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精神障害者政策と人権侵害 「家」制度、精神科特例…

精神障害者政策と人権侵害

 わが国の精神障害者の権利侵害を生み出してきた背景を、大きく3つのことに求めることができるのではないでしょうか。ひとつは、社会防衛対策としての精神障害者政策が続いてきたことです。もうひとつは、伝統的な「家」制度下での家族への責任転嫁と医療モデル下での家族責任論があります。さらにもうひとつ、精神障害者の隔離が生み出した根強い偏見をあげることができます。

(1)社会防衛としての精神障害者政策
 わが国の精神障害者に関する最初の法律は、1900(明治33)年に制定された精神病者監護法です。この法制定の目的は、精神病者のなかには社会に害悪を流すものが多いから社会に害が及ばないようにしたいという、治安を第一に考えた社会防衛思想にもとづくものでした。精神病者を保護し、社会に害を及ぼさないようにするために私宅監置(座敷牢)を合法化したのです。私宅監置するためには、後見人、配偶者、四親等以内の親族やそうした親族がいない場合には市町村長を監護義務者として任命し、警察へ届け出、行政の許可を得、私宅監置が行われたのです。1919(大正8)年に、精神病院法が制定されましたが、公立病院の建設は予算不足から一向にすすみませんでした。
 第二次世界大戦後の1950(昭和25)年に制定された精神衛生法は、これまでの私宅監置制度(座敷牢)や治安対策に代わって、精神障害者の医療や保護を行い、国民の精神的健康の保持や向上をはかることを目的としたものでした。しかし、基本的には、措置入院(精神障害者が自傷他害の恐れがある場合、都道府県知事が精神保健指定医の意見にもとづき、本人、保護者の意思に反してでも強制的に精神病院に入院させる制度)や、家族の同意による入院である同意入院が入院制度の中核であり、社会防衛思想を残したものでした。
 1964(昭和39)年、アメリカのライシャワー駐日大使が精神分裂病(統合失調症)の青年にナイフで刺されて負傷する事件が起りました。この事件に対してマスコミは一斉に「精神障害者を野放しにするな」というキャンペーンを張り、その結果、法改正の検討においては社会防衛の観点が強化され、社会復帰の施策は後退することになりました。
 さらに、今日の「心神喪失者等医療観察法」は、社会防衛政策の最たるものです。2003年7月10日に法律は成立しましたが、法案の重大な問題点が各方面から指摘され、また、日本精神科病院協会による自民党厚生労働族議員への多額の政治献金が明かになり、「金で買われた法律」との批判が急速に高まるなかで、与党による参議院での強行採決がなされ、最終的には衆議院で再議決されたのです。
 「心神喪失者等医療観察法」は、心神喪失又は心神耗弱を理由として、検察官が不起訴処分にした人や刑事裁判で無罪、あるいは減刑を受けて執行猶予になった人が対象です。対象となる行為は、殺人、放火、強盗、強姦・強制わいせつ、傷害にあたる行為です。これらの人について、裁判官1人と精神科医1人との合議体の一致した判断により、継続的な「医療を行わなければ心神喪失又は心神耗弱の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれ」がある、すなわち「再犯のおそれ」がある場合には、無期限の強制入院や、精神保健観察下の強制通院を科されるというものです。
 この法律には多くの問題点があります。
 第一には、対象行為の「再発防止」という社会防衛目的で無期限の拘禁が行われることです。これは、現在の社会参加促進をめざして地域生活支援を整備していこうとする動きに逆行するものです。
 第二には、対象行為を行う「おそれ」という予測不可能な要件で拘禁することです。当事者は、多くのストレスによって症状が再燃する可能性をもっています。それは地域生活のなかで、症状の変化を察知できるような密な支援が行われてこそ予測可能となるものです。地域で当事者を管理することでは症状の再燃を予測することはできません。
 第三に、「再入院」という隔離を受診や治療を継続するための脅しの手段にするものであり、自発的に受診し、自らの障害を受容する機会や地域生活を送る主体性を奪い取るものです。
 それでは今、どうしてこの法律が現実化してきたのでしょうか。多くの精神障害者は、社会的に責任をとることができる人たちであり、社会生活が可能な人です。しかし、この法律の国会論議が行われているときに、池田小事件をはじめとするいくつかの不幸な事件が起りました。そのとき国は、それらの不幸な事件が起った背景を明かにせず、また、不幸にして犠牲となった犠牲者への国家賠償をどのようにすすめるかといった議論も行わないまま、こうした不幸な事件を精神障害者が共通してもつ「危険性」ゆえに生じたものと結論付け、「社会防衛」という過ちをまた犯したのです。
 本書では、心神喪失者等医療観察法や犯罪被害者の支援について個別に述べることはしませんが、精神障害者の地域生活施策を議論し、整備するなかでこそ、犯罪を犯す可能性の高い精神障害者の支援が可能となると考えます。

