精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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カテゴリ:盛岡社会福祉専門学校講義( 7 )

あなたの大切な人が精神障害になったら、あなたは何をしてあげられるか?
(2009.07.21 13:00~15:00 盛岡社会福祉専門学校講義「精神障害者家族の理解」)

■おわりに…あなたの大切な人が精神障害になったら、あなたは何をしてあげられるか?

 この問いに対して、私は答えを出しません。みなさん一人一人が考え、それぞれが答えを出して下さい。

 私自身ならどう答えるか?「特にありません」です。だって、精神障害になろうがなるまいが、その人があなたにとって大切ならば何かをしてあげたいと思うのは当然ですよね。
 そして、大切な人なんであればなおさら、その人に何をしてあげられるか、という発想はそぐわない。なぜなら、あんまりその人にあなたがしてあげたら、その人はあなたなしにしかいられなくなってしまう。そして、もしあなたがその人より先に死んだら、その人は困ってしまう。だから、あなたがなすべきことは、その人に何かをしてあげるんじゃなく、その人があなたなしでもそこそこ楽しく生きられる社会にするよう、あなたなりに努力することだと思います。どうすればいいか? それぞれのやり方でいいと思う。
 で、私は、ハートネットを始めました。あなたはどうする?


 【参考】精神障害者の婚姻率(結婚している人の割合)について、月刊『ぜんかれん』2004年8月号掲載の厚生労働省精神障害者社会復帰サービスニーズ等調査(2003年)を紹介します。

結婚している=外来患者34・6%・入院患者14・6%・社会復帰施設入所者3・6%
配偶者と死別、独身=外来患者4・7%・入院患者9・0%・社会復帰施設入所者2・7%
配偶者と離婚、独身=外来患者10・3%・入院患者15・2%・社会復帰施設入所者21・6%
結婚歴なし=外来患者50・3%・入院患者61・2%・社会復帰施設入所者72・1%
(有効回答数:外来患者7735人、入院患者11730人、社会復帰施設入所者2794人)

 このほか、神奈川県川崎市が市内の精神科医療施設の受療者で統合失調症患者を対象に行った社会復帰ニーズ調査(1997年)での婚姻率は26・3%で、同市が6年後に精神保健福祉手帳所持者を対象に行った精神保健福祉ニーズ調査(2003年)の婚姻率は18・7%。さらに、全家連が作業所通所者を対象に行った地域生活本人調査(1998年)の婚姻率は7・4%と、調査によって数値にばらつき(3・6%〜34・6%)が見られます。ちなみに近年、日本の婚姻率は低下傾向にあり、2001年国勢調査によると、15歳以上人口の婚姻率は男性が61・8%、女性が58・2%。いずれにせよ、精神障害者の婚姻率は低いことが、これらのデータからうかがえます。なお、子どもの精神病発症を直接・間接の原因とした両親の離婚率調査は存在しません。
by open-to-love | 2009-07-21 15:22 | 盛岡社会福祉専門学校講義 | Trackback | Comments(0)
あなたの大切な人が精神障害になったら、あなたは何をしてあげられるか?
(2009.07.21 13:00~15:00 盛岡社会福祉専門学校講義「精神障害者家族の理解」)

■09■私より苦しんでる人はたくさんいる…ある女性の手記

 本論をまとめるにあたり、何人かのご家族から取材しました。そのうち、最近知り合ったある女性から、手記を寄せていただきました。夫がうつ病で、小さいお子さんを抱えている方です。一部をここに紹介させていただきます。

 「夫がうつ状態になってから、受診までは早かったと思います。「うつ病」という言葉自体はよく聞くようになっていたし、自分は子育てで手一杯で、夫の病気までは手に負えず、すぐに受診を薦めました。うつ病は薬を飲めば3カ月ぐらいで良くなります、という説明を信じていました。が、ちょっと認識が甘かったかもしれません。
 夫の病状はなかなか良くなりませんでした。夫が主治医にそのことを伝えても、治療方針は変わりませんでした。そして私も、うまく主治医にその状況を伝えることができませんでした。夫が同席の場では、私がそれを言ったら夫がキレるんじゃないか、怖い…と、どうしても伝えることができなかったのです。夫がいない場で主治医に伝えたかったのですが、私と単独では会ってくれませんでした。本人主体の医療の必要性は分かるが、家族の思いをすくいあげて治療につなげてもらえる支援がほしかったです」
 「夫の問題行動の中で、さすがに理性=病気への理解を、感情が越えてしまったこともありました。でも、一度私があまりに困って追い詰められて「もうこれではやっていけない」と言ったら、夫はパニック状態になり、大変だったのです。警察や救急車を呼びかねない状況でした。本当に恐かった。結局は何も呼ばずに済みましたが、忘れられない体験でした。この時、今、「この人を死なせてはいけない」という一点だけが重要なのだと思いました。一番大変なのは本人なんだ」
 「子どもが生まれてくる意味を本当にいろいろ考えました。家族を壊してはダメなんだと言われているような気がしました。そんな感じで、ギリギリ今までやってきました。夫に対する意識的な距離感が常にあって、そのことで共倒れにならずに済んだのかとも思います。パパもママも等しく好きでいてくれる子ども達に助けられています」
 もし(夫婦ではなく)親子だったら…。母親としての感情が先立って、夫に対して持っている距離感は持てないのかもしれない。ある障害を持つ子どものお母さんが「私たち母親というものはあの時私がこうしていたら…と常に後悔しながらも、必死に前を向いて子育てしていく存在なのかもしれない」と書いていました。その気持ち、すごく分かっちゃうなあ、と思いました。母親ってそんな特別な心理を持っているので、平静でいられないのかもしれない、と想像します」
 「家族として、この病気に出会ったことには意味があると、(無理矢理にでも)考えたいんです。いろんな家族と出会って、自分が特別なんじゃない、自分より大変な人がたくさんいるんだと分かりました。自分の問題が少し落ち着いたら、悩んでいる家族の人たちのために自分ができることを考えてみたいなと思う」

 この女性は、手記を寄せてくれた際、私に言いました。
 「あんまり自分が冷たくて、書いてて落ち込んじゃいました。黒田さんも、がっかりされるかなあと思ったんですが、ありのままの自分の気持ちを率直にお話したかったんです」
私は答えました。
 「全然がっかりしてません。冷たくないと思いますよ。もしダンナさんのうつ病がすっかり治ったとしても、あなたとずっと友達でいれたらいいな、と思います」

■10■孤立から共感へ…あるべき支援とは?

