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カテゴリ:『狂気の歴史』( 2 )

ミシェル・フーコー

ミシェル・フーコー

 ミシェル・フーコー(Michel Foucault, 1926年10月15日 - 1984年6月25日)は、フランスの哲学者。『言葉と物』(1966)は当時流行していた構造主義の書として読まれた。代表作に『狂気の歴史』『監獄の誕生』など。「フーコー」という表記が流通しているが、フランス語の発音に近い表記はフコーやフコである。

年表
* 1926年 ポワティエ市にて出生
* 1943年 バカロレア(大学入学資格試験)に合格
* 1946年 高等師範学校(Ecole Normale Supérieure)入学
* 1948年 哲学学士号取得、自殺未遂事件
* 1950年 大学教員資格試験に失敗、再び自殺未遂事件
* 1951年 リール大学の助手に採用
* 1955年 ワルシャワにて研究、『狂気の歴史』を著す
* 1970年 コレージュ・ド・フランス教授就任
* 1975年 『監獄の誕生』を出版
* 1984年 後天性免疫不全症候群(AIDS)にて逝去

 1926年10月15日ポワティエ市にて、外科医の父ポール・フーコーと母アンヌの間に生まれる。本名はポール=ミシェル・フーコー。フーコー家の男子は代々「ポール」という名前が与えられ、1926年に生まれたばかりの男児にも同様に名付けられるはずだったが、母のアンヌがフーコー家の伝統に強硬に反発。結局、「ポール」に「ミシェル」を連接符号で繋げ、「ポール=ミシェル」と命名された。第二次大戦中はドイツ軍の占領により母方の祖母レイノー・マラペールのもとへ疎開。1943年6月バカロレア(大学入学資格試験)に合格。進学先について父と対立。父は医学部を奨めるが、本人は文学を希望、母の説得に父が折れる。このときの対立から生じた父との亀裂は終生、修復されることはなかった。後にフーコーが自分の名前から父の「ポール」を外してミシェル・フーコーと名乗るのも、このときの体験に根差している。
 1945年高等師範学校(Ecole Normale Supérieure)の試験を受けるも不合格、翌年同校合格。フーコーの学生生活は同性愛者としての苦しさと、エリートとしての息苦しさにより不安定で、1948年、自殺未遂事件を起こす。1950年大学教員資格試験に失敗。1950年6月17日には再び自殺未遂事件を起こす。この時期の失意と精神的混乱にあったフーコーを助けたのがルイ・アルチュセールである。アルチュセールは医務室をフーコーの個室として手配する措置をとるなどして、フーコーは危機を乗り越えた。アルチュセールはフーコーに、「精神分析によってではなく、仕事によって病気を乗り越えるように」とアドヴァイスしたという。
 フーコーは大学教員資格試験に合格し、1951年にリール大学の助手として採用される。スウェーデンのウプサラ大学でフランス語を教えるかたわら、ウプサラ大学図書館(「ヴァレール文庫」と呼ばれる近代医学史関係の重要書を網羅したコレクションがある)に通いつめ、博士論文である『狂気の歴史』を著す。帰国後『臨床医学の誕生』で医学的言説の転換を指摘。1966年『言葉と物』で近代人文諸科学の知の編成を批判的に検討。チュニス大学へ行ったのち、パリ・ヴァンセンヌ実験大学の哲学教授に就任する。
 1970年コレージュ・ド・フランス教授となる。「主権権力」と対比される「規律訓練型権力」の徹底的な分析である『監獄の誕生』を著した後、『知への意志』(『性の歴史』第1巻)において精神分析を批判する。その後コレージュ・ド・フランス講義で「統治性」「生政治」などの試行的な概念を次々と扱う。やがて(『性の歴史』第2巻、第3巻)『自己への配慮』、『快楽の活用』でギリシャ・ローマ時代の「自己への配慮」の研究を行う。1984年、道半ばにしてエイズで死去。コレージュ・ド・フランスにおける1984年の講義タイトルは「真理への勇気」。
 同性愛者であり、『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』の著者であるエルヴェ・ギベール(男性)と愛人関係にあった。

