精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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カテゴリ:ハートネット事務局( 7 )

新年のごあいさつ

新年のごあいさつ

「明けましておめでとうございます。今年の干支は寅。身近なかたにはいらっしゃいませんが『寅年=猫科』からしますとわが家の家族、猫のトトのことでしょうか。のんびり気ままなマイペース、ですがやはり元々は野生動物。いざというときの集中力や瞬発力にはなかなかに脱帽。今年はそんなわが家の寅(瀇)を見習って、ここぞのときに威力を発揮できる広い視野をもったハ―トネットスタッフでいられたらと思います。
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ハ―トネットも3年目。参加された方々の障がい(福祉)に対しての意識が当初のアンケートから現在までを比較しますと格段違ってきているのがわかります。こうして、おひとりおひとりが主役になられ動かれ声をあげられ、ネットワ―クの広がり、強化が成されていくこと、これこそがハ―トネットの真髄のように思います。

皆様にとりまして、今年の1年がより良き年となりますように。本年もハ―トネットをよろしくお願いいたします」

ハ―トネットスタッフo(^-^)o
by open-to-love | 2010-01-02 18:19 | ハートネット事務局 | Trackback | Comments(0)
平成21年度 7月17日 介護員養成研修
~高齢者・障害者児、者等の家族の理解について~
<講話を終えての感想>
初めての場所、初めての方々。
そして、精神障がい者の家族としての『声』を聞かれる。
研修生20名の皆さんの胸に去来するものは、何だったのでしょうか。
話し始めた私の顔を、興味深そうに、また怪訝そうに、うかがい、見つめるまなざし・
さて、どうしたらこの緊張感極まりない固まった空気を少しでも緩和できるのか・・
まず、そこから考えてしまいました。
逆に私が研修生でも、きっと肩をいからせ、一言一句聞き逃すまいと緊張でいっぱいだったことでしょうけれど。
お話は、講話の文面にもありましたように「私の体験を私がその時感じた言葉で伝える」
としました。当初、講話時間50分間の依頼に「それだけの時間、何を話せばいいんだろう」と思っていたのですが、研修室の時計の針は50分間を、難なく通過していました・
思いのほか私の口をついで溢れ出る言葉の数々に、正直、自分が一番驚いてしまいました。
どれだけ話せば、少しでも共感していただけるだろう。
(そうか、精神病という病は、そんなふうな病気なんだ)と少しでも分かっていただけるだろう。
饒舌とは程遠い私の口は、この時間をとても懸命に大切に活躍してくれたかなと思います。
ときおり冗談も交えたつもりもあったのですが・・、ん~、笑いはとれず。
空気の緩和を意識したつもりが、逆に私のほうが肩肘張って『伝える』ことに目いっぱいになってしまったかなと、手厳しかったかなと最後は反省しきりでした。
(当日参加された研修生のみなさん、ごめんなさい)
私は、一家族で、専門家ではありません。ですが、家族ゆえの共感はできます。
理解はできます。今までの経緯からの病気への知識は、少なからずあります。
私が、こうして皆さんの前でお話していくことが、今の私にできる一番のことなのかな
などと僭越ながら思ったりしています。
「障がい者手帳、作るよ」そう言って、息子は今、自分のペースでゆっくりと
自分自身を見つめながら『歩』を進めています。
どうか、参加された皆さんが、と、まではいかなくとも幾人かの方でも〖心の病〗という
この病気に対してのことを、今までもたれていたであろう気持ちを、少しでも柔らかく
もっていただけるよう、願って止みません。
最後になりましたが、今回この講話のお話をいただきましたこと
また、させていただきましたこと、とても嬉しく、本当にありがとうございました。

※ありがとうございました。
by open-to-love | 2009-10-23 19:32 | ハートネット事務局 | Trackback | Comments(0)

介護員養成研修講話

平成21年・7月17日/介護員養成研修・講話

こんにちは。
今日は、介護員養成研修・家族としての講話をしていただきたいと
依頼がありまして、この場に立たせていただきました。
なにせ、あまり弁のたつほうではない上に、とても緊張するたちですので、
お聞き苦しい点もあるかと思いますし、難しい専門的なお話も出来ません。
ですが、私が障がい者を抱えることになりました経緯、そして、精神障がい者の
家族として、少しでもこの障がいをみなさんに理解していただければと思い、
今から、私の言葉で、お話をさせて下さい。よろしくお願いします。

始めに、お渡ししてありますレジュメとは多少違う方向へのお話に
途中から、なるやもしれませんことを、先にここで、ご了承願いたいと思います。

まず、家族構成としますと、母であります私、と、息子、24歳になります。2人構成の、いわゆる母子家庭ですね。
近所に一昨年結婚しました3歳上の姉が住んでおり、息子は叔父に、
私は祖母になりまして、孫はこの7月で、1年と3ヶ月になります。

さて、全国には「精神障害者家族会連合会」という、家族会組織があります。
岩手県には「岩手県精神障害者家族会連合会」、略して「岩家連」という名称で、
ふれあいらんどに、事務局があります。私が、こうして、この場以外にも、
家族として、精神障害や、病気のお話をさせていただくようになったきっかけというのが、
県下持ち回りで開催される「岩家連大会」でした。
一昨年は記念の「第30回大会」だったのですが、その大会でお話を依頼されたことでした。

