治療的コミュニティという方法を行うことが、こういう患者の治療に有効であることが、英国、ヨーロッパおよびソ連で経験されている。厚生省は精神病院の職員に、有効なこの知識を与え、入院患者の着実な増加を防ぐため、積極的な治療とリハビリテーションを奨励するよう推進すべきである。
(1)日本における講演 日本訪問中、筆者は社会精神医学およびその例証として英国での筆者の精神病院における変化について、何回か講演を行った。今後さらに日本人や外国人による講演が、すべての職員の階層に応じて計画されることが望ましい。
(2)現在日本で活動する人の講義とか、映画とか、ヨーロッパにおける実情についての情報を与えることを含めて、選ばれた病院職員のための研修コースが、国立精神衛生研究所によってもっと組織化されることが望ましい。
(3)有望な病院管理者の海外での研究制度 積極的な治療的地域社会の活動を行う施設の実際と結びついた長期研究制度が望ましい。こういう実状と結びついた研究は、1年間継続すべきであり、患者についての積極的な働きかけと社会精神医学との直結したものであることが必要である。訪問先の国の言葉を流暢に話せる人であるべきであり、世界保健機構、英国文化振興会およびその他の公的団体が、その費用と手配を援助するように準備できるであろう。短期の研究制度や短期の視察旅行は、非常に限られた価値しかないので、失望に終るであろう。
(4)日本のすぐれた計画についての情報交換 どこの病院でも、他の病院が良い仕事をしているのをほとんど知らないのに驚かされた。厚生省はもっと相互の視察訪問、専門的な見学日、立派な計画についての研究会を奨励すべきである。次にあげるような計画は、もっと広く知られるようにすべきである。(中略)

6・3 精神病院の統制
 精神障害者の医療の規律を改善するため、厚生省は精神病院に対する国家的監査官をつくることを考慮すべきであり、それには新しい法律が必要となろう。この監査官は常勤で高給の精神科医およびその他の専門家(指導員、ソシアルワーカー、看護婦)から構成されるべきである。すくなくとも年1回、彼らは日本のすべての精神病院を訪問し、各病院について充分な報告を書く責任を持ち、勧告を含めて出版する。この新しい法律は、監査官の勧告に基づいて政府が精神病院の資格を取り消す権力を持つようにすべきである。監査官が一つの病院を訪問し、それを調査し、東京にもどって報告を書くためには、3〜4日を必要とするであろう。1000カ所の病院を1年の間に調べるためには、すくなくとも20人の監査官が必要であろう。
 物的基準、患者の過密、衛生および食事に監査官が関心を示すのはもちろんであるが、精神科医療基準の向上、作業場、夜間病院、外来診療、追跡的サービスなどに、主な関心がむけられるべきである。また職員の数、訓練および資格について調べ、その研修計画を奨励すべきである。

6・4 健康保険制度
 厚生省は医療に対する保健支払いの有効性について関心を持つべきである。現在の方法は、指摘されているように、入院患者をふやすことだけを奨励し、外来活動を発展させる意欲を失わせている。このために、長期入院患者数を増大させ、日本の重荷となってくるであろう。従って厚生省は、支払方法の変更を推進すべきである。この変更は、もちろん、関係団体との妥協によってねじまげられるかもしれないが、厚生省は次の原則に従って推進すべきである。すなわち外来患者診療に対する報酬は、現在より高くすべきで、患者の状態がゆるすかぎり、医師が入院治療より外来治療を行おうとする積極的な刺激にならなくてはならない。
 働けない在宅患者に対する給付は、現状よりも高くなくてはならない。その結果家族は、患者を家族がひきとるように奨励されることになる。家庭で面倒をみるように、親族を説得することは、病院の中に患者をとどめていくことよりも、社会にとって安価である。また回復期の患者のためには良いこととなる。
 精神療法は、時間のかかるー30分ないし1時間ー専門化された治療形式であり、高度の訓練を要する技術として認められるべきである。支払はすくなくとも、外科の外来患者について外科医に与えられるものと同程度、できればそれ以上のものであることが望ましい。

6・5 アフタケア
(1)治療(すなわち投薬と精神療法)、長期間の追跡、地域社会にいる分裂病患者のための社会扶助を与える精神科医及び地域社会ワーカーによって構成される外来クリニックの必要性が大きい。これは治療意欲を持った適切な職員の配置を条件とする保健所、大都市では精神衛生センターで行われるであろう。大学のクリニックは、その職員の時間を、特別の追跡クリニックのために割くことができるように援助される必要がある(費用と支持によって)。私立精神病院は、退院患者のために、もっと広汎な外来設備を用意するように援助されねばならない(変更された保険給付によって)。
(2)地域社会の働き手ーソシアルワーカーと保健婦ーに対して、精神医学の訓練が必要である。彼等の中には、まったく訓練を受けていないものがある。厚生省は大学医学部その他の団体に対して研修コースをもうけることを奨励し、研修に参加した職員に費用を支払うべきである。
(3)有効性が証明されている地域社会の特殊施設がきわめて必要である。
 Ⅰ 夜間病院、これは日本でも2、3の病院で行われるようになってきている。患者は昼間、町へ仕事に行き、夜は病院に泊まるためにもどって来る。この施設は推奨されるべきものである。
 Ⅱ ハーフウェイ・ハウスおよびホステルは、前記の原則の論理的拡大であり、町や都市にある収容施設とは別の建物ー、ここで精神遅滞児や慢性分裂病患者が働きながら、生活することができる。こういうホステルには訓練を受けたソシアルワークの職員が必要である。
 Ⅲ 昼間病院は、夜は家族と共に過ごす患者の治療のための設備である。これは成人の精神病患者のために積極的な治療を与え、慢性患者や老人患者に対する作業と訓練を準備することができる。それには有能かつ適切な職員ー医師、看護婦、ソシアルワーカーおよび作業療法士ーが必要であるが、これによって病床の費用を節約することになる。
 Ⅳ 保護工場は、精神欠陥者を援助するのに最も有効なことが証明されている。地方産業との協力、技能的熟練と障害者管理の経験を持った監督者と満足のゆく契約ができるエネルギーをもった管理者、さらにソシアルワーカーを必要とする。こういう保護工場は英国では、病院、地方自治体、任意団体や有限会社がスポンサーになって、政府が発展させた。厚生省の精神衛生および児童福祉の部局は、どういう発展の方法が、日本に最も適しているか検討すべきである。
 Ⅴ 治療的社交クラブは、地域社会で境界的に平衡を保っている精神欠陥者のいろいろなグループに対して有効であることが証明されている。精神科医の支持の下に、ソシアルワーカーによって運営され、社交的レクリエーションや患者の要求に応じて専門家の援助を得るために、定期的に開かれる社交的センターを準備する。

 現在では、個人の家で精神障害者の治療を行うことを禁止した1950年の精神衛生法の条文の改正を考慮することが適当である。1950年には必要な改革であったが18年たった現在では、急性の精神障害者が精神病院に行くのであり、落ち着いた回復期にある患者の退院を法律が妨げる結果になっている。

6・6 リハビリテーション
 精神欠陥者のケア、扶助およびリハビリテーションのための新しい法律を起草するために、厚生省は労働省と協議すべきである。現在明瞭になっている必要性は次の通りである。
(1)リハビリテーションの専門家としての、特別な労働省職員の任命と訓練。この職員は、精神欠陥者を登録し、かれらに仕事を与えようという雇用主および現在の欠員の有無について、登録保管する責任を持つ。
(2)分裂病患者、てんかん患者、精神遅滞者のために、地域社会内の保護工場の設立。
(3)保護工場を設立し、供給をとりきめ、その生産物を市場に出すために、レムプロイ(Remploy、英国)と比較されるような、政府のスポンサーによる組織を発展させること。こういう組織には委員として、経営学者が必要で、利益を生じないで損失をまねくかもしれないことを受け入れるとりきめを必要とする。
(4)精神病に関して、現在の労働法が検討され、必要があれば改正すべきである。

6・7 専門家の訓練
 専門家の訓練を改善する必要がある。この問題は最終的には、専門家自身の問題であるが、厚生省はその発展を推進させるように援助すべきである。

6・7・1 精神科医
 日本には精神科医として、国家的に認められた資格がないが精神医学における博士号は、ある数の限定された医師だけが持っている。しかもそれは元来研究に関する資格であって、必ずしも、精神科患者の治療を行ったり、社会精神医学の実践を行う医師の能力の尺度ではない。厚生省と日本精神神経学会は、この問題を検討すべきである。Diploma in Psychological Medicine(英国)あるいは神経病学および精神医学の試験委員会(アメリカ合衆国)のような、国家的に認められた資格を設定することは非常に有益であり、標準を高めることになる。