 手記を寄せてくれた女性の素晴らしさ、みなさん、お分かりになりますか? それは、夫の病気と子育てに追われギリギリの心理状態で日々を過ごしつつ、しかも、適切な支援も受けられていないにもかかわらず、「一番大変なのは本人なんだ」と夫の病状を気遣い、他者の苦しみと出会ったことで「自分より大変な人がたくさんいる。悩んでいる家族の人たちのために自分ができることを考えてみたいな」と思えることです。私はここに、他者の痛みに共感できるという人間存在の素晴らしさを感じます。そして、私自身が家族となったことで、この方と知り合えたことをうれしく思います。
 ここで、「はじめに」で紹介した女性と、この手記の女性との違いを考えてみましょう。といっても、苦しみの度合いを比較するわけではない。苦しみは比べられません。
 それぞれの苦しみは苦しみとして、その上で、私は、「はじめに」の女性が、手記の女性のように、他者の痛みに共感できたら、「悩んでいる家族の人たちのために自分ができることを考えてみたいな」と考えられるようになったら、どんなにか楽になることだろう、と思うのです。なぜなら、この世の中の誰一人として私ほどの苦しみは知らない、という「苦しみのランク付け」の発想からは、孤立が生まれこそすれ、共感は生まれないからです。共感は、つながりを生みます。孤立は、さらなる困難しか生まない。
 私が手記の女性から学んだのは、共感の姿勢です。そして、ハートネットが、他者の苦しみと自分の苦しみを比較しランク付けするのではなく、多様な家族はもとより参加者一人一人が共感しつながる場であればいいな、そうあるように頑張りたいな、と思います。
 そして、ここに、支援者が学ぶべき、あるべき支援とは何かについての答えもあると思います。支援とは、サービスを付けてあげることだけではありません。いっぱいサービスを付けてあげることによって、苦しみが解決するわけでは、必ずしもありません。精神はそもそも、付けられるサービス自体が乏しいのだし。むしろ、苦しみのただ中にあって他者とつながろうとせず孤立している人を、他者の苦しみへの共感とつながりへと導くきっかけをつくることこそ、あるべき支援ではないでしょうか。
(「おわりに」に続く…)
by open-to-love | 2009-07-21 15:21 | 盛岡社会福祉専門学校講義 | Trackback(2) | Comments(0)
あなたの大切な人が精神障害になったら、あなたは何をしてあげられるか?
(2009.07.21 13:00~15:00 盛岡社会福祉専門学校講義「精神障害者家族の理解」)

■07■時代の変容…さまざまな家族のかたちへ

 まとめましょう。なぜ精神障害者家族といえば「統合失調症の子を持つ母親」と相場が決まっているのか? 歴史的背景として「統合失調症は不治の病」であり、「発病したら一生入院」という時代が長く続いてきました。精神疾患や障害に対する無知と偏見から「精神障害者は危険だから病院に一生入れておけ」とばかりに、社会防衛的観点から精神障害者の隔離政策が長く続きました。そうした無知と偏見の中にあって、家族は周囲に言えず、苦しみを抱え孤立。そんな時代背景を受けた家族会活動も、統合失調症の親が中心とならざるを得ませんでした。かつ、発症した人は結婚もできず、結婚していたら離婚。さらには、精神疾患・障害受容の困難さは家庭崩壊を招き、「子どもの面倒は母親がみる」という社会通念と相俟って、両親が離婚し母親が介護負担を引き受ける…。こうして、介護も苦しみも、お母さんが一身に引き受けてきた。同時に、それ以外の家族のかたちは、なかなか成立しなかった。シンプルにいえば、こういうことです。
 ただ、最近、時代は大きく変わってきました。かつては精神病院というと、窓に鉄格子のはまったドンヨリした雰囲気の建物ばかりでしたが、都市部を中心に敷居の低い精神科クリニックがちらほら出来はじめました。社会的入院を減らすための退院促進事業も取り組まれています。障害者自らが心の病の理解を訴える演劇グループが結成されたり、精神障害者のアート活動が盛んになるなど、「心の病」と身近にふれ合える機会も増えています。
 なお、日本では、別の意味でも精神障害が身近になっています。というのは、統合失調症は洋の東西を問わず、昔も今もなぜか100人に1人がかかる病気ですが、うつ病患者が急増し「うつ病の時代」とまで言われています。それは、派遣業務原則自由化など雇用流動化政策や「聖域なき構造改革」の社会保障費縮減に伴う、ストレス社会=格差社会の進行と無縁ではないことでしょう。その日本では自殺者が11年連続で年間3万人を超え社会問題化していますが、自殺者の多くがうつ病など心の病を抱えていたことから、その早期発見・治療が叫ばれています。啓発活動の成果もあるでしょうが、おそらくはそれ以上に社会情勢の悪化によって、社会全体の心の病への理解は深まっている。そして、20歳前後の発症が多い統合失調症に対して、うつ病の発症年齢は働き盛りから老年まで幅広い。よって、伴侶がうつ病になる可能性は、統合失調症より高い。「ツレがうつになりまして」がまさにそうですよね。一方で統合失調症治療も新規抗精神病薬の開発によりずいぶん症状に改善が見られるようになり、入院から通院治療へと大きくシフトしてきています。
 このように精神を取り巻く社会状況が大きく変容する中、精神障害者家族の在り方も、「統合失調症の子を抱える母親」から、まだまだ少数ではありますが「さまざまな家族のかたち」があり得る時代への移行期に差し掛かっていると思います。
 でも、今、多様な家族のかたちが生まれつつあるにもかかわらず、その多様性を阻害し、家族を崩壊へと導く要因は、制度的にも社会的にも、いまだ山積しています。例えば、家族の意思で当事者を入院させることができる医療保護入院の撤廃と公的な受診支援の制度化はさっぱり進まない。医療保護入院は、精神保健福祉の家族依存の象徴であり、当事者と家族の決定的断絶のきっかけともなります。かといって、公的な受診支援は一部の保健師の個人的努力いかんに委ねられている現状があります。さらに、精神医学と民法とのクロストークもこれからです。例えば、法定離婚要件の「強度の精神病にかかり、回復の見込みがない」の定義について、法律と精神医学とでは、相当の開きがあると思われます。これに関しては、家族の立場からしても、「夫婦の協力義務」「一家の主婦としての任務」とは法的に判断し得るものというよりは、本質的に主観的なものじゃないのかな、こうした要件があること自体精神障害への無理解と家父長制度の現れじゃないのかなと思います。
 まだある。精神障害当事者・家族の離婚率など基礎的な実態調査もされていない。公的な支援は主として統合失調症とうつ病に留まっている。「保健・医療・保健」の時代から「保健・医療・福祉」の時代における「保健」の正当な位置付けもなされておらず、ベテラン保健師のノウハウが受け継がれていない。精神保健福祉施策と女性施策の連携もこれからです(ただし、県精神保健福祉センターが「自殺未遂者の7割が女性」という調査データを基に、DVなど女性相談担当者に自殺対策研修会への参加を呼び掛けたことは意義深い。今後の展開が期待されます)。
 一方、家族サイドの課題としては、依然として統合失調症患者の家族中心のつながりにとどまっており、さまざまな精神疾患・障害者と家族とのネットワーク化の推進が進んでいない…などなど。よって、普通の「家族」がさまざまであるように、精神障害者家族もさまざまであり得るようになるのは、当分先のことでしょう。