今から、お話しますことは、その大会で発表することを息子へ打診し、そうすることでの
息子の心の揺れから、大会の体験発表とさせていただきたく、お聞きいただきながら、
息子と私のこれまでの経緯と、また、統合失調症という病気というものを、ささやかでも
くみ取っていただければと思います。

では、お聞きください。

*平成19年・春、「第30回岩家連大会・家族体験発表」に家族の代表として、
発表していただきたい旨を事務局から依頼されました。私自身は息子の障害・病気を
丸ごと受け止める心構えはしっかりあり、精神障がいという、まだ偏見の域をでない
この病気を少しでも理解してもらう機会かとも思ったのですが、そういう大きな大会で話すことを、息子の了承を得ることにかなりのためらいや、とまどいも隠せず。
そうこうしているうちに、返事の締切ぎりぎりまでやってきました。

忘れてしまいたい辛い過去をまた思い出させてしまう、せっかくたどり着いた
今の安定してきた時間が壊されてしまうようなそんな不安感。
でしたが、意を決して、私の今の気持ちそのままを息子に話すことにしました。

話す場を家ではなく、少し遠出をして、
でかけましたのは、岩洞湖近くのレストハウス。
調度、お昼どきに着いてしまい、人ごみが苦手な息子はそのレストハウスの中では
食事ができないので、外にありました小さなベンチに座って、店内で売っていた味噌のおにぎりと、豆腐田楽を頬ばりながら、私は静かにゆっくりと、話し始めました。

しばらくの沈黙。
そして一体、どのくらいの時間がたったのでしょうか。
実際には短かったのでしょうけれど、私には、とても長く感じられました。
その時なんだか私には、息子の背中が泣きたいのを必死でこらえているようにも見え
返事を待たずに思わず「いいよ、いいよ、もう止めよー!断るよ」

そして、また沈黙。
小さく丸めた体を起こしながら「お母さん、いいよ、俺なんかのことでよかったら
話してよ。みんなに、こういう病気なんだって、分かってほしいもん」

そのあとは、なんにも言葉になりませんでした。
残りの味噌おにぎりが、なんだかかなり塩辛くなってしまっていて、
「すっごい味になってるねー」と、2人で鼻の頭を真赤にしながら
笑って食べたこと、ずっとずっと、忘れないでしょう。

そういう経緯から、こうして息子からの了承を得、
私はその年の7月12日、「第30回・岩手県精神障害者家族大会」
~大会スローガン・地域で共に生きる~としての、家族体験発表を、
させていただくこととなりました。

では、ここでその体験発表を、お聞きください。
『第30回・岩手県精神障害者家族大会』~体験発表~
*そして これから*
平成15年11月16日、強制入院。
昭和60年5月23日、予定日より3日遅れての男の子でした。
3歳上の姉は、いつも物静かで、大人しい弟の面倒を、父親代わりのように、
叱り、庇いと、本当に仲の良い姉弟でした。
弟の異変に気づいたのは、その姉でした。
中学当初からの不登校、そしてひきこもり。
とにかくわたしは、この状況から脱したく、あらゆる場所へと出かけ、情報を得、
と必死の思いでした。
そうこうしているうちに、息子の姉への暴力が始まりました。
「自分を守るために」です。
【兄弟げんか】私には、そうとしか思えなかったのですが、日ごとに酷くなる状況。
姉は私に「お母さん!目を覚ましてよ!変だよ!おかしいよ!」
ぎりぎりのこの時点で、私は気づいてやればよかったのです。
息子は精いっぱいのSOSを出していたことを。
心が泣き叫んでいたことを。
【妄想】【幻聴(サトラレ)】
「何か、俺に憑いてるよ!悪いモノだから、お祓いに連れてってよ!お願いだよ!」
真夜中に玄関先で、いきなりの土下座。
夜には、2度、3度と警察への電話。
「空き巣が入ったんだよ!」
「外に、俺くらいの男がウロウロ歩きまわって見張ってるんだ!」
「警察!?なら、拳銃見せてよ」
吐き捨てるような言葉や上目使い、尋ねてきた警官を物陰からジッと観察する姿に