6・7・2 精神療法
 精神療法に関して、医師と精神科医により良い訓練を与えることが必要である。僅かに2、3の大学病院だけが、現在この訓練を準備しているにすぎない。精神療法研究所が、近い将来東京に設立されるよう期待する。これには積極的な奨励が必要である。

6・7・3 看護
 日本に精神科看護婦の資格をつくる必要がある。これには修士コースをつくることが考えられる。この資格は、長い経験を持った看護者(ことに男性)に対して開かれるべきである。精神病院の病棟責任を持つ看護主任、とくに看護(婦)長への昇進は、修士の免許を持つ必要があるようにすべきであろう。この修士の免許は経験(約2年の精神科看護)、現任訓練(精神医学、心理学、応用社会学、作業療法などの講義)および試験に基礎を置くことになろう。大学は日本精神病院協会および適当な大学の学部とともに、このような訓練コースを設定する可能性を検討すべきである。

6・7・4 作業療法
 近年作業療法の学校が開設され卒業生を出しているが、その数は充分ではない。厚生省はもっと多くの学校を開くよう奨励し、経験はあるが資格のない多くの作業療法士のために、研修コースを整備すべきである。

6・7・5 ソシアルワーク
 現在、ソシアルワークの発展は健全であるが、もっと促進すべきである。国立精神衛生研究所で現在行われている訓練コースを拡大するために、資金が準備されるべきである。
(野田正彰著『犯罪と精神医療 クライシス・コールに応えたか』岩波現代文庫、2002年)
by open-to-love | 2008-01-13 19:10 | クラーク報告 | Trackback | Comments(0)

クラーク報告 その3

日本における地域精神衛生―WHOへの報告
 1967年より1968年2月に至る3カ月間の顧問活動に基づいて

 デービッド・H・クラーク

5 考察
5・4 老人の入院患者
 日本と西欧の精神病院の顕著な差は日本では老人の患者が少ないことである。精神病院の患者のたった4パーセントが60歳以上であるのに対し英国では約50%パーセントになっている。英国の病院ではこうした老人たちは、職員の大きな負担になっている。失禁し、身体的にどうすることもできず、しばしば身体障害があり、精神病であると同時に頻繁に身体的な病気があるので、看護婦や医師の時間と注意がものすごく必要である。こうした負担は日本の精神病院には現在のところ感じられない。日本の精神科医はこの理由が老人を支え、あがめ、愛するという伝統的日本の家庭状況にあること、それ故、精神的にまいってしまう老人がより少なく、精神科医のところにもこないし、従って、病院にも少ししかいないのだと推測する傾向がある。
 このことは多分かなりの真実性があり、老人医学という専門医学ー老人の病気とその治療ー西洋と日本ではちがった形で発展していくだろう。現在のところ、老人は英国や合衆国ほどは日本人口の大きな比率を示してはいない。これは古い世代の高度の死亡率と1944〜1948年代の多数の死亡によるとみられる。同様な人口構造がソビエト、ポーランド、ユーゴスラビア等にもみられる。人口中の老人の比率が増大し、一方で工業化がすすみ拡大家族がすくなくなるにつれて、より多くの老人が精神医学的援助を求めるようになるだろう。けれども英国の入院患者のゆきとどいた横断的(cross-sectional)な研究では、こうした負担となる老人のほとんどが、老年精神障害のために入院させられた患者ではない。この入院患者は何年も前に、若年又は中年の時代に、分裂病にかかって入院させられ病院で年をとった患者である。英国の精神病院の現在の「老人問題」の多くは1920年と1950年の内に入院させられたものである。こういう患者は現在の日本の病院にはいない。しかし現在のように慢性患者が、累積しつづけ現代医療によって生かされていれば、1980年から1990年代において日本の精神病院でも老人患者の数は非常に増加するだろう。このことは遠い先の問題のようにみえるだろうが、何らかの対策がすぐに行われなければ、大変なことになるだろう。

5・5 精神欠陥者のアフタケア
 日本ではこの分野において断続的なばらばらな努力はあったけれども、この問題の大きさを認識する必要があり、その対策の実行が必要である。
 他国と同様に日本でも精神欠陥者がものすごくたくさんいる。彼らは充分に個人生活を送れず、簡単に施設内の非生産的な生活に引っ込んでしまう。しかし、もしよい職員のサービスに支えられれば、独立生活をおくり、むだな失費となるかわりに国家の経済に莫大な貢献をすることができる。
 この人達は、多くの高度の精神遅滞者ーIQ30〜70の患者ーや永続的な思考障害をもっている慢性分裂病患者や若干のてんかんの人を含んでいる。こうした人々は、医療歴はさまざまであるが、社会的に無能である点では似ている。彼らは独立できず、結婚しそうにもない。単純な水準の仕事はできるが、複雑な仕事にはつけない。重い責任にもたえられないし、他の勤務者と満足な関係をもてない。周期的にまいってしまい、其の間医療を必要とし、しばしば入院する必要がでてくる。
 もっとも安易な解決策はこうした人々を施設におしこめてしまうことであり、こうした人々は、しばしばそこで人生の残りをすごす。こうしたやり方では患者の数は増加するだろう。その結果、国家の負担が大きくなる。アメリカ合衆国で1950年代に精神病院で非生産的かつ不幸にすごしているものが人口1万人当たり40であった。
 昔はこうした人々は農村経済にたやすくとけこんでいた。日本はいまでは急激に産業社会となっている。こうした欠陥者でも都会社会に適合していくことは困難だが不可能ではない。
 彼らは、そうは一般の人が望まない仕事をすることによってしばしば大切な工員になっている。彼らは、現在の日本に欠けている社会の支えという枠組みを求めており、地域社会の活動家との継続的な接触を求めている。現在こうした支えは、保健婦や福祉職員によって提供されているが、どちらも精神医学的訓練を受けていない。彼らは熟練した職場さがしを必要としている。現在この職さがしは労働省によって組織的にではなく、偶然にみつけるという形で行われている。彼らは精神医学的治療を即刻受けられることを望んでいる。あるものは以前通っていた私立精神病院から治療を受けている。しかしこうした人々に何年にもわたる人生の残りの期間、長期に支えを提供しその要求を医学的に受け入れているうという証拠はほとんどない。
 日本は原爆被爆者や傷痍軍人、引揚者のアフタケアや社会復帰問題にたくみにとりくんできている。今や精神欠陥者がこれからの主な社会復帰の問題としてあらわれてきた。

5・6 精神療法と精神分析
 英国とアメリカ合衆国で「地域精神衛生活動」といえば、精神障害者に対する諸活動が含まれている。こういう諸活動では、カウンセリングや精神療法や精神分析が大きな比重をしめている。すべての外来クリニックでは精神療法を行う専門的な時間がたっぷりとられているが、精神分析的精神療法に対する一般の要望がたくさんあってそれを満たすことができないほどである。
 そんなわけで日本では精神療法に使われる時間がそう多くないことを知ったことは興味があった。多くの精神科医は精神分析についてあやまった知識をもっており、精神分析は日本人には適さないという自己満足的意見で正当化している。大学病院における精神医学的訓練計画は、神経解剖学、神経病理学、大脳生理学、現象学というたくさんの課目があるのだが、精神療法や精神分析あるいは社会精神医学の教育はほとんどない。熟練した精神科医はFreudの著作のいくつかを読んでおり、アメリカ精神医学において精神分析が大きい地位をしめていることも知っていたが、これが自分たちの仕事にはほとんど直接には適用されないと信じている。
 さらに吟味してみると、日本で困難のうちに診療をしている精神分析医はわずかしかいないが、知識人の間から治療の要求が少しずつでていることが分かった。情緒障害者がどこで援助をうけたかについてさらにしらべてみると、その答はさまざまである。ある人は薬物療法や大学精神科クリニックで支持的精神療法をうけ、ある人は内科医や一般医師によって、薬物、水治療法、温泉旅行等によって治療している。かれらの多くは医学的に関心がもたれないために拒絶されたと明かにかんじていたり、宗教とくに彼らに精神的不安や困難な問題に救いを与えるという立正佼成会や創価学会といった新興宗教にも傾いていく。
 世界中どこの国でもそうだが、日本にも精神障害者がたくさんいる。この情緒障害のあるものは日本文化の影響によって特定の方向にむけられており(日本での自殺率が女性の場合世界でまだ最高国の一つであることがそれを裏付けている)、ある種の情緒障害では、日本の生活様式に特有のストレスを示すような特別の満足方法がとられている。だがそれで情緒障害者がいつまでも満足しつづけるかどうかはうたがわしい。
 日本は工業国であり都市国家である。伝統的生活様式は急速に変容してきており、三世代家族は二世代家族に道をゆずり女性の役割は変化し、厖大な若年人口は世界の変動する若者の一部として自分たちを見ている。似たような変化が他の多くの先進国におきつつある。そこでは、情緒的ストレスに対処する伝統的な方法は不適切になり、疲れ切った現代都市の男性(女性も)は、産業化した社会で孤立しており、個人的助言やカウンセリングを希望している。日本におけるこうした要求は確実に高まってくると筆者は考える。多くの疲れ切った日本人が新しい宗教に行ったとしても、あるものは世界でもっとも進んだ社会が、もっとも価値があるとみなしている援助即ち専門的なカウンセリング、精神療法、精神分析を希望してくる。そこで日本の精神科医は、ためらいながらもこれにこたえることを余儀なくされるだろう。かれらは今のところこの挑戦に対する準備ができていない。情緒障害者に対する適切な設備をつくるとなるとそのためのサービスは非常に変化せねばならないだろう。即ち、外来クリニックは拡大され精神医学訓練は適切な精神療法の訓練を取り入れねばならないし、最後には大学医学部のカリキュラムもまたあらためねばならないだろう。

