精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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カテゴリ:自殺対策連携シンポ( 4 )

シンポジウム「こころとお金の悩み解決」資料 「実効性ある連携への諸課題―建前と良心」…④(第7章、結語)

第7章

社会を変える連携

 先に「連携のメリット」として、「社会を変えることができる」「自殺を減らすことができる」という2項目を挙げました。
 「自殺を減らす」と「社会を変える」とは、同時並行でなければなりません。実効性ある連携により、複合的な悩みを抱えた当事者を支援し課題を解決に導く、持続可能な連携相談システムを組み上げることにより、自殺を減らす。でも、それは個々の事案に対処しているだけで、根本の社会を変えないことには、相談支援の現場がいくら頑張っても、自殺は減らず、予備軍はどんどん相談窓口に訪れるからです。
 社会を変えるとはどういうことか。もとより「みんなが安心して生き生き暮らせる社会をつくりましょう」的な、バラ色の、しかしながらまるで現実味を欠いた建前論議をする気は、さらさらありません。私が思い描くのは、あんまりパッとしませんが「税金が、最も必要とされているところに適正に配分される社会」です。
 そのためには、まずは「格差社会の現実、相談支援の現場はこんなに大変なんだ」というコンセンサスを得るところから始まります。それがないことには、現場の実態に見合った人員態勢や予算配分には決してつながりません。コンセンサスを得るためには、社会に実態を知らしめなければならない。実態を知らしめるためには、当事者が声を上げるのが一番。でも、当事者はさまざまな事情で声を上げられないことが多い。
 だからこそ、声を上げられぬ当事者に代わって、当事者の苦しみを一番理解している人、すなわち、相談員が声を上げていく必要があるのです。現実を見ている人の言葉こそ、説得力があります(と、かつて私は岩手日報のコラムに書きましたが、裏でずいぶん批判もされました…)。でも、相談員の個性はさまざま。上司ににらまれ組織内で孤立してもノホホンとしてる「出る釘」タイプもいれば、和をもって尊しとなすを信条とする「気配り」タイプもいる。みんながみんな一匹狼になって声を上げ、わざわざ孤立し、打たれることはない。ならばどうするか。そう、一人じゃなく、みんなで“連携して”声を上げればいいのです。みんなで話せば恐くない。だから、「連携すれば社会を変えることができる」。それでもなお相談員が声を上げられぬのであれば、次善策として、上司が代弁して声を上げてもいいですね。むろん、当事者や家族も声を上げましょうね。

 社会を変えるつながりをつくり出す端緒は相談員です。窓口を訪れる人を単なる「お客さん」と見なさず、問題解決したらそれでおしまい、さよならと考えず、その「お客さん」がゆくゆくは力強い「ピア・サポーター」として、自分たちフォーマルな専門家と連携して自殺を防止し、社会を変えていく担い手になるのだという大きなビジョンを持つところから始まる。相談員がこうしたビジョンを共有し、当事者や家族を連携して支援し、「相談員/お客さん」という1対1の個別的関係を、「フォーマル/インフォーマル」という大きな世界へ広げていく努力を続けていけば、必ずや、社会は変わることでしょう。
 「自殺防止」はもとより、「格差防止」のために、立場を越えみんなで連携しましょう。
 そもそも社会、ましてや格差社会とは、各相談現場から見える個別的現実の総体です。可視とするためには連携しなければならないですから、その全貌はいまだ不可視、思ってるよりひどいかもしれない。連携して全貌を顕在化し、連携して社会を変えていくか。それとも、建前だけの連携と無作為の隠蔽が続くのか。相談員のスタンスが問われます。


結 語

みなさんの〝ハートネット〟を

 本シンポジウムのテーマは「精神医療」と「多重債務問題」の連携ですが、連携が必要なのはこの分野だけではないことに、留意して下さい。むしろ、あらゆる分野において、連携が必要のない支援とはあり得ない、と考えた方が早いでしょう。
 究極的に、連携が必要な困難な事案が起きているから、「連携」が必要なのではないのです。そもそも人間は多面的な存在であるがゆえ、当事者には多様なニーズがあります。そのニーズに対応するために多様な支援機関があるのです。だから、何のために法があり、制度があり、それらに基づき自らが属する組織があるのかを、何のため自分が「相談員」という肩書で仕事をしているのかを考えてみれば、連携して支援するのは当たり前。
 さらに、当事者心理からして、相談に来ること自体が大きな負担です。問題がこじれてグチャグチャになる前にどうして相談してくれなかったの…相談員の方は、こんな思いを感じたことがしばしばあると思います。私たち家族に寄せられる相談だって、簡単明瞭に解決できる事案なぞ、ほとんどないといっていいでしょう。当事者はずっとずっと耐えている。そして、当初は小さかった問題がどんどん大きくなってきて、複合的にからみあい手に負えなくなってきて、いよいよ切羽詰まった段階で、初めて相談するのです。
 つまり、人間の本源としての多面性ゆえに、また、当事者が意を決して相談するに至る心理的状況からしても、連携した支援が必要だし、望まれるのです。
 例えば、先に挙げた多重債務で抑うつ状態の女性の事例を、もう一度読み返して下さい。この件は、決して消費生活相談員が多重債務解決の相談に乗り、精神科医がSSRI(うつ病治療に使われる選択的セロトニン再取り込み阻害薬)と睡眠薬を処方することで解決する案件とは限りません。少なくとも、多重債務と精神医療的な問題以外の潜在的な問題が2つ3つ見え隠れしてますよ、と言うか、見え隠れするように書いてます。潜在的問題とは何か、素人の私が指摘するまでもなく、お分かりですよね。

 以上の認識を踏まえ、結論を述べます。回りくどくてすいません。
 自殺防止のため、関係機関は、社会との諸関係において、実効性ある連携を進めなければならない。実効性ある連携とは▽相談員個人の専門性、やる気、したたかさ(第3章)だけで実現されるものではなく、少なくとも▽自らが属する機関の意識改革(第4、5章)、▽社会のコンセンサス(第7章)、▽適正な人員・予算配分(第4、5、6、7章)、▽フォーマルとインフォーマルの連携と役割分担(第6章)-という要素に規定され、漸進的に実現されると考えるのが現実的ゆえ、すぐには進まないが、進めなければならない。
 本日お集まりのみなさんには、講師のお二人の話を、この場限りで「勉強になりました」と終わらせず、自らの立場と重ね合わせ主体的に読み解き、ならば今後自分はどうしたたかに連携を進めていくのかを考え、一歩一歩、実践していただきたいと思います。そうであれば、このシンポジウムには実効性があったのだし、そうでなければ、このシンポジウムもしょせん建前の集まりだったということにならざるを得ません。
 手前味噌で恐縮ですが、相談員のみなさんが、それぞれの立場を超え、みなさん同士の人と人、心と心のつながり、すなわち“ハートネット”の輪を少しずつ広げていかれますことを、そしていつの日か、相談員同士や相談機関同士の実効性ある連携の輪の構築とともに、フォーマルとインフォーマルの実効性ある連携が実現される日が来ることを、このシンポジウムがその一契機となることを、心より願います。
 本論の辛辣な表現の数々、お許し下さい。私としては、これ以上身の回りの人が死んだり倒れたりするのはもう勘弁してほしいのです。「連携」があれば、おそらくは死なずに済んだであろう人たち…。