「お母さん、息子さん、尋常じゃないですよ」
その日は夜中のこともあり、高次救急へ向かったのですが、即日入院するにもそこは病棟が塞がっておりどうしようかと考えあぐねていると、突然息子のポケットからポロリと、落ちた物がありました。
それは、果物ナイフだったのです。
姉への暴力と同じ、「自分を守るために」なんです。
考えている時間はありません。すぐに、その日は、留置場へ。
翌日、入院のために、病院へ向かったのですが、車が到着するなり
いきなり大声を上げて逃走。
必死で逃げる息子を捕まえる警察、看護師。うずくまる私。
鎮静剤を打たれ、看護師4人に連れ戻され、ぐったりとなった息子を見たときに私は「これは夢なんだ、夢なんだ」と何度もつぶやいていた気がします。
(息子のことは、はっきりと覚えていますが、私がそうしたことは、うろおぼえです)
入院は保護室からでした。
多少の落ち着きが見られると2人部屋にもなりましたが、
不安定感が強まったり、症状が定まらなくなったりすると、
また保護室へ戻ったりの繰り返しの中、1度は脱走も試みました。
「俺を看護師の誰かが襲ってくるー!」と、非常口のドア、鉄線の張りめぐられた重いドアに体当たりをして、頭から地面に落ち、ガラスで額を切りました。
「たった今、息子さんが病棟から逃げてしまいました。
自宅へ向かったと思いますので、連絡を下さい」看護師からの電話。
不思議なことに、そのとき私は、(息子が帰って来てくれる!あんな病院から出てきてくれる!)と、嬉しくて仕方がなかったのを覚えています。
病院から家までの道順なんて、覚えているはずもないのに。
数時間後、病院の近くに隠れているのを発見され、怪我の処置をされ、また保護室へと
戻りました。
額には今でもその時の、数針縫われた傷が残っています。
私にはそのとき、息子がそうなってしまったことは自分のせいだと、自分を責めること以外できることがなく、なんとかそうすることで、自分を奮い立たせていたようにも思います。
入院しての面会や、退院近くになってからの外泊と本人の目の前ではどうにか笑顔で
いるのですが、病棟へ戻る息子の後ろ姿には、いつも涙が止まりませんでした。
「じゃあね、バイバイ」
「バイバイは嫌だなあ、またね、がいいよ」
入院をしてすぐ、保護室から私が帰るときの挨拶は今もそのままです。
平成19年5月7日。
日曜日の大安、3年半の入院生活を終え、息子は病棟を後にしました。
荷物をまとめ、車の中で息子は「入院ってさ、すごく嫌だし辛かったけど、一つ良かった
ことがあるんだ。それは家族っていいなあって、有難いなあって離れてみて、すごく
良くわかったんだ。俺さ、お母さんの息子で良かったあって思ったんだ、ありがとう」
外泊ではない、家路を急ぐ、ハンドルを握る私の手に力がこもりました。
私は息子が入院してほどなく、精神保健講座を受講し、精神関連、当時者が著者となった本等を読みあさり、1秒でも早く息子の病気を理解しようと思いました。
その後、家族会にも入会し、いろいろな講座や研修も受け、今は〈県立博物館内・地域活動支援センター/障害者作業所・喫茶ひだまり〉で、スタッフとして働いています。
私が今、こうしてここに立っているのは、たくさんの方たちに支えられているからです。
病院、家族、地域の方々。
ひとりでは、支えきれないことも、みなさんのおかげで、できたのです。
抱えこまずにオープンにすることで、視野はもちろん、人との繋がりができます。
《地域で生きる、ありのままの私で》
そのままで、素のままでいいんです。
これからのこと、親亡きあとのこと、考えれば考えるほど、頭を抱えてしまうことが
山ほどあります。
でも、ここにいてくれる、こうして生きていてくれる、それを十分にかみしめて、
少しづつ、ゆっくりと『焦らず、頑張らず、無理をせず』歩いて行ってくれればと思います。
以上、私のこの体験談が、皆様のお力になれることを願い、また私自身が皆様のお力に
なれればと思います。
ご静聴ありがとうございました。

