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戦争のない時代があった

『戦争とジェンダー―戦争を起こす男性同盟と平和を創るジェンダー理論』
若桑 みどり(大月書店、2005年)

序論 理論的前提―家父長制社会とジェンダー

第1章 ひとはなぜ戦うか―若者を死に赴かせる「男らしさ」の文化的な構築

第2章 戦争のない時代があった

1 マリヤ・ギンブタス-女性考古学者の成果
 1921年リトアニアに生まれ、ドイツのチュービンゲン大学とアメリカのハーヴァード大学で学び、現在あらゆる要職を掌握するアメリカ考古学会の権威マリヤ・ギンブタス。彼女は女性の考古学者として、画期的な知見をわれわれにもたらした。彼女によれば、紀元前7000年から5000年という遠い昔、南はエーゲ海、北はチェコ、ウクライナ西部にわたる広い地域に「古ヨーロッパ」文明が花開いていた。「古ヨーロッパ」というのは、地理的には、やや海寄りの南東ヨーロッパとバルカン半島あたりの小アジアの古層をギンブタスが名付けたもので、学問的にはヨーロッパ先史考古学の対象になる。これは新石器から金石器時代への過度期にあたる。その文化は色鮮やかな彩色土器や、数多くの彫像によって知られる。
 古ヨーロッパ人は、農耕を行い、交易を行い、豊かな都市文明もつくっていた。しかし、その文化、彼女が「古ヨーロッパ文化」と呼ぶ文化は、紀元前4000年にヨーロッパ中東部に侵入した半農半牧を営むインド=ヨーロッパ語族の先祖によって壊滅させられる。しかし、その跡形は紀元前2000年紀のクレタ島のミノア文明に生き延びた。20世紀の初頭に発見されたクレタ島の古代文明は、大きな衝撃を考え、エジプトやギリシャを中心に地中海世界を考えてきた歴史家を混乱させた。1980年まで半世紀にわたって発掘しつづけた考古学者ニコラス・プラトンは、「広大な宮殿、大邸宅、農場、整然と区画された都市地区、道路網、聖域、埋葬所」をもつ「高度な文明と独自の文化芸術」に驚愕した。(Nicolas Platon, Kreta, Munchen,1968.15.)
 クレタには、紀元前6000年あたりにアナトリアから入植した小集団が女神をたずさえてきたらしい。女神とともに彼らは農業をもってきた。続く4000年のあいだにさまざまな産業圏と交易し、紀元前2000年頃、中期ミノアまたは古王宮時代には高度でしかも快適な都市文化が絶頂期にあった。考古学者は壁画その他の遺品から宗教的な娯楽として闘牛があり、男女の若者がチームをつくってその牛の背中でとんぼがえりをうっていたと述べている。この社会が男女平等であったことは、牛を相手にしたこの祭儀で男女がペアで冒険をやったということに象徴されている(マリヤ・ギンブタス、鶴岡真弓訳『古ヨーロッパの神々』言叢社、1998年)。それを読んで私は、昔からあった疑問、つまりギリシャ本土の美術と、クレタの芸術があまりにも異質であることへの説明をはじめて聞いたと思った。クレタの美術は非幾何学的、有機的で、明るい生命力にあふれ、女神像が支配し、その女神は乳房を出した美人で、水泳する女性はビキニの水着をまとい、同じ姿で、女ながら牛飛びをして躍動するのである。
 ギンブタスの研究の成果は、この文化には、長い時代にわたって、また広い地域にわたって、潤いや雨、水、そして食物によって世界の生命をはぐくむ母なる女神の形象が存在していたという考古学的証拠を十分に示したことである。彼女が示す女神像は女神が生命誕生に関わり宇宙的な力を支配する女王であることを示す宇宙生成論的な表象であった。これらの女神像は、子をみごもり出産する人間の女のイメージとして捉えられ、さらにそこから牡鹿、犬、ヒキガエル、蜂、蝶、樹木といったいろいろな生物に化身できると信じられていた。「生命を絶やさないで保持し続けるという目的こそが古ヨーロッパの神話像におけるライトモチーフであった」。