■08■そこで、盛岡ハートネット

 とまあ、いろいろ課題を列挙しましたが、その解決のためにどうやって取り組んでいけばいいか。一つの解決策として、私たちは、精神障害がある当事者、家族、関係機関、市民のネットワーク「盛岡ハートネット」という活動をしています。2007年10月に結成、2~3カ月に1回のペースで例会を開き、専門家の講演、おしゃべり交流会などをやっています。このネットワークの特徴は、誰が来てもいい、ということです。盛岡市外にお住まいの方でも、統合失調症じゃなくても、匿名でも、まだ受診してない人でもその家族でもいい。関心ある一般市民はもとより、あんまり関心のない通りすがりの人でもいい。当事者や家族や関係者が閉じた空間でばかりしゃべっていても、世の中にその声は聞こえず、よって世の中は変わらないから。規約も年会費もなし。代表者は置いてません。なぜなら、参加される一人一人が代表だから。事務局は私ほか2人の3人体制。例会のテーマは、アンケートに書かれた要望を踏まえ設定します。規約も財源の裏付けもないネットワークの存立基盤はただ一つ、ニーズのみ。幸い(?)、ニーズはたくさんあります。当初は統合失調症の子どもを抱えたお母さんが参加者の中心でしたが、回数を重ねるうち、うつ病、躁うつ病、適応障害、パーソナリティ障害などさまざまな精神疾患の当事者、その家族、一般市民の参加も増えてきました。会員制じゃなく、例会のたびに案内を出して、来たい人が来るという方式ですが、例会案内希望者は250人・団体にまで広がっています。いろんな人が来ることで、いろんな立場からの声が寄せられ、相互対話が深まり、共生社会の樹立へとつながっていく…そんなつながりの広がりを期待しています。
 例会の開催日時と場所は、ブログ「Open, to Love」に随時アップしますので、みなさんも良かったら来てくださいな。「はじめに」で述べた通り、私が精神障害者家族の総意を代弁しているわけではありません。例会の場には、実にさまざまな立場の方がいらっしゃいます。いろんな人と対話することで、自分なりの家族とのかかわり方を見出してください。
(⑨⑩に続く…)
by open-to-love | 2009-07-21 15:20 | 盛岡社会福祉専門学校講義 | Trackback(2) | Comments(0)
あなたの大切な人が精神障害になったら、あなたは何をしてあげられるか?
(2009.07.21 13:00~15:00 盛岡社会福祉専門学校講義「精神障害者家族の理解」)

■05■さまざまな「家族」のかたちの阻害要因③強固な性別役割分担意識

 精神のみならず障害者を支える家族が往々にして母親であることについては、日本が「男は仕事、女は家庭」「子育ては母親が担う」という性別役割分担意識が根強いお国柄であることも大きな要因として考えられます。例えば子ども未来財団「子育てに関する意識調査事業報告書」(2000年度)によると、男女間で役割分担の理想的なあり方に関する認識は、男女ともにほぼ「男性4:女性6」で一致。でも実態は「男性2:女性8」と女性が大半を負担している現状があります。
 さて、健常者の世界でもこうなのですが、これが障害分野になると、それどころではありません。例えば、岩手日報連載「自立支援の名の下に 新法1年 障害当事者らの思い」(2007年5月14日~18日、全5回)の第4回、テーマは「精神疾患&DV&離婚&生活保護」でした。

 統合失調症の娘と盛岡市内で暮らす女性(52)は、いつも笑顔だ。「実はボロボロなんだけどね」。生活は困窮、自分も病気がちで先は見えない。「でも心は自由よ」と軽やかに語る。
 2003年4月、状態が不安定になった娘が高校を退学。5月、離婚。6月、生活保護受給。「私に残されたエネルギーを何に使うかの選択権は自分にある。少ないからこそ精いっぱい使いたい」と、行き詰まった状況であえて離婚した。
 長らくドメスティックバイオレンス(DV)に苦しんだ。「この子がおなかにいるときに、腹をけ飛ばされたこともあった」。加えて、夫は障害に対し無理解だった。娘の苦しみに寄り添う代わり、酒におぼれた。その顔がゆがんで見えた。
 「男は逃げる。私(女)は逃げない」。夫と決別し、娘のために生きると決めた。その選択は同時に、経済的な支えを失うことでもあった。心は自由、しかし自立は遠い。
 女性ゆえ、子どもが障害を持ったがゆえに、彼女が迫られた二者択一。育児と介護は女性が担うという根強い性別役割分担意識は、DVや障害の問題と絡み合い、女性に重くのしかかる。障害に対する夫の無理解と責任放棄から家庭崩壊した場合、母子はあっという間に生活保護へ転落する。
 県内の06年度の生活保護受給世帯は月平均7848世帯。うち障害者世帯は13・2%、母子世帯は5・6%。この割合はあくまで生活保護制度上の世帯類型に基づく。彼女のように、生活実態として子に障害がある母子家庭の受給割合は不明だ。もちろん、経済的支えを維持するため離婚しない女性の数も不明だ。
 保護費は月額約17万円。支出でかさむのは交通費だ。娘は定期的な通院が必要だが、障害のため一人で出歩くのは難しい。彼女が付き添いタクシーで通院することが多く、月4万円を超えることもある。
 ところが、その生活保護すら、母子加算の減額など抑制策が始まった。
 彼女は言う。「相変わらず男性中心の世の中だが、国の役割は低下し自己責任の世の中になってきている。せめて、個人がいくら頑張ってもできないことを救うのが国の役割じゃないかしら」
 保護費から残ったわずかな金は、自身がかかわる精神障害者家族会や当事者交流会の経費に消える。「自分ができることは自己責任で頑張る」。娘の世話の合間を縫い、残りの人生を燃やすかのように笑顔で奔走している。
 社会保障費の圧縮、名ばかりの男女共同参画。「美しい国」とされる日本の現実にあって、彼女の笑顔は美しい。

