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カテゴリ:心理療法・精神療法( 5 )

河合隼雄

河合隼雄

 河合 隼雄(かわい はやお、1928年6月23日 - 2007年7月19日)は、日本の心理学者・心理療法家・元文化庁長官。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。文化功労者。専門は分析心理学、臨床心理学、日本文化論。教育学博士(京都大学、1967年)。兵庫県多紀郡篠山町(現・篠山市)出身。抜群のユーモアセンス、と常識にとらわれない発想の持ち主で、講演やエッセイには絶大な人気があった。分析心理学(ユング心理学)を日本に紹介した学者として知られて以来、日本におけるユング心理学の第一人者とされる。また、箱庭療法の日本での紹介者としても知られる。

学歴
* 旧制神戸工業専門学校(新制神戸大学工学部の前身)卒業
* 1952年 - 京都大学理学部数学科卒業
* 1959年9月 - カリフォルニア大学大学院留学(フルブライト留学生 1961年1月まで)
* 1962年4月 - ユング研究所(スイス)留学(1965年1月まで)

職歴
* 1952年 - 奈良育英高等学校教諭(数学担当)
* 1955年4月 - 天理大学講師
* 1962年4月 - 天理大学助教授
* 1969年4月 - 天理大学教授
* 1972年4月 - 京都大学教育学部助教授(教育心理学科 臨床心理学講座)
* 1975年 - 京都大学教育学部教授(教育心理学科 臨床心理学講座)
* 1980年4月 -京都大学教育学部長(1983年3月まで)
* 1987年5月 - 国際日本文化研究センター教授併任(1990年3月まで)
* 1988年 - 京都大学教育学部教授(大学院 臨床教育学講座)
* 1990年6月 - 国際日本文化研究センター教授(専任 京都大学教育学部教授併任)
* 1992年3月 - 京都大学名誉教授(定年退官)
* 退官後、米国プリンストン大学 客員研究員
* 1994年4月 - 国際日本文化研究センター名誉教授
* 1995年5月 - 国際日本文化研究センター所長(2001年5月まで)
* 2002年1月 - 文化庁長官(第16代 2007年1月まで)

学外における役職
* 日本心理臨床学会理事長(1985年11月-1991年10月、1994年11月-1997年11月、2000年11月-2003年11月)
* 日本箱庭療法学会理事長(1987年7月-1996年3月)
* 日本臨床心理士会会長。
* 国際箱庭療法学会会長(1990年8月-1994年8月)
* 平城遷都1300年記念事業特別顧問

資格
* ユング派分析家資格(1965年2月)

生涯

ユング心理学との出会い
 旧制神戸工業専門学校を経て、1952年京都大学理学部数学科を卒業。京大大学院に籍を置き数学の高校教諭として3年間働く。
 大学院で心理学を学ぶ。その際、ロールシャッハテストで修行を積み、約1000人の人にロールシャッハを施行したことは有名である。河合はクロッパー教授のロールシャッハに関する本を読み、そこで疑問に感じたことを直接、クロッパーに手紙を出し、そこからクロッパーとの関係が始まったという。
 1959年にフルブライト奨学生としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) へ留学し、クロッパー教授やシュピーゲルマン (Spiegelman JH) の指導を受けた。
 河合は第二次世界大戦での敗北を経験しており、西欧流の合理主義に傾倒していた。しかし、河合は米国の合理的な社会制度・思想に触れ、自分の日本人としてのアイデンティティについて深く考えさせられたという。
 米国ではロールシャッハに関しては、教授から大きな信頼を寄せられ、最終的には助手として採用され滞在期間を延ばし、ネイティブアメリカンについての共同研究を行った。クロッパーはユダヤ系で欧州の心理学に精通しており、河合が米国で学位を取るよりも本場のスイスのチューリッヒでユング心理学を修めるほうがよいと判断し、留学を勧めた。
 その後、1962年から1965年までスイスに渡り、ユング研究所 (Jung Institut Zuerich) で日本人として初めてユング派分析家の資格を得る。その際、マイヤー (Meier CA) に師事。
 帰国後、1972年から1992年まで京都大学教育学部で教鞭を執る。退官後、プリンストン大学客員研究員、国際日本文化研究センター所長、文化庁長官を歴任する。

日本文化に根ざした心理療法の模索
 河合は、欧州で修めた心理学を日本では同様に適用できないことに気づき、日本的環境や日本的心性にあった心理療法を工夫して創ることに苦心したという。その影響から岩波書店の編集者大塚信一(後に社長に就任)に勧められ岩波新書「コンプレックス」を出版。
 また、彼の著作には「母性社会日本の病理」、「中空構造日本の深層」、「日本人の心のゆくえ」、「日本人という病」、「日本文化のゆくえ」などとあるように、批判的かつ創造的な問題意識をもった日本文化論がある。1979年、大塚の紹介で研究会「都市の会」に参加し、哲学者の中村雄二郎や文化人類学者の山口昌男らと出会う。
 日本心理臨床学会を設立し、同理事長に就任。臨床心理士制度や、スクールカウンセラー制度の確立に尽力し、日本臨床心理士会会長も務める。

心理療法への貢献(箱庭療法)
 河合は、スイスの心理学者ドラ・カルフが幼児や精神障害(疾患)の患者へのセラピーとして用いた箱庭療法 (Sandplay Therapy, Sandspiel Therapie)を日本へ紹介し、臨床場面で幅広く使用される契機を作った。河合は非言語的な表現が多い日本人に向いていると考えていたという。その後、日本箱庭療法学会の設立に携わる。また、1985年に国際箱庭療法学会が設立され、河合はその創設メンバーであった。
 精神科医で風景構成法を考案した中井久夫(神戸大学名誉教授)は、東京で河合の箱庭に関する発表を聞き、箱庭に枠が使用されている点に注目した。そして、患者が箱庭の「枠」があるために、箱庭による自己表現が可能であり、治療効果があることに気づき、自身の風景構成法の「枠付け法」に応用した中井久夫や山中康裕などの精神科医が、箱庭療法を病院に導入したため、箱庭が教育現場だけでなく、病院臨床でも使用される契機となる。

