精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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カテゴリ:民生委員協議会講演( 10 )

「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」⑩

■10■おわりに…ある女性のメッセージ

 最後に、事例1に登場した女性のメッセージを紹介し、締めくくりたいと思います。私はその女性に「では、そのとき、民生委員にどんなかかわりをしてほしかったですか?」と問いました。

 「そうですね…。虐待と疑われた時は、涙が止まらなかった。でも、今、民生委員が大嫌いなわけではないです。何かをしたい、助けたいという気持ち自体には、感謝したいと思っています。
 あの時…民生委員さんに、虐待と決めつけないでほしかった。例えば、「お母さん、困っていることがあったらいつでも連絡して下さいね」と言って、ただ、名刺だけ置いていってほしかった。または、「お子さんはどうしてこうなっているんですか? 何故なんでしょうか? お母さん、原因をご存知でしたら教えてほしい。自分は専門的なことは分からないけど、まわりに聞いてみますね」みたいな感じで言ってくれたら、どんなに救われたろう」

 このメッセージと関連して、ここで、4章から9章まで、「解決法」として提示した6点について、▽短期的な解決法▽中期的な解決法▽長期的な解決法-に分類してみましょう。

▽短期的な解決法

■5■一つの原因に決めつけないようにしよう

▽中期的な解決法

 ■4■障害について学ぼう
 ■6■当事者の問題は、往々にして家族の問題でもあることに理解を深めよう
 ■8■世の中にはいろいろな課題があることに理解を深めよう
 ■9■女性問題に理解を深めよう

▽長期的な解決法

 ■7■住民と日常的な接点を持とう

 6つの解決法のうち「一つの原因に決めつけない」のは、今、ここから、すぐに心掛けることができます。ただ、みなさんが、ご自身の人生経験を客観的に見つめればいいのです。何ら、知識も技法もいりません。必要なのは、気持ちです。
 「障害について学ぼう」「当事者の問題は、往々にして家族の問題でもあることに理解を深めよう」「世の中にはいろいろな課題があることに理解を深めよう」「女性問題に理解を深めよう」は、たしかにそりゃそうなんですが、すぐ学ぶにはなかなか大変ですし、学ぶスピードも人それぞれ。ただ、少なくとも、民生委員がある困難な事態に遭遇したとき、それは「自分には虐待としか見えないけど、実は自分が知らない原因かもしれないな」「よく分かんないけど、背景には精神疾患・障害があるのかもしれない」といった感じで、「一つの原因に決めつけない」ことは、あなたのお気持ち次第ですぐにできます。
 「住民と日常的な接点を持とう」は長期的課題。そして、これは一義的に民生委員の課題とされるべき課題ではなく、この国全体の課題かと思われます。まして、これまであった地域社会のつながりを取り戻すのではなく、いまだかつてなかった、精神障害者などを含む地域社会のつながりを構築しようとするのですから、そう簡単にできるわけがない。
 今、ここで、こうして私がみなさんに話しています。また、誰かが、別の場所で話すこともあるでしょう。それぞれの言葉は、それなりに聞き手に受け止められ、いくばくかの学びとなることでしょう。そうした相互作用の積み重ねの総体として、ちょっとずつ理解の輪が広がっていくことと思います。そんな「共生社会」という目標があるからこそ、私なりにみなさんに自分の体験を話しているわけですが、その目標がすぐすぐ到達できるものとは、はなから思ってません。
 まずは、短期的な解決法から始めましょう。事例1を振り返れば、民生委員は、そのとき、自閉症について知らなくてもよかったのです。あるいは、精神疾患・障害についても、知らなくてもいいのです。知らなかったことは責められません。ただ、知らないことについて知っているかのように決めつけず、知らないままにただ受け止め、ゆるやかにかかわり、時と場合に応じては専門家につないでほしい。この女性と私の、共通した思いです。

 私は新聞記者です。いろんな人と出会い、話を聞き、記事を書くことを通じて見聞を広めることができる、恵まれた職業です。それでも、その仕事を通じて広がった世界は、ごく限られたものでしかなかった、と今にして思います。私が精神障害者の家族になって良かったことは、自分の価値観がすべてではない、見聞きしてきた世界がすべてではない、世の中にはいろんな人がいて、いろんな困難があって、その困難の中でも、頑張って生きている人がたくさんいる、大変なのは自分だけではない、と、つくづく実感することができたことです。
 民生委員は、これまで培ってきたさまざまな経験を地域のために生かせる、素晴らしい仕事です。加えて、民生委員になったことによって、ご自身がこれまで培われてきた価値観とは異なる価値観と出会い、さらに人生経験を豊かにする、またとない機会と思います。今後とも、みなさまの活躍に期待しております。

 付記…本論で不明な点あれば、私(090-2883-9043)まで気軽にご連絡下さい。あと、私はこれまで▽自殺と多重債務対策の連携シンポジウム▽明るく生きる2008こころのシンポジウム▽ふれあいin八幡平▽地域生活支援セミナーinにのへ▽ヘルパー2級研修-で、それぞれ今回のような小論を発表しています。盛岡ハートネットニュースも7号まで刊行中。興味ある方には差し上げますので、これまた気軽にご連絡を。

※というわけで、八幡平市から紫波町まで(ただし、盛岡市は除く)の民生委員・児童委員5、60人を前に、しゃべってきました。みなさん、真剣に聞いていただき、どうもありがとうございました。(黒)
by open-to-love | 2009-05-29 11:23 | 黒田:民生委員協議会講演 | Trackback | Comments(0)
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」⑨