(2)伝統的な「家」制度下での家族への責任転嫁と医療モデル下の家族責任論
 1900年の精神病者監護法では、精神病者は「監護」されるべき対象であり、それは親族(家)の責任であると定められています。もちろん、この段階の監護には、医療や治療さらに福祉といった色彩は一切含まれていませんでした。
 伝統的な「家」制度は、家長夫婦を中心とした親族で構成され、その家の財産や家業を先祖から子孫に受け継いでいく共同生活のあり方です。そのなかで精神障害をもつ人は、いわば「家」の厄介者でした。ただ、その家の秩序を乱さない限りは、家の成員として認められたのです。しかし、なんらかの形で秩序を乱した場合には、その人を家の責任で座敷牢に閉じ込めることを許可するというのが1900年法でした。こうした、伝統的な「家」制度下での家族への責任転嫁が1950年まで半世紀続いたのです。
 精神病者監護法が廃止されて精神衛生法が制定されたのが1950年です。ここでは、私宅監置を認めず精神病者は精神病院以外に収容しないことを明確にしました。その頃、抗精神病薬の導入により入院中心の処遇が主となりました。精神衛生法では、保護義務者を医療の協力者として明確に規定し、医師の診断に協力する義務や、受療場面では医師の指示に従う義務、退院時の引き取りや退院後の保護義務を家族に課したのです。
 こうして今日まで、家族に代わって家族の厄介者となった精神障害者の面倒を見る医師の指示が絶対的なものであるといった社会が創りあげられてきました。その状況下で、家族でさえ面倒をみることができない厄介者を、精神病院が面倒をみているのだから文句を言わせないといった無権利状態がつくられていきました。ものを言わずに素直に従い、最後には自分の子どもや家族だから受け入れるのは当然だという攻撃が、家族に向けられてきたのです。

(3)精神障害者の隔離が生み出した根強い偏見
 1984年の宇都宮病院事件が大きな問題になったことをきっかけに、精神医療従事者、法律家、当事者団体など各方面から、精神医療改革を求める声が高まりました。また、この問題は1984年8月に国連の「差別防止と少数者保護の小委員会」で取り上げられ、1985年5月に国際法律家委員会(ICJ)などの調査と改善勧告を受けました。
 国際法律家協会(ICJ)と国際保健専門職委員会(ICHP)の合同第一次調査団は、宇都宮病院で個別におこった患者虐待事件としてではなく、日本における精神科医療制度全体に大きな課題があり、精神衛生サービスの新たな方策、法的保護の新たな形態の検討を急がなければならないと勧告しました。ICJとICHPによる第一次勧告は、入院手続きや入院中の患者に対する法的保護の欠如や、長期にわたる院内治療が大部分を占め、これに比して地域医療及びリハビリテーションが欠如しているという治療システム全体の問題を指摘したのです。
 ところで、この調査団が驚いたことは、1967〜68年に国連の代表として来日したWHO顧問のD・H・クラークの報告に基づいた改善がほとんど実施されていないという事実でした。クラークは、東京・横浜など9つの自治体の優良・最優良t言われる15の精神科病院(公立7、私立8)を訪問し、その調査結果を日本政府に勧告しました。積極的な現代的治療法や社会復帰活動を医師や看護職が会得し、仕事や日中活動のプログラムを展開すること、あまりにも頻繁に使用されている孤立や退行へ導く有害な鋼鉄製の柵や閉鎖回路式の安全区画を改善することなど、当時の収容所化したわが国の精神科病院の実態を憂いた勧告でした。宇都宮病院事件を契機にわが国を訪れた調査団は、クラークの報告と勧告を政府や専門職が賛意をもって受けとめていたにもかかわらず、どうして日本の精神科医療に変化が生じず、しかも病院内殺人という事件が生じたのか、不思議だったようです。
 宇都宮病院事件は、世界中から非難を浴びて、精神衛生法から精神保健法へという法改正のきっかけになりました。新たに、本人の意志に基づく任意入院、強制入院や行動制限の判断は指定医という資格のある精神科医のみが行うこと、患者の側が退院請求や処遇改善請求を申し立てる権利、入院時にそれらの権利を告知されること、退院などの請求や病状報告を審査する精神医療審査会、通信面会の保証や保護室収容・身体抑制についての条件などが盛り込まれました。
 しかし、常勤の精神保健指定医が不在のままで、医療保護入院や患者の行動制限を行っていた越川記念病院事件(1989年、神奈川県)や、転院した患者の死亡を契機に医療・看護体制のずさんさや患者処遇の問題が発覚した大和川病院事件(1997年、大阪府)をはじめ、精神科病院で発生した人権侵害事件は数限りなくあります。