5・7 精神衛生運動
 日本政府が地域精神衛生活動について助言を求めたのは、日本での地域精神衛生対策が今日まで何故成功しなかったかという問題に強い関心をもったからである。著者はこの要求に応えて、この原因を理解するよう努力してきた。日本の状況と英国やアメリカ合衆国の状況とのちがいで目立つ相違は、精神衛生に貢献する素人の団体がわずかしか発達してきていない点である。これはこの国の社会構造の基本的な差によるものだと筆者はいわれてきた。
 英国やアメリカ合衆国ではほとんどがすべての社会的発達ー種々のサービス、諸施設、新しい法律等ーに対して、数十年にわたる関心の高い活発な素人の団体の宣伝、討議や実験が先行してすすんできた。こうした人々はのろのろしている専門科の尻をたたき、同じように心の悩みをもつ人々を組織し、圧力団体となって法律を改めさせ、サービスを提供し施設等を建てた。
 ここ20年の間、英国では全国精神衛生協会が精神衛生法規を改正させるよう活発に運動をし1959年の精神衛生法で極点に達した。この運動が先進的な青少年訓練センター、精神遅滞者病院、保護工場の監督者訓練コース、精神病者のハーフウェイ・ハウスを建設し、また皇族や著名な政治家の出席する大事な国家会議を毎年開催している。
 素人団体はまた講演や新聞雑誌、映画や国営テレビ、園遊会、バザー、慈善興行によって一般の人々に対して精神病者や精神遅滞者の要求を伝え、彼らに積極的な関心をひかせるための公衆教育を行っている。こうした仕事から「病院友の会 Friends of the Hospital」の集団や、病院内の奉仕員をはじめ、精神衛生関係施設や精神的欠陥者に活発に支援を与え、専門家にとって非常にたすけになるような他の多くの団体が発生した。日本では原爆被爆者、旧軍人、ソシアルワーカーのような圧力団体にくらべて、こうした素人の精神衛生団体が少ない。こういう団体のないことは大衆一般の精神病や精神病院についての無知や恐れや偏見があるからであり、また団体のないことが偏見の原因にもなっている。このことは精神病を理解し、それに対する偏見をとりのぞくための公衆教育が欠けていることに関係があるのだろう。こうした教育計画なしには地域精神衛生活動は急速に発展しないであろう。

5・8 社会精神医学
 地域精神衛生活動が日本で花を咲かせない理由の一つは、日本の精神科医の多くが社会精神医学を理解していないことにある。現代精神医学のいくつかの側面は日本でもよく理解され応用されているー診断精神医学、精神薬理学、脳波学、発生学は理解され応用されているが、精神病理学や精神分析のような他の形のものは理解されてはいても活用されていない。社会精神医学に至っては理解も応用もされていない。
 比較疫学や比較文化精神医学は日本では大変よく理解されていて、いくつかの興味ある研究に応用されてきている。「社会精神医学」はとくに英国でここ20年の間に発達してきたもので、患者及び病気を社会という文脈の中でみようというものである。これは患者の病気の診断に応用されまた治療に応用されている。それは基本的に新しい次元であり、患者が心の悩みをもって医師を訪れたときおこる問題点をみつめる新しい観点である。精神科医はもはや単に患者の内心におきていることだけをみるだけではなく、全体の状況、すなわち患者の周囲、家族、仕事、社会階層だけでなく、精神科医自身すなわち自分の感情、反応、および先入観などをみつめ、さらに直面する問題がおこっている医療状況や社会全体の枠組みの中でその位置づけをみつめるのである。
 この観点を発展させるために、精神科医は社会科学、とくに力動学に通じた社会科学者や社会学者の啓発的な研究文献に注意を払うようになった。精神科医は、ここ20年間この研究を実りあるように応用できるところまで多くのことを学び、かれらの実践を変化させてきた。
 社会精神医学はとくに英国精神医学の実践を変革させてきたし、地域精神衛生活動が展開してきたのはこうした背景にもとづいている。これらの原則の多くは1953年にWHOが出版した精神衛生専門委員会の第三報告に述べられている。この勧告を応用することによって、英国の精神衛生活動は多大の利益をあげたのである。
 精神病院内に一つの革命がおきつつある。たとえば患者の役割が再検討され、病院の社会組織は職員の特権によるヒエラルキーを維持するためではなく、患者の社会復帰に焦点をあわせて再構成されてきている。こうしたことから開放制、産業療法(Industrial Therapy)、ハーフウェイ・ハウスが登場してきたのである。
 きわめて多数の患者の社会復帰を行い、その後患者を破綻させた有害な社会条件の役割を把握することによって、病院外の精神科サービスー保護工場、ホステル、デイケア・センター、治療的ソシアルクラブやソシアルワーカーーの業務の拡大を非常に発展させた。
 これに関連して、英国での素人の精神衛生団体の運動に対して精神科医は慎重な参加のしかたをしており、この団体が政府に強力な政治的圧力をかけることになった。こうした素人団体はまた、自殺予防協会(Samaritans)のような現在積極的に精神衛生活動に貢献しているボランティアを養成した。
 治療的コミュニティという治療法もまた社会精神医学的研究からでてきたものである。この方法では小規模施設にいるすべての人々ー患者、医師、看護婦やすべての職員ーは、一堂に会して相互に平等の立場で、話し合いを行って物ごとを決める。これは性格異常者に対して展開されてきたものであるが、精神病院の患者のすべての層にもうまく応用されてきた。主な方法は定期的なコミュニティ会議を開き、そこで職員が概況報告をし、意味のある出来事をすべてくわしく社会分析をし、役割遂行や現実検討の機会を提供することである。その基礎にある原理は許容性、平等主義、民主主義、全体の同意による決定と仲間集団による社会的管理である。この方法は強烈なものであり、全員とくに職員に多大の要求が課せられる。職員は集団のコミュニケーションの巧みな技術や精神療法的洞察および柔軟な個性をもつ必要があり、職業的な防衛としての反動形成の多くを捨て去るように準備しなくてはならない。
 こうした接近方法や、普通に仕事している精神科医の生活についてのすべての研究が、最後に非常な効果をあげた。英国の精神科医は現在、病院、外来クリニック及び地域社会で働いている。外来クリニックではソシアルワーカーと非常に密接に協同し、ソシアルワーカーの報告や活動が非常に役立っている。地域社会では頻繁に患者の家族を訪問し、家庭医や地域のソシアルワーカーや保健婦としょっちゅう相談している。精神科医は診断やある種の治療ー薬物療法、身体的治療や精神療法ーではいつもエキスパートである。しかし種々の調査や多様な処置においては他のメンバーー看護婦、ソシアルワーカー、一般医師、家族成員あるいは他の患者ーがもっとも積極的なチームの一人である。
 英国の精神科医で「社会精神医」とよばれるのは限られたものだけだが、こういう観点は英国の実際活動に広く浸透している。従って、ほとんどすべての精神科医が自分の専門的な仕事の一部として地域活動に何らかの形で参加している。
 筆者が日本を訪問し話し合った時、こうした考え方がほとんど知られていないし理解されていないことを知った。ごくわずかなパイオニアが何年もの間、つねに反対に出合い、しかも自分の職業にとって不利であっても、何年もの間こういう仕事に深くかかわってきた。多くの日本の精神科医は、Maxwell Jonesの著書を読んでいたが、それを応用し何らかの試みをしてきた人はごくわずかであった。地域精神衛生活動の発達がゆっくりしている(同様に精神病院の活動性と自由が欠如している)数多くの理由の一つは、日本の精神科医の間に現代の社会精神医学の原理についての理解が欠けていることによることは疑う余地がない。
(その4に続く)
(野田正彰著『犯罪と精神医療 クライシス・コールに応えたか』岩波現代文庫、2002年)
by open-to-love | 2008-01-13 17:42 | クラーク報告 | Trackback | Comments(0)