 4000年紀にこの地方に侵入した「インド=ヨーロッパ語族」や、ステップの遊牧ー牧畜民の場合とは異なり、古ヨーロッパの世界では、男性と女性が分裂することはなかった。「この2つの原理はからみ合っていた。人間の若者としてあるいは牡の動物として表された男性的な神格は、創造的で活動的な女性の力を肯定し、強調した」。なぜなら、この文化のなかでは、男性を示す男根のシンボルや仮面をつけた牛男なども出土するのであり、「それらは男性に備わっている刺激の原理、その影響なくしては何ものも成長、繁栄できない原理を表していたからである」。「いわば両方の神格は一方に従属するのではなく、相互に補足しあって威力を倍加したのである」。「古ヨーロッパの神界は、母権制社会を反映している。そこでは女性の役割は男性の役割に従うものではなく、人間の本質、つまり女性的なものと男性的なものとに潜んでいるすべての根源的な要素が、生命や世界を創造する力となった」。
 しかしながら、この古ヨーロッパ文明はクルガン族(インド=ヨーロッパ語族はその一部である)と呼ばれる民族によって滅ぼされ、そこから父系的な文化制度が支配するようになった。同様な見方をする考古学者は数多い。ソルボンヌ大学の先史原史研究センターの所長であったアンドレ・ルロワ=グーランは、旧石器時代の信仰体系は、女性的表現と象徴が中心的役割を果していた宗教を示していると結論している。
 「先史時代の芸術のすべては生命の自然的、超自然的組成に関する観念の表象」であり、「この時代の人間は、動物と人間の世界が二つの要素(男性と女性)に分かれていることを知っており、これらの二つの要素の結合が生きているすべてのものの有機的秩序を支配していることを知っていた」(若桑『象徴としての女性像ージェンダー史から見た家父長制社会の女性表象』筑摩書房、2000年、第1章「女神の没落」参照)。発掘された洞窟の中心位置に女性像が置かれており、男性象徴はその周辺にあった。いや洞窟そのものが女性の大いなる胎内であったのである。
 グーランよりやや遅れてイギリス人の考古学者ジェイムス・メラートは、それまで多くの学者があまり振り向くことのなかったアナトリア、それも先史時代に焦点を絞って、ハジュラルとカタル・ヒュイクの遺跡で数千年にわたって持続した女神崇拝文化を発見した。(James Mellart, Catal Huyuk: A Neolithic Town in Anatolia, New York, 1967)ここは近東で最大の遺跡で、6500から5700ほどの人口をもつ町と、数百の神殿があった。そこには古い壁画や、初期の布、初期の土器、粘度や石の浮き彫り、丸彫りの女神像などがあった。ここで発掘された新石器文化は、旧石器文化ともっと後の青銅器時代との「失われた輪」の発見だった。しかも、ここでは女性小像と女性的象徴が中心で、女神の神殿と礼拝像がいたるところに見出された。ここで非常に重要なことは考古学的な探究の科学的技法ー炭素の測定による年代決定法や、年輪年代学など―によって、動物の飼育、野生植物の栽培による農業革命は今から1万年も前に起こり、そこには完全に農業化した豊かな社会があったことが実証されたことである。
 文化はここからメソポタミア、コーカサス南方、カスピ海南方、南ヨーロッパに拡大していった。クレタやキプロスへは海路でわたったとされる。われわれが歴史を習った時代には、都市文明の揺籃はメソポタミアだということだったが、進歩した考古学はそれはもっと古いアナトリアにあったことを知らせた。そればかりではなく、そこでは神が女だった。つまり、男性支配と農業革命は合致しないのである。このことはフェミニストでない学者にはぞっとしないことであろう。しかし、すぐあとで紹介する女性研究者リーアン・アイスラーは、「両性のあいだの―あらゆる人びとの間の平等が新石器時代の農業革命時代の普遍的な規範だったという証拠はたっぷりある」といっている。
