精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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ひきこもりからの回復と仲間活動

※さる9月27日、一関市千厩の「酒のくら交流施設 東蔵」にて、「心の病と共に生きる仲間達連合会」(通称キララ)主催の「明るく生きる2008 こころのシンポジウム」にパネリストとして出席してきました。
 オープニングは、当事者による手踊り「玉の春小唄」と蔵サポーターによる伝承原形「玉の春小唄」。県立南光病院の阿部先生による講演「地域や家庭でできる心のケア」は、お医者さんにありがちな「上から目線」じゃなくて、実に優しかった。
 そして、一関市の精神保健ボランティアあおぞら会代表・神崎浩之さんをコーディネーターにおしゃべりシンポジウム「活動すること、仲間、つながり、心のケアについて考えよう」。そこで、私とともに発表したキララメンバーの「パンダ」さんの発表がすんげー良かったので、本人の承諾を得て、全文をブログにて紹介させていただきます。
 やっぱり、キララはすごい。(黒)

◇ひきこもりからの回復と仲間活動◇

 今、自分は心の病と共に生きる仲間達連合会キララに参加しています。参加してもう3年は過ぎたと思います。
 キララは今まで一関保健所大東支所や大東町摺沢公民館などで活動していました。参加し始めた頃は、当然、知らない人たちばかりで緊張して話ができず、どうすれば溶け込めるのかと思ったこともありました。でも、みんなが声をかけたり、いろいろと気を使ってくれたおかげで3回4回と参加の回数が増えて、溶け込めていくことができました。
 キララはいろんな活動をしています。山菜を採りに行ったり、バスで温泉に行ったり、忘年会、焼き肉、お仕事探しの座談会、他地域の精神障害者との交流会、きらリン一座を結成して精神障害当事者による寸劇公演などもやりました。また、大東町大原の水かけ祭りに毎年、参加もしています。何をするか、どんなことをどういうふうにやるか、仲間で話し合い、準備をして実施するのです。活動の基本は、月1回の定例会なのですが、必要に応じて役員会も開いています。
 数年前までの自分を考えると、こうして家の外で活動をしている自分なんて想像もできませんでした。現在28歳なのですが、もともと人と話すことが苦手で、特に女性と話すことが苦手で、友達を作ることがうまくできませんでした。中学から不登校になり、家に閉じこもるようになりました。児童相談所のお世話になったり、盛岡のことりさわ学園に1年間入所。地元の中学校も一応卒業し、職業訓練校に進学、大工の勉強をしながら定時制の方にも通いました。でも、また休むようになり、半年で辞めてしまいました。16歳から20歳までは仕事も遊びもせず、ほんとうにずっと家にいました。誰とも会いたくなくて、たまにお父さんとは車で外出しましたが、人込みはさけて、家にいるときは明るいときでもカーテンを閉めて暗くして、テレビを見たり、ゲームをしたりの毎日。当然、昼と夜が逆転した生活です。誰か自分を助けてほしいと思う気持ちと、このまま一生何もできないで、ただ年を重ねていつか死んでしまうのかなと思っていました。そういう5年間はほんとうに辛かったです。でも、ある時、近所の養鶏所で働かせてもらえることになりました。最初は、そこの家のおじいさんが迎えに来てくれました。仕事はできず、ただそこにいくだけで、会話もできずに過ごしていたし、行ったり行かなかったりし、とても迷惑をかけていたと思います。でも、そこの家の人たちはそういう自分をただ受け入れてくれました。南光病院に通院していても普通に接してくれたと思います。でも、近所の人にはできるだけ合わないようにしたし、こわいような気持ちもありました。
 そういう自分が、今はこうしてみんなの前に立ち、話をしているんです。
 似たような体験をして、病気も抱えているキララの仲間との出会いは、自分が変化するための力になりました。キララは貴重な勉強の場です。参加するたびに自分が成長できる場だとと思っているので、本当にありがたいです。自分だけでなく、キララで活動している人たちは本当にキララがなくてはならない場になっていると思います。そういうキララですが、存続問題に直面し悩んだ時期があります。それは今までキララのことを支えてくれた保健所大東支所が3月いっぱいで廃止されることが決まった時です。キララの活動場所、いろいろな活動に必要な物品の保管場所、活動に困った時に相談に乗ってくれる場所、そういうところがなくなってしまう。当事者だけでなく、家族も本当に不安でした。でも、キララを続けていきたいというみんなの気持ちを確認し、何回も話し合いをして、一関保健所に当事者主導の集まりや活動が継続できるようにと支援の要望書をだしました。キララのことを、精神障害者の仲間活動の必要性を考えてくださるようにという思いで行ったのですが、結果は「可能な限り」とか「検討してみる」というようなあいまいな回答でした。やっぱり自分たちで何とかするしかないと思いました。
 今は、千厩の皆さんのおかげで、こうして酒のくら交流施設事務所の2階を貸していただき、活動を継続できるようになり、ほっとしています。新しいメンバーも増え、この地域で自分たちらしい活動をするだけでなく、キララが千厩にきてよかったと思ってもらえるような地域に役立つ活動をしたいと考えています。
 自分は人と話すことが苦手なところがありました。でもキララに参加して、仲間といろいろな体験をしたり、いろいろな人と話をしたりするようになって、ちょっとだけ自信がついて、よし!やってみようと思えるようになった気がします。キララの活動をしていたおかげで、ピアカウンセリングの研修として東京にはじめていくこともできました。はじめての体験がキララにいるとどんどんできるんです。東京では浅草やお台場に行ったり、居酒屋で宴会もしました。
 キララがあってよかったと思います。自分と同じようなひきこもっている人がいたらキララに誘いたいと思います。
 さいごに、じぶんがこういうふうに変われたのは、ある保健師さんとの出会いがあったからだと思います。その保健師さんは、僕に挑戦する力と勇気をくれたと思います。あらためてありがとうございますと言いたいです。
 就職活動をずっとしていますが、だめだと思うと頭が真っ白になり、仕事をますます覚えられなくなったり、まだまだ未熟な自分です。もっといろいろなことを覚えていきたい。キララの仲間と支えあって、生きている意義を感じながら、この地域の人と生きていきたいと思います。障害者であることはいやだけど、でも自分は大丈夫!そういうふうにもっともっと思えるように頑張っていきます。聞いていただいてありがとうございました。

※なお、閉会セレモニーは、一同壇上にて、アカペラで「明日があるさ〜キララ編〜」を合唱。あたたかくも充実のシンポジウムでした。「パンダ」さんはじめキララのみなさん、千厩のみなさん、本当にありがとうございました。今度は盛岡でお会いしましょう。(黒)
by open-to-love | 2008-10-07 00:46 | キララ | Trackback | Comments(0)