■9■女性問題に理解を深めよう

 先に、精神疾患・障害の問題とは、障害者家庭の問題であると指摘しました。障害者家庭の問題とは、これまた多くの場合、女性の問題でもあります。
 日本では、例えば子育てや高齢者介護において、女性だけではなく男性も担おう、という掛け声が盛んになっています。男性が子育て、料理、介護を学ぶ講座も開かれています。ですが、とりわけ障害者介護は「母親の役割」という風潮が根強い。男は仕事、女は家庭という性別役割分担意識は、非=障害者家庭においては薄れていているかもしれませんが、障害者家庭においては「家」制度が明瞭に残存します。家制度は民法上では廃止されましたが、意識レベルではまだ根強く、精神疾患発症といった困難の発生に伴い、それは露呈します。統計調査が存在しないので実感に頼らざるを得ませんが、精神障害者家庭の離婚率、家庭崩壊率は高い。精神障害者家庭は、障害の大変さはもとより、生活の大変さも一気にしょいこむ家庭は多い。子どもの精神疾患発症に伴うDV、離婚。さらには障害児・者を抱えた母親の生活苦…。詳しくは、添付の新聞記事をお読み下さい。
 自分自身に引き合わせて考えるに、やっぱり、わが家が崩壊しないで済んだというのは、私が男だったからというのも大きい。というのは、精神障害者家族では今なお、「血のせいだ」「育て方が悪いからこうなった」などと、母親が子どもの病気の責任を担わされることがあります。私は男ですから、あれこれ言われずに済んでます。「男なのに家事をしてエラい」とほめられることもあります。これって、裏返しの性別役割分担意識の現れで、こんなこと言う人はアホですな。私は偉くもなんともありません。
 そして、こうして女性問題を指摘している私自身も無謬ではなく、例えば娘に対し「お母さんをよろしくね」と言ったこともあります。この言は、「家」の問題を指摘する私自身が、娘を「家」に縛ろうとしていることにほかならない。この程度の私が女性問題について云々する資格はないのかもしれませんが、反省しつつ、障害の問題や虐待の問題を一義的に女性に負わせるような社会の風潮には、異議を唱え続けていきたいと思っています。
 女性問題については、女性センターや男女共同参画センターなどで各種講座を開いていますので、そういう機会に理解を深めて下さい。
 なお、わが家が崩壊しないで済んだというのは、当事者が子どもではなく、伴侶であるというのも大きい。妻は私より7歳年上ですから、生物学的に私と妻は一緒に死ぬでしょう。当事者が子どもですと、親は「親亡き後」を考えなければなりませんから、大変です。その点、7歳年下の伴侶は気楽です。でも、伴侶が病気という、自分と同じような境遇のご家族になかなか巡り会わないのは不思議です。これまた統計はありませんが、伴侶が病気になったことで離婚に至るケースが相当多いのではないかと察します。これまた女性問題ですね。私は、精神疾患を発症して離縁された女性、あるいは、子どもの発症が直接・間接的な原因となって離縁された母親を何人も知っています。
by open-to-love | 2009-05-29 11:21 | 黒田:民生委員協議会講演 | Trackback | Comments(0)
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」⑧

■8■世の中にはいろいろな課題があることに理解を深めよう

 これもまた、言うは易し、行うは難し。
 事例1のケースは、民生委員が「虐待」について学び「自閉症」については学んでいなかったから起きた事案です。そして、たとえその民生委員が「自閉症」について学んでなくとも、「虐待」に決めつけない対応であれば、こうしたことは起きなかったのではないか、ということを、第5章で述べました。もう一つ言うならば、民生委員は「虐待」についても「自閉症」についても「精神疾患」についても学べば、こうしたことは起きなかったのではないか、とも言えましょう。が、それもまた酷な話です。
 ここで、民生委員はいかにして精神について学んでいるのか、学ぶためにどのような手段があるかについて、考えてみましょう。
 民生委員になると、その活動の基礎知識を記した全国社会福祉協議会発行『民生委員・児童委員 必携』や全国民生委員児童委員協議会編『新任 民生委員・児童委員の活動の手引き』というのをもらうことでしょう。が、私の見る限り、総じて、精神疾患・障害に関しての記述は薄いです。例えば『必携 第53集』(2008年6月)には、先に記したような民生委員の役割や活動、歴史、生活保護制度・生活福祉資金貸付制度などが記されていますが、精神疾患・障害についての特記事項はない。わずか、生活福祉資金貸付制度の貸付対象である障害者世帯の説明として「精神保健福祉法の規定により、精神障害者保健福祉手帳の交付を受けている者」と記されているくらいです。
 むろん、精神疾患・障害に関する専門書はあまたあります。でも、民生委員が気軽に手を取って読むような本の中に、精神疾患・障害に関する記述はないものか? と探したら、小林雅彦・原田正樹著『民生委員のための地域福祉活動Q&A』(中央法規出版、2006年7月)を見付けました。民生委員のさまざまな活動についてQA方式でコンパクトに紹介した本です。その中で、精神障害について述べている項目がありました。コピーを添付したのでご覧下さい。
 そこでの「ポイント」として「誰もが精神疾患や精神障害について正しい知識をもつ必要があります」「住民と精神障害者とがふれあう機会をつくることで、住民の態度や行動の変容が期待できます」と2つ指摘されています。これらは、とっても大切だと思います。その上でですが、同書に書かれていることは、精神保健医療福祉のうち、「福祉」のみに限られているということにも留意する必要があります。例えば、躁うつ病、適応障害、パーソナリティ障害などさまざまな精神疾患についても、措置入院と医療保護入院と任意入院の違いなどについても書かれていない。つまり、医療や保健的な側面については書かれていないのです。
 でも、だからといって、私としては、「医療」「保健」について書かれていないのはおかしいと指摘するつもりはありません。みなさんにそれらすべてを勉強しましょう、とも言いかねます。なぜなら、民生委員が向き合う諸問題は、決して精神障害に限らず、実にさまざまある。それをすべて勉強しよう、というのは、あまりに負担です。しかも、民生委員の基本的性格として「奉仕性」、つまり「誠意をもち、地域住民との連帯感をもって、謙虚に、無報酬で活動を行うとともに、関係行政機関の業務に協力します」というのがある。対価の伴わぬ善意の活動に対して、責任を押し付けることはできません。よって、私としては、民生委員に「支持的なかかわり」と「専門家との連携」については期待しますが、それ以上の無理難題は申しません。できる範囲で学んでいただければありがたいです。むしろ、『民生委員Q&A』に、福祉的なレベルにおいて精神障害を理解しようという記述があることに、積極的な意義を認めます。なにせ、まだまだ精神障害者に偏見の強い世の中ですから、せめてみなさんは「正しい知識」を学ばれ、精神障害者と社会との懸け橋になっていただければありがたいです。精神障害の歴史を顧みれば、民生委員のみなさんが精神障害者と福祉的なかかわりを担うということ自体がとっても意義深いのですから。
  「住民と精神障害者とがふれあう機会」としては、先に紹介した「盛岡ハートネット」という集まりをやっていますので、民生委員のみなさんにも活用いただければ幸いです。
by open-to-love | 2009-05-29 11:20 | 黒田:民生委員協議会講演 | Trackback | Comments(0)
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」⑦