クラーク報告 その2

日本における地域精神衛生―WHOへの報告
 1967年より1968年2月に至る3カ月間の顧問活動に基づいて

 デービッド・H・クラーク

4 観察報告

4・3 精神遅滞施設
 私は7つの精神遅滞施設を訪問し、高い水準の訓練が与えられるのに感心させられた。これらの施設はパートタイムのかたちでコンサルテーションに参加する小児科医と精神科医と、教師の指導下に置かれていた。20以下の知能指数の子どもさえもが、志気の高い献身的な職員によって積極的に作業指導を受けていた。知能指数20~60程度の子どもが、こまかい技能を教えられ、積極的に、社会的な訓練を受けるとともに単純作業に従事していた。勿論、これはすぐれた施設であって、不充分な施設での基準についてはわからない。情報提供者のなかには、それを心配するものがあったが、子どもたちが、身近な医療監督の不足のために困っていると思われる証拠はなかった。しかし施設は不足しており、多くの町村では、精神遅滞者(児)が精神病院に収容されていて、病院での困った問題とされていたことは明らかであった。彼らはその退行した行動とか、他の患者や職員をいらだたせるという理由で個室に閉じ込められていた。
 しかし、どの精神遅滞施設の職員もアフタケアとフォロー・アップを憂慮していることを表明していた。施設では、時には、退園児をパーティに呼んでみたりしてこうしたことをやっていた。職員たちは、精神遅滞児の仕事を見付ける手助けをする職員(employment officers)がないことを指摘していた。こういう(アフタケアなどをやっている)施設は新しい施設であり、退園後10年、20年たったり、また世話をしてくれる親たちが死亡したあと、退園児を援助するのかと問われても誰一人わからなかった。普通学校に付設された特殊学級や特殊学校における精神遅滞教育は、日本においては、十分理解されているけれども、特殊学校の数は十分ではない。
 日本には、英国やヨーロッパ諸国に見られるような訓練センター(職業センター)はあまり発展していなかった。これは、普通教育では効果の得られない重度の精神遅滞児が、家庭で生活しながら毎日通所することのできるセンターである。これらの施設は家庭のちゃんとした中等度の障害児(Down症候群のような)を援助するのに最適であるとされている。毎日センターに子供を通わせることは、母親たちに息抜きを与え、その訓練を通して、成人の生活をさせる準備をし、社会的技術を身につけさせ、報酬のもらえる単純な作業を教えることになるわけである。
 私は重度精神遅滞(重症白痴)の施設を一つも見学しなかった。歩くことのできない不幸な人たちが一生涯の保護と配慮とを求めている。30年前には、こうした人たちは早死したが、今日では現代の薬物によって長期間生きながらえている。母親たちは多年にわたって献身的な看護を彼らに与えるであろうが、彼らの多くは施設保護が必要なのである。こうした患者の数は今後増加することは明白である。

4・4 健康保険
 情報を提供してくれた多くの人々は、この制度から生じる難点を指摘していた。それは日本に特有なとても複雑なものである。どの病院も、各患者がどの保険制度に属して居るのか、何割の知る権利をもっているのか、ということだけを調査する大きな保険課(Insurance Development)をもたなければならない。この煩雑さは、どの患者にとっても厄介であり、とくに、精神衛生サービスの対象者には、単純な人(精神遅滞)や混乱した人(精神病)や情緒的に疲労した人(神経症)たちが多く、この複雑な制度を利用することができないので、患者にとってはなおさらのこと厄介なのである。この保険制度は1968年には改正され、英国のように統一された国家保険制度にしようという話が出ているときいている。このような改正は、精神科の患者たちにとっての利益を多く招来することであろう。
 今一つの医療保険制度の側面はより直接的な批判を喚起するものである。医療サービスごとに異なる支払率は、私が理解している限りでは、中央社会保険医療協議会の論争と妥協とによって算出されたものである。しかしその委員会には一人の精神科医も参加していない。このことは、現行の医療保険支払制度が、全国的な精神医療のありかたを規定しているということからみて、不幸なことである。
 入院患者の治療の支払はうまくいっており、比較的ゆるやかである。医師は入院患者の治療で充分な収入を得て、病院を経済的に繁栄させることができる。しかし外来患者の精神科医療は支払が悪く、施された治療の長さとか、質だとか、程度だとかにかかわりなく、どの外来に対しても一様な割合で支払われている。このことは、個々の患者に長時間かけることを阻止し、ごく短期間の面接でできるだけ多くの患者を見るように医師を奨励していることになる。医師にとって精神療法を行い、計画的に長期の面接を行って生計を立ててゆくことは不可能だときかされた。裁判所、児童相談所、県の行政機関等で精神科医が助言しても、それについやした時間に相当する支払がないのである。このことは個人治療、とくに入院患者の身体的な治療に、医師の時間を費やさせ、地域精神衛生活動の問題に背を向けさせてしまう積極的な誘因がそこにあることを意味している。このようなことでは、必ずや地域精神衛生活動の発展はゆがめられ、虚弱化されるに違いないのである。