文化庁長官就任
 2002年1月18日より第16代文化庁長官に就任。民間人(非官僚)の起用は今日出海、三浦朱門に続き17年ぶり3人目となった。2年の任期が終了した後も、お得意の駄洒落で盛り上げる講演会をするなど、文化庁の知名度向上に貢献した手腕を買われ、2度に亙って長官留任を要請され、2006年10月31日まで3期4年余在任した。
 在任期間中の2002年4月、文部科学省が全国の小・中学校に配布した道徳の副教材『こころのノート』の編集に携わった。また、2004年には高松塚古墳の壁画がカビによって劣化していた事実を文化庁が隠蔽していたことが明らかになり、大問題となった。2006年7月から高松塚古墳壁画問題の件で国内各地で関係者に謝罪し、同年8月に公式謝罪を行った。
 2006年8月17日午前、奈良県奈良市内の私邸で脳梗塞の発作を起こして倒れ、奈良県天理市内の病院(天理よろづ相談所病院)に搬送され緊急手術を受けたものの、容態が回復せず、2006年11月1日に文化庁長官職を休職、2007年1月17日付で任期切れにて退任していた。
 2007年7月19日14時27分、脳梗塞のため、奈良県天理市内の病院で死去。享年79。

逸話
* たいへんな冗談好きとしても知られ、日本ウソツキクラブ会長を自称し、架空人物大牟田雄三との共著もある。「うそは常備薬、真実は劇薬」という箴言も残している。
* 趣味は幼い頃からよくフルートを吹くことで、65歳からやり始めたフルートの演奏会を2005年まで毎年にかけて東京と関西で行っていた。

家族
河合隼雄は7人の男兄弟の五男。長男・仁は外科医、次男・公は内科医、三男・雅雄は霊長類学者(京都大学霊長類研究所元所長)、四男・迪雄は歯科医、六男・逸雄は脳神経学者(京都大学医学部元助教授)。臨床心理学者の河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター教授)、法社会学者の河合幹雄(桐蔭横浜大学法学部教授)は息子。 工学者の河合一穂(京都大学国際融合創造センター元非常勤研究員)、歯科医の河合峰雄(日本歯科麻酔学会理事)は甥。

受賞歴
* 1982年 - 『昔話と日本人の心』で大佛次郎賞。
* 1988年 - 『明恵 夢を生きる』で新潮学芸賞。
* 1995年 - 紫綬褒章。
* 1996年 - NHK放送文化賞。
* 1998年 - 朝日賞。
* 2000年 - 文化功労者顕彰。
* 2007年 - 正四位瑞宝重光章。

著書

単著
* 『ユング心理学入門』(培風館、1967年)
* 『箱庭療法入門』(誠信書房、1969年)
* 『臨床場面におけるロールシヤツハ法』(岩崎学術出版社、1969年)
* 『カウンセリングの実際問題』(誠信書房、1970年)
* 『コンプレックス』(岩波書店<岩波新書>、1971年)
* 『カウンセリングと人間性』(創元社)
* 『無意識の構造』(中央公論新社<中公新書>)
* 『影の現象学』(思索社)のち、講談社学術文庫
* 『昔話の深層』(福音館書店)のち、講談社+α文庫
* 『母性社会日本の病理』(中央公論新社)
* 『中空構造日本の深層』(中央公論新社)のち、文庫
* 『昔話と日本人の心』(岩波書店)のち、現代文庫
* 『宗教と科学の接点』(岩波書店)
* 『日本人とアイデンティティ -心理療法家の眼-』(創元社)『日本人とアイデンティティ -心理療法家の着想-』へ改題、のち、講談社+α文庫
* 『明恵 夢を生きる』(京都松柏社)のち、講談社+α文庫
* 『子どもの宇宙』(岩波書店<岩波新書>)
* 『子どもと学校』 (岩波新書)
* 『生と死の接点』(岩波書店)
* 『とりかえばや男と女』(新潮社)のち、文庫
* 『こころの処方箋』(新潮社)のち、文庫
* 『イメージの心理学』(青土社)
* 『心理療法序説』(岩波書店)
* 『ブックガイド心理療法』(日本評論社)
* 『働きざかりの心理学』(新潮社)のち、文庫
* 『対話する人間』(潮出版社)のち、講談社+α文庫
* 『対話する生と死』(潮出版社)のち、だいわ文庫
* 『中年クライシス』(朝日新聞社)のち、文庫
* 『老いを生きる』(読売新聞社)『「老いる」とはどういうことか』へ改題、のち、講談社+α文庫
* 『河合隼雄著作集・第一期』(岩波書店・全14巻)
* 『おはなしおはなし』(朝日新聞社)のち、文庫
* 『物語をものがたる 河合隼雄対談集』(小学館)
* 『ユング心理学と仏教』(岩波書店)
* 『こころの声を聴く 河合隼雄対話集』(新潮社)のち、文庫
* 『物語とふしぎ』(岩波書店)
* 『子どもと悪』(岩波書店)
* 『続 物語をものがたる 河合隼雄対談集』(小学館)
* 『日本人という病』(潮出版社)
* 『日本人の心のゆくえ』(岩波書店)
* 『日本文化のゆくえ』(岩波書店)
* 『Q&A こころの子育て』(朝日新聞社)のち、文庫
* 『こころと人生』(創元社)
* 『いじめと不登校』(潮出版社)
* 『平成おとぎ話』(潮出版社)
* 『おはなしの知恵』(朝日新聞社)のち、文庫
* 『猫だましい』(新潮社)のち、文庫
* 『人の心はどこまでわかるか』(講談社<講談社+α新書>)
* 『紫マンダラ』(小学館)『源氏物語と日本人―紫マンダラ―』へ改題、のち、講談社+α文庫
* 『物語を生きる』(小学館)
* 『日本人の心』(潮出版社)
* 『続々 物語をものがたる 河合隼雄対談集』(小学館)
* 『河合隼雄著作集・第二期』(岩波書店・全11巻)
* 『「出会い」の不思議』(創元社)
* 『より道 わき道 散歩道』(創元社)
* 『ナバホへの旅 たましいの風景』(朝日新聞社)のち、文庫
* 『心理療法入門』(岩波書店)
* 『いのちの対話』(潮出版社)
* 『臨床心理学ノート』(金剛出版)
* 『縦糸横糸』(新潮社)のち、文庫
* 『神話と日本人の心』(岩波書店)
* 『ケルト巡り』(日本放送出版協会)
* 『ココロの止まり木』(朝日新聞社)のち、文庫
* 『深層意識への道』(岩波書店)
* 『父親の力 母親の力』(講談社<講談社+α新書>)
* 『大人の友情』(朝日新聞社)のち、文庫
* 『過保護なくして親離れはない』(五月書房)
* 『心の扉を開く』(岩波書店)
* 『神話の心理学』(大和書房)
* 『未来への記憶 上 自伝の試み』 (岩波新書)(上巻は幼少期から心理学との出会い)
* 『未来への記憶 下 自伝の試み』 (岩波新書)(下巻は米国留学&ユング研究所で分析家の資格を取得するまでが記されている)
* 『泣き虫ハァちゃん』(新潮社)
* 『心理療法対話』(岩波書店)
* 『河合隼雄のこころ 教えることは寄り添うこと』(小学館)
* 『人の心がつくりだすもの』(大和書房)