■7■住民と日常的な接点を持とう

 …とは言っても、結論から先に申せば、困難です。
 まずは、民生委員の職務と歴史をおさらいしましょう。
 民生委員は、厚生労働大臣から委嘱され、それぞれの地域において、常に住民の立場に立って相談に応じ、必要な援助を行い、社会福祉の増進に努める方々であり、「児童委員」を兼ねています。児童委員は、地域の子どもたちが元気に安心して暮らせるように、子どもたちを見守り、子育ての不安や妊娠中の心配ごとなどの相談・支援等を行います。民生委員制度は、1917(大正6)年に岡山県に設置された「済世顧問制度」と、1918(大正7)年に大阪府で始まった「方面委員制度」が始まりとされています。(厚生労働省ホームページ:生活保護と福祉一般)
  『民生委員制度40年史』(全国社会福祉協議会)『民生委員制度創設80周年記念誌』(熊本県民生委員児童委員協議会)には、黎明期のエピソードも紹介されています。
 
 「1918(大正7)年秋の夕暮れ、大阪府下のある理髪店で50歳くらいの紳士が散髪していた。鏡に写る町の風景を見るともなしに見ていた紳士の目は、ある一点に釘付けになった。それは、40歳くらいの母親と女の子が夕刊を売る姿であった。散髪を終えた紳士は、その夕刊売りに近づき1部買ったあと、一言、二言話しかけ、その足で近くの交番に立ち寄った。紳士は、この夕刊売りの家庭の状況を調べさせたのであった。紳士は、当時の大阪府知事林市蔵であった。後日、巡査から次のような報告があった。街角で見かけた母親は、夫が病にたおれ、4人の子どもを抱え、夕刊売りでやっと生計を立てている。子ども達は、学用品を買えず、学校にも通っていない。林知事は、自らの貧しい生活を思い起こし、しばらくは、目をとじたままであった。このような母子は他にもいるはずだと思い、部下に調査を命じ、管内をいくつかの方面、今でいう地域に分け、それぞれの方面に委員を置き、生活状況の調査と救済などの実務にあたった。方面委員制度の始まりである。」

 こうして始まった民生委員制度は、地域福祉の大きな担い手として、昔も今も重要な役割を担っています。にもかかわらず、民生委員と精神障害との接点は、これまで必ずしも密接だったとは言い難い。それは、民生委員の側の責任ではありません。むしろ、精神保険医療福祉制度の側の問題です。先に精神障害者の歴史を紹介しましたが、要するに、精神障害者はそもそも地域にいなかったから、民生委員がかかわりようがなかったのです。精神障害者が地域で暮らす時代になった今こそ、民生委員の本領発揮といえましょう。
 ただ、精神障害者が地域で暮らす時代になった現代とは、一方で、個人情報保護法や地域社会のつながりの希薄化により、民生委員の家庭訪問も大変な時代でもあります。「日頃から接点を持とう」と言いつつも、それが困難になっていることは否めません。
 ちなみに、その昔、長期入院が当たり前で、地域に帰ってきたとしても、社会との接点に乏しくひっそり生きることを余儀なくされていた精神障害者を誰が支えていたか? それは保健師でした。私は新聞記者として、ちょうどこの紫波町で長らく活躍していた八重嶋幸子さんと、八幡平市の藤村裕子さんを取材したことがありました。母子保健はじめ岩手県民の命の支え手として地道に活動してきた保健師。その中でも、精神保健において「北の藤村、南の八重嶋」と業界で呼ばれた名物保健師のお二人から取材できたことは、幸せでした。私が書いた日報の連載「共生社会へ」を添付していますので、お読み下さい。そして、先に精神障害者の演劇活動を紹介しましたが、その演劇集団は「キラりん一座」、東磐井の当事者会「心の病と共に生きる仲間達連合会キララ」メンバーが中心であり、その劇団と当事者会を長らく支援しているのが、現在は県精神保健福祉センターで勤務されている保健師北川明子さんです。こちらは、ハートネットニュースをお読み下さい。
 なお、現在は、地域で活動するさまざまな専門職種があります。保健師、相談支援専門員、PSW(精神保健福祉士)、訪問看護の看護師、ヘルパーさんなどなど。といっても、精神のエキスパートは、今も昔もやはり保健師です。なぜなら、「家」のディープな部分にまで入り込めるというのは、どんな優れた専門家であっても、一朝一夕にできることではないからです。長い年月かけて築いた信頼関係があるからこそ、それがなし得るのです。
 例えば、紫波町の場合はどうか?

 「紫波町の特徴は、八重嶋さんのみならず、昔から、保健師が家庭訪問を積極的にやっていたことです。家庭訪問をすると、じいちゃん、ばあちゃんと仲良くなる。仲良くなると、本当に困っていることを相談される。それが、家に込もっている精神障害者でした。ちなみに当時は、精神保健福祉にかかわる事務は県の所管。市町村ではなかった。でも、紫波町はやっていた。県から「精神は保健所の仕事だ」とクレームが来たこともあったそうですが、八重嶋さんの諸先輩は「住民の健康を守るのが保健師の仕事。心の病だって、住民の健康問題だ」とはねつけてきたのだそうです。
 つまり、紫波町が素晴らしいのは、法律がどうこうじゃなく、歴代の保健師が住民の目線に立って仕事をしてきたという素地があるということです。だからこそ、今の包括的な精神保健福祉活動があるのです。これぞ、地方自治のあるべき姿であり、かつ、市町村が精神保健福祉サービスの主体となった今こそ、その素地がますます生きることでしょう。」(「盛岡ハートネットニュース第3号」)

 精神障害者や家族とのかかわりは、はっきり申して、福祉的な交流にとどまらず、きれいごとじゃ済まされないこともたくさんあります。それは例えば、精神障害者(あるいは、精神疾患があると思われる人)の入院・通院支援です。これは、誰彼ができません。もしその人が精神疾患じゃなかったら? とんでもない人権問題になりますよね。そうしたディープなグレーゾーンに入り込んでいたのは、八重嶋さんのような保健師たちでした。さらに言えば、それができる保健師とできない保健師、やる保健師とやらない保健師がいました。それがやれるのは、保健師の専門性に加え、日ごろからの関係性があってこそでした。紫波町の場合はどうだったか?