 ≪参 考≫
 盛岡ハートネットは、盛岡市で2007年夏に開かれた第30回岩手県精神障害者家族大会を機に、それまで横のつながりが希薄だった家族会の有志が「当事者、家族、関係者、市民の交流を深めよう」と同年10月に結成しました。代表はあえて選んでませんし、会則も年会費もないです。事務局は私含め3人。2カ月に1回ペースでこれまで5回例会を開き、ゲストに精神保健福祉の専門家を招いてお話いただくほか、参加者同士の交流会も開いています。正式名称は一応「盛岡精神障害者家族会連合会」なのですが、実態としては、家族限定の集まりではなく「誰が来てもいいですよ」ということでやってます。
 詳しくは、配付資料中のリーフレットやニュース(1~5号)、ブログ「Open, To Love」を参照下さい。さらに、本県精神障害者家族会の現状と課題については、ブログ収録の「家族会ネットワークをつくろう!-『盛岡ハートネット』の活動を通じて」(2007年度家族会長会議配付資料、2008年5月再編)をご覧下さい。

○自殺統計について、詳しくは…
警察庁生活安全局地域課『平成19年中における自殺の概要資料』(平成20年6月)

○精神疾患と自殺について、詳しくは…
 高橋祥友著『自殺の危険 臨床的評価と危機介入』(金剛出版、2006年)
 『こころの科学』139号「数字で知るこころの問題」(日本評論社、2008年)

○相談の諸形態について、詳しくは…
乾吉佑・氏原寛他編『心理療法ハンドブック』(創元社、2005年)

○精神障害と社会の諸問題について、深く考えるなら…
呉秀三『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』(2007年、「新樹会」復刻)
デービッド・H・クラーク『日本における地域精神衛生-WHOへの報告』
(野田正彰著『犯罪と精神医療』岩波現代文庫、2002年、などに所収)
ミシェル・フーコー著、田村俶訳『狂気の歴史』(新潮社、1975年)

 ※私の立場からすると、本論は「フォーマルとインフォーマルの連携」に向けた家族からのアプローチともいえます。上記はじめさまざまな参考文献に依拠し、盛岡ハートネット事務局としての実感にも基づいています。とりたてて私の独創的見解があるとは思えませんが、文責は私にあります。本論は無断転載自由です。
(2008年8月26日、シンポジウム「こころとお金の悩み解決!」資料)


※ではみなさま、というわけで、会場でお会いしましょう(黒)
by open-to-love | 2008-08-26 00:48 | 黒田:自殺対策連携シンポ | Trackback | Comments(0)
シンポジウム「こころとお金の悩み解決」資料 「実効性ある連携への諸課題―建前と良心」…③(第5、6章)

第5章:連携の諸相③

組織の論理 VS 横のつながり

 これまで述べたことを、ひとまずまとめてみましょう。
 実効性ある連携がなければ、当事者が支援の枠外に置かれ、入り交じって複雑で困難な事案はなかなか解決に結び付きません。そういう事案に相談員が連携して向き合い支援するということは、社会の諸矛盾・諸課題の顕在化、法や制度をよくすることでもあります。
 連携するとは、当事者の側に立ち、相談員相互の「横のつながり」をつくり出すということです。連携しない、あるいは建前的に連携したふりをするということは、当事者よりも、縦割りの「組織の論理」を優先するということです。
 前述の通り、「なんとか連絡協議会」とか「なんとか連携推進会議」とかいった、あちこちの組織の長を集めた会議はあり、それなりに必要なのでしょうが、それはそれとして、現場の一線で日夜活躍している相談員さんたちの横のつながりがぜひ生まれてほしいなあ、と思うのです。それが、実効性ある連携にほかなりません。行政、民間、県、市町村といった互いの立場を超えて、当事者の多様なニーズを支援するという一点でつながる、関係者相互の信頼関係に基づいたざっくばらんな人間的関係。むろん、上司の理解があれば、申し分ありません。ちなみに、私の場合は幸いに、理解ある上司に恵まれております^^。
 ただ、建前の連携が常態化している現状においては、実効性ある連携を模索する試みは、「組織の論理VS横のつながり」という緊張関係を伴うことが推測されます。根本的には相談機関の人員態勢が現実の困難に十全に向き合うだけの余裕がない上に、「組織の論理」は制度的、組織機構的、心理的という3つのレベルで相談員を規定する。そんな現実のただ中から実効性ある連携を推進するとは、とても大変なことなのです。
 しかしながら、上司=組織の長レベルの連携会議を実効性あるものにならしめるのも、相談員レベルの「横のつながり」があればこそです。「横のつながり」は、必ずや、頑張る上司を応援することでしょう。

第6章:連携の諸相④

フォーマルとインフォーマルの連携

 フォーマルとインフォーマルという言葉、ご存知でしょうか。ビシッとスーツ着て上品にフランス料理食べたりするのがフォーマルとすれば、たかみ屋でラーメンとライスをガーッと食って汗だくになったりするのがインフォーマルですが、これらの言葉は精神保健福祉用語としても使われます。フォーマルとは、端的に言えば相談員の方々、公的な制度に基づいた肩書があり、相談業務の対価として給料をもらっている方々の活躍する領域のことです。インフォーマルとは、そうじゃない人たちの範疇。つまり、市民。大通りを歩いていたり生協で買い物したりしているフツーの人たちのことです。
 近年、自殺予防施策推進のために市民の理解、あるいは市民ボランティアの必要性が叫ばれています。それもフォーマルとインフォーマルの連携の一形態。曰く、かつての古き良き時代には「地域社会」「地域の助け合い」があったが、現代は都市化が進み地域社会が崩壊しつつある。地域社会の崩壊と孤独が自殺の背景にあり、かつ、これだけ自殺者が多いと、フォーマルがやれることには限りがある。だから、市民が自殺の背景や精神疾患に理解を深め、市民ボランティアの育成を進め、新たな「地域の助け合い」をつくり出して自殺者を減らそう、という発想です。本シンポジウムの狙いは、ここにもあります。
 その上、このシンポジウム自体が、盛岡市(フォーマル)と盛岡ハートネット(インフォーマル)の共催という連携事業ですから、中身と形式が一致している。共催とは、一方が他方に従属するのではなく、相互が対等に、自律的に、平場で語り合うということ。「会費無料でラッキー」なんて思ってる方、それは副次的なメリットに過ぎませんよ。共催していただいた盛岡市の“英断”に、心より感謝申し上げます。
 さて、「フォーマルとインフォーマルの対等な連携」について、当事者や家族は違和感を持たれるかもしれません。「自分たちは、相談員(フォーマル)にお世話になる立場なのであって、そういう方々と『対等』なんて言える立場じゃないのではないか。精神障害者や家族は、同じインフォーマルといえど、むしろ自分たちは支援を受ける側だ」という意識からくる違和感であろうと思います。
 そうした気持ち、理解できます。一番最初の、つまり、急性期の苦しみのただ中においては、誰だってそうなのだと思います。自分の、あるいは家族のごく当たり前の日常生活が発症によって一変し、混乱し、世間と断絶し、孤立し、あるいは絶望する。先に挙げた「ある女性の悩み」のような日々。そんな時、藁をもすがる思いで向かった相談室。そこで苦しみを吐き出し、相談員のアドバイスを受け、受診にこぎ着け、ボランティアの支援を受けながら、一歩一歩、何年も何年も掛かって立ち直り、家族のかたちを取り戻していく…。そんな経験を、多かれ少なかれ当事者や家族は持っています。
 でも、私思うに、そんなあなたは、いつまでたっても相談室の「お客さん」ではない。最初は大変でも、そのうち自分で考え、学び、判断し、歩み、自立することができますよね。つまり、最初は支援を受ける側であっても、例え時間がかかろうと、きちんと自立に向かって歩み出しているのではないですか? インフォーマルの中でも、当事者や家族は、ある時期までは相談機関のお世話になるが、ある時期を超えるとそういう苦しみを乗り越えた体験がその人の力となって、フォーマルを支えることができる存在になるのです。
 一方で、相談員の側からすれば、当事者や家族は支援をしてあげる相手であり、「対等」に連携するなんておこがましい、と思われるかもしれませんね。でも、そういう認識こそ、おこがましい。当事者や家族であることは、強みでもあるからです。
 そもそも相談を受けるとは、相談員の専売特許、フォーマルな領域のみではない。インフォーマルが担っている相談の領域もけっこうあり、その強みとは、「身近な家族」であるがゆえ、相談機関に敷居の高さを感じる人にとって、相談員より私たちの方が気軽に相談しやすいこともある。その場所はきちんとした「相談室」ではなく、自宅の居間だったり、八幡町の飲み屋だったり、内丸かいわいの喫茶店だったり…。
 そして、私たちは過去にいろいろなつらいことがあって、そしてそれを乗り越えた人であるというのも強みです。あるいは、決して乗り越えてないまでも、その「いろいろ」を抱えたまま何とかやっていく方法を、いつしか身に付けている人たちであるということです。かっこよく言えば、私たちは他者の痛みにどこまでも寛容でありえる人たち、自分の経験や世間一般の常識を超えたことについても受け入れることができる人たち、なのです。相談員の方々がいくら本を読んで勉強し、資格を取ったところで、個人的体験レベルの深みにおいては、私たちの足下にも及びません^^。