共著
* (小此木啓吾)『フロイトとユング』(思索社)
* (谷川俊太郎)『魂にメスはいらない』(朝日出版社)のち、講談社+α文庫
* (中村雄二郎)『トポスの知』(TBSブリタニカ)
* (湯浅泰雄、吉田敦彦)『日本神話の思想』(ミネルヴァ書房)
* (鶴見俊輔)『時代を読む』(潮出版社)
* (中西進、山田慶児)『むかし琵琶湖で鯨が捕れた』(潮出版社)
* (杉本秀太郎、山折哲雄、山田慶児)『洛中巻談』(潮出版社)
* (大江健三郎、谷川俊太郎)『日本語と日本人の心』(岩波書店)のち、現代文庫
* (青柳恵介、安土孝、多田富雄ほか)『白洲正子を読む』(求龍堂)
* (村上春樹)『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店)のち、新潮文庫
* (安野光雅)『生きることはすごいこと』(講談社)
* (長田弘)『子どもの本の森へ』(岩波書店)
* (中沢新一)『ブッダの夢』(朝日新聞社)のち、文庫
* (杉本秀太郎、山折哲雄、山田慶児)『先端科学の現在』(潮出版社)
* (梅原猛、松井孝典)『いま、いのちを考える』(岩波書店)
* (山田太一、谷川俊太郎)『家族はどこにいくのか』(岩波書店)
* (小林康夫、中沢新一、田坂広志)『こころの生態系』(講談社+α新書・講談社)
* (松居直、柳田邦男)『絵本の力』(岩波書店)
* (阪田寛夫、谷川俊太郎、池田直樹)『声の力』(岩波書店)
* (加賀乙彦、山折哲雄、合庭惇)『宗教を知る人間を知る』(講談社)
* (白洲正子)『縁は異なもの』(河出書房新社)のち、光文社知恵の森文庫
* (石井米雄)『日本人とコミュニケーション』(講談社+α新書・講談社)
* (柳田邦男)『心の深みへ』(講談社)
* (鷲田清一)『臨床とことば』(阪急コミュニケーションズ)
* (吉本ばなな)『なるほどの対話』(NHK出版)のち、新潮文庫
* (中沢新一)『仏教が好き!』(朝日新聞社)のち、文庫
* (工藤直子、佐伯胖、森毅)『学ぶ力』(岩波書店)
* (中川牧三)『101歳の人生を聞く』(講談社)
* (谷川浩司)『無為の力』(PHP研究所)のち、PHP文庫で『「あるがまま」を受け入れる技術 何もしないことが、プラスの力を生む』に改題
* (養老孟司、筒井康隆)『笑いの力』(岩波書店)
* (鎌田東二、山折哲雄、橋本武人)『日本の精神性と宗教』(創元社)
* (立花隆、谷川俊太郎)『読む力聴く力』(岩波書店)
* (大牟田雄三)『ウソツキクラブ短信』(講談社+α新書・講談社)
* (茂木健一郎)『こころと脳の対話』(潮出版社)
* (小川洋子)『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮社)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
by open-to-love | 2009-03-20 20:10 | 心理療法・精神療法 | Trackback | Comments(0)
連載 都市型臨床の時代-⑤「超短時間精神療法の経済倫理」

井原裕(順天堂大医学部神経医学教室)
(『こころの科学』133号、2007年5月号、日本評論社)

■経営理念としての薄利多売

「薄利多売」は、日本的経営の基本理念である。
 たとえば、デパートに始まり、スーパーを経て、コンビニへと変遷していった近代の小売業は、薄利多売の様式の推移として理解できる。
 三越、大丸、高島屋に代表される百貨店は、江戸、大坂、京に発した呉服屋に由来する。17世紀末、江戸日本橋の越後屋は、掛売り中心の当時の商習慣に対抗して、「現銀(げんぎん掛値なし)」の正札販売を敢行した。こうして小売業の信用を確立し、ビジネスとしての販売の基礎を築いた。
 とはいえ、呉服屋は、大名、武家、裕福な町人を顧客として始められたものであり、この富裕層を相手にした商習慣は、明治以降、百貨店に鞍替えした後も続いた。越後屋に発した三越がロンドンのハロッズやニューヨークのメーシーを模したように、概して高級服飾・雑貨のイメージを追いがちであった。一般庶民が消費者層として台頭することは、念頭になかったのである。
 第二次大戦後、「主婦の店」ダイエーが登場し、メーカー指示価格を度外視した安売りを始めた。1972年、長らく小売業界の盟主として君臨した三越は、ついにダイエーの後塵を拝することとなった。越後屋呉服店以来、資産家階級の衒示的消費をあてにしてきた経営戦略は、庶民を顧客として想定した薄利多売戦略に敗れた。薄っぺらに見えた「主婦の店」の理念が、日本橋の象徴たる三越を凌駕したのである。
 スーパー・マーケットが大規模小売店舗法の規制下におかれると、間隙を突いてコンビニエンス・ストアが登場する。コンビニは、イトーヨーカ堂がセブン・イレブン・ジャパンを設立したように、基本的には薄利多売のスーパーの戦略を、規制の少ない別形態で実現しようとしたにすぎない。消費の個性化・多様化は、薄利多売の理念にとって危機と思われたが、POSシステムに少量多品種販売体制をモニターさせて、これも克服した。「主婦に冷蔵庫代わりに使っていただく」というコンセプトは、薄利多売哲学が郊外の住宅地にも浸透してきたことを意味している。
 小売業界だけではない。出版の商業としての成立も、大橋佐平が博文館を創業する際に、薄利多売を旨としたことが嚆矢となった。家電産業の原動力は、松下幸之助のいわゆる「水道哲学」、すなわち高品質の製品を低コストで大量に作り、水道の水のようにジャブジャブと供給しようという考え方である。貿易立国としての日本をになった総合商社でさえ、取引機能、金融機能、情報戦略などの集約知識を擁してはいるが、基本的な戦略は薄利多売である。
 薄利多売の理念は、贅沢品を少数の資産家層に売ろうとするものではない。目標を大量消費を期待できる層において、この層のニーズに応える商品を供給しようとするものであった。