4・5 日本における精神医学の位置づけ
 地域精神衛生活動には多くの専門家が含まれているが、精神科医はその中心になる人物である。討論が展開するうちに、日本の精神医学と精神科医とが、外国の現代社会における位置づけとは異なる位置を占めていることが明かになった。
 地域精神衛生の発展が進行すると、社会はこれまでとは違ったかたちで精神科医や精神科医療を活用するようになると考えられる。それがどこまで発展するかは、社会が現在いかにそこでの精神科医を眺め、それを活用するかー一般大衆が精神科医をどのように見ているか、他の医師が彼らをどのように見ているか、精神科医が自分たち自身をどのように見ているかーによって定まるものである。
 日本では精神医学はかなり重篤な精神遅滞、精神病、癲癇および精神神経症の治療を行う医学の小さい専門領域である。それは性病学や皮膚病学程度に重要であっても、耳鼻咽喉学ほども重要ではない。このような伝統はKrepekinおよび、その後のドイツ精神科医の診断的現象学的接近法と固く結びついている。一般大衆は精神医学について全く無知である。一般の医師たちには、精神医学はかけはなれた専門なのである。医師であるのは皆、たくさんの「神経症」(ドイツ語のNeurose)を診察し治療するのが当然と思っている。こうした医師は、精神安定剤や鎮静剤を与え、必要なときは患者がよりよい生活をするように、しっかりした厳しい助言を与えて治療する。彼は、こうした患者たちをまれにしか精神科医に送ろうとは思わないのである。精神病者を扱っている医師の多くが自分を精神科医とは呼ばない。彼らがそのことばを用いたところで、それは心臓専門医とか皮膚科専門医以上のものを意味するわけでもないのである。彼らは自分を医師ー身体の医師ー全医学の一部として見ている。彼らは、患者に接する際には白衣をまとい、ほとんど事あるごとに身体検査を行う。彼らは診断を下し、普通、精神安定剤で治療するが、他の薬物で治療することもある。必要なときには、彼らはよりよき生活が営めるように慈愛に満ちた助言をする。
 日本の多くの精神科医は、彼らの責任を限定してしまうこのような位置づけを受け入れ、それを喜び、そして、器質的な問題のみに目を向け、情緒的なかかわりあいだとか個人的な再適応をも要求する精神神経症や精神療法や社会精神医学によってひきおこされる困難な問題にたちむかうことを避けるようにしている。
 この専門のリーダーたち、とくに、西欧の精神医学や精神力学について理解している精神科医は、(深いかかわりあいのない短期訪問を通して得たおおまかな印象とは反対に)日本人の伝統的な思考と感情を西欧の現代科学の知識と真に統合させようと試みている。
 彼らは西欧諸国における精神医学の位置づけを驚きとある種の羨望とをもって眺めている。精神医学の地位は、それが立派で裕福な専門であるとみなされている米国でとくに高い。米国では、人間とその心に関する科学的研究が個人と社会を変化させる価値の有る知識と理解と方法とをもたらすものであると一般的に信じられている。その結果、心理学や精神分析や精神医学は一般的に尊重されている。精神分析は人間の思考と感情の不合理な側面を説明してきたし、精神分析についての知識と理解は教養のある人たちの常識となっている。米国では、人が心理的に苦しんでいるとき、心理療法家や精神分析家やカウンセラーの援助を求める。彼らは、この援助に対して高い謝礼をする。精神分析療法は、精神医学に関する一定期間の教育訓練を経た、医師の資格のある精神分析家によって行われている。精神分析家より高い所得階層に属するものは婦人科医や外科医以外にごくわずかしかない。医師は皆、医学部において、ことにいくつかの学校では外科とおなじ時間数だけ充分に精神医学を教えられているので精神医学を理解している。従って、一般医は多くの患者を精神科医や精神分析家に依頼している。米国の精神科医は、自分の専門に誇りを抱いており、他の医学と区別されることをそれほど残念に思っていない。
 英国におけるその位置づけは、米国と日本のほぼ中間にある。医学界やその社会の中での精神医学の位置づけはその社会がどのような発展をとげてきたかによって著しく異なっている。各国はその固有なパターンを生み出さなければならないが、日本も現在これを懸命にやっているところである。日本が現在発展させようとしているパターンは、これからの地域精神衛生活動の型を決定することであろう。
 私には、日本の精神医学が世間から重症の精神病者を扱う専門だと見られているように思える。それだから、地域精神衛生活動も、分裂病や癲癇や精神遅滞に対するサービスだとみられてきたのである。
 一方において、増大した心因反応(うつ状態や不安状態)や神経症的疾患の患者が大っぴらに大学病院の外来に集まっており、都市の知識人、とくに西欧の考えに接している人々の間に深い精神療法や精神分析への要望が高まっているのに、資格をもつ治療者を見つけられないでいるときかされた。従って日本では、世論が医師に先んじて進んでおり、満たされない情緒的な問題に対して援助を求める声が高まっているように思える。個人的な問題に援助の手をさしのべる新しい宗教が大きく成長していることを見聞きしたことは興味のあることであった。

4・6 精神医学におけるリーダーシップ
 Blain博士は、1953年に日本の精神医学におけるリーダーシップの問題について雄弁に次のように記している。「どこにそのリーダーシップがあるのか? 誰がWHOの年次報告書の妥当性について研究しているのか?」、「しかも、今のところ、厚生省の精神衛生担当課には一人の精神科医もいないのである」。Lemkau博士も、「これだけの大規模(50億円)な計画には、重要な刺激(指導)とある程度の統制を行う少なくとも一人の精神科医を含めた9人の職員が必要であろう」と指摘している。
 750億円が計上されるようになった今日の状態は、不幸にして、少しも改善されていない。私のお会いした多数の上級の精神科医は、精神衛生活動の将来についていろいろ考えていたけれども、中央の行政官庁の有力者の地位にあるものはいなかった。
 Blain博士は、厚生省内に精神科医が一人もいないことを指摘した。私は省内の医師のうちに今は2人の精神科医がいることを知らされた。しかし、彼らは2人とも省内では若輩であり、精神医学の経験は浅かった。厚生省には上位の位置にいる経験豊かな精神科医はいなかった。
 行政官庁における医療とくに精神科医療の専門家による指導制の問題は日本だけのものではない。どこの国においても行政官庁の医療部門の地位は行政経験の豊富な行政官、普通は公衆衛生の専門家をもって充当されて、その専門領域のリーダーシップは、その専門科に専念した人によってとられている。この2つのグループを一緒にするように仕向けてゆく方策がなければならないのである。
 この点精神医学では、困難性が倍加する。この専門領域は、多数の長期在院患者を扱い、病院の開設、職員構成、組織に関する管理的な決定が、しばしば患者の社会復帰の機会を決定し、数十年にわたる活動のあり方を決定する。とくに大切なのはこれらの活動が専門の精神科医によって指導されなければならないことである。しかし、このような経験は省内のデスクで働くことではなく、精神医学と精神科クリニックや病院における多年にわたる勤務を通じてのみ得られるものなのである。
 米国では、精神衛生のコミッショナーが知事に対して直接に具申することのできる各州の上級官吏であり、州の閣僚の一人であることが多い。知事がその人を個人的に選び指名するもので、その人は通常、経験の長い官吏であることは少なく、上級の精神科医であり、しかもしばしば専門的にも優れた人である。英国では、厚生省技監補(the Chief Medical Officers of the Ministry of Health)の一人は精神科医でなければならないし、その人は大臣に直接具申できる権利を与えられている。この技監補は上級官吏であると同時にしばしばその専門の優れたメンバーである。近年、指導的な位置にある精神科医が3年の約束で、厚生省に入っている。
 Blain博士が1953年に「精神科医が厚生省でもっと高い地位を占めないと日本の精神衛生活動は満足のゆく発展ができないだろう」と述べたが、その意見に私も同感である。
 日本の精神衛生課は、厚生省の10局の1つである公衆衛生局の7課の1つにすぎない。このふ充分な位置づけは厚生省内において与えられている精神衛生への重要度を示すものである。このような地位は、厚生省が戦後間もなく組織された当時、主要課題が伝染病や児童福祉や社会福祉であった当時は、適切なる評価であったのであろうが、それは現在の状態に対応するものではない。
 いかなる行政官庁においても、いかなる局においても、ある業務の活動と予算と重要性を削減して、その代わりに、他の活動を盛んにするものである。例えば、近代国家における肺結核の部門は縮小しつつあり、他方、製薬部門が増加している。多分、日本政府もその部局を調査したならば、今日の重要性によってそのことを認識することであろう。このような再評価は省内に地位を得ている人たちにはいつも不評判である。それは優先権をくつがえし昇進についての個人の期待を危険にさらしさえするからである。しかし、そのことは、責任ある人々の時にはしなければならない課題なのである。
 国立精神衛生研究所が市川に現存しており、すばらしい研究業績をあげ、それはその出版物や国際的名声によって示されている。多数の価値ある調査ー患者、治療設備、専門職員の数と質等についてーが行われ、全国規模の訓練計画がたてられている。しかし、その予算は制限され、拡大計画は繰り返し経済理由により延期させられている。
 進んだ国々は、調査に投資することが、国家の進展に不可欠であるということを学んでいる。日本の唯一の国立精神衛生研究所の予算を削減したりすることは、不経済なことであると言わなければならない。

 5 考察
5・1 精神病院在院患者の動向
 精神病床にはある種の動向が認められた。すなわちここ15年間新しく作られた多くの日本の精神病院は分裂病患者に利用され満床になっている。訪問した病院ではすでに慢性患者が増加していく傾向があった。5年以上在院している患者数は増加し、しかも、これらの患者の大多数は25歳から35歳の若い人々であった。ふつうに寿命を全うするとなれば、この患者はあと30年間も病院に在院する可能性がある。
 日本はヨーロッパと同じような悩みに直面している。分裂病者が病院に集められ身体的治療を受け、無為なままに閉じ込められている。患者達はここで長い生涯を送り、入院患者数は増加し、病院は無為で希望もなく施設病化した患者で満員になる。最近になってやっと、社会精神医学や積極的な治療、社会復帰の的確な活用によってこうした動きが逆転されつつある。
 この点に関し調査を行う必要がある。どのくらい慢性患者ができているかを明らかにし、将来の動向を予測するために在院患者の年齢と入院の日付を注意深くチェックすべきである。このことは規則的なチェックによって監視されるべきである。