 「私(八重嶋さん)が家に顔出すと、当事者が『あっ、そろそろ病院にいかなくちゃ』と察してくれる」のだそうです。すごい話。つまり、保健師がまめに家庭訪問していれば、そういう関係性が築けるんですね。また「アベックみたいに手を引っ張って(病院に)連れて行く」こともあるそうです。八重嶋さんは事もなげに言いましたが、参加者からは思わず「えっ、すごい」との声が漏れました。というのは、みなさん、当事者が急性期のとき、警察が介入して大騒ぎで措置入院となったなどの辛い経験があるだけに…。
 また、お医者さんの前でついつい緊張してしまう当事者のため、八重嶋さんが診察に付き添うこともあるそうです。」(「盛岡ハートネットニュース第3号」)

 私は、こうしたディープな部分まで、民生委員に役目を押し付けるつもりはありません。ところが、保健師の家庭訪問は減少傾向にあります。精神のみならず、家庭訪問は保健師の専売特許だったのですが…。原因としては、事務量の増加や自治体の財政難、保健師の意識変化などが挙げられています(『保健師ジャーナル』2008年8月号 特集「家庭訪問」)。

 地域社会のつながりが希薄化しているとされる昨今。新聞には、しばしば「地域のつながりを取り戻そう」とか「結いの精神」とかいう言葉が踊ります。それ自体に異論はありませんが、精神障害者の歴史を振り返るに、そもそも、そうした「地域のつながり」「結いの精神」があったとされる時代、精神障害者はそこには入っていなかったことでしょう。精神障害者等、マイノリティーを除外した上で成立していた「地域」だったことでしょう。よって、精神障害への理解がある地域社会の形成とは、かつての地域社会を取り戻す以上に、いまだかつてなかった社会をつくりだすということであり、結論的には、一朝一夕にできるものじゃないので、地道にやってくほかありません。

 現代社会における地域との接点を持つ上で、考えるべきポイントは4点。

▽地域社会のつながりの希薄化
▽精神障害者が地域にたくさんいる(入院から通院へ)
▽保健師の家庭訪問の減少
▽潜在的な訪問ニーズの増大(心の病が急増し、自殺者が減らない現状)

 つまり、現代とは、地域社会のつながりが困難でありつつも、多くの人が救いを求めているという、実にアンビバレンツな時代といえましょう。さらには、保健・医療レベルでのつながりは保健師ら専門職が担い、福祉レベルでのつながりは民生委員や精神保健ボランティアが担う、という役割分担は、それが望ましいにもかかわらず、現状はそうもいかないことでしょう。この困難な時代において、即効性のある解決法を、私は持ち合わせていません。
 ただ、こうした現状から少なくとも言えるのは、今は、専門職がいくら頑張っても、絶対的な人手不足ゆえ、民生委員が精神障害者の福祉的側面のみならず、保健師が担っていた保健的な側面までかかわらざるを得ないこともあるであろう、ということです。その際、例えば精神疾患の可能性がある人の家に赴いて受診を説得するなどディープな支援は、やはり保健師の出番。そこまで民生委員が担うのは無茶です。そういう現場に出くわしたり、情報を得た際は、民生委員で自己完結せず、速やかに保健師ら専門職種との連携を図ってください。八重嶋さんのようなスゴイ人は県内にもそうそういませんが、地域精神保健のキーパーソンの1人や2人、必ずそれぞれの地域にいるはずです。そんな人を見付け、連携して、活動してください。
by open-to-love | 2009-05-29 11:19 | 黒田:民生委員協議会講演 | Trackback | Comments(0)
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」⑥

■6■当事者の問題は、往々にして家族の問題でもあることに理解を深めよう

 先に、わが家の場合を紹介したように、精神疾患の発症は、誰よりも本人にとって一番大変なことですが、家族にとっても、それなりに大変です。
 たいていは一口に「精神障害者」と言ってますが、精神には、疾患と障害という2つの側面があります。①精神疾患(統合失調症やうつ病など)と、②精神障害(疾患に伴う当事者の生きづらさや対社会的困難)です。そこに、③それらに伴う家族の困難が伴います。当事者と家族の精神疾患・障害受容のプロセスは、この①②③がすんなり分けられず、①②③の順番で正しく(?)推移するわけでもなく、むしろグチャグチャ混ざり合ってこんがらがってしまうのが実情です。
 端的に言えば、②精神障害(引きこもり、近所とのトラブル、家庭内暴力、自殺未遂、金銭の浪費、行方不明など)が、③病気に伴う家族の困難(離職、転職、離婚、DV)を引き起こしつつも、なお現実を受け入れられず体力の限界まで抱え込み、①その原因は実は疾患にあったことに、しばらく経ってから気付く…。よって、医学的には①②③、つまり、ある人が①精神疾患を発症し、②それに精神障害が伴い、③それによって家族もさまざまな困難に遭う-となりますが、現実には、むしろ②③①の順で受容されていく。あるいはそれらがもつれあいこんがらがった状態、すなわち②②③②②③②①②③②①といった経過をたどり、ようやく受診に至り、そこで初めて、この大変な状況の原因は実は精神疾患だったことに気づく、といった感じで推移してしまうのです。
 振り返れば、わが家の場合は②③②③①でした。妻の状態がなんか変だよな、と思いつつも、私は仕事の忙しさにかまけて手をこまねいていた。そのうち、具体的には記しませんが、対社会的トラブルが起き、私はその対処を迫られ、そういうことを起こした妻を責めた。でも、まだそれが精神疾患に起因するものだとは知らなかった。そうしたことが再び繰り返され、このままではわが家は崩壊するな、と初めて実感した。そこで、私はようやく、その原因はなぜかを考え、いろいろ調べ、精神疾患の可能性に思い至った。そこでようやく会社に休みを申請し、受診を説得し、病院に行き、妻が精神疾患(統合失調症)と診断された。そこで私はようやく、妻の状態が変だったのも、対社会的なトラブルも、根本的な原因は精神疾患だったことに気づいた、というわけです。
 