■精神療法におけるビジネス・モデル

 古典的な精神分析は、日本ではビジネスとして成立しなかった。その最大の理由は、古典的精神分析の課した法外な条件である。すなわち、「古典法では、1回50分、寝椅子を使い」、この方法で「西欧では週5日間で3年から5年の治療が標準とされている」のである。にわかには信じがたいほどの多大な時間を患者に強い、かつ、保険外診療・全額患者負担である。これでは、資産家有閑階級以外には利用不可能である。精神分析が日本で普及しなかったのは、けだし当然である。
 われわれから見ると、北米でなぜ精神分析が普及したのか不思議なくらいである。おそらくはインテリ資産家というものが、一定の社会階層をなすほどの人口を擁していたということ、そして、彼らの衒示的消費の一環として、精神分析を受けることがステイタスとなっていたのであろう。
 アメリカ制度学派の経済学者ベブレンによれば、生産活動を免れている有閑階級にとっては、冨の所有や浪費を誇示することが名声の維持につながるとされる。このような奢侈が心理面に流れたとき、精神分析がおあつらえむきのサービスとして位置付けられることとなったのであろう。
 日本では、保険診療内での精神療法は、ビジネスとして成立している。この点は、保険外診療の本格的精神分析の不人気とは際立った相違を示している。大学病院精神科、総合病院精神科外来、街角のメンタル・ヘルスクリニックなどが都市型臨床の主要な担い手である。どこも待合室は患者であふれている。駅前にNOVAがあり、街角にコンビニがあるように、どこの駅のホームにもメンタル・ヘルスクリニックの看板が目に入る。これらのほとんどは、保険診療を行っているところであり、一方、保険外の精神分析だけを標榜しているところは皆無に近い。
 精神療法を保険診療で行おうとするということは、すなわち、薄利多売型の経営理念を意味する。良質廉価な精神療法サービスを、水道の水のように豊富に供給するという考え方もあっていい。診療報酬については、平成18年10月より簡易明細入りの領収書の発行が義務づけられた。この点も、越後屋の正札販売同様に、精神科医の信用を確立し、精神科の不透明性を払拭する機会たりえる。

■「精神療法」診療報酬請求の倫理

 どんなに忙しい外来でも、精神科医は「精神療法」で診療報酬を請求している。しかも、その額は、費やす時間を考えれば安くない。
 たとえば、総合病院精神科外来で院外処方としている場合を想定すると、「初診時指定医精神療法」は500点、2回目からも330点であり、一方で処方箋科は68点にすぎない。すなわち「精神療法」は精神科外来の主たる収入源となっている。
 「時間がなくて精神療法ができない」と泣き言を言うなら、「精神療法」で診療報酬を請求することをやめるか、患者数を減らすべきだろう。「1時間に3人」とか「1日外来10人」といった制限をすればいい。それでは経営が成り立たないと思えば、「超短時間精神療法」に習熟するしかない。それに「時間がないから」と言い訳を言う医者は、時間があってもろくな面接はできないものである。
 時間の制約は厳しい。だが、古典的な精神療法は、そもそも時間のかけすぎである。「1回50分、週5回、5年間」でいったいどんな成果が得られるのか。成果が得られない場合、誰がどのように責任をとるのか。
 なによりも大きな問題は、これでは精神療法を受けること自体が、自己目的と化す点にある。人生には精神療法よりも重要なことはたくさんあり、それぞれが人間形成にとって欠かせない。学業、仕事、家庭人としての務め、これら一見平凡な事柄のなかにこそ、人生の本来の目的がある。治療者は、患者たちに対して、人生の舞台で自分を鍛える経験をもつことこそ支援すべきである。精神療法とは、本来、「なくてもいいような、なにものか」であり、自己目的化させることは本末転倒である。
 多くの患者は、十分な暇もなければ、金もない。古典的精神分析のような悠長なシロモノについてこられる患者は、少ない。われわれは、恵まれた特殊な人専用の精神療法を提供しようとは思っていない。むしろ、暇も金もあり余ってはいない患者たちも支援していこうとする。したがって、リアリスティックな外来時間は、「初診30分超、その後は逓減的に」「保険診療の枠内で」というところである。「初診30分超」とは、言うまでもなく、「初診日精神保健指定医通院精神療法」を算定するためである。
 時間の制約は、「治療構造」として利用しうる。「私の時間÷患者さんの数=貴方の時間」ということは、患者さんにお伝えしていい。この単純な割り算の意味するものは単純ではなく、「行列のできる医者ほど時間は短い」ことになる。病院によっては外来待合室に、「本日の○○先生の予約患者様は何人」と掲示しているところもある。これによって、外来担当医の人気ぶりが一目瞭然である。不人気の医者に診てもらいたいと願う患者はいない。患者には、「私も時間の許す範囲で全力を尽くすから、あなたも真剣勝負のつもりで来てほしい」と申し上げる。「一般外来の5分とか10分でサイコセラピーができないというのは間違い」(下坂)である。
 「精神療法はすべからくスポーツのコーチを以てモデルとすべし」(安永)とは、まさに至言である。連打を浴びてマウンド上で冷静さを失った投手のもとに、コーチが歩み寄り、一言二言告げる。投手はただちに本来の投球を取り戻し、打者を打ちとる。このときコーチは、「精神療法」に数秒しか費やしていない。短くてもできることはある。
 私自身は、(順天堂的表現だが)駅伝の走者に伴走車から檄を飛ばすコーチの位置に自分を置いている。必死の形相で走っている選手に対し、コーチのかけられる言葉は、一言だけである。その一言にいかに意味を込めるか。それがコーチの腕の見せどころである。