思想と著作・講義
 フーコーは一連の活動により、「知と権力の関係」「知に内在する権力の働き」を解明した。また『性の歴史』研究により古代を題材としながら、本来あるべき人間像と社会像を語った。フーコーの思想においては「絶対的な真理」は否定され、真理と称される用語や理念は、社会に遍在する権力の構造のなかで形成されてきたものであると見なされる。フーコーの思想においては知の役割は「絶対的な真理」を証明することではなく、それがどのようにして発生し、展開してきたか調べる(知の考古学)ことにある。
 フーコーの思想は社会学・政治学・教育学など様々な分野に大きな影響を及ぼしているが、J・G・メルキオールによって、史実の濫用による無意味な思想であるとの否定的見解もなされている。
 フーコーの思想は、ニーチェとハイデッガーの影響を受けている。とくに、ニーチェの「力への意志」や伝統的価値の無力化の指摘と、ハイデッガーによる「技術的存在理解」への批判をもとに、フーコーは、社会内で権力が変化するさまざまなパターンと権力が自我にかかわる仕方とを探究した。歴史においては、ひとつの論が時代の変化とともに真理とみなされたり、うそとみなされたりすることがありうる。フーコーはそれを支配している変化の法則を考察する。また、日常的な実践がどのようにして人々のアイデンティティを決定し、認識を体系化しうるのかをも研究した。フーコーによれば、事物を理解するどの方法も、それなりの長所と危険性をもっている。

狂気の歴史・言葉と物
 フーコーは『狂気の歴史』(1961年)で、西欧世界においてかつては神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのかを研究する。彼が明らかにしようとするのは、西欧社会が伝統的に抑圧してきた狂気の創造的な力である。第2段階は、先に概観した知の変化についての考察が中心となる。この考察は、もっとも重要な著書である『言葉と物』(1966年)にしめされている。

監獄の誕生
 『監視と処罰 監獄の誕生』は1975年に出版された。近代以前における刑罰は、権力者の威光を示すために犯罪者の肉体に対して与えられるもの(公開の場で行われる四裂き刑、烙印、鞭打ちなど)であったが、近代以降の刑罰は犯罪者を「監獄」に収容し精神を矯正させるものとなった。これは人間性を尊重した近代合理主義の成果と一般に思われているが、フーコーはこうした見方に疑問を呈する。監獄に入れられた人間は常に権力者のまなざしにより監視され、従順な身体であることを強要されている。功利主義者として知られるベンサムが最小限の監視費用で犯罪者の更生を実現するための装置として考案したのが、パノプティコン(一望監視施設)と呼ばれる刑務所である。さらに近代が生み出した「軍隊と監獄と学校と工場と精神病院」は、規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として同一の原理に基づいていることを指摘した。本書は政治犯を支援するフーコーの実践活動とも結びついていた。本書は直接には、投獄が拷問よりも人間的な刑罰であるかどうかを問題にしているが、もっと一般的には、社会が個人の肉体を訓練することによってその個人に命令する方法を論じている。

性の歴史
 未完におわったフーコー最後の著作は、「性の歴史」である。この著作は、発刊計画が発表されており、当初は全6巻(第1巻『知への意志』、第2巻『肉欲と身体』、第3巻『子供の十字軍』、第4巻『女、母、ヒステリー患者』、第5巻『倒錯者たち』、第6巻『人口としての住民と人種』)の構想であったが、実際には構想は変更されたうえで、第1巻『知への意志』(1976年)、第2巻『快楽の用法』(1984年)、第3巻『自己への配慮』(1984年)の3巻が刊行された。第4巻『肉の告白』の完成直前にフーコーが死去し、遺稿が残されたが、遺言により刊行されていない。この一連の著作においてフーコーは、西洋社会の人間が自分たちを性的存在として理解するようになる諸段階を追究し、性的な自己概念を個人の道徳的・倫理的な生活に関係づけた。

フーコーの晩年
 フーコーは晩年のどの著作においても、西洋社会が「生の権力」という新しい権力、つまり、伝統的な権威の概念では理解することも批判することもできないような新しい想像も出来ない管理システムを発展させつつあることをしめそうとする。従来の権力(国家権力など)機構においては、臣民の生を掌握し抹殺しようとする君主の「殺す権力」が支配的であったが、この新しい権力は抑圧的であるよりも、むしろ生(生活、生命)を向上させる。たとえば、住民の生を公衆衛生によって管理・統制し、福祉国家というかたちをとって出現する。フーコーは、個人の倫理を発展させ、自分の生活を他人が尊敬し賞賛できるようなものにかえることによって、この「生の権力」の具体的な現れである福祉国家に抵抗するようによびかける。
 フーコーの死後、その自室から性具・猿ぐつわ等のSM性癖関係の拘束具が数多く出てきたことが伝えられている(出典:ギベール著『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』訳者あとがき)。

