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カテゴリ:呉秀三( 1 )

精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察

東京帝国大学医科大学精神病学教室
医学博士 呉秀三
医学士  樫田五郎

本書は、精神医学・神経学古典刊行会の編集・発行による「精神医学古典叢書」の新版である。

刊行に寄せて   秋元波留夫
 今年2000年はわが国の精神障害者に関する最初の法律である「精神病者監護法」(1900年、明治33年制定)が作られてちょうど100年である。わが国の精神障害者がこの世紀を通じて耐えなければならなかった、法のもとでの疎外と差別のはじまりともいうべき「精神病者監護法」を、精神障害者問題にかかわる者はあらためて記憶に蘇らせるべきであるが、この法律を廃絶するために書かれたのが呉秀三とその弟子樫田五郎の「精神病者私宅監置ノ実況」一篇である。
 呉れが「精神病者監護法」について「コノ法律ノ主旨ハ精神病者ノ法律上ノ保護、殊ニ其不法ナル監禁等ヲ禁制スルニ偏局シテ、精神病者ノ待遇ヲ衛生上又ハ社会上方面ヨリ観察シテコレヲ擁護セントスル趣旨ヲ放置シタリ。…コレヲ要スルニ現行ノ精神病者監護法ハ一、二稀有ナル不法監禁ヲ取締ランコトノミヲ眼中ニ置キテ、精神病者ヲ保護スルコトハサラニコレヲ顧ミザリシニガ故ニ、…精神病者ヲ医治ニ委ネントスルモノヲ阻害スルコト少カラズ」(呉秀三著「我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設」。東京医学会25周年記念誌2、東京医学会、1913年。復刻版、精神医学・神経学古典刊行会、創造出版、1977年)と述べているように、この法律の目的は社会にとって危険な存在である精神病者の監禁を家族に義務付け(「監護義務者」)、自宅に監禁すること(「私宅監置」)を警察の許可制にして合法化することであった。
 呉にとっては、精神医学の立場からは勿論のこと、人道上からも容認できないこの悪法を廃棄させるためには、まず著しく遅れている精神医療施設の設置を推進することが焦眉の急務であった。呉の弟子三宅鑛一によると「呉先生は盛んに諸種の雑誌に投書され、本邦に精神病者治療機関の乏しいことを嘆かれ、その機運に達せんことを咆哮されたのである」(三宅鉱一祝辞。呉教授在職25周年祝賀会、呉教授在職52周年記念文集。吐鳳堂、昭和3年)ということである。呉がわが国の精神病者に対する社会の認識と国の施策の立ちおくれを改めなければならないと決意したことがうかがわれる。呉の支持者代議士山根正次によって「官公立精神病院設置に関する建議案」が第27回帝国議会に提出され、衆議院において、一、二の反対意見があったが、採決の結果、可決されたのは明治44年、1911年3月21日のことである。
 しかし、この建議にもかかわらず、官公立精神病院はもとっより、民間病院の設置は一向に進まず、「精神病者監護法」によって合法化された私宅監置は全国にひろがっていった。呉はかねてから、このような国の施策の不備を改めさせるには、私宅監置の実状を明かにして、世論に訴えることが必要であると考え、巣鴨病院および東京帝国大学精神病学教室の教室員を動員して、数年がかりで全国にわたって調査を行っていたが、その成果をまとめたのが呉と樫田五郎の共著になる「精神病者私宅監置ノ実況及其ノ統計的観察。附、民間療法」で、大正7年、1918年、東京医事新誌に発表された(堂誌第2987号)。
 この報告の意味を呉は序文で次のように述べている。