 ただ、インフォーマルがフォーマルと対等に連携するためには、インフォーマルは自らの個人的体験におもねらず、勉強し、知識を自分のものとし、自らを客観視し、個人的な体験を一般化する努力が求められます。見てくれだけでろくに仕事をしない相談員が税金の無駄遣いであるのと同様、さっぱり勉強しないでいつまでも相談員に頼ってばかりいたり、「この世の中でわが家ほど困難を抱えた不幸な家はない」と他者の痛みにそしらぬ顔をしていたりする家族は、宝(家族であることの可能性)の持ち腐れというものです。
 一方、私たちにも弱みがあります。それは、言うまでもなく、家族であること以外の何の肩書も、権限もないことです。だから、やれることには限りがあります。傾聴だけで心が落ち着く方もあれば、のんびり傾聴している場合ではなくそんな時間があったら早くしかるべき医療行為や法的措置をしないと大変なことになりそうな、せっぱ詰まった方もいます。せっぱ詰まった人に対し、私たちはしばしば無力を感じます。
 ですから、フォーマルとインフォーマルの連携とは、一方が他方に優先するわけではなく、フォーマル=専門家の公的な相談支援と、インフォーマル=家族のピア・サポートが、それぞれの役割分担・得意分野を踏まえた上で力を合わせ頑張るということです。
 例えば、緊急かつ深刻な事案については、インフォーマルはすぐさまフォーマルにつなげ、相談員に適切に対応してもらう。大変な時期を過ぎて落ち着いてきた方については、フォーマルの手を離れ、インフォーマルのレベルで心をサポートする。こういった役割分担ができていけば、ずいぶんフォーマルの負担も減るんじゃないでしょうか。
 ただし、フォーマルとインフォーマルの担う役割が違うということは、すなわち、インフォーマルは安易にフォーマルに従属するわけではないし、行政の安直な発想に基づいたボランティアの育成は論理のすり替えにつながりかねないことには留意下さい。例えば、当事者にとって必要なサービスを、行政が窓口でストップし「まずは自助。それから共助。その上で公助です」といった感じで、共助=ボランティア活用を勧めるケースがあります。サービス支給の妥当性うんぬん以前に、そもそもボランティアとは行政にとって使い勝手のいい無償の労働力ではない。ボランティアによって新たな「地域の支え合い」が生まれ、自殺が減り、なおかつ副次的に「公助」の負担が軽くなることはいいことですが、「公助」の負担を軽くするためにボランティアを利用する思考は本末転倒です。

 ここで、盛岡ハートネットにおける体験を基に、第3章に挙げた「連携のメリット」「連携がないデメリット」をパラフレーズして、フォーマルとインフォーマルの連携のメリットを挙げます。

 ○支援の枠外に置かれた当事者のごく一部について、支えることができる
 ○各相談機関や制度間のすき間をいくばくか埋めることができる
 ○相談被害をいくばくか回避できる
 ○実態に見合っていないが放置され続けている予算・人員配分の不備をいくばくか支えることができる
 ○連携した支援が必要な事案なのに、他の機関の協力を得られず、一人で抱えざるを得ない相談員を支えることができる
 ○社会を変える担い手が増える
 ○自殺を減らす担い手が増える
 ○業務が集中し疲弊した相談員を支えることができる
 ○組織内で浮いてしまい、スポイルされかねない相談員を支えることができる

 辛辣に言えば、フォーマルとインフォーマルの連携の最大のポイントは、実効性ある連携を模索する相談員のみならず、連携しようとしない相談員にもメリットがあることです。なぜなら、そういう方や組織があるがために当事者が被る不利益をカバーするため、インフォーマル(盛岡ハートネット)は頑張る、と言いますか、すでに頑張っているからです。
 象徴的な事例を一つだけ挙げましょう。精神疾患を背景に、家族からの暴力を受け家に帰れない人が、あちこちの相談機関に行ったが埒があかないため、ある精神障害者家族がその人を自宅に泊めてサポートしたことがありました。
 なぜこんなことが起きたのでしょうか。それって本来、公的な支援としてなされるべきことですよね。ところが、どうして私たち家族が支援しなければならなかったのか? 複合的で困難な相談事案において相談機関が連携しなかったため、つまりフォーマルが本来の役割を果たしていなかったため、その分インフォーマルが無理して背伸びして支援せざるを得なかったからです。この事案は、なによりその人が助かったというメリット、業務の範囲内でしか仕事をしようとしなかった相談員にとって仕事を増やさずに済んだというメリットがあり、かつ、「支援の枠外に置かれた当事者のごく一部を支えることができた」し、その結果「相談被害のいくばくかを回避することができた」ともいえるわけです。
 これまで、連携の必要性が叫ばれつつも建前の連携で終わっていることが許されていたのはなぜでしょうか? ▽相談員に対し当事者(困難を抱えた人)が圧倒的に弱い立場にいること▽プライバシーを建前に連携の不在が顕在化しなかったこと-が考えられます。そこに「フォーマルとインフォーマルの連携」という観点からも指摘させていただけば、▽ごく一部かもしれませんが、フォーマルの支えが及ばないところについてはインフォーマルが支えていた、ということもあったのです。

 第1章に掲げた「連携の諸相」を、フォーマル/インフォーマルを重ね合わせパラフレーズすると、こういう図式になります。

               インフォーマルな支援→ごく一部を解決
                   ↓
■連携していない現状→建前の連携→問題はそのまま→大半は未解決→自殺

          →実効性のある連携→連携して問題解決

 そして、望ましい在り方は、下記の通りです。

■連携していない現状→建前の連携→問題はそのまま…→自殺
             ↓
        適正な人員と予算配置
             ↓
           専門的な支援
             ↓
          →実効性のある連携→連携して問題解決
             ↑
         インフォーマルな支援(ピア・サポート)