 で、このようなわが家でありながら、見聞を深めるにつけ、他の家庭に比べれば恵まれてる方だなと実感しています。わが家は幸い②③②③①で済みましたが、少なからぬ他の家庭では②②③②②③②①②③②①になってしまっていたりするからです。
 ここまでグチャグチャになってしまう原因に、受容の困難があります。なぜ受容が困難か? 一つには、先に指摘した通り、精神疾患・障害について社会の理解がまだまだなために、当事者も家族もそもそも精神疾患・障害を知らないため、気付くのが遅れるということ。この問題の解決のためには、精神疾患や障害理解を学校教育に取り入れる必要性があろうかと思われます。
 受容の困難な理由には、精神疾患は生まれつきではなく、中途障害であるという特性も影響していることでしょう。統合失調症の場合、20歳前後で発症することが多い。すると、その時親は50歳前後。一説には、当事者も家族も病気を受容するのに10年かかるといいます。すると、もう60歳ですから、体力も気力も衰えつつある。例えば「高校卒業までは元気にすくすく育っていた子どもが、首都圏の大学に合格し、親元を離れて一人暮らしを始めた。元気にやってると思ってた。でも、あんまり連絡がないんで不審に思い、様子を見に上京した。すると、わが子が部屋にうずくまり、カーテンを閉め、なにやら怯え、意味不明なことを口走っている。おかしい。とりあえず実家に連れ戻したが、あいかわらず様子が変だ。嫌がる本人を無理矢理精神病院に連れて行ったら、統合失調症と診断され入院…」となってしまった家族の苦しみ。「あれほど快活で、親の言うことをなんでも聞いて、可愛かったわが子が…」。楽しい学生生活から精神病院へ、当事者の生活が急変するのみならず、家族の生活もガラガラと変わります。しかも、精神障害に対しては、長い歴史に根差した偏見と差別があります。だから、「○○さん、息子さんどうしてます?」とご近所の人に尋ねられても「いえ…。ちょっと…」。隣近所にも、親しい友人にも病気のことを言えない。口ごもり、隠してしまう(隠さない方が楽なんですけどね…)。わが家が突如、これまでの人間関係から切り離され、孤立し、苦しみを抱えてしまう。こうした事情も病気(障害)の受容を困難にし、かつ、受容に時間がかかっているうちに症状がますます悪化し、手をこまねいているうちに、親子の決定的断絶あるいは共依存関係、DV、自殺未遂、生活苦、一家離散などを引き起こすケースだってあります。
 視点を変えれば、精神疾患の発症が根本的な原因だったとしても、それが引きこもり、近所とのトラブル、家庭内暴力、自殺未遂、金銭の浪費、行方不明、離職、離婚、DV、生活困窮といった形で現れたり、さらにはそれぞれが複合的にからみあって現れることもあるということです。
 想像してみてください。こんなとき、突如見知らぬ民生委員がやってきて、「それは○○です」なんて書かれた小冊子を渡されたら…。民生委員不信、さらには、行政不信に陥ってしまうかもしれませんよね。このように、とっかかりの支援者が一つの原因に決めつけてしまうと、かえって問題解決を困難にし、家族が問題を抱え込んでしまうきっかけにもなりかねないので、気を付けましょう。
by open-to-love | 2009-05-29 11:17 | 黒田:民生委員協議会講演 | Trackback | Comments(0)
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」⑤

■5■一つの原因に決めつけないようにしよう

 例えば「虐待と思ったら、実は自閉症の二次障害としての自傷行為だった」、「家庭内暴力と思ったら実は精神疾患を発症していた」、「精神疾患と思ったら、その背景にDVがあった」…。事例1に限らず、民生委員はいろんな現場に立ち会うことがあることでしょう。そんな時、一つの原因に決めつけないようにするためには、その人が自分の価値観に固執せず、多様な価値観に開かれた心、今ここで起きている現実が理解し難くとも、とりあえず、ひとまず受け入れる広い心を持つ必要があります。
 みなさんはこれまでさまざまなご職業を経験され、豊富な人生経験を積まれ、民生委員として活躍している。例えば、学校の先生として長らく尽力され、ご自身の確固たる信念や教育理念の下、多くの児童生徒の健全育成に励まれてきた方もいらっしゃることでしょう。その手腕を地域のために生かしたい、というお気持ちは素晴らしい。ありがたい。その上でですが、世の中には実にさまざまな人がいて、実にさまざまな問題に悩んでいる方がいます。精神疾患・障害の世界は、その最たるものではないでしょうか。
 ですから、民生委員のみなさんには、ご自身の経験や価値観からすべてを判断しようとせず、これまでの人生経験からはまったくかけ離れた現実、困難があるかもしれないのだ、という柔軟な姿勢で事態に臨んでほしいと思います。人の眼は実に主観的で、一つの原因に決めつけてしまうと、そこしか見えなくなって、他の可能性を排除してしまうものです。この家庭で起こっている問題は、ご自身の人生経験からして、原因はこうだ!としか見えない、だから、あなた!こうしなさい!と断定的に言いたくなっても、そこでグッと我慢して、一歩下がって、そうではない可能性もあるという姿勢で見つめると、初めていろんなものが見えてくる。それが、相手の立場に立ち、相手の置かれた状況、相手のニーズを尊重してかかわる「支持的なかかわり」です。

 自分に引きつけて言えば、もし私自身が、妻が精神疾患になったことに対し、それまでの自分の価値観に縛られたままであったら、環境の激変に耐えられず、妻の発病も受け入れられず、わが家はバラバラになって、ここでこうして、みなさんの前でお話していることもなかったでしょう。
by open-to-love | 2009-05-29 11:16 | 黒田:民生委員協議会講演 | Trackback | Comments(0)
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」④