 方今わが国に現存する精神病者の数はおよそ14、5万の多数に及ぶべきも、これが治療・保護に当たるべき官公立精神病院をその全数に比すれば、実に九牛の一毛たるの観あり。而して一面これが代補をなしつつある私立精神病院の収容率も亦僅少にして、この官公私三者を合するも猶ほ漸く約5000人を収容し得るに過ぎず。されば、残余13、4万人の多数なる病者は、精神病者監護法の定むる所によりこれを私宅監置室に監置し、或いは神社・仏閣に於ける祈祷・禁厭・潅滝等により、或いは民間流布の療法を以って処置せらるるなり。余は東京帝国大学医科大学精神病学教室主任として、これら病院以外に於ける処置、治療の果たしてよく病者保護の方法を得るや否や、医学的療養の目的を達し居るや否やを知らんと欲し、明治43年より大正5年に至る間、暑中休暇の都度、教室勤務の助手・副手(15人)を1府14県に派遣し、これが実地状況、殊に私宅監置の実況につき調査せしむる所ありたり。本著は即ちこれが報告を総括して記述せしものにして、冊中多数の実例に添付せる幾多の写真、図は惨憺たる監置室の光景、不完全なる民間療法の実景を真直に語って、読者をして思い半ばに過ぎしむるものあらん。病院以外における処置の甚だ悲惨にして、人をして傷心に堪えざらしむるものある所以は、一に病者の保護・治療に関する法律、並びに施設の大なる欠陥に原因するものにして、これが制度を改善し、設備を整頓するは刻下緊急の要務と謂うべし。…吾人がここにこの著を公にし、ほとんど見るに堪えざる程悲惨なる光景をも写し出して諸君子の清覧を汚す所以のものも亦この意に他ならず。吾人は博愛なる諸君子が人生における最不幸なる病者のために同情を垂れ、制度・施設の改善・速成にむかって尽力あらんことを切望してやまざるものあり。之を序と為す。
  大正7年6月25日 呉秀三識

 これは呉の名筆による序文の一部であるが、この報告の目的が私宅監置の「ほとんど見るに堪えざる程悲惨な光景を写し出す」ことによって、世論を喚起して、精神病者に関する国の制度、施設の改革を実現することにあったことがわかる。しかし、この報告が今日においても、精神障害者の医療、保健、福祉に関与する者の必読の書である所以は、今世紀初頭のわが国の精神障害者が甘受しなければならなかった運命の忠実な、科学的記録であるとともに、この精神障害者の不幸な運命を打開するための闘いの貴重なドキュメントであるからである。
 第2章には私宅監置の実状がくわしく書かれているが、調査した監置室は1府14県、364カ所で、そのうちの105カ所の実状が記述されている。66葉の写真が迫真的である。監置室をその造作の程度で、「佳良なるもの」、「普通なるもの」、「不良なるもの」、「甚だ不良なるもの」にわけているが、「佳良なるもの」、「普通なるもの」というのは家屋の中に作られた檻で、いわゆる座敷牢である。「不良なるもの」、「甚だ不良なもの」というのは、農家の入口の土間の一部や、母屋とは別に敷地の隅に建てられた掘っ建て小屋である。「不良なるもの」の一例は、母屋の入口の土間に杉丸太と古板でしきった檻で狭い出入り口があるが、2本の丸太でつっかい棒がしてあり、むしろと茣蓙がしいてあるだけである。患者は十数年、この檻に入れられたままである。「甚だ不良なもの」の一例は、裏庭の片隅に建てられた間口一間、奥行一間の掘建て小屋で、患者はこの小屋に閉じ込められて十年になると書かれている。「佳良なもの」8、「普通なるもの」27、これに対して「不良なるもの」33、「甚だ不良なもの」24というように、私宅監置の大部分が「見るに堪えざる程悲惨なる」ものである。呉は第6章 批判、第1節 私宅監置に対する批判で、私宅監置の実状を総括して次のように述べている。

 之を要するに、被監置者の運命は実に憐れむべく、又悲しむべきものなり。彼一度監置せらるるや、陰鬱・狭隘なる一室に跼蹐して、医薬の給せられるるなく、看護の到れるなく、家族は猶ほかくのごとくにして多少ともその回春の機の来たらんことを期待するものあり。殊に知らず、かくの如くにして病勢は日に日に痴呆に傾き行きて、治すべきものも不治になり了るは自然の数なることを。是に於いてか病者は遂に終生幽閉の身となりて、再び天日を仰ぐに由なきは無期徒刑囚にも似て却って遥かに之に劣るものと云ふべし。囚人にありては尚ほ病者よりは多少広濶なる自由の天地あり、狭しと雖も猶ほ清潔なる監房あり、疾病あるに際しては又監獄医の診察を受くることを得べし。精神病者の私宅に監置せらるるものに至りては、実に囚人以下の冷遇を受くるものと謂うべし。

