精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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滝沢武久さん政策提言②

滝沢武久さん政策提言②…第1章

第1章 科学的とは言えない精神医学に求める「精神鑑定」

■ マスコミ報道に論評する精神医学者たち
 冒頭の諸事件は、とりわけ平和な日本国民には、衝撃的な事件であった。マスコミの大報道陣も、連日の犯人の犯行理由探しに奔走していた。
 動機不明の殺傷事件が発生する度ごとに、マスメディアはその動機解明と称し、その原因解明を、精神病や精神障害問題に絡めて、犯行の動機探しを、競って精神科医や犯罪心理学者に意見を求める。彼らもまた、科学的根拠希薄なまま、それを引き受けて論評する。しかして、その論評が一人歩きし、問題をさらに複雑にするのだ。そしてついには、相変わらず昔ながらの精神医学や精神鑑定に、究明を期待する日本の司法・検察側などの姿勢に対して、私は大きな疑問を抱く。
 我が国の、刑法第39条「心神喪失」条項についても、弁護士や検察双方がその犯罪の判定者であるべき裁判官よりも「精神鑑定」と言う名の、精神医学診断に依存しすぎる。
 我が国では今まで、西欧諸国から移入した精神医学診断と言う「学問」・「科学的(EB)」「専門用語」などの大儀や名目を使って、精神障害者個人の人格を無視し、行政や政治家、市民の眼を眩まし続けてきた。なぜなら、当の西欧諸国でも「精神病」の原因は不明であり、治療技術はいまだ対症療法の域を出ていないのである。
 果たして人間の行動全般を、必ずしも科学的とは言えない「精神医学による解釈」に求め続けるのは如何なものか。異議を唱えたい。
 警察官通報による鑑定では、法令上2人の精神科指定医が、司法に代わり事件の大小で、短時間(平均1-2時間程度)の体裁を繕う程度の行政鑑定が、民間医療機関の指定医による診断行為により、容疑者の社会的処罰?が正式裁判前にほとんど決まってきたのである。
 私が多くの精神科医と接して分かったことだが、精神鑑定においても日々の診療においても、精神科医のほとんどは、他意はないが「必ず、診療報酬制度に則り何らかの病理的診断名をつける」ことで役割を果たしたと考えている方々が大半という事実である。
 先般、死刑執行がなされた連続幼女殺人事件の宮崎勤に対する精神鑑定では、3人の精神科医が三者三様の診断を下している。これは市民にも識者にも、精神科医に対する不信感を抱かせたばかりである。

■ その「診断名」が社会的な死刑宣告となる
 その精神鑑定や診断の結果によって被診断者の置かれた状況が、事件に関係なく患者や障害者に、その後大きな人権問題をはらんでいることについて全く黙殺されている。
 精神科病院に送られた当事者がその結果がどうなっているか等、確認する必要がある筈である。市民や当事者家族もそのことを司法や医療政策に期待している。
 精神科医療や精神障害者の事故・事件の報道が、市民の耳や目に大きく届くようになったのは、朝日新聞記者であった大熊一夫氏による40年近く前に出された『ルポ精神病棟』だった。それ以後、マスコミでは事件当事者に精神科受診(入通院)歴があるかどうかなどが報道されるようになった。しかしそれは、精神病患者による事故・事件が、刑事事件の実際の「犯罪率」の中で、如何にも高いかのような誤解を市民に与えることになってしまった。
 既に精神科医から「精神病」の診断を受けたことのある「患者」とその家族の立場から見れば、「診断名」そのものが患者の社会的人格の全面的否定、社会人として生きたいと望む人に、死刑宣告をするに等しいのである。診断の「重圧」を身にしみて感じるのは精神科医ではなく、市民である患者とその家族なのである。とりわけ、精神病・障害当事者や家族はこの種の報道が出るたびに大きく困惑している。
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タイトル : 嘆願書 書き方、書式
嘆願書の書き方、書式についての情報です。... more
by open-to-love | 2009-12-16 12:40 | 滝沢武久 | Trackback(1) | Comments(0)