 …ちなみに、この記事を書いたのは私でした。昨今、さかんに「男女共同参画社会」とか「ワークライフバランス」とか喧伝されていますが、こと障害分野において、その掛け声は遠くで鳴る鐘でしかない。根っこの部分にはいまだ家制度がはびこっているのであり、それは障害分野において明白に露呈する。そんな問題意識で当時、記事を書きましたし、その考えは今も変わってません。
 ちなみに、知的障害児者家族の場合、「障害(児)者・家族の暮らしと介護者の健康調査」(1995年9月~12月調査)によると「主たる介護者は母親」は96.8%、「重度知的障害(児)者の家庭での介護支援についての実態調査」(2001年6月~9月)によると94.4%という高率となります。精神におけるこの種の統計はありません。統計が存在しないこと自体が問題なのですが、おそらく、知的と同様でしょう。
 なお、障害者生活支援システム研究会編『ノーマライゼーションと日本の「脱施設」』(2003年、かもがわ出版)は、このデータから次のように指摘しています。

 家族依存の考えが、地域における福祉基盤整備の遅れの免罪符ともなっているのです。…多くの障害児者の家族は、障害をもつわが子の発達や成長を切実に願っても、それを実現するための金銭的・時間的なゆとりがないために支援の投入をあきらめざるを得ません。こうした状況が繰り返されることで、家族は精神的な「その日暮らし」を加速させていき、「できるところまで家族で支えることが、障害児者の幸せなのだ」という思いに達します。将来に希望が見いだせないからこそ、家族は現状の姿にせめてもの安心を見出そうと努力します。せいいっぱい愛情をささげ、より濃密な家族介護を展開しようと努力するのです。一方、介護を受ける障害児者は、適切な時期に親離れの機会を逸するとますます家族(とりわけ母親)への依存を強めてしまいます。家族介護の反復は、精神的にも障害者と家族を分かちがたい依存関係に導いていく原因となっているのです。

 鋭い。精神にも通じる指摘でしょう。

■06■精神障害者・家族の離婚について

 まだ結婚されてないであろうみなさんを前にして、こうした話をするのはいささか気がひけますが、第1東京弁護士会人権擁護委員会編『新 離婚をめぐる相談100門100答』をテキストに、精神障害とゆかりの深い離婚にまつわる法律の話を紹介します。
 離婚には、協議離婚、調停離婚、審判離婚、裁判離婚の4段階があります。裁判になった場合の法定の離婚原因は、民法770条1項に①配偶者に不貞な行為があったとき②配偶者から悪意で遺棄されたとき③配偶者の生死が3年以上明かでないとき④配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき⑤その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき-となっています。このうち「④配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき」とはどういうときか。

 ここでいう「精神病」とは、統合失調症、そううつ病、偏執病、初老期精神病などの高度の精神病といわれており、健康状態と高度精神病の中間にあるアルコール中毒、麻薬中毒、ヒステリー、神経衰弱症(ノイローゼ)などは該当しません。後者の症状を理由として離婚を請求する場合は、本条項4号ではなく、同条項5号の離婚原因に該当するか否かを検討することとなります。また、「強度の」精神病というのは、婚姻の本質である夫婦の協力義務(民法752条)が十分に果たし得ない程度に精神障害がある場合を意味しています。事理弁識能力を欠き、成年後見開始の審判を受けているような場合のみを意味するのではありません。さらに、精神病が「回復の見込みがない」こと、すなわち不治であることを要します。この点、判例は、精神病の程度が一時より軽快しており近い将来一応退院できるとしても、通常の社会人として復帰し、一家の主婦としての任務に耐えられる見込みがない場合につき、本条項4号により離婚を容認しています。他方で、精神病で入院歴があるだけでは足りず、度々入院していてもその都度日常生活に支障がない程度に回復している場合は、不治の精神病にはあたらないと思われます。不治の精神病にあたらないとされたときも、民法770条1項5号の問題となります。