キーワード
 以下に列記するのは、フーコーの思想を読み解く上で重要となる代表的キーワードである。
* アルケオロジー(考古学)
* エピステーメー(知の枠組み)
* グヴェルヌマンタリテ(統治性)
* シュジェ(主体)
* ディシプリン(規律)
* ディスクール(言説)
* プーヴォワル・パストラル(司牧権力)
* パノプティコン(一望監視装置)
* 生権力
* 生政治・生政治学(ビオポリティクス、生命を管理する政治)

著作
* 1961 L'Histoire de la folie à l'âge classique
o 『狂気の歴史』 田村俶訳、新潮社、1975年、ISBN 4105067028
* 1963Naissance de la clinique
o 『臨床医学の誕生』 神谷美恵子訳、みすず書房、1969年、ISBN 4622022176
* 1975 Surveiller et punir, naissance de la prison
o 『監獄の誕生』 田村俶訳、新潮社、1977年、ISBN 4105067036
* 1966 Les mots et les choses
o 『言葉と物』 渡辺一民・佐々木明訳、新潮社、2000年、ISBN 410506701X
* L'Archéologie du savoir
o 『知の考古学』 中村雄二郎訳、河出書房新社、1995年、ISBN 4309706118
* La volonté de savoir (Histoire de la sexualité, Volume 1)
o 『知への意志 性の歴史1』 渡辺守章訳、新潮社、1986年、ISBN 4105067044
* L'usage des plaisirs (Histoire de la sexualité, Volume 2)
o 『快楽の活用 性の歴史2』 田村俶訳、新潮社、1986年、ISBN 4105067052
* Le souci de soi (Histoire de la sexualité, Volume 3)
o 『自己への配慮 性の歴史3』 田村俶訳、新潮社、1987年、ISBN 4105067060
* Dits et ecrits
o 『ミシェル・フーコー思考集成』筑摩書房

College de France 講義
* L'ordre du discours
o 『言語表現の秩序』中村雄二郎訳、河出書房新社、1995年
* La volonté du savoir (1970-71)
o 『知への意志 (1970-71)』
* Théories et institutions pénales (1971-72)
o 『刑罰理論と制度 (1971-72)』
* La société punitive (1972-73)
o 『懲罰的社会 (1972-73)』
* La pouvoir psychiatrique (1973-74)
o 『精神医学の権力 (1973-74)』 慎改康之訳、筑摩書房、2006年
* Les anormaux (1974-75)
o 『異常者たち (1974-75)』 慎改康之訳、筑摩書房、2002年
* Il faut défendre la société (1975-76)
o 『社会を守れ (1975-76)』
* Sécurité, territoire, population (1977-78)
o 『セキュリティー・領土・人口 (1977-78)』
* Naissance de la biopolitique (1978-79)
o 『生政治の誕生 (1978-79)』
* Du gouvernement des vivants (1979-80)
o 『生者たちの統治 (1979-80)』
* Subjectivité et vérité (1980-81)
o 『主観性と真理 (1980-81)』
* L'hermeneutique du sujet (1981-82)
o 『主体の解釈学 (1981-82)』 廣瀬浩司、原和之訳、筑摩書房、2004年
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
by open-to-love | 2008-05-03 10:50 | 『狂気の歴史』 | Trackback | Comments(0)
ミシェル・フーコー 田村俶訳『狂気の歴史』