以上が、もう今から2年前になりますね、大会での体験発表でした。
当時の文章より多少、手を加え少し病気の部分を詳しくお話ししましたが、お分かり
いただけましたでしょうか

発表の中に、レジュメの★これまでの歩みのところが、垣間見えたかなと思いますが、
息子は幼少期からとても静かな大人しい子で、手がかからない子でした。
親にとっては育てやすいというのでしょうか、反抗期という時代も特にありませんでした。
いつも私の後について歩く、内向的な性格でした。
小学から中学へ進級する際に仲の良かった友達と、学区の違いで離ればなれになることが、とても寂しかったのか、教育委員会へ相談して、同じ中学へ行けるようにしてほしい
と言われた時、私は、「新しい中学でも、友達ができるから、大丈夫」と、なだめたのです。
思えば、そのことがあったのか、1年はなんとか通学したのですが、2年から保健室登校が始まり、3年では全く教室へは入れなくなってしまいました。
卒業式は、みんなの式が済んだあとの、視聴覚室で、でした。
このとき私は、不登校の子たちが集える場所へ度々相談をしに出かけていましたが、
相談員からの返事は「なんとか1度、連れて来てみてください」
言葉に詰まりました。
その時にもうすでに、家からは出られない状態になっていたからです。
【ひきこもり】
(入院して主治医が息子から聞きだしたことによれば、すでにこの時期から幻聴は
始まっており、その幻聴に操作されていたようでした)
中学を卒業後は、高校進学をする気力もなく、本人の中で何が起こっているのか
分からない、私ばかりが空回り状態。
ですが、やはりこのままではいけないと、息子はなんとかの頑張りを見せ、2次募集の夜間部の高校へ入学。担任からは、授業中、伏せて寝てばかりいる、入学したときの成績は良かったのに下がる一方、と私は何度も学校へ呼び出されました。
2年進級時、もう本人は限界にきていました。
私は担任からの勧めもあり、なんとか退学だけは避けたいと思い、説得はしたのですが、
断念。1年で自主退学となりました。
辞める当日「ムカついた奴がいたんだよなー、そいつに仕返ししてやって、辞めてやる!」
腹の底から湧き上がる憎しみのこもった声とつり上がった目、この頃すでにもう発症していたのです。その後、自宅にこもり、部屋にこもり、引きこもり後、時々でも食事は必ず家族で食べていたのが、部屋でとるようになり、昼夜逆転、カーテンは閉めっぱなし、ドアや壁を蹴ることで穴をあけるなど、当時、一緒にすんでいた娘は、どうみてもおかしい息子を気味悪がり、注意をすると殴る、蹴るの暴力。それでも私は、一過性のものと思い、息子が欲しいものは何でも買い与え、この状況が行き過ぎるのを、ただひたすら待つことにしたんです。
そうして、息子18歳の秋でした。
介護ヘルパーとなっての2ヶ月目、夜、枕もとの携帯の音に叩き起こされました。
警察でした。「お宅の息子さんから電話があって、空き巣が入ったって言ってるんですが」
急いで2Fに居る息子の部屋をノック。
(息子の部屋には、なぜか怖くてすでに中2時代からの4年間は入っていませんでした)
事実、「電話をかけた」とのこと、警察に即座にきてもらい確認。
何事もなく。そのあと、また電話。
「困りますねー、いいかげんにして下さいよ」
翌日の朝、仕事に出る前「もう辞めてよ、迷惑なんだからね」「うん」
また、警察からの電話。
そして、その夜もまた電話。
「だって、誰かが、ずっとウロウロして見張ってるんだもん、早く捕まえてほしいからさ」
【妄想】
誰かに見られている、自分と同じような人、息子はもう1人自分がいるということを
当時よく話していました。その人物から自分が、見られないためにカーテンを昼でも引いていたのです。
誰かに何かされるんだから、自分の身は自分で守らなければならない。それゆえ護身用に
刃物を持ったり、相手が来る前に先にこちらから手を出す、防御する態勢をとろうと
していたようでした。
姉は自分に攻撃的な態度をとる、ということは決して好意的ではないということ、であれば敵という観点で捉えても不思議ではなかったかと思います。
はた目から見れば、そんなはずがないこと、でも本人には、事実以外、考えられないこと、だったのです。
【幻聴】
息子は、誰かに考えを抜きとられるという症状、サトラレに悩まされました。
頭の中に誰かの声が聞こえてきて、命令されるという指示的なものではなく、
言葉にはしていないのに、相手に自分の考えていることが、全て分かってしまうという
症状、これも幻聴の一つなのですが、その精で怖くて人ごみには入って行けなかったのです。かなり前にTVドラマや映画にもなりました〈サトラレ〉。この〈サトラレ〉が放映されたとき、息子は「俺と同じだ」と、ひきこもりとなって、すぐの頃、
たまたま点けていたTVを観て、驚きと安堵の顔で「やっぱり、俺って特殊な能力の持ち主
だったんだよなー。俺、1人じゃなかったんだよなー。」と晴れ晴れとした顔を見た時、私は、このままでもいいんじゃないかとも思ったりしました。
【巻き込まれ】
この時期、私は、まさしくこの状態。
可哀そう、辛いよね、私さえ我慢すれば済むこと、私がいつも守ってあげなければ。
決していいことではないのは分かっていたのですが、そうしなければ、息子はもっと
壊れてしまい、死んでしまうのではないかと、恐怖にも似た感覚に襲われたのです。
そして、そうすることで、私が一番楽なことだったと、あとで気づいたのです。

入院は、3年半にも及ぶ長い期間でした。
保護室での状況は、一般病棟とは格段の差。
縦20cm 横50cmの鉄格子から見える空は、なに色だったのでしょうか。
いえ、息子は保護室から空を見上げることなど、できなかったかもしれません。
厚い扉に、厳重な鍵。お手洗いはその部屋の中。
用が済むと、すぐ側にあるナース・ステーションへ知らせるため、部屋のドアを叩き知らせ流してもらう。
ベッドは薄いマット1枚、質素極まりないものでした。
シーツは、自害道具の一つとなるとして、敷いてはありませんし、
食事の時の、箸・フォークも同様でした。
1度、缶コーヒーを2人で飲もうと差し入れ、息子が飲まずにいたので、
「そのまま置いて帰ります」と、看護師に伝えると「困りますねー!何をするかわからないんですよ!」と、捨て台詞のように言われたこと。それは、私が息子を【精神病院】という未知な場所へ図らずも入院させることになってしまい、またこれからの事態を思う
母親として、真摯に考えていかねばならないと決意した、大いなる要因でした。

足しげく見舞いに行った日々、仕事帰り、息子の好きだった、おやつをコンビニで買ってきて一緒に食べる。
食べながらの昔話が、楽しみでした。帰りの時間が迫って来ると、もう少し、もう少しと
時間延長。面会時間ぎりぎりまでいたものです。
「離れてみると、初めてだったり、改めてわかることって、あるもんだね~」
まさか、息子の口からそんな言葉が飛び出すとは、思いもよらず、聞き返すと「ン~、
恥ずかしいんだけどさ、家族ってすごいんだな~って、こんなに気持ちがあったかくなるもんなんだな~って思ってさ」
その後の面会時には、度々そのことを口にしては、照れる息子がいました。

退院は、GWが終わったよく晴れた日でした。
病棟の看護師への挨拶を済ませ、忘れものが無いように確認、また確認をして、
ゆっくりと病棟出入口へ。
「あぁー!外泊じゃないんだよね、これからは戻ってこなくて、いいんだよね」
清々しく、天を仰ぐ息子。
「また、これからよろしくお願いします」ふいをつかれて頭を下げられ言われた言葉に、
「あ、こちらこそ」と、慌てて返した私。
これから、入院していたときとは違う、さまざまなことが待っています。
3年半の時間は、決して無駄ではなかったと、私は思います。
息子はその3年半を、これからのんびりと自分のペースで取り戻して
いくのだと思いました。