5・2 精神病院の敷地
 ヨーロッパでおかしたある種の失敗を日本がまたくりかえす危険が本当にある。最初に西ヨーロッパとアメリカ合衆国の東部で癲狂院(asylums)がもうけられた時、辺鄙地が安価だという理由で田舎にたてられた。最初は小さな施設であり、希望と積極的な治療の場であった。それが事故を起こすことを恐れてだんだん安全手段を増加させることとなった。患者は退行し無為になったが、ゆきとどいた医療によって生き延びたために生き残り、その人数は確実に増加していった。町から離れているので、社会復帰や地域社会との関係は困難であった。往き来するのが困難なので家族は病院を訪問しそびれるし、患者は家族に会いに行く気力がなくなる。徐々に収容所は規模が大きくなってきた。新しい施設を人口の中心地からはなれた安い土地に建てるのは一見経済的にみえるが実はそうではない。社会復帰はきわめて困難になり、その結果患者は永久下宿人になってしまいがちである。施設は次第に大きくなり、究極的な経費はより膨大なものになる。もしも精神科の治療組織単位が小さく町の中にあるなら、家族との接触は維持されるし、社会復帰はよりたやすく、慢性患者の退院はより速やかになる。最初の土地代が高くても、施設は小さいままでいいし、そのほうがはるかに価値が高い。

5・3 精神病院のコントロール
 多くの日本の精神科医は筆者に、精神病院の基準を統制するという課題があることを述べていた。日本には現在800を超える精神病院があり、そのうち80パーセントが1945年以後に創設されている。それ故ほとんどの精神病院は新しい施設であり、そこで医師、看護婦、患者といった人々が依然としてある形の人生をすごしている。あるものは非常によくやっているが、他のものはそうでないことを筆者は聞いている。また精神病院の約3分の1は、快適で、衛生的な身体医学的ケアはいうまでもなく専門的な精神医学的ケア、あるいは社会治療についての好ましい基準に達していないことを知った。またこうした問題点でとくに悪いのは、院長や看護婦が以前に精神医学の経験を持たなかったり、自分の投資回収に不安をもつ所有者が施設を超満員にさせて収入をあげようと医療スタッフに圧力をかけていることであることも分かった。
 現在精神病院はすべての病院と同じように県の機関によって監査されている。この監査チームには普通医師1名が加わるが精神科医が入ることはめったにない。このチームでは衛生上の危険を予防したり定員過剰を予防したりするには大体充分であるが、どんな精神医学的ケアが与えられているかを査定することはできない。
 精神科施設の管理には特別な問題点がある。通常病院やナーシングホームは公衆の詮索の的となりスキャンダルがおこりがちである。患者は家庭にかえると自分たちの見たことを話すので、家族は病院に来て不当を訴える。ところが精神科患者は妄想を抱いているとみなされてしまい、患者の不幸や不安はしばしば割り引きされてしまうし、家族も精神病院と縁が切れるのを望まないことが多い。かれらは問題をおこす家族の一人が閉じ込められるのを幸いと思っているし、あまり質問してくることがない。だから精神病院は普通の病院よりも悪弊がよりたやすく発展し増加しやすい。
 それ故日本では精神病院の基準を改善する必要があるし、とくに社会精神医学におけるより好ましい基準を奨励する必要がある。
 ひとつの解決の可能性は高度の力量のある国家監査制度をもうけることだろう。こうした手段(The Board of Control)は多くの施設が創設されていった時に英国で効力を発揮した。監査官(Commissioners)には高給が支払われ経験のある精神科医が含まれていたー何人かはその国のもっとも有能な精神科管理者であった。彼らは病院を訪れ、法律によって地方で出版されることになっている報告書を書いた。彼らは病院の許可を取り消したり、患者の退院命令をだしたり、職員(院長も含む)の更迭をさせることができる。この監査官は非常に恐れられていたが、あちこちの領域について新しい改善の情報を、ある地域から他の地域に知らせるという大切な教育的な影響をもあたえてきた。この監査官はすべての英国の病院(全精神科病院を含む)について、厚生省が責任を持つようになったあと、他の管理や監査の方法が発展したので最近ついに解消した。しかし監査官のいくつかの活動を復活させようとする運動がすでにおきている。
(その3に続く)
(野田正彰著『犯罪と精神医療 クライシス・コールに応えたか』岩波現代文庫、2002年)
by open-to-love | 2008-01-12 16:51 | クラーク報告 | Trackback | Comments(0)

クラーク報告 その1

日本における地域精神衛生―WHOへの報告
 1967年より1968年2月に至る3カ月間の顧問活動に基づいて

 デービッド・H・クラーク

1 まえがき
1・1 日本における地域精神衛生活動の発展について、政府に勧告すること。
1・2 国の相手役(counterpart)と協同して、地域精神衛生を一般衛生活動にとりいれる計画を発展させ、とくに施設に収容されていない患者に対して、治療設備をととのえること。
1・3 精神遅滞者に対する施設を地域衛生活動のうちに計画すること。
1・4 計画指導の基礎として、この問題を全般的に評価し、要望される範囲での調査を開始すること。
1・5 要望に応じ関連する事項に関する勧告を行い、任務完了後報告書を提出すること。
 日本政府が初めにWHOに顧問を要望した理由と目的は、1966年12月3日付で西太平洋地域事務局に送付された次の文書に述べられている。
 精神遅滞を含む精神病質、精神障害の早期発見と適切なリハビリテーションを促進するための地域精神衛生計画は、日本が当面する緊急の社会的、公衆衛生的課題の一つである。
 この状況にかんがみ、地域における精神衛生活動の第一線機関として活動できるように826の保健所に新たな機能を与えるとともに、地域精神衛生に対する技術指導のセンターとして活動すべき精神衛生センターを設置することによって、地域社会内の精神衛生活動を活発ならしめるため、精神衛生法が改正された。
 しかし、現在のところ、公衆衛生機関と精神病院、一般開業医と地域資源との充分な協同関係にまで、地域精神衛生計画は統合されていない。
 英国における精神障害者の地域ケアは、すぐれて組織化され、発展し、デイ・センター、ナイト・ホステルなどの社会復帰施設が地域精神衛生審議会や精神衛生官の協同のもとに地域精神病院と密接な関係をもち、うまく働いている。

 従ってわれわれは、現在と前述の課題を観察評価し、地域精神活動を一般公衆活動にとりいれる方法を指示することのできる短期の顧問を要望し、とくにかかる顧問が英国から得られることを希望する。

 2 計画の概要
 はじめの見当づけと厚生省幹部との面接ののち、筆者は多数の精神衛生施設を訪れた。このさい筆者は相手役である国立精神衛生研究所精神衛生部長加藤正明博士の援助を受けることが多かった。
 筆者は、地域的差異を見るために、日本内の各所に旅行し、汽車や自動車の長い旅行で多くの有益な対談をした。一般状況を把握したあとで、いくつかの点を明かにするために何人かの報告者と話し合った。これらの人はすべて、広汎な課題に対する多くの質問にきわめて快く応じ、忍耐づよく聴いてくれた。筆者が個人的に見たり考えたりしたことから生じた筆者の観察と勧告に関して、かれらが責任があるとみなされないために、これら情報提供者やすべての施設についての詳細は述べないことにする。
 筆者は8つの都市(東京、横浜、仙台、松本、名古屋、津、京都、大阪)と9つの県を訪問し、次の諸施設を訪問した。
 15の精神病院(国公立7、私立8)
 7の精神遅滞施設
 5の精神衛生センターおよび児童相談所
 5の大学クリニックおよび多くの他の施設(保護作業場、ハーフウェイ・ハウス、県および政府機関)。また、英国精神医学について、3人から200人までの聴衆に12回の講演を行った。すべての人が協力的で、理解できた質問に答えようと努力していたが、コミュニケーションの困難が筆者のすべての仕事につきまとった。私は日本語が話せず、ある報告者は英語が全く話せなかったからである。ゆっくりなら英語を話す日本の医師もいた(ほとんど全部が読むことはできた)。英語が流暢に話せ、英語で考え、深いつっこんだ会話を発展できる人は少なかった。これはたえずついてまわった悩みであり、筆者の理解にとっての限界であったが、顧問としての基本条件における絶対的なことであった。
 筆者の報告は4項目にわかれる。即ち、背景、観察、考察および勧告である。「背景」の項で筆者は日本人以外の読者のために、若干の歴史的事実(日本の報告者には周知のことであるが)を述べた。「観察」の項で、筆者が自分の目で見たり発見した重要なことがらについて述べた。「考察」の項では、日本の精神衛生にとって緊急の課題として重要と見られるいくつかのトピックスについて考察した。「勧告」の項では、近い将来何らかの行動が可能であり、かつ行動すべきであり、それが有効な結果をもたらすであろうと思われた領域について述べた。