(4)精神科特例という人権無視
 わが国には、医療法という法律があります。この医療法のなかには、精神科病院は、患者と医師や看護師の比率が他の病院や病棟よりも低い水準でよいという規定があります。他科の病院では、医師は患者16人に対して1人が必要であり、看護師は、患者3人に対して1人が必要です。しかし、精神科病院では、患者48人に対して医師が1人の基準であり、看護師は6人に対して1人(2006年以降は患者:看護師は4:1《当面の間は5:1で看護補助を含んでもよい》)となっています。
 48人入院している病棟を想像してください。内科や外科などでは、そこに3人の医師と16人の看護師が病棟スタッフとしてかかわることができます。19人の集団が、そこにはできあがります。もちろん、そこに入院している患者の治療方針やなんらかの医療や看護上の問題が生じた時の解決をめぐって集団での議論が可能となるでしょう。しかし、精神科病院では、たった1人の医師で48人の患者を治療しなければならず、スタッフ間の集団議論も非常に困難となります。

※病床種別による医療体制の基準※
【精神病床】
定義=精神疾患を有する者を入院させるための病床をいう。
人員配置基準=
「1.大学付属病院ならびに内科、外科、産婦人科、眼科および耳鼻咽喉科を有する100床以上の病院」
医師・・・16:1
看護職員・・3:1
薬剤師・・70:1
経過措置(2年6月間)
看護職員・・4:1
「2.上記以外の病院」
医師・・・48:1
看護職員・・4:1
薬剤師・150・1
(ただし当分の間、看護職員・5:1、看護補助者と合わせて4:1とすることができる)
経過措置(5年間)
看護職員・・6:1
【療養病床】
定義=主として長期にわたり療養を必要とする患者を入院させるための病床をいう。
人員配置基準=
医師・・・48:1
看護職員・・4:1
看護補助者・6・1
薬剤師・150:1
【一般病床】
定義=精神病床、結核病床、感染症病床、療養病床以外の病床をいう。
人員配置基準=
医師・・・16:1
看護職員・・3:1
薬剤師・・70:1
経過措置(へき地の病院または従前の「その他の病床」200床未満の病院)
看護職員・・4:1

(5)社会的入院という名の権利侵害
 また、わが国には社会的入院という名の権利侵害があります。「社会的入院」とは、明確な定義のある状態ではありませんが、適切な地域の支援があれば退院可能な者を社会的入院者といいます。ただ、この定義は、あくまでの判定者(医師)の主観が入るものであることを留意しなければなりません。では、どうして精神科病院の社会的入院を深刻な課題として取り上げなければならないのでしょうか。
 大島巌は、長期入院の問題を4点に分け、整理しています。第一は、施設症が高頻度で生み出されるという点です。この施設症は、無感情や特有の退行現象さらに受け身的依存性となって精神障害そのものを重症化させるのです。第二に、生活の質からは、食生活や嗜好品、趣味娯楽、社会関係、アメニティすべてにおいて恵まれた状況にあるとは言えません。第三に、病棟内の人間関係が、医師を頂点とした階層構造となっており、暴力や脅しがまかり通る素地が存在するという点です。第四点として、身体や精神の自由の阻害は、基本的人権の侵害であるという非常に重要な問題があります。
 日本国憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と、自己決定を含む幸福追求権を規定しています。
 しかし、多くの精神疾患をもつ人は、その症状が重いときにすすんで入院治療を自己決定することができません。このため、保護者と精神保健指定医との間で同意する医療保護入院や、二名の精神保健指定医が入院措置を決定する措置入院が必要となってきます。これらの非自発的入院は、本人が病状により自己決定できないときに、国が本人を保護し自己決定を補っていると考えることが必要でしょう。
 ただ、その自己決定が困難な状況は、そんなに長く続くものではありません。本人が、適切な支援を受け自己の状況を理解できるようになったとき、治療の方針や期間あるいは方法について伝えるべきでしょう。また、適宜、本人や本人の支援者を交えた治療方針の検討が行われるなかで、どのような療養生活を送るかを自己決定することが可能となるのです。そうした取り組みが行われずに、精神科病院では、パターナリズム的発想による「処遇」が展開されてきたのです。
 精神障害をもつ当事者や家族の運動が活発になり、自己の要求を主張することができなかった当事者たちが精神科医療を権利として捉え、精神科医療をともに築き上げる運動がようやく高まってきました。しかし、その運動が、医療を敵とするものとなってはなりません。パターナリズム的処遇による医療が歩んできた歴史を批判的に踏まえ、当事者が、自らの権利が護られ、最も過ごしやすい生活を支える地域福祉実践を創りあげるなかでこそ、精神科病院の社会的入院解決の道筋が明かになってくるのではないでしょうか。

シリーズ◆障害者の自立と地域生活支援6 障害者生活支援システム研究会編「精神障害をもつ人が地域でくらしていくために 介護保険統合論と、求められる社会的支援」執筆・山本耕平(かもがわ出版、2004年)
by open-to-love | 2008-03-28 22:56 | 保護者制度 | Trackback | Comments(0)