 ただ、明日からいきなり世の中変わるわけじゃありませんから、当面(数十年間?)は、下記のようにベクトル(方向性と力)が入り交じったハイブリッドな図式で、漸進的に推移することでしょう。それでも、ずいぶんマシですよね。

              インフォーマルな支援→ごく一部を解決
                   ↓
■連携していない現状→建前の連携→問題はそのまま…→自殺
             ↓
         適正な人員と予算配置→財政難だからボランティア頼み
             ↓           ↓
         専門的な支援(フォーマル)   ↓
             ↓           ↓
          →実効性のある連携→連携して問題解決
             ↑           ↑
           インフォーマルな支援(ピア・サポート)

 「フォーマルとインフォーマルの連携」の中で、特にも「フォーマルと精神障害者・家族の連携」の課題としては、大きく2つ挙げられます。一つには、精神障害者や家族側の「お客さま」意識の変革。精神障害者家族会の最大の課題であり、まさにそれを解決するため、家族の当事者性の回復のため、盛岡ハートネットは活動しています。
 もう一つは、フォーマル側の問題。統合失調症患者・家族対策とうつ病対策(自殺対策)を、それぞれ別個に進めるのではなく、連関させる方向で進めてほしいなと思います。
 少なくとも、盛岡ハートネット(インフォーマル)は、頑張る相談員(フォーマル)を応援します。当事者のために、自分の属する組織の論理を超えて、他分野の関係機関と連携を模索しようとする相談員と連携します。
 こと自殺問題に関して、将来的には、盛岡ハートネットに限らず、岩家連として組織されているだけでも県下1000人もの会員がいる精神障害者家族と、それぞれの地域の相談機関との連携が進めばいいな、と思います。なぜなら、私たち家族は素人集団に過ぎませんが、ある意味、専門家を凌駕している部分もある。それは、私たちは「いろいろあっても自殺しなかった人たち」だという強みです。
 ちなみに、岩家連の会員数は年々減少傾向にあり、高齢化も進んでいます。岩家連の内部的には「もっといっぱい精神障害者の家族はいるはずなのに、たった1000人しか会員になっていないのはどうしたことか。このままじゃじり貧だ…」と頭を悩ます日々が続いています。でも、見方を変えれば、相談員とともに自殺予防の力になれるインフォーマルな担い手が潜在的に1000人もいるということは、すごいことなんじゃないかと思います。フォーマルな相談員のみなさんは、インフォーマルな「1000人」と連携を図り、一人でも多くの命を救うというビジョンを持って、それぞれの現場で頑張ってほしい。

 相談員のみなさんは、相談機関同士あるいは相談機関内部において実効性ある連携を模索する過程で、なかなか現状が変わらないがため、無力感に打ちひしがれ、もう辞めようかな、と思うことだってあるでしょう。でも、想像してみてください。みなさんの無力感は、当事者や家族の無力感に比べ、より深く、切実であるといえますか? みなさんは、なかなか連携が進まないとか上司の理解がないとか、自分がこの仕事に向いていないからといって相談員を辞めて別の仕事に就くという選択肢がある。でも、家族は、家族であることを辞めることはできないのですよ。辞める気もないのですよ。…この問いに対する答えを相談員一人一人が持っていただき、その答えを胸に秘め仕事に励んでいただくためだけであっても、フォーマルとインフォーマルの連携は意義深いものがあると思います。
by open-to-love | 2008-08-26 00:47 | 黒田:自殺対策連携シンポ | Trackback | Comments(0)
シンポジウム「こころとお金の悩み解決」資料 「実効性ある連携への諸課題―建前と良心」…②(第3、4章)

第3章:連携の諸相①

連携のメリット、連携がないデメリット、実効性がない連携のデメリット

 本章では、主に相談機関相互の連携の必要性について、さまざまな角度から考えます。これまで述べてきたことを敷衍すると、連携する、しないという2分法的考察では片手落ち。よって、①連携によるメリット、②連携がないデメリット、③建前的な連携と実効性ある連携の乖離によるデメリット、という3つの観点から考えましょう。さらには、逆説的ではありますが、問題の所在を明確にするため④連携しないことのメリット、についても次章で考えます。

①連携することによるメリット
 ○とりわけ複雑で困難事案を抱えた当事者を支援することができる
 ○各相談機関が拠って立つ法、制度、相談や解決技法についての相互理解が深まる
 ○相談被害(二次被害)を抑制できる
 ○制度の隙間や欠陥を顕在化することができる
 ○実態に見合っていない予算や人員配分の不備の改善につながる
 ○社会を変えることができる
 ○自殺が減る

②連携が必要なのに連携がないことによるデメリット
 ○とりわけ複雑で困難事案を抱えた当事者が支援の枠外に置かれる
 ○各相談機関が拠って立つ法、制度、相談や解決技法についての相互理解が深まらない
 ○そもそも相談被害があったかどうかが分からない
 ○連携によって顕在化する制度の隙間や欠陥が放置され続ける
 ○実態に見合っていない予算や人員配分の不備が放置され続ける
 ○連携した支援が必要な事案なのに、他の機関の協力が得られず、相談員が一人で抱えなければならない事態が生じる
 ○社会を変えることができない
 ○自殺が減らない

 表裏一体の関係である「①連携によるメリット」と「②連携がないデメリット」について、合わせて考察します。
 2つ目「各相談機関が拠って立つ法、制度、相談や解決技法についての相互理解が深まる/深まらない」については、要するに、連携すれば勉強になるということです。例えば、生活保護制度について、成年後見制度について、精神保健福祉サイドはどう見ているのか、多重債務者支援の現場ではどのように活用しているのか…などなど、立場が異なれば見方も違う。また、一口に相談といっても、例えば臨床心理士のカウンセリング、精神科医の精神療法、フェミニズムカウンセリング、ピアカウンセリング、長年の人生経験に基づく自己流カウンセリングなどさまざまある。それぞれに歴史や系譜があり、固有の論理や技法があり、重なる部分も重ならない部分もある。こうした独自性や相同性については、複雑な事案の解決に向け異なる視点に立つ人たちが連携して当事者を支援していくことで、互いの立場に理解が深まり、自分のスキルアップにもなりますね。
 3つ目の「相談被害(二次被害)」は、とても深刻な問題です。ある当事者が、切羽詰まった状態である相談機関に行ったのにぞんざいな対応をされた、何の役にも立たなかった、がっかりした、もう二度と行かない、私のことなんて誰も助けてくれない…こんな絶望的な訴えに、私のみならず、私たち家族は戸惑ったことがあります。そういう被害に遭われた方は往々にして、相談機関不信あるいは行政不信さらには“全否定、全不信状態”に陥ります。例えば「どうせ私なんか…。黒田さんあんただってどうせそうなんでしょ、電話切るよ…」みたいな感じです。こうした“全否定、全不信状態”からリカバリーするまでは長い時間と努力を要します。その過程において、より深刻な事態を招いてしまうこともある。実効性ある連携とは、相談被害を起こさないために必要であり、かつ、万一そういうことが起きてしまったときのセーフティネットでもあります。
 4つ目の「制度の隙間や欠陥を顕在化することができる/放置され続ける」についてですが、例えば、多重債務を抱えうつ病になった人がいるとします。その人は頑張って仕事をして利子を払い続けていますが、うつ病は悪化し、精神科医の所見は「即入院。十分に休息し、適切な薬物療法が必要」でした。でも、その人は入院すると仕事ができなくなり、その間利子の支払いもストップ。すると、借金はますます膨らみます。3カ月入院してすっかり良くなり今後は通院治療で大丈夫、となったとしても、3カ月後の退院時には借金がものすごく膨らんでいる。医師がうつ病との診断書を出せば、入院中は利子を支払わなくても借金(元金)は増えないという貸し手側との特約などあるわけがありませんし、そういう人がいることを想定した公的な制度もありません。
 こうした制度の隙間は、いろいろあると思います。ですが、その隙間を隙間として自覚するためには、それぞれの制度に詳しい専門家が連携して、つまり、顔を付き合わせて「どうする?」と話し合い、知恵を出し合った上でなければ、多くの場合は顕在化されないのではないでしょうか。少なくとも、連携していなければ「その問題については、オレは専門じゃないからよく分からんけど、どこかほかの相談機関がなんとかしてくれるだろ」でおしまい。隙間は隙間として自覚されないまま放置されます。
 この問題にはこのサービスで対応しよう、また別のこの問題には、この制度が使える、あるいは、これとこれを組み合わせてみよう、でもこの問題については、対応できるノウハウがない。なら、あの相談員に聞いてみよう。でも、その相談員が活用する制度にも、この問題に対応する制度がなかった…。そうなれば、その問題は制度の欠陥か、制度と制度の隙間といえます。欠陥や隙間が見つかったら、その不備を改善していくため、地方自治体が独自の制度をつくるなり、予算措置を講ずるなり、国が法の柔軟な運用をするよう世論に訴えたりと、さまざまな手があります。
 こうして、実効性ある連携がなされれば、当事者の問題解決のため有効であるとともに、制度を良くするためにも有効です。逆に、連携しないと、制度はいつまでたっても良くならないともいえるでしょう。