今息子は、<月に2度の通院>主治医は副院長なのですが、長い入院生活の中、
最も自分を理解してくれる人だ、と信頼していてなんでもよく話しています。
<月に1度の訪問看護>これは、1日の生活リズムを崩すことなく過ごすことができるようになるには、どうしたらいいのか、また本人の自宅での状況を詳しく聞いたりを
看護師2名が来訪して相談を受けたり、アドバイスをいただいたりします。
<週に1度のデイケア>病院に併設されているところで、1日平均14、5人の方が
毎日違うプログラムを、治療として行っています。同じ病を抱えることにより
その気持ちを分かちあえる場であり、またたくさんの人の中が苦手な人が、場に慣れていくため、ここでコミュニケーションを図る場でもあります。主任看護師、精神保健福祉士、作業療法士が、常駐しています。
こうして、退院後、少しづつではありますが減薬もされ、
病院(主治医)・訪問看護(看護師)・デイケア(スタッフ・当事者)と、きめ細かな繋がりの中で、ゆっくりと息子は今、回復への毎日を過ごしています。

今も、この先も、不安はいっぱいです。
特に私の亡きあとの生活。障害年金と、通所できれば作業所でのわずかばかりの工賃。
どうなってしまうんだろう、と考えない日はありません。
私が、あれこれと世話を焼いて動けるうちはいいのです。
これから、5年、10年、と、老いは確実にやってくるのですから。
この不安を取り払うために、私は繋がり抜きには語れないかと思います。

私は今『家族会』という、<繋がり>に在籍しています。
とかく家族が障がい者を抱えてしまうと、閉鎖的になりがちになります。
特に精神障がいのような、中途障がいとなりますと、よけいにそう考えてしまう傾向が
あるように思いますが、私は息子をその繋がりの中へと引き入れるため、先の家族会の他、地域と関わっていくこと、と思います。
「おはようございます」「こんにちは」なんでもない一言でも、かなりの勇気が必要です。
なんともなかなか進歩がみられない、もどかしい1歩かとも思いますが、そこから地域での自分が見いだせてくるのではないでしょうか。

息子が、息子らしく生きていくため、また、この先たくさんの方々と関わって生きていかなければならないであろうこと、なによりも障がいを抱えながら暮らしていくためには、
私は、本人がどうありたいか、どう生きていきたいか、かと思い、地域での自分をはっきりとした形にするのがいいのかなと思っています。
親にはもうこれから先は限られた時間でも、本人の可能性は無限大。
それをどうするのかは、本人次第、だからこそ《オープン》だと思うのです。

息子が本当の自分でいられること、背筋を伸ばし、姿勢を正すこと、精神障がい者ということを恥じないこと。胸を張って自分の声で今の自分を主張していくこと。
そうしていくことで、地域はもちろん、本人の生きてていいんだという自信に繋がります。
その自信、それが、不安が取り払えること。
時間がかかるかもしれません、ですがそうして、すこしづつでも、この障がいを
理解してもらえる、そのことが、差別や偏見への1歩と繋がる気がします。

不安をなくする、少なくするということは、逆に考えれば安心を与えるということです。
安心は、周りの支えがあってこそです。
自分の内なる力を100%発揮できるような、そんな周囲の支援があることで、
その安心の中、本人はゆっくり自分と向き合うことができます。

まだまだ、精神障がい者への差別や、偏見は少なくありません。
事実、精神鑑定なる文字が新聞に掲載されますと、すわ【統合失調症】か!?
と思う方が大半かと思います。実際、私もそうなのですけれどね。
ですが、今や100人に1人の割合の確率で発病するくらい、かなりポピュラーな
病気の一つになりましたし、息子が発症した5年前に比べますと、驚くほどの情報網もあり、そういった意味では、病気に対する心構えは持ちやすくなったのかなと、思ったりします。

さて、長々、いろいろと、お話をさせていただきました。
少しでも、伝わり、お分かりいただけましたでしょうか。
まとまりがなく、なんだか好きなように話してしまったようにも思います。
申し訳ありませんでした。

ここで、こういったお話をさせていただいたのも何かのご縁と感じます。
これを機に、精神障がいという障がいを、病気というものを、少しでも理解、更にもっと深く知りたいとお考え頂ければ、こんなに嬉しいことはありません。

実は私は、精神障害がある当事者、家族、関係機関、市民のネットワークとして、一昨年10月に発足しました「盛岡ハートネット」のスタッフの1人です。
2、3ヶ月に1度、交流会を開催しています。
毎回、いろいろな分野の講師の方をお招きし、たくさんのご参加をいただいています。
よろしければ、ハートネットへぜひ参加いただき、参加していただくことで、
また少しでも理解をいただけるのではと思います。
ぜひ、よろしくお願いいたします。

以上をもちまして、講話を終了させていただきます。

本日は、有難うございました。


~END~
by open-to-love | 2009-08-03 20:31 | ハートネット事務局 | Trackback | Comments(0)
※今年3月、盛岡市内で開かれた介護員養成研修に、盛岡ハートネット事務局が講師としてしゃべってきました。レジュメと講演全文を紹介させていただきます。