■診断よりも治療を

■症状よりも主題を

■「処方しない」という選択肢

■シリーズとしての面接

■超短時間精神療法の限界
by open-to-love | 2009-03-16 23:03 | 心理療法・精神療法 | Trackback | Comments(0)
ひとりで悩まないで…臨床心理士はみなさんのお近くにいます

臨床心理士は当会ホームページで探せます
http://www.jsccp2.jp/
書籍『臨床心理士に出会うには』もあります

今、1万5千人を越える臨床心理士が、みなさまのこころの健康をサポートしています。しかし、まだまだ臨床心理士は足りません。公的機関への配置も不十分です。
 困ったときはいつでも、どこでも、質の高いこころのケアが受けられるために、国家資格制度が必要です。

日本臨床心理士学会は心理専門職の国家資格制度創設をめざしています

臨床心理士のいるところ(例)
○学校 スクールカウンセラー
○教育相談所・教育センター
○児童相談所・子ども相談センター
○児童福祉施設
○女性相談センター
○学生相談室
○大学附属心理臨床センター
○病院・クリニック
○保健所・保健センター
○精神保健福祉センター
○リハビリテーション施設
○会社の健康管理室
○障害者職業センター
○ハローワーク
○私設心理相談室
○家庭裁判所
○少年鑑別所
○警察少年センター
○警察被害者相談センター
○高齢者福祉施設
 など

臨床心理士の職域別割合
 非常勤職が多いため、ひとりの臨床心理士が複数の職域で働いています(重複回答)
医療・保健 31・5%
福祉 12・2%
教育 24・9%
大学・研究所 18・2%
司法・法務・警察 3・2%
産業・労働 1・8%
私設心理相談室 4・2%
その他 3・9%

臨床心理士
 臨床心理士は、原則として指定大学院等において、心理学を中心に学び、心理臨床経験を有するもので、文部科学省認可の財団法人日本臨床心理士資格認定協会の審査(年1回の筆記・口述試験)の結果、認定された者です。また、この資格は5年ごとの審査がおこなわれ、専門性の維持・発展のために、研修や研究が義務付けられています。
 資格認定が開始された1988(昭和63)年から現在までに、1万5千人以上の臨床心理士が認定されています。また、全国47都道府県ごとに臨床心理士会が組織され、地域に根ざした活発な活動を行っています。

JSCCP 日本臨床心理士会のビラ全文
by open-to-love | 2007-10-08 16:47 | 心理療法・精神療法 | Trackback | Comments(0)

心理療法の歴史

心理療法の歴史(氏原寛)

1 はじめに

2 日本臨床心理士会の発足

 わが国に本格的な心理療法が導入されたのは、1950年頃ロジャーズ(Rogers CR)の考えが導入されたときである。その頃、わが国の心理学者で実際に心理治療に携わっていた者は皆無ではなかったかと思われる。しかしロジャーズの方法が共感、受容、純粋さを強調し、特に厳しい訓練を要求しなかったこともあり、早速実践にとびこんだ人たちがいた。その中の大学関係者たちが関西臨床心理学者協会を結成し、これが1965年の日本臨床心理学会の設立につながった。しかしこの学会には、当初から2つの流れがあったように思われる。筆者はこうした動きのそもそもの始めから現在に至るまで、その流れをつぶさに見てみた。ただしその中心にいたわけではない。流れに巻き込まれ右往左往していたにすぎない。しかし当事者としてその場にいたことは確かであるし、その分、限られた視野の範囲内であるがかえって客観的に見つめることができていた、と言えるかもしれない。
 2つの流れとは、アカデミックな専門家集団と実践的な素人集団のそれである。ロジャーズの考えと技法が導入された頃、心理療法の実践ということでは、精神科の医師はともかく(それとてもごく少数であったと思われる)、心理学者で実戦的経験のある人はほとんどいなかった。友田不二男のカウンセリング・ワークショップ(現在のベーシック・エンカウンター・グループに近い)と伊東博が精力的に訳出していたロジャーズ関係の論文と、なによりもロジャーズの著作だけが頼りであった。そのかぎり全員が素人であったとも言える。しかし、文部省(当時)がガイダンスの一環としてカウンセリングを学校現場に導入したこともあり(事実、上記カウンセリング・ワークショップのかなりの部分が、教育委員会から出張旅費を支給された教員であった)、一時期、学校カウンセリングブームとも言うべき現象が起こった。同様に、産業界においても新しい人事管理の技法として、カウンセリングの導入が熱心に行われた。ただしその場合は、課長または係長クラスの思惑ひとつでカウンセリングルームの盛衰が左右される状況ではあった。そして大学の臨床心理学者たちは、ロジャーズにその傾向のあったこともあって、どちらかと言うとリサーチに走る傾きが強かった。病院にもカウンセリングが導入されたが、医師、カウンセラーの双方がお互いに何を期待しどういう形で貢献すればよいかが曖昧なままに、カウンセラーの評価が高まることはなかった。せいぜいテスターとしてある程度認められていた、ということであろうか。
 だから、ロジャーズの診断無用論(有害論?)があったにもかかわらず、大学の臨床心理学者たちは、リサーチおよびロールシャッハ・テストへの感心を失わず、それが専門家の証しであるかのような印象さえあった。そのような動きを背景に、心理技術者資格認定機関設立準備委員会が発足し、今日われわれにとって関心の深い、資格問題が論議されるようになってきた。設立後数年の臨床心理学会の前途は明るいかに見えていた。