③建前的な連携と実効性ある連携の乖離によるデメリット
 ○当事者が支援の枠外に置かれる
 ○各相談機関、相談と解決技法、制度についての理解が深まらない
 ○そもそも相談被害があったかどうかが分からない
 ○連携によって顕在化する制度の隙間・欠陥が放置され続ける
 ○実態に見合っていない予算・人員配分の不備が放置され続ける
 ○連携した支援が必要な事案なのに、他の機関の協力を得られず、相談員が一人で抱えなければならない事態が生じる
 ○社会を変えることができない
 ○自殺が減らない
 ○ある相談機関において、実効性ある連携を模索する相談員に業務が集中し、疲弊する
 ○ある相談機関において、実効性ある連携を模索する人が組織内で浮いてしまい、時と場合によってはスポイルされる

 全10項目のうち、上の8つは②と同じです。下の2項目がポイントです。表だって語られることはほとんどありませんが、実はものすごく切実な問題。詳細は次章に続く…。


第4章:連携の諸相②

連携しないメリット

 本章においては、組織内の連携、有り体に言えば、上司と相談員の連携の必要性と課題を浮かび上がらせたいと思います。第3章で述べたような相談員同士の連携を進めるにあたって、相談機関内部の連携抜きにはなかなかうまくいかない。それを理解いただくために、あえて「連携しないメリット」ということについて言及させていただきます。むろん、こうした指摘は、本日このシンポジウムに参加された方には無縁です。連携する気のない方が、連携するためのシンポジウムに参加されるわけがない。
で、章をまたいでしまうので格好悪いですが、前章に引き続き…

④連携しないメリット
 ○これ以上仕事を増やさないで済む
 ○相談員としてのプライドが傷付かない
 ○より困難な事案を抱えずに済むので、格差社会の過酷な現実を知らずに済む
 ○制度の隙間や不備が顕在化されないから、そのための予算措置を講じないで済む
 ○相談機関がその人員態勢に見合っただけの仕事しか受け付けないから、人を増やさなくて済む

 「これ以上仕事を増やさなくて済む」のは、自分の専門外・担当外が主訴の事案については他の相談機関に丸投げすればいいからです。「相談員としてのプライドが傷付かない」とは、連携のメリットである「各相談機関が拠って立つ法、制度、相談や解決技法についての相互理解が深まる」ことに対するネガティブな受け止め方です。連携すれば、自分の相談技法や相談内容について、一定の部分については他の相談機関と共有しなければならなくなります。それは、前向きな方からすれば自分の専門性を高めるきっかけですが、後ろ向きの方は、「もし自分が紹介した先の相談機関の人の方がいい対応した、なんてことを言われるのが恥ずかしい」なんて気後れしてしまうかもしれません。連携しなければ、自分が担当した相談業務は他の相談機関の視線に曝されず自己完結するため、「自分の対応がすべて」であり、より優れた対応との比較をしようがないですから、プライドは傷付きません。たとえ相談対応に失敗して不幸な結果になったとしても、外部にばれません。
 あえて「連携しないメリット」を掲げた理由は、相談員個々の力量をやり玉に上げることが主眼ではありません。構造的な問題に目を向けてほしいからです。つまり、連携すると仕事は増えるし、諸々の困難事案に向き合う機会が増えることが予想されますから、普段の仕事量に見合った人的態勢が整っていないことには、なかなか連携しようという余力も発想も浮かんできません。にもかかわらず相談員は孤軍奮闘せよ、という精神論で対処すべき問題ではまったくないし、相談員のメンタルヘルス的にも好ましくない。
 私が強く訴えたいのは、相談員同士の連携の推進と同時に、相談員の絶対数の増員と働きに見合った待遇の改善がなされなければならないということです。この根本問題抜きに、実効性ある連携が進むわけがありません。まさに、ここに、「連携推進」の掛け声が実効性ある連携とはならず、建前に終わってしまう最大の要因があります。シンポジウムのタイトルをパクれば「お金があれば相談員のこころの悩み解決!」なのですが、現実は膨大な仕事量に比して絶対的に足りない人員態勢。それはときに、相談員や上司に心理的バイアスとしてのしかかり、「これでも十分頑張ってるのだ」「この事案は別の相談機関に回した方がいいのではないか」「仕方ないんだ」という思考が常態化し、いつしか、困難を抱え生死の狭間にいる当事者の姿が見えなくなる…そんなことだって、あるかもしれません。
 でも、本日お集まりのみなさんのように、心ある相談員は、そんな「建前」と「実態」との乖離に、独り、良心の呵責に呵まれることでしょう。連携を推進しないと困難事案が放置され続ける。連携を推進すると相談員がオーバーワークになる。こんな二者択一であってはなりません。
 先の「連携の諸相」の図式を、相談員を主語にパラフレーズしてみましょう。

■連携していない現状→建前としての連携→相談員の良心の呵責
               ↓
          →実効性のある連携→相談員のオーバーワーク

 こうなってはいけない。だから、

■連携していない現状→建前としての連携→相談員の良心の呵責
               ↓
           適正な人員と予算配置
               ↓
          →実効性のある連携→連携して問題解決!