~平成21年7月17日 介護員養成研修
高齢者、障害児、者等の家族の理解~        


★家族構成 私・母/息子・長男

★精神障がい 統合失調症 平成15年11月~3年半に及ぶ入院
       強制入院から閉鎖病棟へ
       障害1級(年金受給あり・手帳なし)

★状態 服薬が基礎となることで 症状は緩和
    現在、週に1度のデイケア・月に1度の訪問看護・月に2度の受診

★これまでの歩み 
   *入院までの時間
     中学時代からの ひきこもり
   *入院してからの時間
     離れて見えてくる なにか
   *退院後 そして今 
     「お帰りなさい」と「これからも よろしく」

★不安
   *現在
     
   *将来

★不安を取り払うためには
by open-to-love | 2009-08-03 20:29 | ハートネット事務局 | Trackback | Comments(0)
※11月22日に盛岡市西部公民館で開かれた、もりきたエコムネット学習会~地域での福祉ネットワークづくりを考える~「地域の中で自分らしく暮らすために・・・」が開かれました。そのシンポジウムで、ハートネット事務局が発表しました。

事例発表

 本日は参加させていただき 有難うございます。よろしくお願いいたします。
 実は、このエコムネット学習会・事例発表者として、りんりん舎さんから依頼がありましたときには、私ではなくもっと弁のたつ適任者がいるのではないかと現状を分かりやすく、きちんと伝えられるかたがいるのではないかと思い、即座にお断りしました。
 ですが、「大丈夫! 出来るから。家族だから、話せることなんだから」に乗せられまして…。「難しい話は無理だけど、家族としての今の現状や思いなら私にも話せるかな、それで良かったら」ということで、お引受けした次第です。ですので、ここでお伝えするのは一家族としてこれまで歩んできた道程、そしてこれからどうあればよいのかを、3つのセンテンスに分けまして私の言葉でお話していきたいと思います。

 お手元に配布されましたレジュメは現況なのですが、そこへ行き着きます前に、まずは昨年7月に時間を戻させていただきましてお話しをしたいと思います。

①昨年度、第30回・「岩手県精神障害者家族会大会」(岩家連大会)に家族代表者として発表していただきたい旨を、事務局より依頼されました。
 私自身は息子の障がいを丸ごと受け止める心構えはしっかり有り、精神障がいという、まだ偏見の域をでないこの病気を発表することで少しでも理解してもらう機会かとも思ったのですが、息子の了承を得ることにかなりのためらいを隠せず・・・いつしか締切ぎりぎりの期限もやってきました。
 忘れてしまいたい辛い過去のことをまた思い出させてしまう、せっかくたどり着いた今の安定してきた時間が壊されてしまうような不安感、でしたが、意を決して、私の今の気持ちそのままを話すことにしました。
 出かけたのは岩洞湖近くのレストハウス、調度お昼どきだったので人ごみが苦手な息子は中では食べられず、外の小さなベンチに座りレストハウスで買った味噌おにぎりと田楽をほほ張りながら、私は静かに、大会で発表したい、またその理由を話し始めました。
 しばらくの沈黙・・・実際には短かったのでしょうが、私にはとてもとても長く感じられました。なんだか私は、息子の背中が泣きたいのを必死でこらえているように見え
返事を待たずに思わず「いいよ、いいよ、もう止めよ~!断るよ」
 そしてまた沈黙のあと・・「お母さん、いいよ、俺なんかのことでよかったら話してよ、みんなにこういう病気だって分かってほしいもん」
 あとは、2人言葉になりませんでした。
 おにぎりについていた味噌が、とても塩辛く、全部は食べられませんでした。
 そういう経緯があって、家族としての体験発表に至りました。
 ここで、その≪第30回岩家連大会・ハートメッセージ家族体験発表≫『そして これから』を お聞きください。

 さてレジュメの中にあります、「ひだまりとハートネット」について、少しお話しさせていただきたいと思います。
 『つながり』をもつ、私は今、つながりを持てる大きなところにいます。

②「喫茶 ひだまり」のこと
 お手元にありますリーフレットを、ご覧ください。
 私は昨年2月から、指導員として働いています。指導員以前は、家族ボランティアとしておじゃましていました。今、ひだまりは20人を超えるメンバーさんが通所していますが、そのメンバーさんとの関わりの中で、障がい者であるということ以前に対人間として、学ぶべきことの多さに驚いてしまいます。
 全てが病気なのではなく、健康な部分のほんの一部分が病んでいるということ、本人の持っているもともとの性格、成育歴、環境などを日々考慮しながら、毎日を勉強と思って指導させていただいています。
   
 息子はまだ作業所に通所するまでには至っていませんが、ここでこうして、私自身がつながりを持ちつつ、いずれ通所できるであろう時を待ち望んでいます。実はなにより、こうした場所にいられるということは家族として主観的になりがちな息子に対して、客観的な目を向けられ、また逆にメンバーさんに対して、視点を変えて接することができる、という私の中で大いなる『つながり』が持てるということ、更に申しますと、入院、退院、通院、デイケアと全てにおいて通じている息子はそのままひだまりメンバーさんと席を同じにしていられるということ。
 ここでもまた一つ『つながり』が、持てているのですよね。

