精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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『悩む力 べてるの家の人びと』感想

斉藤道雄著『悩む力 べてるの家の人びと』(みすず書房)感想

 知り合いの神父に、「祈りと願いの違いは何ですか?」と聞いた所「願いはおねだり」「祈りは生き様を通じて得た実感〜それを神に伝える事」と言う答えを貰った。だから祈りはなかなか言葉にならないのだと言う。

 なるほど。
 ならばと振り返ってみると、私のイキザマはとても臆病なものであった。それゆえ病気で苦しみ、世間に迎合出来ず、一人、闇を裂くような感じになって行ったのだろう。私に限らず、精神障害者のほとんどの方が、気が小さく、優しく、繊細故に様々な症状を引き起こして来た様に思える。

 幸い神は、臆病な私に寄り添いここまで生かして下さった。案外と祈りは天に通じていたのかもしれないと感じるこの頃である。しかし、この「病気の生き様」は周りの人間には通用しなかった。もちろん!である。親には理解されず、支援者には甘やかされ、薬や逆差別で虚勢されたような自分や仲間達を見ては絶望した。能動的になれる居場所などは無かった様に思える。もちろん、差別が怖くて、地域に病気をオープンにする事など有り得ない話だ。

 その点、「べてる」の「悩む力」を読むと、「精神障害者の生き様」と言う壮絶な祈りが、支援者に、町に、医者に、そしてなにより当事者自身に届いて、祝福の鐘が鳴っている様に思えるのだ。

 時間をかけても己の病気を見つめる当事者達、始めは精神障害を恐がっていた町の人々との連携、治せない事を認めた医者、頻繁に行われるミーティング、サボって良い会社、商売〜

 これら力の抜けたキーワード達が、一癖も二癖も個性を出しながら、けれども支え合い、いつしか利益を生み出していく奇跡〜

 神父の話によると奇跡は大騒ぎする事では無いと言う。未来を照らす道標なのだそうだ。「べてる」はこれからも進化していくのだろう〜悩みを力に変えながら〜

(病人の生様は祈り、神からの祝福云々と言う言葉は、病状の重い人の感情を逆なでする可能性もありますが、あくまでも私の個人的な感想として捉えて下さい。また自分の事で精一杯で、私より病状の重い人には、言葉の責任が持てず推測でしか言えないのをご了承下さい)

※感想(書評)、ありがとうございました。到底、オレじゃ無理な、ワン&オンリーの「読み」ですね〜。みなさんの書評の投稿もお待ちしてます。(黒田)
by open-to-love | 2009-03-30 09:08 | 所蔵書籍一覧 | Trackback | Comments(0)