 と、このようになるよう、頑張りましょう。実効性ある連携を模索するみなさんには、長生きしてもらわなくちゃなりません。
 最後に上司の役割ですが、「上司たるもの金は出すけど口は出さない」という鉄則を踏まえた上で、これまでの論理展開を敷衍すると、その役割は明らかです。すなわち、上司とは、当事者のためだけではなく、相談員のためだけでもなく、当事者と相談員のために頑張るのが本分なのです。
 連携、というと、一般に、「なんとか連絡協議会」とか「なんとか連携推進会議」とかいった、あちこちの組織の長を集めた会議が思い浮かびます。私はなにせ人の上に立ったことがないものですから、そうした集まりをついつい「建前」の最たるものと思ってしまう(失礼)。そんな自分の度量の狭さがつくづく嫌になるのですが、考えようによっては、そうした「なんとか連絡協議会」的な集まりを実効性あるものにし、さまざまな関係機関の長レベルでの連携を円滑化ならしめるのは、まさにわれらが上司の頑張りなんですよね。そして、相談員たるもの、上司がどっちを向いているのか(当事者の方か、相談員の方か、“上”の方か、あるいはどこも向いてないのか)を的確に認識し、しかるべき方に目線を向けていただくために、地道に努力する必要がある。それが、相談員の「したたかさ」であり、この能力は、相談員の「専門性」「やる気」と同格であると考えます。

 さて、あらためて「連携しないメリット」とは、誰にとってのメリットなのでしょうか? 当事者のメリットではない。相談員のメリットか? みなさん、そうじゃありませんよね。なら、相談員の上司にとってのメリットか? そう考える方がいるとすれば、視野が狭いですね。じゃあ、誰にとってのメリットなのか? 社会の諸矛盾・諸課題が顕在化されることが、なにがしかの理由で困る方にとってのメリットです。
 いずれ、「連携」とは、自殺対策を安上がりに済ませる方便ではありません。
by open-to-love | 2008-08-26 00:46 | 黒田:自殺対策連携シンポ | Trackback | Comments(0)
シンポジウム「こころとお金の悩み解決」資料 「実効性ある連携への諸課題―建前と良心」…①(序章、第1、2章)


実効性ある連携への諸課題-建前と良心
  シンポジウム「こころとお金の悩み解決!」に際して
     (盛岡ハートネット事務局 黒田大介)


目次
序 章:「シンポジウムの主旨と経緯」
第1章:問題設定「建前だけの連携、実効性ある連携」
第2章:事例検討「ある女性の悩みと、ある日の相談窓口」
第3章:連携の諸相①
「連携のメリット、連携がないデメリット、実効性がない連携のデメリット」
第4章:連携の諸相②「連携しないメリット」
第5章:連携の諸相③「組織の論理VS横のつながり」
第6章:連携の諸相④「フォーマルとインフォーマルの連携」
第7章:「社会を変える連携」
結 語:「みなさんの〝ハートネット〟を」


序 章

シンポジウムの主旨と経緯

 本日は、シンポジウム「こころとお金の悩み解決 -『多重債務-うつ病-自殺』解決モデル標準化に向けて-」にご参加頂き、心より感謝申し上げます。
 さて、日本では10年連続で自殺者が3万人を越え、社会問題となっています。警察庁によると、2007年の自殺者は過去2番目に多い3万3093人(1日平均約90人)で、06年に比べ938人(2・9%)増加。県警まとめによると、07年の県内の自殺者は483人で、前年に比べ5・1%減少し、人口10万人当たりの自殺死亡率は32・2人で前年より1・9%低下しました。北東北3県はいつも自殺率ワーストを争い、岩手は06年、秋田に次いで全国2番目に高かったのですが、07年は秋田、宮崎、青森に次いで4番目となりました。
 自殺の原因・動機ですが、「健康問題」が1万4684人、「経済・生活問題」が7318人、「家庭問題」が3751人、「勤務問題」が2207人。なお、警察庁統計は今回から「遺書などの自殺を裏付ける資料により明らかに推定できる原因・動機を3つまで計上する」ことになり、かなり細かく分類されました。3万3093人のうち、原因・動機特定者は2万3209人。「健康問題」1万4684人のうち、「うつ病」が6060人、「統合失調症」が1273人、「その他の精神疾患」1197人。「経済・生活問題」7318人のうち、「多重債務」は1973人でした。
 そんな中、国は自殺対策基本法や自殺総合対策大綱に基づき、自殺防止の取り組みを進めています。その柱の一つは、うつ病の早期発見・治療。また、多重債務の解決にも力が入れられ、盛岡市消費生活センターの先進的な取り組みは全国的にも注目を集めています。
 ですが、精神疾患サイドと多重債務サイド双方の実効性ある連携は、これからといったところでしょう。消費生活相談窓口を訪れているであろう、精神障害者。精神科を受診しているであろう、多重債務者。あるいは、精神障害かもしれない、多重債務かもしれない人たち…。いまだ顕在化されないグレーゾーンにおいて、最も望ましい支援とは何か?
 そこで、「こころ」(精神疾患)の専門家と、「お金」(多重債務問題)の専門家にお話いただき、制度や知識やノウハウを共有化することで「うつ病-多重債務-自殺」解決モデル標準化への一歩としよう、うつ病の早期発見・治療と多重債務解決によって自殺を防ごう、というのが、このシンポジウムの主要なテーマです。

 さて、このシンポジウムは「盛岡ハートネット」第6回例会、と銘打っています。盛岡ハートネットは、特定非営利活動法人(NPO法人)岩手県精神障害者家族会連合会(岩家連=がんかれん、会員約1000人)加盟団体で、市内の精神障害者や家族を中心とした集まり。今回のシンポジウムが第6回例会となります。これまでは盛岡ハートネット主催でしたが、今回は盛岡市との共催。関係機関のご理解と包容力に、感謝申し上げます。
 盛岡ハートネットはもとより県内、ひいては全国の精神障害者家族会の多くは統合失調症患者の家族で、うつ病患者の家族は少ない。それがどうして、自殺問題に関するシンポジウムを企画したのか? 統合失調症もうつ病も、脳内神経伝達物質ドーパミンとセロトニンの違いがあるとはいえ、同じ「こころ」の病だからです。疾患の違いを超えて、私たちができることは何か、専門家のお話とシンポジウムを通じて考えてみたい。
 また、警察庁統計から明らかなように、うつ病患者ばかり自殺率が高いわけではなく、統合失調症などの患者と自殺も、実は密接なかかわりがあります。さらには、多重債務や自殺の問題は、格差社会を象徴するキーワードですが、精神障害者とその家族の生活実態からかいま見える格差社会の現実も、わたしたちにとっては切実かつなじみ深い問題なのです。こうした問題も含め複眼的に精神疾患と多重債務の問題を考えてみたい。
 さらに、最近はうつ病や自殺防止のため、専門職のみならず地域の力、市民の力の必要性が叫ばれていますが、実は、私たち精神障害者の家族は、既に、しばしば、さまざまな家族や当事者から相談を受けています。よって、私たちも通り一遍の知識で甘んじることなく、ディープな部分まで学ばなければなりません。それやこれやの思いで企画しました。

 さて、本シンポジウムに際し、主催者の一人として、小論をまとめてみました。関係者が連携して自殺を防止しようという前向きなシンポジウムなのに、「実効性ある連携への諸課題-建前と良心」って、ちょっとシニカルで後ろ向きのタイトルだな、と感じる方もいるかと思います。でも、連携を進めるにあたり、連携の諸前提をきちんと把握し、批判的検討を加えた上で出発しないと、「連携しましょう」という掛け声倒れに終わってしまいかねません。なぜ連携しなければならないのか? 連携するとはどういうことか? 連携しようとする際の何が阻害要因となるのか? 以下、思うことを記します。
 なお、本論における「相談員」とは、主に「フォーマル」な方々、すなわち行政機関(委託、指定管理含む)の相談員、さまざまな法や制度に基づき相談員として活躍されている方々を想定しています。私たちのように何の肩書もないけれど実態として相談を受けている人=「インフォーマル」な領域で相談を受けている人とは、便宜上、区別して考察します。第2~5章までは主にフォーマルな領域、6、7章はインフォーマルを含んだ広い枠組みにおける連携です。そして、3、4、5、6章は「連携の諸相」①~④と系統立てて記述していますが、第3章=①は主に相談機関同士、第4章=②は主に相談機関内部、第5章=③は相談機関同士と相談機関内部、第6章=④はフォーマルとインフォーマルの連携について考察しています。