 3 背景
3・1 歴史的背景
 明治維新(1868年)以前には、精神疾患の諸問題は日本の伝統的な方法で処理されていた。精神病を治すということで評判を高めた寺院もいくつかあった。各種の精神神経障害はすべて、呪術的な方法で処理されていた。軽度の精神遅滞者やおとなしい精神病者は農村社会の中に吸収され、何とかうけいれられていた。しかし、重い精神遅滞者や重い精神病者は、時折流行する伝染病のため急速にたおれていったのである。
 1868年以降、西欧の医療方法が公汎にとりいれられた。その中にはKrepelinその他ドイツの先学たちが発達させた精神医学の技法も含まれていた。1875年には京都府癩狂院が開設されたが、19世紀の間中、日本における精神医学の発達は遅々としていた。それはドイツ流の器質本位的なやり方にとどまったまま、精神病とてんかんの医療にあたっていた。
 精神病院はほとんどなく、しかも社会を困らせるような患者だけが入院させられる傾向があった。家族の多くは患者を自宅におき、しかも監禁しているものが多かった。戦時中は空襲が諸都市を灼き尽くす中でしばしば精神病院も破壊され、戦後は混乱と飢餓の中で慢性分裂病患者が死んでゆき、そのために入院患者の数はぐっと減少した。

3・2 日本の精神衛生に関する従前のWHO報告
 1953年にはPaul Lemkau博士(1)が、それに次いでDaniel Blain博士(2)が、WHOを代表して来日した。かれらは、日本が工業の拡大と生活水準の向上に伴って、戦争と占領から立ち直りつつあることを見出した。人口は急速に増加し、多くの子供が出生した。
 Blain博士によれば、1952年には22957人の精神科患者が入院しており、これは人口1万あたり2・6の割合であった。そしてBlain博士は、「日本における病床に対する潜在的な需要はきわめて大きい」とした。かれらの記録によれば、病院は小さく、建物は荒廃しているが、職員はよくそろっていた。Lemkau博士は、「一般的に精神療法がよい結果をおさめるためには長い時間が必要であると考えられているのに、ここでは精神療法を長期にわたっておこなうという考え方は一般に知られていないし承認されてもいない」と記している。もっともかれは後の方で、「精神療法家への需要が今後数年の間に切迫してくるであろうことはほとんど確実である」ともいっている。
 Blain博士は「厚生省内における精神衛生面での指導力と経験はあまりにも低すぎる」としている。かれらはこの他にも多くの評価と勧告をおこない、とりわけ専門的訓練に関して評価と勧告をおこなったが、この点はその後、充足されてきている。Blain博士はまた、精神病院の病床数は人口1万あたり10から20の間にまで上昇させることを勧告した。
 1960年にはMorton Kramer博士も来日し、精神医学的統計の収集方法について報告した。(3)
(1)Report of Consultant in Mental Hygiene to Japan,1953年6月2日〜7月14日
(2)Report of Consultant in Mental Health,1953年11月13日〜12月12日、1954年1月
(3)Report on a Field Visit to Japan, 1960年1月9日〜22日、1961年6月13日

3・3 日本における衛生サービス
 最近15年の間、日本の工業は目覚ましく発展した。国民の生活水準も、はじめは都市において、次いで地方においても向上した。平均余命は上昇し、結核や赤痢のような伝染性疾患の主要なものは今や制圧されつつある。若い人々は以前よりも健康になっている。戦争直後非常に高かった出生率は1955年までに安定し、今では約18/1000にだいたいおちついている。総人口は1966年には9827万4961で、そのうち65歳以上が約6パーセント、15歳未満が25パーセント、15歳から64歳までが69パーセントである。もし現在の傾向が続くならば、2000年までに若年層の割合はすこしく低下し、老齢者の割合はいちじるしく高まることであろう。
 公衆衛生の組織は都道府県単位に組織されている。日本には46の都道府県があり、それぞれ平均210万の人口をかかえ、公選の知事と議会とをもっている。県によって衛生と福祉とが一つの部局になっていたり、別の部局になっていたりする。戦前の過度の中央集権への反動として、地方自治の伝統が過去20年の間に発達しているのである。
 都道府県部局は伝染病対策には熱心で、保健婦を使って保健所のネットワークを発展させてきた。これは結核制圧に主導的役割をはたしたものである。たいていの県は県立の精神病院を設けており、県によっては精神薄弱者のための県立の施設を持っているものである。
 中央においては、厚生省(政府の12省4庁の一つ)があらゆる医療サービスを統轄している。多くの国におけると同様、地域精神衛生サービスは、文部省、労働省などのような他のいくつかの省とも関わりがある。日本においては、精神衛生問題は厚生省内のいくつかの部局に関連している。
 厚生省には10の局がある。公衆衛生局には精神衛生課(7課中の一つ)があり、これが精神衛生組織およびソシアルワーカー-精神衛生サービスに関係するすべてのもの-の統轄と推進をつかさどっている。児童家庭局は子供の中で特にハンディキャップのあるものを扱っており、そこには精神遅滞者や非行少年が含まれている。
 近年、精神遅滞者(普通教育の不可能なもの)に対する教育施設が発達してきている。しかし、成人した精神薄弱者のための施設などはすくない。
 重篤な精神遅滞者(すなわち白痴)は、以前に長く生きのびる傾向はなかった。かれらは大部分、今もなお両親の家にとどまっている。若干のものが精神病院に収容されている。
 家庭のない青少年の非行および反社会的行動の問題は終戦直後の数年には主要な社会問題であり、特別法によって数多くの施設が作られた。今日ではこの問題は一般的でなくなってきたが、施設の方は残っていて、多くの青少年障害者を扱っている。
 日本においては最近15年の間に、精神病床を増設しようとの方針が定められ、その努力は成功した。公立病院の建物に拡張され、小規模ながら多くの私立精神病院が建設された。かくて1967年までに入院精神病患者人口の大部分は私立精神病院に在院することとなったのである。
 1967年現在、精神病院の数は725である。うち国立病院は3、県あるいは市立が39、そして私立は683であるが、平均規模は約180床であり、1000床以上のものはほんのわずかにすぎない。なお、大学および県立一般病院にも多くの精神科入院設備がある。
 1968年に政府は3つの法律(精神衛生法、生活保護法、及び国民健康保険法)にもとづく精神障害者のための予算として約750億円(2億1000米ドル)を計上した。このうち院外患者へのサービスにあてられるはずのものは約30億円である。

3・4 専門職員
3・4・1 医師
 日本における総合大学および医科大学の数はこの間に増加した(1967年現在、医学部卒業生を送り出そうとしている大学は46ある)。課程は2年間の前記教養課程と、4年間の医学課程からなる。授業は日本語で行われるが、英語とドイツ語の教科書が広汎に用いられ、多くの医師はこれら両国語を読む力がある。精神医学的指導は通常、型通りの講義と患者の提示がいくらかおこなわれている。もっとも、相当数の患者を扱っている精神科に、ある期間配属するようにしている大学も若干ある。
 卒業後は1年間のインターン期間があり、国家試験を経て免許が与えられる。多くの医師は自分の大学の病院で専門家への関門である医学博士の称号を得るべく働くのである。
 米国におけると同様、日本においても専門分化への傾向が進んでいる。英国にみられるような家庭医は今日、都市においてはまれである。日本の医療でとりわけ特徴的なのは、数多くの小規模な私立病院があって、それを1人の医師がその家族とともに運営しており、患者を自分だけでかかえて診ているということである。私立の精神病院もこのパターンの一部をなしている。
 もっと大きな病院の多くは大学病院で、これの声価は高く、多くの患者は直接にそこの外来部へ出向いてゆく。
 日本の保険制度は医療体系の重要な部分を占めている。多くの企業はその雇用者のために保険業務を行っている。数多くの民間保険組合と、いくつかのことなった公的体系とがある。保険料率はすべてことなっており、受益基準もことなっている。全体を支えているのは国民健康保険制度で、これは他の保険の適用を受けていない者すべてに対し、最小限の利益を保障しているものである。しかし、どの保険の場合でも、医師はともかく医療を行い、のちに保険組合に請求するのである。もっとも、多少の金額が直接に患者から徴収されることもある。
 多くの精神科医は、たとえば私立病院や大学病院で働くとか、公的機関の嘱託となるとかして、何らかの地位についている。精神医学の中での専門分化はほとんどない。精神科医はみな、精神病でも、入院患者でも外来患者でも、心因反応(抑うつおよび精神神経症)でも、障害児でも、精神遅滞者でも、癲癇でも、精神療法でも、取り扱おうとしている。

