精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』………その68

滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』………その68

滝沢武久著『こころの病いと家族のこころ』(1993年、中央法規)

六 地域家族会成立の経過
 保健所や市町村を中心とする家族会の誕生は昭和四〇年の精神衛生法改正により、保健所が地域精神衛生活動の第一線と規定されてからですが、それ以前にもいくつか地域家族会が誕生していました。昭和三五年に京都府北部に我が国初の地域家族会が生まれました。背景としてはこのころ精神病院増床施策が展開中であり、まるで雨後の筍のように新精神病院開設や、他科医の転向がめざましく、また当時、向精神薬も出回り始めたとはいえ、まだインシュリンショック療法や電気ショック療法が多用されていました。多動や反抗的な患者ほど持続的にこの療法を受け、一般的に言って患者は治療を喜ばず、いわゆる医師との信頼関係というより管理治療(しかも指示的)が中心でした。精神病院の看護者も屈強な男性が採用され、無資格で病院職員としての地位も低く労働条件も悪く、その反動なのか、患者に威圧的態度で接しがちであることなど問題点の多い状況でした。それでいて、国民健康保険の本人家族は七割負担の時代で、それほど豊かでない家族には長引きつつある入院医療費は苛酷ともいえる負担でした。その対応策でもないのでしょうが、このころ地域の保健所を窓口に措置入院の経済措置拡大策が始まり、深い事情を知らない多数の家族たちには一見恩恵でした。
 その中に入院医療費公費負担を求め、リーダーシップを取る家族たちが出てきて家族会を結成していきました。栃木県でも友部病院家族会に触発され、昭和三七年に「やしお会」の芽生えが見られ、群馬県東村では国保医療費負担要求運動の形で地域家族会が誕生したと言われています。昭和四三年くらいになると、一時急速に使われた向精神薬の限界も見え始めるようになりました。改正された精神衛生法により設置された精神衛生センターや、在宅精神障害者の通院医療費公費負担制度、保健所の相談や訪問業務の結果が、従来の入院中心精神医療に飽き足らない医療関係者、保健所、センター関係者をして地域精神衛生活動の声を大きくならしめたのです。
 このように地域精神医療への期待が高まると、家族への働きかけも単に病院のみならず、保健所や市町村単位で通院公費負担申請患者家族や直接相談、訪問に関係した患者家族、措置入院患者家族と、いわば関係深い家族へ働きかけていく形で、地域家族会が生まれ出したのです。それとともに、従来の病院(入院)中心主義治療に飽き足らない家族が、地域家族会にポツポツかかわりだしました。それは病院家族会ではどうしても主治医、看護職員などに対し直接患者が病院に世話になっているため、治療内容や面会時間の少なさなどの不満表明も遠慮がちとなり、十分納得できぬ家族や、あるいは自分自身で何かもっと役立つことはないかと考える、より自立的、行動的な家族が、地域家族会で活動し始めたことによります。したがって、地域家族会の活動は、病棟懇談会など病院家族会活動プラス直接の社会復帰的働きかけや市町村などへの制度改善要求などが追加された活動となります。いわば自助(セルフケア)から当事者団体(セルフグループ)化するようになったと言えます。
by open-to-love | 2009-12-29 10:52 | 滝沢武久 | Trackback | Comments(0)