 このような私宅監置の悲劇が何故まかり通っているのか、それを無くすためには何をしなければならないか、について述べているのが、第7章 意見 のなかの切々たる文章である。

 以上叙説せし所により吾人はわが国に於ける私宅監置の現状は頗る惨憺たるものにして行政庁の監督にも行き届かざる所あるを知れり。吾人はここに重ねて言う、私宅監置室は速やかに之を廃止すべしと。斯くの如き収容室の存在を見るは正に博愛の道に戻るものにして又実に国家の恥辱なり。…斯くの如く種々遺憾に堪えざることの存するについてはその根底一、二に止まらざるべし。精神病者監護法の不備の之に与りて有力なる原因たるに関しては先に之を述べたり。然れどもその最大原因たるは正に病者を収容すべき施設の欠けたること是なり。方今わが国においては官公立精神病院の施設はほとんど全く之を欠き、之が代補たるべき私立精神病院の収容力も亦貧弱にして、全国凡そ十四、五万の精神病者中、約十三、四万五千人の同胞は実に聖代医学の恩沢に潤わず、国家及び社会は之を放棄して弊履の如くいささかも之を顧みずと謂ふべし。今この状況を以って之を欧米文明国の精神病者に対する国家・公共の制度・施設の整頓・完備せるに比すれば雲壌月鼈の懸隔相違と云はざるべからず。わが国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし。精神病者の救済・保護は実に人道問題にして、わが国目下の急務と謂はざるべからず。

 呉はこの「意見」で、私宅監置の存在は国家の恥辱であり、これを廃止するためには私宅監置を公認している「精神病者監護法」に代えて、官公立精神病院の設置を促進するための「精神病院法」の制定が焦眉の急務であることを激しい言葉を用いて説いている。
 ここで、「私宅監置の実況」が書かれた時代について述べておきたい。年代史をひもとくまでもなく、この時代は第一次世界大戦が世界史を大きく変貌させた時代であり、わが国が明治建国につづいて発展をとげ、五大強国に列する国際地位をかためつつあった時代でもある。それが可能となったのは、第一次世界大戦で連合国の一員として参戦し、山東半島に出兵してドイツの植民地であった青島を攻略する一方、ドイツ領南洋諸島を占領して、中国及び南方侵略のあしがかりを得たこと、さらには、欧州諸国の戦争による疲弊に乗じて米国とともに経済的利益を独占することができたことなどによるところが大きい。
 戦争成金という言葉が流行し、堅実な明治の時代に代わって、華美・享楽の風潮が熾んになったこともこの時代の特徴であった。しかし、この時代の最大の特徴は軍備拡張を柱とする軍国主義の台頭であろう。いま思い出すのだが、呉らの本が出版された大正7年、わたくしは中学校の2年生であった。わたくしが通った中学校では規則で兵隊と同じような巻きゲートルを着用させられ、配属将校が指揮力をふるって号令をかけるのが毎日の朝礼のならわしであった。
 陸軍は19師団から25師団に増強され、イギリスの海軍力に匹敵する強大な八・八艦隊や航空部隊の建設が進んだのもこの時代である。第一次世界大戦を終結にみちびいたロシアの十月革命は大正6年であったが、この革命勢力の東方への浸透を防圧するために、わが国は翌年シベリアに出兵し、尼港事件など手痛い打撃を受け、なるところなく撤兵した。
 第一次世界大戦後、さらにそれにひきつづく海外出兵、そのための軍備拡張、それらが莫大な国費の消費であることは言うまでもない。それが国民生活の犠牲においておこなわれたものであることは、大正7年8月、米価の暴騰がきっかけとなって、富山県でおきた米騒動がたちまち全国に波及した一事をあげるだけで理解できるだろう。わが国の精神病者はこの時代の大衆が蒙った犠牲を、もっともはげしく深刻に、その身に背負わされたといってよい。呉らのこの本の意義は、わが国の軍国主義に対する告発として観るとき、一層正しく理解することができる。読者はこの本を読むとき、この本が国民の大部分によって世界に冠たる強国であり、天壊無窮の神国であると信じられていた大正の「聖代」に書かれたものであることを見おとしてはならない。
 「我が国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という呉の激しい抗議の言葉は、この国が軍事強国ではあっても決して万民の幸福につながっていないことを訴えたものだと思う。そして、この言葉は精神障害者擁護運動の合い言葉として、今日においても、精神障害者問題にかかわる者の心に脈々と生き続けている。
 呉の私宅監置の実況に関する報告が公表された翌年、1919年、大正8年、議員提出による法律「精神病院法」が衆議院、貴族院を通過、施行された。「私宅監置の実況」が世論と議会を動かしたことは間違いない。この法律は、官公立精神病院設立を国と府県に義務付けた点で画期的であったが、しかし同年8月4日、内務省令第7号をもって定められた「精神病院法第7条の規定に依る代用精神病院に関する件」によって、私立病院が官公立病院に代わることができるようになり、官公立病院の設置は実際には空証文にすぎず、増加したのは私立病院だけであった。このような状況を反映しているのが1921年、大正10年、第44回帝国議会衆議院で、呉の友人山根正次議員によって提出、可決された次の建議案である。