 実際には女神小像は、中東、中近東にとどまらず、インドのハラッパーやモヘンジョ=ダロにもある。メラートの結論もまた、祭儀や儀礼においては「母=神」が重要であったということである。新石器時代の農業経済は数千年たってわれわれの時代につながる文明の基礎となったのだが、そのような物質的社会的に偉大な躍進があったところは、普遍的に「女神崇拝」があった。発展する農業社会では母系が普通であり、信仰の中心は母神信仰だった。
 では、なぜこれらの女神たちが世界観の中心になっていたという理論が、考古学者たちによって重視されなかったか。アイスラーはそれが現代の男性中心社会の価値観にあわないからだといっている。だから、この考古学的な発見が主として第二次世界大戦以後になったのだ。また旧来考古学が、決定的に男性の世界だということもその理由になるであろう。物証によらず神話研究によって先史および古代世界の女性支配を書いた『母権制ー古代世界の女性支配』の著者バッハオーフェンは、アカデミックな世界では変人扱いだった。
(J・J・バッハオーフェン、吉原達也他訳『母権制ー古代世界の女性支配 その宗教と法に関する研究 上下』白水社、1992年。この研究によれば、もともとギリシャ各地で崇拝されていたのは女神(大地母神)であり、男性神は重要ではなかった。そこに遊牧民が入り込み、支配階級の神ゼウスを主神とするオリュンポスの神々への信仰がとって代わった。そのためゼウスは各地の地母神格の女神と交わることになった。バッハオーフェンの考え方の大枠は、「アプロディテ的娼婦制」の時代から「デメテル的母権制」の時代、そして「アポロン的父権制」の時代と、社会が「発展」したというものであるが、その説は文献研究であって考古学的根拠をもたなかった)
 文化的、心理学的な象徴の研究者ノイマンは有名な『グレート・マザー』で、「心理的な母系制時代のはじまりは先史のもやのなかに失われているが、その終焉は歴史時代の夜明けに姿をあらわしている」と述べている(エーリッヒ・ノイマン、福島章他訳『グレート・マザーー無意識の女性像の現象学』ナツメ社、1982年)。「それ以後は全く別のシンボリズムや価値観から成り立つ父系制の世界にとって代わられた。それはすなわち男性原理が支配するインド=ヨーロッパ語族の世界である」。
 古ヨーロッパの世界は男権的な近代ヨーロッパの系譜には直結していない。最初期のヨーロッパ文明は父系的要素によって荒々しく破壊されてしまい、二度と元通りにはならなかった。しかし、それはヨーロッパの創造物のなかに残り、はかり知れない豊かさをもたらしてきた。西洋文明をギリシャから説くのが普通であるが、しかし、人類の文化を深層から知るには、そのはるか前、さらに6000年遡らなければならないのだ。ギンブタスは人類の遠いふるさとを求めて、あたかも神と自然によって作られたかにみえた男性支配のはるか前に存在した古ヨーロッパにひそむ母権文化を浮き彫りにした。そして、その母権文化が、後続するファロセントリズム(男根中心主義)やファロクラシー(男根統治)によって次々に蹂躙され、改変されていったことを指摘したのである。
 
2 母系制の時代に戦争はなかった

3 男性支配の開始

4 家父長家族の誕生

5 家父長制と女性支配

6 国家の形成

7 家族国家と軍事化

第3章 「男らしさ」と戦争システム

第4章 国家、それが戦争を起こす

第5章 女性差別と戦争

終章 翌朝へ向かって

おわりに
by open-to-love | 2008-04-26 16:44 | 考古学・歴史 | Trackback | Comments(0)