 本書はM・フーコーの初期の代表作と見なされる大著の完訳である。1961年に初版がブロン社から出て、初めからよく売れ、諸方面に物議をかもした。63年に評者もパリで偶然本書に出合い、目をさまされる思いがした。そのときこれも偶然にフーコーその人に会い、本書と著者双方から驚きと刺激を受け、一日も早くこの本が邦訳されることを願ってきた。いまそれが実現し、しかも72年にガリマール社から出た増補版からの訳であるのをよろこぶ。旧版を要約したものからの英訳が英米に出まわっていたが、それよりはるかに望ましいと思うからである。
 訳者は仏文畑の方ときくが、精神医学用語の訳も適切で、訳文に多少わかりにくいところがあるとしても、それは著者自身の文章の難解さによるもので、むしろよくこれだけこなされた、と訳者に敬意を表する。
 フーコーが構造主義者のひとりとされていることについては今さら説明するまでもない。しかし、ただそういうレッテルを貼られることをフーコー自身、近年わずらわしく思っているのではないかと思われるふしがある。少なくともレッテルだけでは片づけられない重々しいものが本書にはある。
 フーコーはレヴィ=ストロースが未開民族を研究した方法と似たものを狂気観の歴史研究に用いた。すでに言われてきたように、「狂気と野蛮」には共通点がある。つまり、正常人や文明人にとって、あるいは少なくとも自らを正常人、文明人と考えている者にとって、狂気も野蛮も共に不可解であり、不条理であり、したがって軽蔑すべきものに見える。そのため、西洋文明が原詩文明に対して不寛容で破壊的であったように、正常人は狂人に対して拒否的であった。
ヨーロッパの中世、ルネサンス社会は狂気に対して寛容であったが、古典時代、つまり17世紀中葉から18世紀末にかけて狂人は一斉に隔離収容されるようになった、とフーコーはみる。なぜ、どういうふうにそうなったかを調べているうちに本書の副題「古典時代における」の由来がある。18世紀末から19世紀初めにかけて英仏で狂人の「解放」が行われたが、フーコーの考えでは、これはむしろ医学的、道徳的監視の網を狂人たちのまわりにはりめぐらしたにすぎず、現代の狂人は社会からのこの疎外の産物にすぎないという。これはかなり多くの精神科医から一種の挑戦としてうけとめられ、議論百出、たとえばフランスのポステルらはフーコーの綿密な資料も、ピネルの著書からの引用のしかたに問題がある、と指摘している。しかし、これもフーコーの主張全体から見ると、さして大した問題とは思われない。しょせん精神科医と哲学者とでは、立場も視点もちがうところがあるのは当然である。
 要するに、フーコーは精神医学史そのものを書こうとしたわけではない。もちろん精神医学史家にとって貴重な資料が多く提供されてはいるが、フーコーのねらいは、ある時代、ある社会が「共時的」(サンクロニック)に狂人をどう見、どう扱ったかを「発掘」するところにあり、その事実をみればその時代、その社会の性質がわかると主張するのである。フーコーの考えでは-そして現代かなりの数の精神科医もそう考えているのだが-狂気は人間性に内包されているものである。そこに本書が一般人にとっても大きな意味をもつ理由がある。
 旧版しか読んでいなかった者にとっては新版の増補の部分がとくに興味深かった。新版への序文には一種のにがにがしさが感じられる。考えてみれば旧版いらい流れた約10年の歳月の間に、英米その他で「反精神医学」の動きが起こってきて、本書はそれに強力な依拠を与えるものとして、たとえばレイン、クーパー、サスなどから引用されてきた。70年にフーコーが来日し、各地で「狂気と社会」の講演をしたとき、「このごろは毎年ニューヨーク州立大学へ講義をしに行っている」と語っていた。こうした社会との対話の中で、彼のかきものの模造品も少なからず生まれた。ある原典に対して行われる「注解」のしかたは無限に「増殖」しうるものである。それはフーコーが他著で言っている通りである。そこに多少とも歪曲が生まれうる。その事実を著者はにがにがしく思っているのであろう。歪曲の原因は彼のいう狂気なる概念があいまいだったことにもあると思うのだが、新版の2つの増補文の一つによって、これがより明らかにされている。それは決して医学的な概念ではなく、明らかに社会的、歴史的、哲学的なものなのだが、病人、その家族及び社会の間にあって日々なやみ、ゆれ動く精神科医たちはここを注意深く読む必要がある。
 また、すべて人間科学に関係のある人びとにとっても本書全体は見のがせないものだろう。フーコーの主張をうのみにする必要はないが、自分の頭で考えてみるために、それは大きな刺激となるにちがいない。(新潮社)
(「朝日ジャーナル」1975・5・9)


神谷美恵子著作集3『こころの旅 付 本との出会い』(1982年、みすず書房)所収

神谷美恵子(かみやみえこ、1914-1979年)
1935年津田英学塾、コロンビア大学に留学。1944年東京女子医専卒。東京大学医学部精神科、大阪大学医学部神経科勤務を経て、1960年神戸女学院大学教授。1958-72年長島愛生園精神科勤務。1963-76年津田塾大学教授。医学博士。1979年年10月22日歿。訳書 マルクス・アウレリウス『自省録』(岩波書店、1956)ジルボーグ『医学的心理学史』(1958)ミッシェル・フーコー『臨床医学の誕生』(1969)『精神疾患と心理学』(1970)(以上みすず書房)。
by open-to-love | 2007-09-13 12:01 | 『狂気の歴史』 | Trackback | Comments(0)