 我邦ニオケル精神病患者ハ逐年増加ノ傾向ニアリ。而シテサキニ精神病院法制定セラレタルニカカワラズ、未ダ各府県ニ之ガ設立ヲ見ザルハ誠ニ昭代ノ欠陥ナリト云ハザルベカラズ。政府ハ速カニ萬難ヲ排シテ之ガ設置ヲ命ゼラレンコトヲ望ム。

 ところで、肝心の私宅監置の動向であるが、そもそも精神病院法の制定はこれにより私宅監置を廃絶することにあった筈なのだが、それがこのように無力であることに加えて、呉が私宅監置の原因であるとして、その廃絶を強く求めた精神病者監護法が実はそのまま生き残ったのである。そこで、「精神病院法」と「精神病者監護法」という、立法の趣旨においてまったく相容れない二つの矛盾する法律が並立するという前代未聞の状況が続くことになった。このような状況のもとで、私宅監置は増えこそすれ減らないのは当然である。このことをはっきりと示しているのが、「精神病院法」施行から16年経った1935年、昭和10年に東京府立松沢病院の菅修が行った全国調査である。これによると、官公立精神病院はわずかに6施設、2000床、私立病院は133施設、1万6000床にすぎないのに対して、私宅監置は7000を越えている。
 精神病院法と精神病者監護法の並立に終止符が打たれ、私宅監置が廃止されたのは、太平洋戦争が終わってから5年後の1950年、昭和25年、「精神衛生法」が制定されたときであった。呉が「私宅監置の実況」で私宅監置の廃止を訴えてから32年の歳月が過ぎていた。呉は遂にこの日を見ることができなかった。
 呉が「私宅監置の実況」で意図した私宅監置の廃止と、そのための「精神病者監護法」の廃絶は、遂に彼の在世中実現することはなかった。しかし、このことはわたくしたちに、精神障害者の権利擁護が一朝一夕では成就しがたいことを教え、わたくしたちに不退転の決意と行動を迫るものである。呉が生きた時代に比べれば改善されたとはいえ、わが国の精神障害者の多くは依然として、医療においても、福祉においても、法のもとでの差別に悩み、「この病を受けたるの不幸」と、「この国に生まれたるの不幸」なる二重の不幸を背負って生きなければならない。だからこそ、呉秀三の「私宅監置の実況」一篇は、精神障害者擁護を目指すすべての者の座右の書として、これからも彼らを勇気づけずにはおかないであろう(この一文では呉秀三先生をはじめ諸先輩の敬称を省略したことをお許し頂きたい。なお、この一文の一部は「精神医学」第42巻第9号に掲載された拙文「呉秀三の業績」からの引用である)。

 後期 この本の復刻版は精神医学神経学古典刊行会(社会福祉法人新樹会創造印刷内)からその第一輯として1973年に刊行されているが、絶版となり、多くの読者の期待に応えることができなかった。是非読みたいという要望が多く寄せられるので、精神病者監護法施行100年を記念して、版を改めて出版することになった次第である。 

2007年11月20日 第1版第2刷発行
2007年 1月10日 第1版第3刷発行
著 者 呉秀三、樫田五郎
発行者 秋元波留夫
発行所 社会福祉法人「新樹会」創造出版
by open-to-love | 2008-01-15 20:18 | 呉秀三 | Trackback | Comments(0)