3 学会と実践家の乖離

 それが1970年の第5回大会で、先の資格問題も含めて、学会のリーダーたちのほとんどが大学の教員であること、そして心理学関連の実践家たちの現場での実情をまったく知らずまた知ろうともしないこと、が厳しく批判された。当時の学会長の戸川行男が、「今までの大学の心理学教育が研究者の養成に心を奪われ、心理学の高度な技術者(たとえば医学部や工学部のような)の養成を怠ってきた」という率直な名演説を残したのが記憶に残っている。これは、その頃東大の医学部に端を発したいわゆる造反運動にもつながる、大きいうねりの一端でもあったのだが、確かに真実をついていた。事実、その頃のわれわれがカウンセリングにゆき詰まって大学のえらい先生たちに指示を仰いだとき、具体的な答えを与えられることはほとんどなかった。現在、学会でリーダーシップをとっている方たちは、まだ留学前か留学中であった。
 しかしこの大会が契機となって、アカデミックな臨床心理学と現場の心理臨床の実践との連携がいっそう密になれば、新しい展開があったかもしれない。しかし現状は時代の遅れもあって、妙な方向に進んでいった。つまり、心理臨床の実践が1対1の関係に基づいているかぎり、現在の体制下で大量に生産されるいわゆる心理学的不適応に陥った人たちに対応できない、だからそうした体制そのものを変革しなければいつまでたっても体制の犠牲者たちの減ることはない、という議論である。それはそれで一理はあっても、日々多くのクライエントと出会っている実践家からすると、納得しがたいことであった。学会がそのような方向に進んで行くにつれ、実践家の多くが学会から離れて行った。現在、地域臨床として取り上げられている問題が、一種の社会運動ないし政治運動的色彩を帯びていたのである。この頃から、一時バラ色に見えかけていた心理臨床の世界は、再び冬の時代に入る。

4 日本心理臨床学会の発足

 しかしいったん種を蒔かれた心理臨床の実践は、枯れることなく根を下ろした。ただし適切なリーダー不足で群盲が象をなでる印象は拭えなかった。しかしこの頃、河合隼雄をはじめとする外国で訓練を受けてきた人たちが次々と帰国するようになった。我流のロジャーズ派しかいなかった当時、豊富な実践体験と深い理論的裏付けをもって帰国した人たちの活動が、拠るべき学会すら失った人々んい新しい希望の灯をともした。そうした機運の中、1982年、動作療法の成瀬悟策を初代理事長とする、日本心理臨床学会が成立した。ここで事例発表を中心とする大会が毎年開かれることになり、それまで実際のケースがどのように展開するのかほとんど見たり聞いたりすることのなかった人たちが、ケースの見方やカウンセラーのかかわり方などについて直接考える機会を与えられ、心理臨床全体のレベルが短期間に急速に上がったのは周知のとおりである。それまでは事例研究と言えばやはりロジャーズ流のテープ検討会が中心であった。その功罪は別のところでも論じたので、ここでは取り上げない。

5 資格問題の浮上

 この学会で論じられたもう1つの問題が、心理士の公的な資格についてである。現在もそれほど事情は変わらないが、当時、特に病院で働く心理臨床家の待遇はむしろ悲惨と言ってよいくらいであった。経済的に恵まれないだけでなく、身分が安定していない。不景気になればまず首を切られる恐れがあった。今日でも、週刊誌が、これほど経済的に恵まれない職種になぜ若い人たちが群がるのか、というくらいである。若干のデータがあるが、若い臨床心理士たちは身をもって感じていることであろうから、あえて取り上げない。
 いずれにしろ資格問題では議論が沸騰した。実力が先か資格が先かということで、である。実力さえ充実すればいずれ認められる、そうすればそれにふさわしい待遇が得られる、という正論と、病院では医師、看護師、薬剤師などすべって国家資格の持ち主であり、実状はともかく、ベッド数に応じて一定の数を確保することが義務づけられており、それなりに地位が安定している、。まずその安定が必要だとする実際論との対立である。そして白熱した長い議論の末、とにかく実際論で行こうということになった。それを受けて1988年、木田元を会頭とする日本臨床心理士資格認定協会が発足する。
 これは心理学関連の諸学会が連合して設立したものであるが、その中心は心理臨床学会であった。しかし当初、臨床心理学など学問の名に値しないという、旧来の心理学者の考えが根強く、しかし職業につながる高度の専門的技術ということになれば臨床心理学を前面に立てざるをえないジレンマがあり、その運営が必ずしもスムーズに始まったわけではない。現在でも多少のきしみがあり、それが若干の影を落としている。また、もともとは臨床心理士の資格を国家資格にという目標があり、それまでの暫定的組織であるから、一日も早くその発展的解消を目指すという、奇妙な組織でもあった。現在、国家資格の問題がようやく具体化の運びを見せてきたことはすでに述べた。
 いずれにせよ、1989年にぶし第1号の協会認定の臨床心理士が誕生し、同年、日本臨床心理士会が発足して、日本医師会に準ずる心理士団体として活動を開始した。現在、日本心理臨床学会、日本臨床心理士資格認定協会、日本臨床心理士会の3つが、日本の心理臨床を推進してゆくための中心的役割を果しつつ一丸となって活動しているのは、読者も御存知のとおりである。ただし、万事がスムーズに展開してきたわけではないので、ここでは2つの問題を取り上げておく。