③「盛岡ハートネット」のこと
 やはり、こちらもお手元にありますリーフレットを、ご覧ください。 

 最後に、また大きなつながりを・・事務局3人で、昨年10月に結成したばかりで、まだようやく1年が経過したばかりの、「盛岡ハートネット」を紹介させていただきたいと思います。ご覧になっていただいております通り、どこに事務所を置くでもなく誰が代表でもなく、というかなりゆるやかな集まり、家族限定とういうことでももちろんありません。老若男女問わず、参加された方々一人ひとりが代表という今までにはなかった会が誕生しました。

 『つながり』をもつ、本当に小さな一つ一つのつながりが、輪になっていくとやがて大きな輪になっていきます。そんな輪ができていくと、自然体でネットワークが広がります。
 地域で生きる、自分らしく生きる、まずはほんの少し、外からの風を心に入れてみませんか。
 大丈夫!決してあなたは1人では、ありません。

 ご静聴、有難うございました。

※発表を終えて、ひとこと。
 「終了後、知的の指導員さんに、声を掛けられました。『精神のことはさっぱり知らなかったけど、発表を聞いて、よく分かった』。3障害一緒といっても、取り残され感がある精神のことについて、分かっていただく機会を与えていただき、よかったです。また一つ、つながりが生まれたような気がします」
 お疲れさまでした!


by open-to-love | 2008-11-22 21:10 | ハートネット事務局 | Trackback | Comments(0)
※来る11月22日(土曜日)、盛岡市西部公民館で、もりきたエコムネット学習会~地域での福祉ネットワークづくりを考える~「地域の中で自分らしく暮らすために・・・」が開かれます(ビラは、ブログに収録済です)。そのシンポジウムで、ハートネット事務局が発表します。とってもいい文章です。
 みなさん、ぜひ学習会に参加しましょう。

事例発表

      息子23歳・退院してから、はや1年半が過ぎました。
      それでも入院していた期間からしますと
 1年半という期間は、まだ半分にも満たないのです。
 あれは息子が18歳になった初秋、きっとそれはいつまでも
 鮮明に私の中に刻まれている1ページだと思います。
  
この病気になられたかたの、ご家族の方から
「当初は何がなんだか、分からない状況だった」という言葉をよく聞きます。
  私も、その言葉通り・・。
そしてまさしくそれは俗に言います【青天の霹靂】状態。
当の本人はもちろんなのですが、家族は(こんなはずが、あるわけがない)
(絶対に何かの間違いだ)何度も(自分は今、悪い夢を見ているんだ)と
とにかく絶対に肯定はできないでいるのです。
現実を直視できない分、逃げるようになんとか結論をだそうとします。
どうしても、1+1=2という決まりごとに、持っていこうとします。
何度も考えては(そうじゃない、こうだから)の繰り返しの中
分かったことは・・・
『今、自分が置かれている現実に、真っ直ぐに向き合うこと
 逃げていても何も変わらないこと』でした。
これは、3年半もの入院を余儀なくされ
統合失調症という病を抱えてしまった息子から、教えてもらったものです。

今息子は、月に2度の通院(主治医は副院長なのですが、入院時より
最も自分を理解してくれる人と、信頼関係で結ばれています)、月に1度の訪問看護(1日の生活リズムを崩すことなく過ごすことができるようにはどうしたらいいのか、また自宅にいながらの状況を詳しく聞いたりと、看護師2名と本人とで自宅での生活基盤を築き上げていくためにはという相談をしたり、アドバイスをいただく訪問)、週に1度のデイケア(通所しています病院に併設されていて、1日およそ12~3人のメンバーさんが毎日違うプログラムなのですが、外出したり、物を作ったり、運動したり、メンバーさん達が自分たちで行いたいことを提案したり、同じ病を抱える気持ちを分かち合える場であり、息子のようにたくさんの人の中にいることが苦手な人たちが、少しでもそういう『場』に慣れていくためのコミュニケーションがはかれる場所)という、病院(主治医)・訪問看護(看護師)・デイケア(デイケアスタッフ、メンバーさん)と、きめ細かな『つながり』の中で毎日を過ごしています。
かくいう私は、地域活動支援センターでもあります、障がい者作業所
県立博物館内「喫茶ひだまり」で指導員として働かせていただいています。

先にあげました『つながり』をもつ
とかく家族が障がい者を抱えてしまいますと、
周りから隔絶されたかのように考え、閉鎖的になりがちになります。
(精神障がいのような中途障がいとなりますと、
よけいにそう考えてしまう傾向があるように思います)
実際に息子が入院前の、2年ほどだったでしょうか、ひきこもり状態になり、
右往左往していた時には一人ポツンと
体も心も置き去りにされてしまった、孤立感に苛まれた自分がいました。
(どうしたら、いいんだろう・・・)
ポランの広場、精神保健福祉センター、電話相談、占い師、書物・・・
ありとあらゆる場所、ことをしました。それでも毎日が暗闇の中。

でもその時、誰よりも辛い時間の中にいたのは、他でもない息子だったの  
に、私は自分のことしか見えない、息子は度外視、
(周りになんと見られているんだろう、恥ずかしい)

そうです、私はそこから『つながり』を断ち切っていたのです。
私は私、息子は息子、というように。

今までたくさんのそういう断ち切っていた場面や時間を過ごしてきて
考えてみると、相談していった先々には必ず『人』がいたんですよね。
つながっていたんです。
深呼吸してゆっくりと歩くとそうだったんです。
重ねて来た時間の中で『つながっていくことの大切さ』を今、実感しています。

