「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」⑨
2009年 05月 29日
「精神障害者家族として、民生委員に期待すること」⑨
■9■女性問題に理解を深めよう
先に、精神疾患・障害の問題とは、障害者家庭の問題であると指摘しました。障害者家庭の問題とは、これまた多くの場合、女性の問題でもあります。
日本では、例えば子育てや高齢者介護において、女性だけではなく男性も担おう、という掛け声が盛んになっています。男性が子育て、料理、介護を学ぶ講座も開かれています。ですが、とりわけ障害者介護は「母親の役割」という風潮が根強い。男は仕事、女は家庭という性別役割分担意識は、非=障害者家庭においては薄れていているかもしれませんが、障害者家庭においては「家」制度が明瞭に残存します。家制度は民法上では廃止されましたが、意識レベルではまだ根強く、精神疾患発症といった困難の発生に伴い、それは露呈します。統計調査が存在しないので実感に頼らざるを得ませんが、精神障害者家庭の離婚率、家庭崩壊率は高い。精神障害者家庭は、障害の大変さはもとより、生活の大変さも一気にしょいこむ家庭は多い。子どもの精神疾患発症に伴うDV、離婚。さらには障害児・者を抱えた母親の生活苦…。詳しくは、添付の新聞記事をお読み下さい。
自分自身に引き合わせて考えるに、やっぱり、わが家が崩壊しないで済んだというのは、私が男だったからというのも大きい。というのは、精神障害者家族では今なお、「血のせいだ」「育て方が悪いからこうなった」などと、母親が子どもの病気の責任を担わされることがあります。私は男ですから、あれこれ言われずに済んでます。「男なのに家事をしてエラい」とほめられることもあります。これって、裏返しの性別役割分担意識の現れで、こんなこと言う人はアホですな。私は偉くもなんともありません。
そして、こうして女性問題を指摘している私自身も無謬ではなく、例えば娘に対し「お母さんをよろしくね」と言ったこともあります。この言は、「家」の問題を指摘する私自身が、娘を「家」に縛ろうとしていることにほかならない。この程度の私が女性問題について云々する資格はないのかもしれませんが、反省しつつ、障害の問題や虐待の問題を一義的に女性に負わせるような社会の風潮には、異議を唱え続けていきたいと思っています。
女性問題については、女性センターや男女共同参画センターなどで各種講座を開いていますので、そういう機会に理解を深めて下さい。
なお、わが家が崩壊しないで済んだというのは、当事者が子どもではなく、伴侶であるというのも大きい。妻は私より7歳年上ですから、生物学的に私と妻は一緒に死ぬでしょう。当事者が子どもですと、親は「親亡き後」を考えなければなりませんから、大変です。その点、7歳年下の伴侶は気楽です。でも、伴侶が病気という、自分と同じような境遇のご家族になかなか巡り会わないのは不思議です。これまた統計はありませんが、伴侶が病気になったことで離婚に至るケースが相当多いのではないかと察します。これまた女性問題ですね。私は、精神疾患を発症して離縁された女性、あるいは、子どもの発症が直接・間接的な原因となって離縁された母親を何人も知っています。
■9■女性問題に理解を深めよう
先に、精神疾患・障害の問題とは、障害者家庭の問題であると指摘しました。障害者家庭の問題とは、これまた多くの場合、女性の問題でもあります。
日本では、例えば子育てや高齢者介護において、女性だけではなく男性も担おう、という掛け声が盛んになっています。男性が子育て、料理、介護を学ぶ講座も開かれています。ですが、とりわけ障害者介護は「母親の役割」という風潮が根強い。男は仕事、女は家庭という性別役割分担意識は、非=障害者家庭においては薄れていているかもしれませんが、障害者家庭においては「家」制度が明瞭に残存します。家制度は民法上では廃止されましたが、意識レベルではまだ根強く、精神疾患発症といった困難の発生に伴い、それは露呈します。統計調査が存在しないので実感に頼らざるを得ませんが、精神障害者家庭の離婚率、家庭崩壊率は高い。精神障害者家庭は、障害の大変さはもとより、生活の大変さも一気にしょいこむ家庭は多い。子どもの精神疾患発症に伴うDV、離婚。さらには障害児・者を抱えた母親の生活苦…。詳しくは、添付の新聞記事をお読み下さい。
自分自身に引き合わせて考えるに、やっぱり、わが家が崩壊しないで済んだというのは、私が男だったからというのも大きい。というのは、精神障害者家族では今なお、「血のせいだ」「育て方が悪いからこうなった」などと、母親が子どもの病気の責任を担わされることがあります。私は男ですから、あれこれ言われずに済んでます。「男なのに家事をしてエラい」とほめられることもあります。これって、裏返しの性別役割分担意識の現れで、こんなこと言う人はアホですな。私は偉くもなんともありません。
そして、こうして女性問題を指摘している私自身も無謬ではなく、例えば娘に対し「お母さんをよろしくね」と言ったこともあります。この言は、「家」の問題を指摘する私自身が、娘を「家」に縛ろうとしていることにほかならない。この程度の私が女性問題について云々する資格はないのかもしれませんが、反省しつつ、障害の問題や虐待の問題を一義的に女性に負わせるような社会の風潮には、異議を唱え続けていきたいと思っています。
女性問題については、女性センターや男女共同参画センターなどで各種講座を開いていますので、そういう機会に理解を深めて下さい。
なお、わが家が崩壊しないで済んだというのは、当事者が子どもではなく、伴侶であるというのも大きい。妻は私より7歳年上ですから、生物学的に私と妻は一緒に死ぬでしょう。当事者が子どもですと、親は「親亡き後」を考えなければなりませんから、大変です。その点、7歳年下の伴侶は気楽です。でも、伴侶が病気という、自分と同じような境遇のご家族になかなか巡り会わないのは不思議です。これまた統計はありませんが、伴侶が病気になったことで離婚に至るケースが相当多いのではないかと察します。これまた女性問題ですね。私は、精神疾患を発症して離縁された女性、あるいは、子どもの発症が直接・間接的な原因となって離縁された母親を何人も知っています。
by open-to-love
| 2009-05-29 11:21
| 黒田:民生委員協議会講演
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