■4■障害について学ぼう

 ここでは、精神障害の入門的な知識として、精神障害の歴史、統合失調症とうつ病について紹介します。
精神障害の歴史は、一言で言えば、ずっと昔は座敷牢、一昔前は精神病院に一生入院でしたが、ここ最近は地域に住んで通院するようになりました。
 精神障害者は、ずっと昔(100年前)、私宅監置、要するに馬小屋みたいな座敷牢に入れられ、家族が一生面倒をみることが義務付けられていました。その悲惨な実態を全国調査し告発した東大教授呉秀三は、「精神病者には二重の不幸がある。この病気にかかった不幸と、この国に生まれた不幸と…」という名文句で、病院の設置を訴えたのですが、実際は進みませんでした。当時の大日本帝国は、「お国のため」に役立たない精神障害者に回すお金はなかったようです。ちなみに、欧米では精神障害者は優生思想に基づく断種法で強制的に不妊手術され、ナチスドイツではガス室送りでした。
 戦後、ようやく精神病院の設置が進みましたが、今度は、病気になったら最後、一生病院に入りっぱなし。ハンセン病と同じです。精神疾患の治療と社会復帰推進のためというより、「危ないやつは病院に入れとけ」みたいな社会防衛の側面が強かったからです。1950年代に抗精神病薬が開発され、日本にも輸入され、症状が抑えられるようになって、欧米では地域移行(入院から通院へ)が進みましたが、日本では回復しても精神病院に入れっぱなし。これを「社会的入院」といいます。
 でも、1960年代にWHOから高名なクラーク博士が来日して実態調査し、「日本の精神病院には非常に多くの分裂病者が入院しており、長期収容による無欲状態に陥っている。厚生省はこの状態を改善するために作業療法などのリハビリテーションの推進を図るべきである」と勧告しました(クラーク勧告)。にもかかわらず現状はたいして変わらなかったのですが、1980年代、宇都宮病院事件(入院患者が看護者のリンチを受け殺害された事件)などを契機に、日本の人権無視の精神障害者処遇は世界的な批判を受け、ようやく変わってきました。回復して退院したけれど行き場のない精神病患者のため、小規模作業所など家族の自助努力で担われてきた社会復帰への取り組みを、公が担うようになってきたのです。作業所補助金も始まりました。
 1993年の障害者基本法で、精神障害者は念願の「福祉」の対象として位置付けられ、例えば高齢者、身体・知的障害者ではすでに始まっていたホームヘルプサービスが2002年からは精神障害分野でも始まりました。2006年の障害者自立支援法では、身体・知的・精神の3障害のサービスが一元化されました。ただ、精神障害者は福祉の仲間入りをしたのがごく最近だけに、地域で生きるためのいろんなサービスがまだまだ乏しいのが実情です。また、座敷牢であれ精神病院であれ、長らく社会から精神障害者を隔離する政策が続けられていただけに、無理解や偏見や差別は、実に根深いものがあります。
 一方で、岩手で言えば盛岡市など都市部中心に、精神病院よりはるかに敷居の低い精神科クリニックがちらほら出来はじめたり、障害者自らが心の病の理解を訴える演劇グループが結成されたり、知的障害者に続いて精神障害者のアート活動がさかんになり、作品展示会が人気を集めるなど、「心の病」と身近にふれ合える機会も増えています。
 なお、日本では、別の意味でも精神障害が身近になっています。というのは、統合失調症は洋の東西を問わず、昔も今もなぜか100人に1人がかかる病気ですが、うつ病患者が急増し「うつ病の時代」とまで言われているのです。それは、派遣業務原則自由化など雇用流動化政策や「聖域なき構造改革」の社会保障費縮減に伴う、ストレス社会=格差社会の進行と無縁ではないことでしょう。その日本では自殺者が11年連続で年間3万人を超えており、社会問題化していますが、自殺者の多くがうつ病など心の病を抱えていたことから、その早期発見・治療が叫ばれています。一精神障害者家族として、昨今の失業者増加とうつ病患者の増加、自殺率の高止まりについて、深い悲しみと危機感を抱かずにはいられません。付言すれば、日本の精神障害者の生活実態と処遇の歴史を踏まえれば、この国は実はずっと昔から格差社会であり、ようやく最近マスコミなどで問題視されるようになっただけではないかとも思います。マスコミは大いに反省すべきでしょう。

 次に、代表的な精神疾患である統合失調症とうつ病を紹介します。
 統合失調症は、脳神経系のトラブル(ドーパミン系のニューロンの過活動)で脳が異常に興奮した状態となるため、幻覚や妄想などが出現すると考えられている病気です。おおよそ100人に1人、思春期から30歳代ごろまでに多く発症します。幻視や幻聴などの「幻覚」、「妄想」、「焦燥感」、「精神運動興奮」(激しい興奮)、「奇異な行動」、「支離滅裂な思考や返答」などのほかに、「自閉」、「意欲の低下」、「情動の平板化」、「感情鈍麻」、「思考の貧困」、「緘黙」(話をしなくなること)、「意欲と発動性の欠如」、「注意力障害」(集中力低下)などの症状があります。抗精神病薬により症状が安定しますが、脳の不調で人とのかかわりや会話、柔軟な対応が苦手になるなど生活上の障害、社会の偏見から閉じこもってしまうなどの障害が生じることが少なくありません。
 うつ病は、日常的なストレスからくる悲しみや、不安・ゆううつな気分などのこころの状態がいつまでも回復せず、日常生活に支障をきたしてしまう病気です。「憂うつで、喜びも悲しみも感じられない」「 意欲がわかず悪いことばかり考える」「ぐるぐる思考に陥り、発想の転換ができない」などの症状があります。一生のうちに約12~15人に1人がうつ病になるとされるくらい誰にでも起こる可能性のある病気です。休養(何もしないこと)、薬物療法(抗うつ薬・抗不安薬・睡眠薬など)が治療の基本。一進一退を繰り返しながら快方に向かうため、自己判断で治療をやめないことが大切です。(盛岡ハートネット第8回例会「キラりん一座in盛岡」パンフレットより引用)

 このほか、添付資料の全国精神障害者家族会連合会のパンフレット「統合失調症 家族の知っておきたいこと」などもご覧下さい。
 民生委員のみなさんは、それぞれの担当地域で頑張っているだけに、つい相手にも「頑張って」、と言ってしまいたくなることもあるでしょう。でも、とりわけうつ病の場合、頑張りの押し付けは禁物です。心の病を抱えている人は、傍目にはのんびりしているように見えるかもしれませんが、すでに、十分に頑張っているのですから。
 なお、もっと精神障害に理解を深めたいという意欲のある方のために。私たちは、精神障害者と家族と関係者と市民のネットワーク「盛岡ハートネット」という集まりをやっています。2カ月に1回のペースで、盛岡市内各地を会場に、保健師、精神科医、PSW(精神保健福祉士)、臨床心理士らを講師に、勉強会や、おしゃべり交流会をしています。誰が参加してもOKですので、気軽に顔出してくださいね。なんであれ、本を読むより、講演を聞くより、直接当事者に会って話を聞くのが一番。統合失調症とはどんな病気なのか、どんな辛さがあるのか、そんな中、どんなときに喜びを感じるのか? 民生委員にどうかかわってほしいのか? 私の話よりもはるかにためになることと思います。ちなみに、第10回例会「増野肇先生の講演&ワークショップ『生きていくチカラ』」は6月9日、盛岡市本町通の県精神保健福祉センターで開催します。
by open-to-love | 2009-05-29 11:14 | 黒田:民生委員協議会講演 | Trackback | Comments(0)
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」③

■3■なぜ不幸な出会いになってしまったのか?