 難しい法律論議はともあれ、要するに、法的には精神病を理由として離婚できるケースがあるということです。ただ、裁判までして離婚するケースは少なく、協議離婚が9割を占めている。2004(平成16)年の離婚件数は27万804件ですが、協議離婚は89.6%、調停離婚は8.7%に過ぎません。精神病を理由とした協議離婚の割合は不明ですが、おそらく多いとみて間違いないでしょう。その理由は、「精神疾患・障害受容の困難が引き起こす家族崩壊」の章での指摘から類推していただけるかと思います。
 なお、私自身は離婚していませんが、かといって、「伴侶が精神病になっても子どもが精神病になっても離婚しないで下さい」と積極的に呼び掛けたいわけでも、離婚した人を責めるつもりもありません。私は離婚しないから偉いわけでもなく、結婚至上主義者でもない。結婚も離婚もあくまで両性の自由意思でなされるべきと考えます。ただ、精神病に起因する離婚が多い(であろう)現状が、両性の自由意思・自己決定に基づいた結果であるかどうかといえば、決してそうではないと思う。それこそが問題です。
 自己決定とは、①文字通りの自己決定、②強いられた自己決定、③暗黙のうちに強いられてるのに本人が気付いてない自己決定-という、少なくとも3つに分類されますが、精神疾患・障害に対する無理解と偏見が根強い現状において、②強いられた自己決定、③暗黙のうちに強いられてるのに本人が気付いてない自己決定―の結果として、精神病を直接・間接の原因とする離婚が多いのではないか。そして、私は、精神障害への理解がある世の中になってほしいのはむろん、精神障害であろうとなかろうと、結婚であれ非婚であれ離婚であれ、文字通り自己決定が尊重される世の中になってほしいと願います。
 なお、精神障害と離婚については、DVでうつ病やPTSDを発症した女性が離婚する、あるいは夫に離縁されるといったケースも大きなアベレージを占めていると思われますが、実態は闇。参考までですが、2001年のWHO日本調査や2002年の厚生労働科学研究では、DV被害がメンタルヘルスに与える影響として、高頻度でPTSDやうつ病がみられること、被害女性の自殺念慮・企図率の高さなどを指摘しています。
(⑦⑧に続く…)
by open-to-love | 2009-07-21 15:18 | 盛岡社会福祉専門学校講義 | Trackback(1) | Comments(0)
あなたの大切な人が精神障害になったら、あなたは何をしてあげられるか?
(2009.07.21 13:00~15:00 盛岡社会福祉専門学校講義「精神障害者家族の理解」)

■03■さまざまな「家族」のかたちの阻害要因①歴史に根差した偏見と差別

 精神の歴史は、一言で言えば、ずっと昔は座敷牢、一昔前は精神病院に一生入院でしたが、ここ最近は地域に住んで通院するようになりました。
 精神障害者は、ずっと昔(100年前)、私宅監置、要するに馬小屋みたいな座敷牢に入れられ、家族が一生面倒をみることが義務付けられていました。その悲惨な実態を全国調査し告発した東大教授呉秀三は、「精神病者には二重の不幸がある。この病気にかかった不幸と、この国に生まれた不幸と…」という名文句で、病院の設置を訴えたのですが、進みませんでした。「お国のため」に役立たない精神障害者に回すお金はなかったようです。
 戦後、ようやく精神病院の設置が進みましたが、今度は、病気になったら最後、一生病院に入りっぱなし。精神疾患の治療と社会復帰推進のためというより、「危ないやつは病院に入れとけ」みたいな社会防衛の側面が強かったからです。1950年代に抗精神病薬が開発され日本にも輸入、症状が抑えられるようになりました。そこで、欧米では地域移行(入院から通院へ)が進みましたが、日本では回復しても精神病院に入れっぱなし。これを「社会的入院」といいます。
 でも、1960年代にWHOからクラーク博士が来日して実態調査し、「日本の精神病院には非常に多くの分裂病者が入院しており、長期収容による無欲状態に陥っている。厚生省はこの状態を改善するために作業療法などのリハビリテーションの推進を図るべきである」と勧告(クラーク勧告)。にもかかわらず現状はたいして変わらなかったのですが、1980年代、宇都宮病院事件(入院患者が看護者のリンチを受け殺害された事件)などを契機に、日本の人権無視の精神障害者処遇は世界的な批判を受け、ようやく変わってきました。回復して退院したけれど行き場のない精神病患者のため、小規模作業所など家族の自助努力で担われてきた社会復帰への取り組みを、公が担うようになってきたのです。
 1993年の障害者基本法で、精神障害者は念願の「福祉」の対象として位置付けられ、2006年の障害者自立支援法では、身体・知的・精神の3障害のサービスが一元化されました。ただ、精神障害者は福祉の仲間入りをしたのがごく最近だけに、地域で生きるためのいろんなサービスがまだまだ乏しいのが実情です。
 座敷牢であれ精神病院であれ、長らく社会から精神障害者を隔離する政策が続けられていただけに、無理解や偏見や差別は、実に根深いものがあります。それは、精神障害者とその家族の孤立、沈黙、不信、あるいは、数多くの悲劇をも生みました。最近、「当事者主体」の掛け声の下、家族のパターナリズムがしばしば批判されますが、私としては、この100年の歴史、100年の孤独を思うにつけ、そうなったのには無理からぬ面もあるのではないかと思うのです。偏見や差別に苦しんできたのは、当事者も家族も同じなのです。