3・4・2 看護婦
 看護婦の養成訓練機関はさまざまある。2年から4年で准看護婦あるいは正看護婦の資格が与えられる。米国におけると同様、最初は理論的な教育が行われ、制限つきの病院実習期間がそれに伴うが、実際的知識の修得は卒業後のことと期待されている。それでも日本では資格のある看護婦の数は多い。精神科看護についての専門的訓練は行われていない。男性の看護人(准も正も)は数少ない。しかも日本の病院においては、看護面での上級の地位は女性によって占められている。精神病院において、看護婦とともに、免許のないものが働いていることはもちろんであるが、しかし英国におけるほど数多くはないし、米国とはまったく趣を異にしている。なお、人員補充問題はそんなに深刻ではない。

3・4・3 ソシアルワーカー
 現在、ソシアルワーカーは4年間の大学教育を受けると、その後はあらゆるかたちのソシアルワークを行いうることになっている。この課程は戦後の数年間にアメリカの指導のもとに発達し、アメリカ流の実践と社会理論に大きく依存している。上級の地位の多くは、早い時期に経験を積むことで資格を認められた人々によって占められている。精神医学的ソシアルワーカーを訓練するための専門的精神衛生課程はない。精神医学ソシアルワーカーの協会が最近組織され、訓練をおしすすめ、基準を確立しようと試みている。

3・4・4 臨床心理学者
 心理学および臨床心理学の大学課程は、戦後アメリカの援助のもとに発達した。臨床心理学者は教育活動の中で、あるいは個人的な実践の中で、カウンセラーとして働いている。しかし大部分の精神科施設には臨床心理学者はほとんどおらず、いても大抵はテストと研究に従事している。

3・4・5 作業療法士
 1963年5月に厚生省によって理学療法士および作業療法士の訓練のためにリハビリテーション学院が設立され、20名の訓練生が入学した。1964年5月、WHOは日本における第一期の有資格理学療法士および作業療法士たちへの訓練を援助する目的で理学療法家を1名派遣した。

 4 観察報告
4・1 地域精神衛生サービス
 これはあらゆる精神衛生サービス、とくに病院外のサービスが含まれている。2、3の国々では、このサービスに非常に広い意味を与え、外来での精神科医療サービス、ハーフウエィ・ハウスと治療社会クラブといった補助的な活動、精神衛生連盟と自殺予防協会のような自発的活動を網羅している。また、ある場合には、このサービスは性教育の仕方を教師に、テレビ番組の改善方法をそのプロデューサーに、暴動を中止させる方法を警察に助言するという点で、地方自治体内の精神医学的な干渉をするところまで拡げられている。
 日本には、こうした諸活動が拡大されたという形跡はほとんどない。主な機関は、精神障害者や精神遅滞者や慢性の分裂病患者のための公的な施設と、病院の精神科外来、とくに大学病院の外来である。保健所が826あるが、それらは元来結核とその他の伝染病をコントロールするために発展したものなので、公衆衛生医の指導下にある保健婦が配置されている。最近、いくつかの保健所が非常勤の精神科医を参加させるようにしている。この精神科医の主たる機能は職員に助言をすることである。こうした保健所は、精神分裂病者や精神遅滞者が家庭で生活できるように支え、必要なときに、彼らを病院に移す最初の処置をするのに役立つ仕事をしていると考えられている。しかし彼らは情緒障害者とはほとんど関係をもたない。
 精神的欠陥者に対する広汎なアフタケア・サービスはほとんど発展していないように見える。児童家庭局が精神遅滞施設退園児に対する広汎なサービス計画を発展させ、労働省が精神遅滞者の雇用促進問題に関心を示しはじめているが、まだ発展してはいない。地域社会には、精神遅滞者(ないし精神病者)のための、実質的な保護工場はない。
 精神医学的に問題をもつ多くの人々が、精神科専門医を訪れ、あるものは私立精神病院の経営する外来診療所を、また、多くのものは、大学病院の外来を訪れている。こうした診療所は、精神病(分裂病)と癲癇にかかり切っているが、かなりの数の心因反応(うつ的乃至不安状態)と精神神経症(強迫神経症や、不安神経症など)の人々を診察している。精神神経症と診断される患者数は増加してきているが、大学病院の外来は一般に無給職員が配置されており、繁忙をきわめているため、神経症の治療はだいたい投薬と簡単な面接である。
 一般科の医師を訪ねた患者たちの多くは、ノイローゼ(ドイツ語のNeurose)と診断され精神安定剤によって治療されている。

4・2 精神病院
 日本の精神病院は規模が小さく最近に建てられている(20年以内)点や、その多くが私立経営であるという点で、ヨーロッパや米国の精神病院とは異なっている。しかし、そこにはいろいろの類似点がある。患者たちの多くは分裂病であり、その多くが長期在院者であり、多くのものが感情鈍麻し、退避的で、退行しやすく、病棟は満員であることなど。
 私は800ほどある病院の中の15の病院を見学しただけである。従って、私の所説には誤りとして棄却されるものがあるかもしれない。しかし、これらの施設はすべて、優良とか最優良といった好評の病院であった。情報を提供してくれた人たちから私は、他の病院がもっとずっと粗末であることや、それらの病院の3分の1は非常に悪いということをきかされたが、こうした種類の病院は一つも見せてもらえなかった。次の観察報告はこうした条件を考慮して読んでほしい。
 私は初め患者の生活条件が、さむざむとしており、超満員のように思えたが、数人の患者の家庭訪問をした後になって、病院の方が患者の住み慣れた家庭の生活条件に比べて良好であるということがわかった。給食は良好であるように思えたし、患者たちも身体的に健康に思えた。青年と中年の患者たちが多く、老人はごくわずかしかいなかった(60歳以上は4パーセント)。職員の配置は、数の上では、高比率の医師と適当数の正看護婦で十分整備されていた。職員と患者との関係は、温かく友好的でユーモアがあり、西欧の著しく貧弱な精神病院に見られるような距離を置いた冷たさや軽蔑は少しもないように思えた。多くの病棟の患者が私有物を十分にもっていたし、それは古いヨーロッパの病院とは著しく対照的であった。一般的には、柵、二十鍵、手すり、防護ガラスなど、外国の病院でその価値を傷つけている重々しい安全設備(security provisions)はなかった。
 しかし積極的な現代的治療法や社会復帰活動が会得されているという証拠もあまりなかった。わずかの病院では、Herman Simonthe(1926)の活動療法(the Active Therapy)の原理が今なお存続され、良好な活動がなされていたが、その他の多くの病院の患者の活動水準は非常に低いものだった。患者たちは、殆んど何もせずに座り込んでいたり、真昼でもベッドに横たわっていたり、自分の身辺のことをしたりしていた。ある病院では、3分の1の患者たちが、午後3時頃(in the middle of afternoon)だというのに、予期せぬ降雪を理由にベッドに入っていた。いくつかの病院には注目に値するような仕事や活動のプログラムがあったし、ある病院では、夜間病院の看護を受けながらコミュニティの中で働いている患者がいたけれども、多くの病院は、このようなことをしていなかった。
 非常に多くの病棟が必要以上に閉鎖されていた。束縛方法として保護室、個室、安全区画があまりにも頻繁に利用されていた。明らかに長期間独房に閉じ込められていた患者がすくなくなかった。2つの病院の新しい建物に鋼鉄型の柵や閉鎖回路式のテレビ等のような念の入った装置をそなえた安全区画があった。こうした装置は有害な孤立や退行へと導いてしまうものである。
 2、3の自覚を持った院長は、患者たちの生活や仕事や行動の自由だとかに目を向けていたが、多くの精神病院の医師は、身体的な治療を行ったりカルテを作成するといった伝統的な医師の役割だけにもっぱら限局しているように思えた。ある病院の医師は、神経解剖学や神経病理学の研究にまず心を奪われていた。
 看護婦たちもまた自分たちの責任がリハビリテーションに患者を導入する活発な生活指導やその促進にあるとみなすよりは、身体的看護を施すことにあるとしているように思えた。最近の急速な精神科医療の発展のうちにあって、WHOの精神衛生専門委員会が出した第三報告書(専門報告シリーズ第73号、1953)に書かれている原則に十分な注意が払われていなかったし、社会精神医学の最近の発展についての認識も全くないようであった。
(その1に続く)
(野田正彰著『犯罪と精神医療 クライシス・コールに応えたか』岩波現代文庫、2002年)
by open-to-love | 2008-01-03 20:46 | クラーク報告 | Trackback | Comments(0)