では、今後、事例1のような不幸な出会いが起きないために、どうしたらいいでしょうか? 先に原因と背景をそれぞれ3つ挙げましたが、その解決法について、私なりにまとめてみます。

 □原因1□民生委員に障害に対する理解がなかった
 ■解決法■障害について学ぼう

 □原因2□民生委員が児童虐待と決めつけていた
 ■解決法■一つの原因に決めつけないようにしよう

 □原因3□民生委員にお母さんの苦しみが見えなかった
■解決法■当事者の問題は、往々にして家族の問題でもあることに理解を深めよう

 □背景1□母親と民生委員との間に日常的な人間関係がなかった
 ■解決法■住民と日常的な接点を持とう

□背景2□「児童虐待を防ごう」という社会の強い要請があった
■解決法■世の中には虐待以外にもいろいろな課題があることに理解を深めよう

 □背景3□子ども、家庭の問題は母親が担うという社会通念が今なお根強い
 ■解決法■女性問題に理解を深めよう

 以下、「解決法」として提示した6点について、4章から9章まで、順に説明します。
by open-to-love | 2009-05-29 11:13 | 黒田:民生委員協議会講演 | Trackback | Comments(0)
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」②

■02■事例検討2…わが家の場合

 私が自信を持って(?)みなさんにお話できる事例は、当然ながら、わが家の事例です。
 わが家は、36歳の私と43歳の妻と6歳の娘の3人家族です。私は岩手日報記者で、主夫で、「盛岡ハートネット」という集まりの事務局をしています。妻は統合失調症で精神障害者手帳1級、娘は保育園児。下記、私の自己紹介です。

1972年 8月 宮城県石巻市出身。石巻高卒、盛岡大卒、岩手大大学院修了
(専門は欧米文学・文学理論)
1998年 4月 岩手日報社入社(報道部、釜石支局、整理部を歴任)
1999年 3月 結婚
2003年 5月 妻、長女を出産
2006年 4月 編集局報道部県警担当
      5月 妻の統合失調症発症で20日間会社を休む
         妻は受診、通院。娘は保育園児に
      6月 編集局学芸部家庭欄担当に異動、主夫兼記者に。岩手県精神障害者
家族会連合会(岩家連)入会
2007年10月 私含め精神障害者家族3人で、精神障害がある当事者・家族・関係者・
市民のネットワーク「盛岡ハートネット」結成
2008年 4月 編集局学芸部文化欄担当(音楽と考古学)
      8月 自殺と多重債務対策の連携シンポジウム(ハートネット・盛岡市共催)
      9月 「明るく生きる2008 こころのシンポジウム」(一関市千厩)で、
         会社の休みをとってパネリストとして参加
12月 「ふれあいin八幡平」(八幡平市)で、会社の承諾を得て、岩手日報
    記者&精神障害者家族として講演
2009年 1月 当事者の演劇集団「キラりん一座in盛岡」(ハートネット主催)
2月 「地域生活支援セミナーinにのへ」(二戸市)で講演と対談
      3月 ヘルパー2級研修講師(盛岡市)
      5月28日 民生児童委員協議会研修会講師(紫波町)

 こんな感じで、いろいろありました。
 振り返れば、わが家が一番大変だった時期は、やはり、2006年5月、妻が統合失調症を発症したころ。このときは、いろんなことが一気に押し寄せました。
 統合失調症の徴候から受診までは、すべてが宙ぶらりん状態でした。会社の休みを取って、妻に受診を説得したのですが、いくら言っても応じてくれないんで途方に暮れました。私は新聞記者なのに新聞が読めなくなりました。困ったことに、字が頭に入らないのです。統合失調症など精神疾患の本をいろいろ買い込みましたが、むろん、さっぱり頭に入らない。にもかかわらず、女房の受診に向けた手続きや娘の保育園入園手続きなど事務的なことはいろいろやらなくちゃないし、会社にも双方の両親にも事情を説明しなくちゃならないし、今後の見通しを立てなくちゃと思いつつも真っ暗だし。ある方は、私を心配するあまりでしょうが、離婚するよう勧めてくれるし。いろいろ考えなくちゃないことはいっぱいあるのに頭がよく回らなくて「あれ、オレも統合失調だなあ」と思ったり、会社の同僚には迷惑掛け通しだし、当時3歳の娘は当然ながら事態がよく掴めずに泣いてるし…。
 結局、いくら説得しても妻は納得しないし、いつまでも会社を休んでいるわけにもいかないし、で、いやがる妻の手を引っ張り、すったもんだのあげく、引きずるように精神病院に連れ込み、受診させ、統合失調症という診断が下りました。そして、私は会社に異動希望を出し、夜中まで仕事している報道部警察担当から、午後6時に帰れる学芸部家庭欄担当として職場復帰することとなりました。娘は保育園に入りました。
 妻を病院に連れていったときの激しい動揺。その目。忘れることはできません。私は、その時の妻に対する自分の行為を許す気はないですし、これからもないです。
 それからもいろいろありましたが、今、わが家は楽しくやってます。時系列にすると、わが家の一日はこんな感じです。

【朝】午前 7時30分 起床(妻と娘は朝ご飯、オレはコーヒー&一服)
      8時30分 娘を自転車に乗せて出勤
【日中】娘は保育園、オレは会社で仕事、妻は家でのんびり
【夜】午後 6時 帰社、娘をお迎えして帰宅、晩ご飯づくり
午後 7時 家族で晩ご飯。妻は洗い物、オレは一服
午後 9時 妻と娘はお風呂、就寝
午後10時 生協で買い物、家計簿、メールチェック、ブログ更新、相談電話…
午前 0時 仕事
午前 2時 お風呂、就寝