■04■さまざまな「家族」のかたちの阻害要因②精神疾患・障害受容の困難

 精神障害者家族とは何か? それは、当事者を支える最も身近な存在です。が、その認識で十全でしょうか? 家族が当事者を支えるべき存在として期待されていることは確かですが、実態としては、それがすべてじゃない。当事者とのかかわりにおいて、家族は3つのタイプがあるといえます。すなわち、①当事者を支えようとする家族②支えようとしても支えられず崩壊する家族③支えようとせず崩壊する家族-です。精神障害者家族を考えるためには、この3タイプを踏まえたトータルな視点が必要かと思われます。
 介護福祉士はじめ福祉関係者の方は、障害者自立支援法の枠内において①「当事者を支えようとする家族」、つまり、サービスを利用することで当事者を支えようとする家族とのかかわりが多いでしょう。でも、だからといって、精神障害者家族を、当事者を支える存在とだけ期待し、その限りにおいてのみ支援対象を考えるという「福祉」の枠内の発想にとらわれると、全体像が見えなくなる。そんな家族がすべてではなく、①に至る以前の段階で悩み苦しんでいる家族が、③から②へ、そこから①へと進もうとして果たせない家族がごまんといます。そんな、「福祉」の枠外の家族へのなまなざしを持てるかどうかは、その支援者に「保健」の視点(精神保健福祉法の領域)があるかどうかにかかっています。
 「福祉」の前、つまり、家族崩壊の最大の危機と隣り合わせの受診前の段階において、当事者の問題は家族の問題でもあり、当事者支援は必然、家族支援も含み、家族支援は必然、当事者支援を含む。要するに、家族支援はそんなに甘いもんじゃないということは、まともな保健師ならご存知です。ところが、近年、多様な専門職種の制度化により、「保健」を知らないで「福祉」の枠内でしか物事を見れない支援者が少なからずいるように見受けられます。
 そこで、ここに、ディープな精神保健の世界、つまり、当事者=家族の精神疾患・障害受容のプロセスを紹介します。
 精神には、疾患と障害という2つの側面があります。①精神疾患(統合失調症やうつ病など)と、②精神障害(疾患に伴う当事者の生きづらさや対社会的困難)です。そこに、③それらに伴う家族の困難が伴います。当事者と家族の精神疾患・障害受容のプロセスは、この①②③がすんなり分けられず、①②③の順番で正しく(?)推移するわけでもなく、むしろグチャグチャ混ざり合ってこんがらがってしまうのが実情です。
 端的に言えば、②精神障害(引きこもり、近所とのトラブル、家庭内暴力、自殺未遂、金銭の浪費、行方不明など)が、③病気に伴う家族の困難(離職、転職、離婚、DV、生活困窮)を引き起こしつつも、なお現実を受け入れられず体力の限界まで抱え込み、①その原因は実は疾患にあったことに、しばらく経ってから気付く…。よって、常識的には①②③、つまり、ある人が①精神疾患を発症し、②それに精神障害が伴い、③それによって家族もさまざまな困難に遭う-となりますが、現実には、むしろ②③①の順で受容されていく。あるいはそれらがもつれあいこんがらがった状態、例えば②②③②②③②①②③②①といった経過をたどり、ようやく受診に至り、そこで初めて、この大変な状況の原因は実は精神疾患だったことに気づく、といった感じで推移してしまうのです。
 例えば、2006年5月の受診に至るまでの数年間、わが家の場合は②③②③①と推移しました。妻の状態がなんか変だよな、と思いつつも、私は仕事の忙しさにかまけて手をこまねいていた。そのうち、具体的には記しませんが、対社会的トラブルが起き、私はその対処を迫られ、そういうことを起こした妻を責めた。でも、まだそれが精神疾患に起因するものだとは知らなかった。そうしたことが再び繰り返され、このままではわが家は崩壊するな、と初めて実感した。そこで、私はようやく、その原因はなぜかを考え、いろいろ調べ、精神疾患の可能性に思い至った。そこでようやく会社に休みを申請し、受診を説得し、引きずるように妻を病院に連れて行った。妻は精神疾患(統合失調症)と診断された。そこで私はようやく、妻の状態が変だったのも、対社会的なトラブルも、根本的な原因は精神疾患だったことに気づいた、というわけです。なお、嫌がる妻を無理矢理病院に連れて行った自分の行為を、私は今なお、そして、これからも、許す気はありません。
 さて、このようなわが家ですが、他の家庭に比べれば恵まれてる方と思います。なぜなら、私は職場の同僚の理解があるし、かつて居酒屋でバイトも経験していたから料理が得意だし、娘も自立心旺盛だし、仕事でどうしても家のことができないときは親の援助も得られる。だからわが家は幸い②③②③①で済みましたが、少なからぬ他の家庭では②②③②②③①②③②①②③②①①②③①…になってしまっていたりします。
 ここまでグチャグチャになってしまう原因に、受容の困難があります。なぜ受容が困難か? 精神疾患・障害について社会の理解がまだまだなために、当事者も家族もそもそも精神疾患・障害を知らないため、気付くのが遅れるということ。早期発見・受診のためには、精神疾患や障害理解を学校教育に取り入れる必要性があろうかと思われます。
 受容の困難な理由には、精神疾患は生まれつきではなく、中途障害であるという特性も影響していることでしょう。統合失調症の場合、20歳前後で発症することが多い。すると、その時親は50歳前後。一説には、当事者も家族も病気を受容するのに10年かかるといいます。すると、親はもう60歳ですから、体力も気力も衰えつつある。例えば、高校卒業までは元気にすくすく育っていた子どもが、首都圏の大学に合格し、親元を離れて一人暮らしを始めた。元気にやってると思ってた。でも、あんまり連絡がないんで不審に思い、様子を見に上京した。すると、わが子が部屋にうずくまり、カーテンを閉め、なにやら怯え、意味不明なことを口走っている。おかしい。とりあえず実家に連れ戻したが、あいかわらず様子が変だ。嫌がる本人を無理矢理精神病院に連れて行ったら、統合失調症と診断され入院…。家族は苦しむ。「あれほど快活で、親の言うことをなんでも聞いて、可愛かったわが子が…」。楽しい学生生活から精神病院へ、当事者の生活が急変するのみならず、家族の生活もガラガラと変わります。しかも、精神障害に対しては、長い歴史に根差した偏見と差別がある。だから、「奥さん、息子さん元気でやってますか?」とご近所の人に尋ねられても「いえ…。ちょっと…」。隣近所にも、親しい友人にも病気のことを言えない。口ごもり、隠してしまう。わが家が突如、これまでの人間関係から切り離され、孤立し、苦しみを抱えてしまう。こうした事情も病気(障害)の受容を困難にし、かつ、受容に時間がかかっているうちに症状がますます悪化し、手をこまねいているうちに、親子の決定的断絶あるいは共依存関係、DV、自殺未遂、生活苦、一家離散などを引き起こす…。
(⑤⑥に続く…)
by open-to-love | 2009-07-21 15:17 | 盛岡社会福祉専門学校講義 | Trackback | Comments(0)
あなたの大切な人が精神障害になったら、あなたは何をしてあげられるか?
(2009.07.21 13:00~15:00 盛岡社会福祉専門学校講義「精神障害者家族の理解」)

■01■さまざまな「家族」のかたち

 「家族」という言葉に、みなさんは何をイメージするでしょうか? 次に「精神障害者家族」という言葉に、みなさんは何をイメージするでしょうか? おそらく、それぞれのイメージは同一の広がりを持たない。単に「家族」といった場合、それはものすごくさまざまです。一方で「精神障害者家族」といえば、そもそもイメージが浮かばないか、せいぜい浮かんだとしても「統合失調症の子どもがいるお母さん」です。私は妻の発症に伴い、岩手県精神障害者家族会連合会(岩家連)に入りましたが、会員の多くはお母さんで、伴侶が精神障害者というケースは極めてレア。不思議でした。そんな私に、岩家連の先輩のみなさんは「それはね、この病気になるとみんな離婚するからだよ」と優しく教えてくれたので、へ~そうなんだと思ってました。ところが、盛岡ハートネットの活動を始めて多くの当事者や家族と知り合ううち、確かに離婚してる人は多いけど、決してみんながみんな離婚しているわけではなく、少数派にせよ、さまざまな「精神障害者家族」のかたちがあることを知りました。とりあえず、5つに分類してみましょう。