第1章:問題設定

建前だけの連携、実効性ある連携

 まずは、私の問題意識を述べます。
 今、しばしば、あちこちで「連携」の必要性が叫ばれています。このシンポジウムも、自殺防止に向けた精神医療と消費生活サイドの「連携」を期しています。
 そもそも、なぜ連携が必要なのか? 連携しないと、連携した支援を必要とする当事者が、支援の枠外、谷間に放置され続けるからです。当事者が抱える困難はさまざまですが、その困難は必ずしも一つではない。そして、その困難の数が増えれば増えるほど、当事者にとって困難の度合いは増え、危機、例えば自殺の危険性は高まります。そんな当事者にとって、ある支援機関の支援者が一つの困難だけを取り出して支援し、無事に解決したとして、それ以外の困難については「担当外、専門外だから知りません。どうぞ、しかるべきところに相談に行って下さい」では、真の解決には結び付きません。
 でも、連携の必要性については、今回のテーマに限らず、これまでずいぶん言われてきました。今さら気付いたわけじゃない。みなさん、実はとっくの昔に気付いていた。にもかかわらず、連携が進まなかった。連携の必要性を知らなかったわけではなく、知っていても実態としては連携が進まかった。そして相変わらず、連携の必要性が叫ばれ続けている。「連携の大切さは重々承知しております、だけど、自分の場合はいろいろ事情があるので、なかなか進まない」…いわゆる総論賛成、各論反対というやつです。
 「連携しましょう!」といくら叫んでも、とどのつまり建前としての連携に終わってしまっているから、いつまでたっても連携の必要性が叫ばれる…こんな本音と建て前の乖離を抜け出して、問題解決ができる「実効性ある連携」に到達するためにはどうすればいいのか、そろそろ本気で考えないとダメなんじゃないでしょうか。
 ここで「連携の諸相」を図式化してみましょう。

■連携していない現状→連携して問題解決!

 というシンプルな図式が成り立つほど、世の中甘くない。実際には

■連携していない現状→建前としての連携→問題はそのまま…自殺

          →実効性のある連携→連携して問題解決

 と、2つの道に別れてしまってます。そこで、矢印をもう一つ。

■連携していない現状→建前としての連携
               ↓
          →実効性のある連携→連携して問題解決

 これならいいですね。でも、机上で図を書くのは簡単。実際こんな道筋をつけるにはどうしたらいいのかについて、これから考えてみたいと思います。


第2章:事例検討

 ある女性の悩みと、ある日の相談窓口

 さて、建前としての連携から実効性ある連携まで、ちょっと具体的なシチュエーションを挙げてみましょう。むろん、すべてフィクションです。

 【例】ある地域に、多重債務を抱え抑うつ状態に陥った女性がいました。
 「私ってダメな女です…。どこから話せばいいのでしょうか。考えがまとまりません…。夫は仕事上のミスで上司に叱責され同期には疎んじられ部下にはバカにされ、不況のあおりで会社をリストラされるかもしれないと不安に駆られています。毎晩酒を飲んで憂さ晴らしし、遅く帰ってきます。生活費が足りないと訴えたら殴られました。でも、どうせ私なんか、殴られても仕方ないんです。目がひどく腫れたので病院に行ったら、私の顔を見た看護婦さんがびっくりして「いったいどうしたの?」と聞かれたのです。会社で辛い思いをしている夫の顔が目に浮かび、「転んでアザができた」と嘘をつきました…。今こそ私が夫を支えなくちゃないのに、私ってダメな妻です。生活の足しにするため近所のスーパーでパートをしていたのですが、姑が最近呆けてきて目が離せなくなり、辞めざるを得ませんでした。ついに、夫に内緒で消費者金融からお金を借りたのが、そもそもの誤りでした。何であの時、自分の親に正直に言えなかったのだろう、無心できなかったんだろう…。その借金を返すため、別の消費者金融からお金を借り、そのお金を返すため、また別の…。ああ…。携帯電話に再三、借金取り立ての催促が来ます。夫はむろん、親にも友人にも話せません。恥ずかしいのです。私ってダメですよね、人って、こうなっても、プライドってあるんですね…。食欲もなくなりました。夜も寝られません。息子は東京の大学を出たけど就職先がなく、いまだにフリーターで、さっぱり実家には帰ってきません…。娘は高校でいじめから不登校になり…。酔っぱらって帰ってきた夫は、そんな娘に対しひどく怒鳴り散らすのです。私に対しても「お前の育て方が悪いからこうなるんだ」と言うのです。私はなんだか、疲れてしまいました。精根尽き果てました。この際何もかも捨てて自殺しようと思いました。踏切の「カン、カン、カン」という音に、ふらふらっと近づく自分に気付き、はっとしました…。そんな時でした。たまたまチラシを目にしました。もしかしたら、助かるのかもしれない。最後のチャンスかもしれない…」
彼女は、そのチラシを手に、勇気をふりしぼって、ある相談窓口を訪れました…。

 【その後…①】女性が訪れた相談機関の長は先日、関係機関の連絡調整会議に出席してきたのでした。その際、今度「多重債務対策と精神疾患治療の連携」をテーマにしたシンポジウムがあることを伝えられました。上司は相談員を呼び「今度シンポジウムがある。うちからも1人出すようにと言われたからお前が行け」と言うので、相談員は参加して、2人の講師のお話を聞きました。講師は連携の大切さを訴えていました。相談員は「勉強になった」と上司に報告しました。
 そんなある日、チラシを手にした女性が切羽詰まった様子で相談窓口に来ました。相談員は女性の悩みを聞いていましたが、その女性は夫の会社の事情とか家庭内のトラブルとか、うちの業務内容とはかけ離れた話ばかりするし、別の人の相談の予約時間が差し迫っていたものですから、話をさえぎって「あなたのお話は、そもそも、うちよりも○○に相談した方がいいんじゃないですか」と答えました。それ以来、女性は来ませんでした。

 【その後…②】その相談員は、「多重債務対策と精神疾患治療の連携」をテーマにしたシンポジウムがあるというので、上司に「行け」と言われて行ったことがありました。勉強になりました。そんなある日、ある女性が相談に来ました。相談員は女性の悩みを聞き、業務の範囲内で答えました。でも、女性は「…すいません、せっかく説明していただいたのに、私は頭の中が混乱していて、さっぱり理解できない。どうしちゃったんだろう」と取り乱し、再び自分の話を始めました。相談員は「うん、うん」と傾聴し、先ほどと同じ説明を繰り返し、「今度は理解できましたか?」と聞きました。女性はハッとした顔で「えっ…はい。分かりました」と小さな声で答えました。それ以来、女性は来ませんでした。

