精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


by open-to-love
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

カテゴリ:心の病と能・舞台( 1 )

隅田川

a0103650_0455011.jpg

「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道に惑ひぬるかな」(藤原兼輔・後撰集)

 『隅田川』 は能楽作品の一つ。室町時代、能を大成した世阿弥の長男、観世元雅の作。春の物狂いの形をとりながら、一粒種である梅若丸を人買いにさらわれ、京都から武蔵国の隅田川まで流浪し、愛児の死を知った母親の悲嘆を描く。シテ(主人公)は梅若丸の母。その他の主な登場人物は、梅若丸の霊(小方)、渡し守(ワキ)、京都から来た旅の男(ワキヅレ)。季節は春。場所は武蔵国隅田川。

 渡し守が、これで最終便だ今日は大念仏があるから人が沢山集まるといいながら登場。ワキヅレの道行きがあり、渡し守と「都から来たやけに面白い狂女を見たからそれを待とう」と話しあう。
 次いで一声があり、狂女が子を失った事を嘆きながら現れ、カケリを舞う。道行きの後、渡し守と問答するが哀れにも『面白う狂うて見せよ、狂うて見せずばこの船には乗せまいぞとよ』と虐められる。
 狂女は業平の『名にし負はば…』の歌を思い出し、歌の中の恋人をわが子で置き換え、都鳥(実は鴎)を指して嘆く事しきりである。渡し守も心打たれ『かかる優しき狂女こそ候はね、急いで乗られ候へ。この渡りは大事の渡りにて候、かまひて静かに召され候へ』と親身になって舟に乗せる。
 対岸の柳の根元で人が集まっているが何だと狂女が問うと、渡し守はあれは大念仏であると説明し、哀れな子供の話を聞かせる。京都から人買いにさらわれてきた子供がおり、病気になってこの地に捨てられ死んだ。死の間際に名前を聞いたら、「京都は北白河の吉田某の一人息子である。父母と歩いていたら、父が先に行ってしまい、母親一人になったところを攫われた。自分はもう駄目だから、京都の人も歩くだろうこの道の脇に塚を作って埋めて欲しい。そこに柳を植えてくれ」という。里人は余りにも哀れな物語に、塚を作り、柳を植え、一年目の今日、一周忌の念仏を唱えることにした。
 それこそわが子の塚であると狂女は気付く。渡し守は狂女を塚に案内し弔わせる。狂女はこの土を掘ってもわが子を見せてくれと嘆くが、渡し守にそれは甲斐のないことであると諭される。やがて念仏が始まり、狂女の鉦の音と地謡の南無阿弥陀仏が寂しく響く。そこに聞こえたのは愛児が「南無阿弥陀仏」を唱える声である。尚も念仏を唱えると、子方が一瞬姿を見せる。だが東雲来る時母親の前にあったのは塚に茂る草に過ぎなかった。

 「隅田川」のような子を捜し求めて狂乱する母を描く能は「狂女物」といわれ、これ以前にも多く作られている。しかしそれまでは結末は母と子が再会を遂げるというハッピー・エンドに終っていたのが、この能のみが悲劇的な結末に終ることになる。能はもともと「衆人愛敬」といわれ、祝言を本旨としていたから、結末を悲劇に終らせることは、当時の能としては画期的なことであった。「隅田川」がそれだけ演劇としての完成度を意識して作られているということが想像できる。
 能の「狂い」は恋愛や慕情の高じた状態を表すものであって、精神病としての「狂い」ではない。したがって思いを遂げると「狂い」は覚めることになる。「狂い」は非日常、非条理の世界ではあるが、こと恋愛や慕情の立場に立てばそれだけ純粋で、真実があるということにもなる。「狂い」という非条理を通して真実を追求するのが能である。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』など)
by open-to-love | 2007-10-20 00:46 | 心の病と能・舞台 | Trackback | Comments(0)