①子どもが当事者で両親が「家族」/子どもが当事者で母親(父親)が「家族」
 これが、一般に想定される「精神障害者家族」です。岩家連会員の多くは、ここに該当します。高齢の方が多い。親が両親か、片親かは分けて考える必要があります。子どもが精神病を発病したことを直接・間接的な原因として離婚に至るケースが多いからです。

②親亡き後、きょうだいが「家族」になるケース
 きょうだいには、親のきょうだいと、当事者のきょうだいと、いずれもあります。親が存命中には、親が当事者の世話をしていた。ところが、親が年をとって動けなくなったり亡くなったりして、そのきょうだいや、当事者のきょうだいが当事者の世話を受け継ぐ、ということになります。今後、増加が見込まれます。が、親からきょうだいへの受け継ぎは、必ずしもスムーズに行くわけではないようです。

③親が当事者で、子どもが「家族」のケース
 今話題の中村ユキ著「私の母はビョーキです」がこれですね。

④妻(夫)が当事者で、夫(妻)が「家族」のケース
 私がここに該当します。藤原紀香主演のテレビドラマ「ツレがウツになりまして」もそうですね。

⑤当事者同士が結婚して「家族」となるケース
 一昔前は、当事者同士であろうと、当事者と健常者であろうと、結婚なんてもってのほか!でしたが、最近はぼちぼち結婚する人が出てきました。

■02■従来の精神障害者家族モデル…「統合失調症の子を持つ母親」

 これだけ多様な「精神障害者家族」がいるのに、また、精神障害者家族像は多様であっていいのに、いまだ精神障害者家族=統合失調症の子を持つ母親、というイメージが強い。なぜか? 岩家連が加盟している全国精神保健福祉会連合会(全福連)の機関誌「みんなねっと」2008年7月号掲載「家族のための相談コーナー」は示唆的です。
 この号の相談テーマは「統合失調症の息子の揺れ動く症状」でした。

Q.次男は高校の時に統合失調症を発症してもう15年ほどになります。デイケアや作業所に行っていた時期もありますが、今はどこにも行かずに家で過ごしています。病気の症状が揺れ動くので、どうしたものかと思っています。息子は薬はきちんと飲む方で、生活も変化が特にありません。でも時々症状に波があって、幻聴が出てきたり、眠れなくなって、落ち着かなくなったり、うつ状態になって寝込んだりします。…

A.最近特に生活の変化はなかったのですね。

Q.しいて言えば長男の息子が小学校にこの4月に入学しました。本人も喜んで学用品をプレゼントしたりしてたんですが、そういうことも関係ありますでしょうかね。

A.そうですね。デリケートな問題ですね。嬉しいことでもあり、自分のことを考えこんでしまう材料にもなります。入学や就職、春はいろんなことがある時期です。でも何にも起こらない生活なんてありませんですね。生活は日々できごとの積み重ねともいえますから、その何かが御本人にとって刺激になることがあっても不思議ではありません。

Q.私としても悪くならないようにしたいという気持ちがあって、できるだけ原因は取り除きたいというのが正直な気持ちです。それでつい本人に何が彼を苦しめているのか聞いてしまうのです。本人も困るだろうと思うのですが。

A.気がかりになりますね。でも御本人が自覚できているとは限りません。御本人は口に出されなくてもいろいろ感じていること、考えていることがあるのでしょう。それが御本人の状態に影響しているとも考えられます。薬の助けを借りながら、軽めに切り抜けるように、主治医の先生と相談しながらできるとよいですね。家庭でのことは家族にしか分かりませんから、主治医の先生には最近の出来事を話しておくと、先生も参考になると思います。本人にあれこれ聞くのはひかえた方がよいでしょう。周りが神経質になって、心配でぴりぴりしていると、かえってそれを敏感に感じて、御本人を疲れさせてしまうかもしれません。これが難しいのですが、周囲は呑気な方が良いようです。

Q.そうなんですね。親が何とかしてあげなければという気負いがあったのかもしれません。それに見ているのがつらいという気持ちもあります。それがかえっていけないですね。

A.お母さんの気持ちはよく分かります。家族は24時間一緒にいるのですから言うほど簡単に呑気でいることはできません。目標として具合が悪くなったら、先生と相談しながら、ゆったり構えて、そっと寄り添ってあげるようにできるといいですね。

 なるほど。今後みなさんが家族とかかわる際、このやりとりを参考にして下さいね。
 さて、中身はさておき、ここでのポイントは質問者が「お母さん」であることです。このコーナーは、全福連の前身の全国精神障害者家族会連合会(破産、解散)の機関誌「ぜんかれん」以来、長らく続いています。本論執筆に当たって、あらためて「ぜんかれん」を読み返してみましたが、質問者はお母さんであることが多い。つまり、今なお、精神障害者の主たる介護を担い悩み苦しむ家族とはたいていお母さんなのだという現実が、このコーナーのスタイルに反映され、ずっと踏襲されているということです。
 なぜ、「精神障害者家族=統合失調症の子を持つ母親」とされてきたのか? その理由として、①精神障害への無知・偏見・差別②精神疾患・障害受容の困難に伴う家族崩壊③「子育ては母親が担う」という性別役割分担意識-が挙げられます。お母さんは何も好き好んでそうなってるのではなく、社会的・制度的・歴史的に規定された結果として、「子どもが精神障害になったら、当然その面倒をみるのは母親」ということになってしまったのです。
 先の5類型のうち、①子どもが当事者で母親(父親)が「家族」のケースが多い④妻(夫)が当事者で夫(妻)が「家族」のケースは少ない⑤当事者同士が結婚して「家族」となるケースが少ない-の3点を関連付けて考えてみると、分かりやすい。
 すなわち、精神疾患(統合失調症)は20歳前後で発症することが多い。すると、結婚前に発症し、偏見や差別があるがゆえ、そのまま家族(親)が面倒をみて、子どもは一生結婚しないことが多い。あるいは、結婚後に夫か妻のいずれかが発症しても、それを引き金に離婚するケースが多い、ということが考えられるのです。
 で、一昔前なら、このような「精神障害者家族=統合失調症の子を持つ母親」でよかったのかもしれないが、時代が変わりつつある今、画一的な精神障害者家族像を脱却して多様な精神障害者家族像への理解を深めることが、今後のあるべき家族支援を考える上で大前提になるのではないか、というのが私の問題意識です。
(③④に続く…)
by open-to-love | 2009-07-21 15:16 | 盛岡社会福祉専門学校講義 | Trackback | Comments(0)
あなたの大切な人が精神障害になったら、あなたは何をしてあげられるか?