6 資格化にあたっての問題

 1つは、協会の資格試験の受験資格が修士以上となっていることである。わが国では高校卒業後専門教育を何年受けたかが、その後のコース(給与体系を含め)を決める。医師は6年だから4年制大学卒業者よりもスタートから優位に立っている。臨床心理士を、専門領域を異にする医師と同格の専門家に、というのが学会なり協会設立の当初からの悲願であった。そのためには高校卒業後6年の専門教育がいる。だからこそ修士課程2年の教育がいるのである。後にも述べるが、現在平均的な精神科医と平均的な臨床心理士とでは、訓練度においても実力においても責任感においても格段の差がある。いつかこれは埋められねばならない。そのためにはよほどの努力が必要であるが、この頃の若い心理士たちはそのことに気づいていないのではないかと思われる。
 もう1つの問題は、協会が私的な財団法人にすぎないことである。それが各大学のカリキュラムに口を出し、現実にはその内容を決めている。これは明かに筋違いである。しかし、現在多くの大学院で臨床心理学のコースが開設されていながら、必ずしもその内容が伴っていないところがないでもない。それらに対して一定のレベルをどこかで明確化する必要があった。協会が筋違いながらあえて泥をかぶることで、臨床の大学院の整備されてきたのは事実である。

7 スクールカウンセラー制度

 スクールカウンセラーの制度の発足は、1995年の当時文部省のスクールカウンセラー活用調査研究委託事業が発端であった。現在のところこれは制度化され、文部科学省は全国の公立中学校に1人ずつスクールカウンセラーをはりつけることを目標にしている。しかしそれがどんな形で定着するかは今のところ断定できない。この制度がわれわれ臨床心理士にとって画期的であったのは、1つは臨床心理士の活動が社会的公的に認められたことと、その経済的待遇の大幅なレベルアップである。というのは、当時の文部省がスクールカウンセラーは認定協会の認定した臨床心理士であることが望ましい、としたからである。神戸の大震災のボランティア活動などもあって、この制度の発展とともに臨床心理士の立場がかなり安定したことはまちがいない。
 ただし問題もある。現在、スクールカウンセラーの時給は平均して5000円前後である。1日8時間勤務する例が多い。すると1日4万円、1カ月4週として16万円である。いろんな場合があるが、週2回となれば月32万円になる。これは若い心理士にとっては〝法外〟な収入である。しかし常勤職にある臨床心理士は休めないのでなかなかスクールカウンセラーにはなりにくい。いきおい経験の浅い若い人たちが赴くことになる。それで学校現場の期待に十分応えているのかどうか、が第一の問題点である。今までのところはかなりの成果があった。だからこそ制度化されたのである。しかし必ずしも順風満帆とはいえぬ節がある。
 第二に、実際にそういう例はないが、週2回というのを週5回ということで考えてみよう。すると1カ月で5000円(時給)×8(時間)×5(日)×4(週)=80万円である。休暇中は仕事がないのでこれに10(月)をかけると年収800万円になる。スクールカウンセラーには昇給がない。すると40歳50歳になってこの収入を多いととるか少ないととるか。子ども2人としてその教育費のことなど考えると、必ずしも多いとは言えないのではないか。スクールカウンセラー制度がまだ不確定要因を多く含んでいることを踏まえた上で、給与面だけから見てもけっして喜べる状況でないことを見きわめておく必要がある。
 なによりも大きい問題は、これがいわゆる学校臨床に限られていることである。病院で仕事をしている臨床心理士の待遇は、依然として悲惨という状況に近い。比較的最近、筆者のかつての教え子が常勤職として病院に就職できた。本人も周囲も喜んでいたが、30歳近く、修士卒の臨床心理士で、給料が20万円ちょっとである。4年制大学の新卒者とほとんど変わらない。むしろ少なめではないか。筆者の知り合いの開業精神科医の話だと、有能な臨床心理士に働いてもらっても結局は赤字なのだという。しかし赤字部門のあることは税金対策で有利なことがあるらしく、それとのかねあいもあって来てもらっている、ということであった。
 スクールカウンセラー制度の定着は、臨床心理士の社会的評価を著しく高めたと言える。しかし以上述べてきたように、けっして有頂天になるほどのことではない。それに臨床心理士の仕事の本命は、やはり病院臨床であろう。そこで医療心理師との関係がどうなるのか、も気がかりである。もちろん地域臨床ということになれば、コミュニティ心理学ともかかわりの深い予防的活動も必要である。それらの領域で、臨床心理士が少なくとも自尊心を傷つけられずにすむ程度の処遇を得られるかどうか。2005年6月現在、日本心理臨床学会の会員数は1万6000人を超え、日本最大の心理学関連団体である。臨床心理士の数も1万人を超えている。そのかぎり、臨床心理学ないし心理士の前途は洋々たるかに見える。しかし現状は決して満足できるようなものではない。

8 国家資格への展望

 すでに述べたように、現在(2005年6月)、臨床心理士と医療心理師の2つの資格が同時に設けられることになった。しかし両者の調整は十分についていない。だから実際の運営がどのようになされるかについては、まだまだ不確定要因が大きい。しかし臨床心理士の国家資格化はわれわれ心理臨床家の長年の悲願であったし、制度発足のあかつきには、多くのクライエントのお役に立てるだけの十分な実力を身につけることが不可欠の条件となる。
 つまり、この時点ではじめに述べた資格か実力かの問題が再び浮んでくる。今こそ、1人ひとりの臨床心理士がひたすら自らの実力を養うべき時期なのである。そしてその基準は、開業して食えるだけの収入を得られるかどうか。つまり、面接料で家族の生活を支えられるほどのクライエントが来てくれるだけの力があるかどうか、であると思っている。現在、精神科ないし心療内科のクリニックで、保健外のカウンセリングを行っている心理士がいる。ある程度の部屋代を医師に支払えば残りは心理士の手取りになる。それとてもかなり厳しい。有名だとか本を書いているなどのことはほとんど役に立たず、払ったお金と時間と手間に見合うだけのお返しをいただけるかどうかが、来院を続けるかどうかの決め手になっている。しかしその場合でも、医師の紹介のもとで、ということが来談意欲の大きい支えになっている。まったく独立して開業している心理士は意外に少ない。医療現場ではまだまだ医師に依存している心理士が多い。それでは、医師と同格の業種の異なる専門職とはとても言えないのである。
 以上、臨床心理士がどういう事情で生まれてきたのか、その現状はどうか、どのような展望が開けているのか、などについて概観した。かつての素人的なありようから、しだいに医師の指導監督のもとではどうやら仕事をこなせるようになり、今や医師と同格の専門家たろうと意欲するところまでは来たと思う。しかし現状では待遇はもちろん、実力においてもまだまだ一本立ちできるだけの心理療法家の数は少ない。優秀な若いカウンセラーの育っているのは確かであるが、しかし若い人たちの間に、比較的安易な現状肯定的、他者依存的な傾向がないでもない印象がある。この道は進歩か退歩しかない。停滞は即後退にほかならぬことを、お互いに肝に銘じておきたいと思う。