私は『つながりをもつ』ということは
地域と関わっていくということだと思います。
「おはようございます」「お天気がいいですね」
なんでもない一言を、勇気をふり絞ってささやくように発する。
それは、なかなか進歩がみられない、もどかしい一歩かとも思いますが
そこから地域での自分が、見いだせていくのではないでしょうか。
障がいを抱えながら自分が自分らしく暮らすためには
自分がどうありたいか、どう生きていきたいか、かと思います。

家族となって、5年。
(ちなみに、5年前の今月、16日に入院しました)
精神障がい者をとりまく情勢は、決して良好とはいえません。
ですが地域の中で、自分らしく生きていくためには、
臆することなく自分の存在を、周知してもらうこと。
病気の自分を決して隠さないこと、いわゆるオープンです。
それが、精神という病気の理解にも、ここでもまた『つながって』
いけることの一つ、なのではないでしょうか。

自分が本当の自分でいられること、そうありたいことを求めるならば、
いえ、求める前に背筋を伸ばしてください。姿勢を正してください。
精神に障がいをもってしまったことを決して恥じないでください。

最後に私は今回のテーマ、
「地域で自分らしく暮らすために・・・」というのは
障がいを抱えても、胸を張って、私たちはここにいるんだということを
自分達が自分達の声で主張していく、そうしていくことで
少しづつかもしれませんが、お隣、ご近所とのつながりができ、それは
また地域へとつながる。つながりがつながりをもちます。、
そのつながりこそが、自分らしく暮らしていける場所、地域を作りだして
いくということなのではないでしょうか。
つながりをもって、自分達が声をあげていくことで、
必ず情勢は変わってきます。

心は心を呼びます『ハートネット』です。
寄り添い、支え合い、共感しあい、≪共生社会≫へ。
by open-to-love | 2008-11-17 21:24 | ハートネット事務局 | Trackback | Comments(0)

そして、これから

そして、これから

 平成15年11月16日、措置入院。
昭和60年5月23日、予定日より3日遅れての、男の子でした。
 3歳上の姉は、いつも物静かで、大人しい弟への面倒を、父親がわりの様に叱り、庇いと、本当に仲の良い姉弟でした。
 弟の異変に気づいたのは、その姉でした。中学当初からの不登校、そしてひきこもり。とにかく私はこの状況から脱したく、あらゆる場所へと出かけ情報を得、と必死でした。
そうこうしているうちに息子の姉への暴力が始まりました。自分を守る為に、です。
〝兄弟げんか〟私にはそうとしか思えなかったのですが、日毎に酷くなる状況。
姉は私に「お母さん、目を覚ましてよ!変だよ!おかしいよ!」
ぎりぎりのこの時点で、私は気づいてやればよかったのです。
 息子は精一杯のSOSを出していた事を。心が泣き叫んでいた事を。
 『妄想』『幻聴〈サトラレ〉』
 「何か俺に憑いてるよ!悪いモノだからお祓いに連れていってよ!」真夜中、玄関先での土下座。その夜は二度、三度の警察への電話。「空き巣が入った」「外に俺位の人がウロついてる」「拳銃持ってるなら見せてよ」
 「お母さん、息子さん尋常じゃないですよ」そのまま、その日は留置所へ、翌日入院。
一度は脱走も試みました。
額には、今もその時の傷が残っています。
 私にはその時、自分を責める事以外出来る事がなく、なんとかそうすることで自分を奮い立たせていた様に思います。
面会、外泊と本人の目の前ではどうにか笑顔でいるのですが、病棟へ戻る息子の背中にはいつも涙が止まりませんでした。
「じゃあね、バイバイ」「バイバイは嫌だなあ、またねがいいよ」入院をしてすぐの保護室から私が帰る時の挨拶は今もそのままです。
 平成19年5月7日、日曜日の大安、3年半の入院生活を終え息子は病棟を後にしました。
「入院ってさ、すごく嫌だったけど、ひとつ良かった事があるんだ。それは家族っていいなって、有難いなあって離れてみて、すごく良く解ったんだ。俺さ、お母さんの息子で良かったなあって思うんだ。有難う。」
 私は息子が入院してほどなく、精神保健講座を受講し、精神関連、当事者著者等の本を読みあさり、一秒でも早く息子の病気を理解しようと思いました。
 その後、家族会にも入り、いろいろな講座や研修を受け、今、県立博物館内精神作業所「喫茶ひだまり」でスタッフの一員として働いています。
そして今こうしてここにいる私は、沢山の人達に支えられて立っています。
一人では支えきれない事が、病院、家族、地域の方々のサポートにより、私は立ち上がる事ができました。
 抱え込まず、オープンにする事で、視野は勿論、人との繋がりができます。
〝地域で生きる、ありのままの私で〟
そのままで、素のままでいいんです。
 これからの事、親亡き後の事、考えれば考えるほど、頭をかかえてしまう事が山ほどあります。
 でも今ここに居てくれる、こうして生きていてくれる、それを十分かみしめて、少しずつゆっくりと『焦らず、頑張らず、無理をせず』
歩いて行こうと、歩いて行ってくれれば、と思います。
以上、私のこの体験談が皆様のお力となれる事を願い、又私自身が皆様のお力になれればと思っています。
ご清聴、有難うございました。
(第30回記念精神障害者家族大会「ハートメッセージ」より)

by open-to-love | 2007-07-14 18:07 | ハートネット事務局 | Trackback | Comments(0)