(2009.07.21 13:00~15:00 盛岡社会福祉専門学校講義「精神障害者家族の理解」)
精神障害者家族&盛岡ハートネット事務局&岩手日報記者 黒田大介

■はじめに…そもそも私は、精神障害者家族の思いを代弁し得るか?
■01■さまざまな「家族」のかたち
■02■従来の精神障害者家族モデル…「統合失調症の子を持つ母親」
■03■さまざまな「家族」のかたちの阻害要因…①歴史に根差した偏見と差別
■04■さまざまな「家族」のかたちの阻害要因…②精神疾患・障害受容の困難
■05■さまざまな「家族」のかたちの阻害要因…③強固な性別役割分担意識
■06■精神障害者・家族の離婚について
■07■時代の変容…さまざまな家族のかたちへ
■08■そこで、盛岡ハートネット
■09■私より苦しんでる人はたくさんいる…ある女性の手記
■10■孤立から共感へ…あるべき支援とは?
■おわりに…あなたの大切な人が精神障害になったら、あなたは何をしてあげられるか?

【自己紹介】
1972年 8月 宮城県石巻市出身。それから石巻高卒、盛岡大卒、岩手大大学院修了
1998年 4月 岩手日報社入社、報道部教育担当記者に配属。翌年結婚
2006年 4月 報道部県警担当に異動
      5月 妻が統合失調症発症、会社を休む
      6月 編集局学芸部家庭欄担当に異動、主夫兼記者になる。岩家連入会
2007年10月 精神障害者・家族・関係者・市民の集まり「盛岡ハートネット」結成
2008年 4月 編集局学芸部文化欄担当に異動(音楽と考古学)
      8月 ハートネット・盛岡市共催「自殺と多重債務対策の連携シンポ」
      9月 「こころのシンポジウム」(一関市千厩)にパネリスト参加
     12月 「ふれあいin八幡平」で講演「記者として、家族として」
2009年 1月 ハートネット主催「キラりん一座in盛岡」
      2月 「地域生活支援セミナーinにのへ」で講演と対談
      3月 ヘルパー2級研修講師(盛岡市)
      5月 県央地区民生児童委員協議会研修会講師(紫波町)
      6月 盛岡大「ジャーナリズム論」ゲスト講師
      7月21日 盛岡社会福祉専門学校「精神障害者家族の理解」講師

【岩手日報連載】
「自立支援の名の下に 小規模作業所の現場から」2006年8月(全5回)
「自立支援の名の下にⅡ 障害当事者らの思い」2007年5月(全5回)
「共生社会へ 障害福祉 岩手の今」2007年4月~08年3月(全12回)
「自立目指して 本県出身DV被害者の軌跡」2008年1月(全6回)

【小論】
「家族会ネットワークをつくろう-家族会活動の現状と課題」(岩家連家族会長会議話題提供)
「実効性ある連携への諸課題-建前と良心」(多重債務と自殺対策シンポジウム主旨説明)
「記者として、家族として」(「ふれあいin八幡平」講演)
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」(県央地区民生児童委員協議会研修会講演)
「テクストとしての新聞記事 世論とのかかわりから」(盛岡大講義)など講演のたびに小論発表

【問い合わせ】携帯:090・2883・9043 E-mail: yukapyon@estate.ocn.ne.jp

■はじめに…そもそも私は、精神障害者家族の思いを代弁し得るか?

 精神障害者家族とはいかなる存在かについて考えるとき、私には、忘れられない思い出があります。私は2006年春、妻が統合失調症を発症して以来、それまでは縁もゆかりもなかった精神保健福祉の世界に飛び込みました。いくつかの家族会に入り、多くの家族の方と知り合いました。ほとんどが、統合失調症のお子さんをお持ちのお母さんでした。そんな中で、あるお母さんに言われた言葉です。

 「へえ~。奥さんが病気なんだ…。大変ですね。いつ病気になったの? 奥さん何歳? 黒田さんは? へえ~奥さん7つも年上なんだ! いいなあ~。うちなんか、子どもが病気ですよ! だってさ、同じくらいに死ぬわけでしょ、夫婦だし。しかもさ、奥さん7つ年上だし。女って男より寿命が7歳上じゃなかった? あ~奥さんいいなあ~。うらやましいなあ~。うちなんかさ、子どもが病気なんですよ。この子残してわたし死ねない…」

 みなさんは、このお母さんの言葉をどう思いますか? その時私は「そうですね、親子って大変ですよね」としか言えませんでした。むろん、例えば「確かに平均寿命はそうかもしれないけど、だからといって、一緒に死ぬかどうかは誰も分からない。オレ、あすコロッと死ぬかもしれないじゃないですか。自分が死んだら?って考えるのは、子どもであろうと伴侶であろうと、同じだと思いますよ」と反論することだって可能でした。でも、言えなかった。むしろ、私はその時から、なるほど、オレと女房は生物学的には一緒に死ぬから、伴侶が当事者の家族って楽だよな、と、前向きに(?)思うことにしたのでした。
 このエピソードからみなさんに理解してほしいのは、結婚するなら年上女房!という教訓ではありません。精神障害者家族といっても、親子だったり、私のように夫婦だったりとさまざまであり、一緒くたに論ずる前に、多様性に目を向けましょう、ということです。
(①②に続く…)
by open-to-love | 2009-07-21 15:15 | 盛岡社会福祉専門学校講義 | Trackback | Comments(0)