 ここで、事例1とわが家のケースを照らし合わせてみましょう。
 2006年5月、娘は泣いていた。その時、もし、わが家に民生委員がやってきて「それは虐待ですよ」と書かれた紙を渡されたら? 事例1の母親とまったく同じ心理状態に私も置かれたことでしょう。
 ところで、みなさんは、わが家の状況を、どのようにお感じになりますか? 「うわぁ、精神障害者家庭って大変…」と思うでしょうか? 私は当初、大変だと思っていました。でも、多くの当事者やご家族と知り合ううち、わが家は恵まれている方だなあと実感しています。私の場合はたまたま正社員だし、居酒屋バイト経験があって料理が得意だし、職場の同僚の理解があるし、自立心旺盛な娘だし、私の両親が元気で手伝いに来てくれるから、なんとかやっていける。でも、もし私が派遣社員だったら、もし同僚が無理解だったら、両親が協力的じゃなかったら、保育園という社会資源がなかったら…わが家はいとも簡単に崩壊していたことでしょう。
 つまり、精神障害者家庭においては、どこでもわが家のようなことが起こっている、というより、むしろ、わが家より大変な状況に置かれている家庭が多いと思っていただいて差し支えありません。そして、知的障害と同様、精神障害もお母さんが主たる責任を負わされますから、事例1のようなケースは、精神でも十分にあり得ると思います。
by open-to-love | 2009-05-29 11:11 | 黒田:民生委員協議会講演 | Trackback | Comments(0)
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」①

精神障害者家族として、民生委員に期待すること

2009年5月28日(木)午前11時15分-12時15分、ラ・フランス温泉館「ホテル湯楽々」
岩手県央地区民生児童委員協議会 平成21年度研修会講演
(盛岡ハートネット事務局&岩手日報記者 黒田大介)

■私の話したいことを一言でまとめると…

 民生委員と精神障害者とのかかわりは、「福祉」的側面が中心であり、精神障害者が地域に生きる時代にあって、地域のよき理解者としてのかかわりを期待します。その上で、精神疾患・障害には「保健」「医療」的な側面もあり、精神障害者(当事者)の問題はその家族の問題でもあり、母子家庭の生活困窮、DV、自殺未遂など他の諸問題と複合して表面化することも多いため、「福祉」的側面を超えたディープなかかわりが民生委員に求められることもあり得ます。その際はとりわけ、ご自身の価値観を相手に押し付けてしまうような「上から目線のかかわり」ではなく、専門職と連携しながら、相手の立場に立った「支持的なかかわり」をしてほしいと思います。

■01■事例1…ある女性と民生委員との不幸な出会い
■02■事例2…わが家の場合
■03■なぜ不幸な出会いになってしまったのか?
■04■障害について学ぼう
■05■一つの原因に決めつけないようにしよう
■06■当事者の問題は、往々にして家族の問題でもある
■07■住民と日常的な接点を持とう
■08■世の中にはいろいろな問題があることに理解を深めよう
■09■女性問題にも理解を深めよう
■10■おわりに…ある女性のメッセージ

■01■事例1…ある女性と民生委員との不幸な出会い

 このたび、民生児童委員協議会で講演する機会を与えていただき、どうもありがとうございます。私の体験がみなさんの活動の参考になれば幸いです。
 ただ、私の体験の前に、自閉症のお子さんをお持ちの母親の体験を紹介します。本論からは外れるかもしれませんが、自閉症も精神障害も共に「見えない障害」ですし、このようなケースは、精神でも十分にあり得ると思います。加えて、私の守備範囲は精神保健医療福祉分野ですが、それだけをみなさんにご理解いただくのではなく、精神以外の障害分野にも、さらには、障害以外のいろんなことで苦しみを抱えている人にも理解を広げていただければ、という願いもあります。

 数年前、ちょうど児童虐待事件がマスコミで盛んに取り上げられ、社会問題になっていたころの出来事です。

 「暑い夏でした。あのころはまだ、私自身も、我が子が自閉症だと、はっきりと分かっていたわけではなかったんですよね。
 あのころは大変でした。子どもが叫んだり、自傷行為をしたり。自分で自分の頭を叩き、傷だらけでした。大きな絆創膏が必需品でした。
 子どもは子どもで、母親に伝えたいのに、伝わらない。私は私で、子どもとどうかかわればいいのか分からない。互いがうまくコミュニケーションできないもどかしさが、外部に向かった、つまり、自傷行為になったのだと思います。子どもが騒ぐ、抱きしめる、寝付かせる、うとうとしたら、また子どもが騒ぐ、抱きしめる…。朝昼晩、24時間、そんな毎日…。睡眠不足で私はふらふらでした。
 そんな時、民生委員が家にやってきました。初めてお会いした方でした。たぶん、近所の人が、わが家の状態を、地区担当の民生委員さんに伝えたのでしょう。暑かったから窓も開けっ放しで、子どもの泣き声は、隣近所に筒抜けでしたし。
 その民生委員さんはわが家を訪れ、私に「お母さん、これ読んで下さいね」と小さく折りたたまれた小冊子を渡し、帰っていきました。小さな紙には、印刷された文字で「お母さん、それは虐待です」と書いていました。裏にはその民生委員の名前が書いてありました。とにかく疲れて思考能力が減衰していましたから、私は書いている内容がすぐに理解できなかったくらいでした。少しして、その民生委員は、私が虐待していると思っていたんだなあと分かりました。ショックでした。「私、虐待なんかしてないのに…」。涙がとめどなく流れてきました。止まりませんでした。
 なぜいつも「お母さん」なんだろうとも思いました。子どもの自傷行為の治療で病院に行ったとき、「お母さん何かしなかった」と聞かれたこともあります。どうして、いつも母親が責められるんだろう、どうして父親ではなく、母親なんだろう…。どうして私は虐待していると決めつけられたんだろう。涙がとめどなく流れました…」

 この女性の体験から私たちが学ぶべきポイントを、私なりに挙げてみたいと思います。むろん、その民生委員を責めるのが主眼ではありません。

□原因1□民生委員に、障害(自閉症)に対する理解がなかった
□原因2□民生委員が児童虐待と決めつけていた
□原因3□子どもの苦しみは理解できても、お母さんの苦しみが理解できなかった
□背景1□母親と民生委員との間に、日常的な人間関係がなかった
□背景2□「児童虐待を防ごう」という強い社会風潮にとらわれていた
□背景3□子ども、家庭の問題は母親が担うという社会通念が今なお根強い
 
by open-to-love | 2009-05-29 11:02 | 黒田:民生委員協議会講演 | Trackback | Comments(0)