 【その後…③】その相談員は女性の悩みを聞き、「この事案はうちだけで対処できるレベルではない」と判断し、業務の範囲内で答えた上で、社会資源一覧のリストを渡しました。女性はしばらくリストを眺めていましたが、ふーっとため息をつくと、言いました。「沢山あるんですね。知らなかった。私、どの精神病院に行ったらいいと思います? 私って、病気だと思います?」。相談員は「それは…お住まいの近くの方が行きやすいとか。でも、人目があれであれば、遠い方がいいとか。なかなか一概には言えませんよね。…最近、うつ病の人が増えてるっていいますよね。いいお薬もあるんだそうですよ」と答えました。女性は「そうですか」とつぶやき、帰っていきました。それ以来、女性は来ませんでした。

 【その後…④】その相談員は「多重債務と精神疾患」をテーマにしたシンポジウムがあることを知り、関心があったので出席したことがありました。そんなある日、ある女性が相談に来ました。相談員は女性の悩みを聞き「この事案はうちだけで対処できるレベルではない」と判断し、業務の範囲内で答えた上で、シンポの際に出会った相談員がいる別の相談機関を紹介。まず相談員がそこに電話を掛け、手短に事情を説明してから、受話器を女性に渡しました。女性はしばらく、そちらの相談員と話し込んでいました。電話が終わると、女性は「ありがとうございました」と、少し気が晴れた様子で帰っていきました。

 【その後…⑤】その相談員は女性の悩みを聞き、「この事案はうちだけで対処できるレベルではない」と判断し、シンポジウムの際に名刺交換した他の相談機関に女性を紹介し、連携して支援しようと思いました。その日は上司が休みだったので、自分の独断で他の相談機関に電話し、支援計画を練りました。翌日、出勤した上司に経緯を報告しました。すると、上司に「どうしてオレの承諾なしに勝手なことをしたんだ」と怒られたので、アタマに来て相談員を辞めました。

 【その後…⑥】その相談員は女性の悩みを聞き、「この事案はうちだけで対処できるレベルではない」と判断し、シンポジウムの際に名刺交換した別の相談機関の人の顔が頭に浮かびました。その人に連絡をとってみようとして上司の承諾を得ようとしたら「そこまでしなくていいんじゃないの」と冷たく言われたのです。でも、相談員は自らの良心から、上司の指示を無視して他の相談機関の相談員と連携し、女性の抱える問題解決のため奔走しました。半年後、女性は行財政改革の一環でリストラされました。自分と上司との関係を取りなしてくれた中間管理職の職員は、別の部署に異動になりました。

 【その後…⑦】その相談員は女性の悩みを聞き、すぐさま他の機関と連携して女性を支援した方がいいのではないかと思い、上司に相談したのです。すると、上司は「君の気持ちも分かるが、この件はうちの事案というより、○○問題を専門に扱う相談機関が中心となって対応すべき内容ではないか。それに、君は毎日休まず、サービス残業までしている。君の体が心配だ。相談内容に一番ふさわしい機関を紹介し、そちらに対応を任せればいいのではないか」と親身に諭してくれました。相談員は上司の理解に感激し、女性に対して「うちよりもっとふさわしい相談機関があるので、まず電話をしてから、そちらに行って相談してみてください」と、電話番号を女性に教えました。女性は疲れた顔で「そうですか。ありがとうございました」と一礼し、帰っていきました。それ以来女性は来ませんでした。

 【その後…⑧】その相談員は女性の悩みを聞き、すぐさま面識のある相談員がいる他の機関に女性をつなごうと電話を掛けようとしました。そこに上司がやってきて「おいおい、そこまでしなくていいんじゃないの」と言うので、相談員は女性に相談機関一覧のリストを渡しました。それ以来、女性は来ませんでしたが、相談員は上司が休みの日にこっそり女性に連絡をとって、「○○に行ってみたらどうですか。あそこに○○さんという方がいます。その人なら、親身に相談に載ってくれるはずです」とアドバイスしました。

 【その後…⑨】その相談員は女性の悩みを聞き、すぐさま知り合いの別の機関の相談員に携帯電話メールで「かくかくしかじかなんで、ちかぢか一緒にお伺いしたいと思います。よろしくお願いしますね」と連絡しました。というのは、相談員は以前「多重債務と精神疾患治療」をテーマにしたシンポジウムに参加し、同じく参加者だったその相談員と名刺交換し、ついでにメアドも交換していたからです。相談員からはすぐさま「諒解です」と返信が来ました。そして、3者の日程を調整しました。約束の日、女性は相談員さんと一緒にやってきました。3人で机を囲みました。女性は徐々に心を開き、悩みを打ち明けました…。相談員は後日、上司に経緯を報告。上司は「ご苦労さま」とニコニコしていました。

 【その後…⑩】その相談員は女性の悩みを聞き、すぐさま知り合いの別の機関の相談員と連携して対処し、困難な事案の解決に奮闘しました。その相談員は、いつもこうして親身に、かつ迅速に対応するので、ひそかな評判を呼び、相談が相次いでいるのでした。その相談機関は連日大入りでした。そして、相談員は、なかなか連携しようとしない相談機関にも熱心に足を運び、連携の必要性を説き、少しずつ先方の意識をも変えていきました。上司は、部下にそんな相談員がいることに鼻高々でした。ところが、そんなある日、相談員が倒れました。搬送先の病院で、医師から「過労です。しばらく安静を」と告げられました。お見舞いに行った上司は「具合はどう?」と声を掛けましたが、相談員は何も答えず、ただ泣きはらした目で茫然としているのでした。病院から戻った上司は、そのまた上司に呼び付けられ、部下の健康状態をきちんと把握できていなかったことについて、厳重注意を受けました。「私の至らなさです」と、ひたすらうつむくばかりでした。それから数日後、いつぞや相談に訪れたあの女性が、晴れやかな笑顔で相談機関を訪れ「あの相談員さんにお会いしたいんですが」と言いました。上司は「きょうは休みなんです。わざわざ来てもらったのにすいません」と答えました。女性は「ではいつ来ますか」と聞きました。上司は「あの…今、しばらく休みに入ってるんです」と答えました。女性は「えっ、どうしたんですか?」と聞きました。上司は「…いや、ちょっと」と言葉を濁しました。女性は「そうですか」とぎこちない笑みを浮かべ帰っていきました。それ以来女性は来ませんでした。

 「ある日の相談窓口」として、①から⑩まで、相談窓口における対応のバリエーションを挙げてみました。「ある女性の悩み」同様、こちらも純然たるフィクションです。
どこまでが建前の連携か、どこからが実効性ある連携か。どの対応がベストか? その答えは、読み手の立場と度量でも変わりますが、①と⑩でないことは確かですね。いずれ、当事者、相談員、上司の3者のうち、最優先されるべきはむろん当事者ですが、当事者にとっていい対応が必ずしもいい結果を生まないケースもあります。
 これらの事例のポイントは、下記の通りです。

○相談員の専門性とやる気としたたかさ
○相談員同士の日ごろからの関係作りの大切さ
○上司(直属、あるいはもっと上)の理解
○業務量に追い付かない人員態勢と、それが上司や相談員に与える心理的負荷
○業務量に追い付かない人員態勢に伴う相談員の良心の呵責

 「当事者のために関係機関が連携しよう」という掛け声が、掛け声倒れに終わらないためには、当事者にとっていい対応、相談員にとっていい対応、上司にとっていい対応、という3者が一致しなければなりません。どれか一つが欠けると「建前」になりかねません。
by open-to-love | 2008-08-26 00:45 | 黒田:自殺対策連携シンポ | Trackback | Comments(0)