乾吉佑、氏原寛、亀口憲治、成田善弘、東山紘久、山中康裕編『心理療法ハンドブック』(2005年、創元社) 第1部 総論
by open-to-love | 2007-10-08 09:59 | 心理療法・精神療法 | Trackback | Comments(0)

統合失調症の精神療法

Ⅱ.心理社会的療法

A.個人精神療法

1.統合失調症の精神療法に関するボストン研究

a.Gundersonらのボストン研究

 Freudが「統合失調症は神経症と違って、治療の中で転移を起こさない自己愛神経症なので、これに精神分析を行うことは海図なしで大海原に船出するようなもので不可能とは言い切れないまでも危険なことで自分はやらない」と言ったというのは有名である。その警告にもかかわらず、彼の高弟Federnは統合失調症の精神療法に挑戦した。もっともFedernのその挑戦には、後に、『母なるもの』で知られる有能な看護師Schwingの助力があったことは統合失調症の精神療法を考えるうえで暗示的であった。その後、Sechehayeの「象徴的実現」、Fromm-Reichmannの「精神分析的に方向づけられた強力精神療法」、Rosenの「直接分析」などのパイオニア的研究を経て、Sullivan、Pao、Searles、さらにはクライン派精神分析学者たちの努力にもかかわらず、今日では統合失調症の精神療法は一部の研究的実践を除くとほとんど単独の治療としては顧みられていない。それは、多数例についての統計的吟味のうえでなされた効果についての確証、経済効率、さらには治療者の治療技術の習得に多大の努力を要することなどが重なり合ったものと考えられる。ことに、統合失調症の精神療法の効果とその特徴を解明することを目的としたボストン研究は、統合失調症の個人精神療法について悲観的判断を一般精神科医の間に植え付けることになったといわれる。
 ボストン研究は後述するように以前にも統合失調症の精神療法の効果についての客観的研究を報告しているGundersonらが行ったものである。その内容は、急性例と極端な慢性例を除いて、統合失調症患者に対して薬物療法は行いながら、無作為に2群に分ち、一方には週2~3回の探索・洞察指向的な精神療法(exploratory-insight oriented psychotherapy;EIO)を、他方には週1回の現実適応的・指示的な精神療法(reality-adaptive supportive psychotherapy)を行った。観察期間は2年間であった。結果についてはEIO群では、自己理解、陰性症状など自我機能の改善がより多くみられたのに対し、RAS群では、日常生活、自分の役割、急性症状の改善がより多くみられたという。ただ、総合的には、2群の差異はそれほど大きいものではなかったと研究者たちは結論づけている。さらに、この研究では、精神療法を受けなかった対照群がないこと、この研究の対象になったのははじめ検討された164名のうち、95名であったが2年後の追跡調査では47名に減少し、多くの患者が脱落したことなどが問題にされている。
 このボストン研究の結果をどう読むかが問題であるが、統合失調症の精神療法について練達の治療者にしてもこの程度の効果しか上がらなかったこと、さらには多大の費用がかさむことから、「強力な精神力動的に方向づけられた精神療法」は多くの統合失調症には不適当であるとの主張がみられるようになった。そして支持的精神療法こそ有用であると考えられるに至った。
 それが、1980~90年代の薬物療法至上主義のアメリカ精神医学の支配的傾向となった。その中にあって、Gabbardは以前に、チェスナット・ロッジで入院治療の中で精神分析的精神療法を受けた163名の統合失調症患者についての退院後15年間の追跡調査の研究からMcGlashanが、約3分の1は良好な経過をとっており、それも改善に2つの種類があるとしていることをボストン研究の結果と関連させて高く評価している。すなわち、McGlashanの報告では、2群のうち、1つは精神病体験を自分たちの人生に統合したグループで、彼らは精神病の体験から重要なことを学んだと思っており、症状に違和感をもっていた。もう1つのグループは疾病を覆い隠すことで安定した回復を得ていることであった。これらのボストン研究とMcglashanの研究からGabbardは「精神病の体験を人生の中に統合できる患者に対しては、精神療法における内面探索的な作業が有益であることを示唆している。一方、精神病のエピソードを覆い隠している患者にとっては探索的な試みを続けることは、おそらく効果が得られないか有害なこともあるだろう。何らかの洞察を得る精神療法であればこそ、なおさら治療者による支持的な働きかけが重要になる」としている。
 統合失調症の精神療法では表出的なものと支持的なものとを区別する必要はないというのがこれら2つの実証的研究を踏まえてのGabbardの結論であるが、治療の実際にあっては患者の個別性を尊重しそれを十分に理解し、そのうえで適切な治療的手技を選択することが重要になる。

b.ボストン研究その後

2.統合失調症の治療における精神療法の位置づけ

3.統合失調症の精神力動的理解と精神療法技法

a.精神力動的理解

b.精神療法の原則

 1)治療同盟関係をつくる

 2)治療者は患者が治療を受けるに際しての主張や態度に柔軟に応じる必要がある

 3)最適の治療的距離の発見と維持

 4)埋もれた、しかもそれを認めることに臆病な患者の自己意識への着目-治療者の直観

 5)患者のこれまでの苦労と忍耐を評価する

 6)やがて患者は、自己をめぐる「正義」に敏感であることを示し始める

c.病相に応じた精神療法-慢性統合失調症患者への精神療法的チームアプローチ

4.おわりに

精神医学講座担当者会議、佐藤光源・井上新平編『統合失調症治療ガイドライン』(2004年、医学書院)
by open-to-love | 2007-09-06 16:11 | 心理療法・精神療法 | Trackback | Comments(0)