精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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「当事者主権」〜自立生活運動の歴史

1章 当事者運動の達成してきたもの
 2 自立生活運動の歴史
日本での障害当事者の運動は、神奈川県で障害児の養育に疲れた母親が、脳性まひのわが子を殺すという事件(1970年)をきっかけに起きた。その母親の減刑嘆願運動が、周囲の人たちや同じような障害児を持つ親などから起こり、世論やマスコミもそれをサポートし、執行猶予つきの判決が出された。
 1970年、それに反対する脳性まひ者たちの団体「青い芝の会」は、障害児を殺した母親は殺人者であると規定し、障害児の人権が守られないのであれば、自分たち成人の障害者の命も人にゆだねられることになる、として裁判所の判決に対して不服を申し立てた。
 72年は同時に、日本のリブこと女性解放運動にとっても、優生保護法改悪阻止の運動のピークとなった年であった。「生む、生まないは女(わたし)の権利」というスローガンを掲げて法案の成立阻止のために闘った女性の運動(のちに優生保護法改悪阻止連絡会を結成)は、中絶を国家や医者のような第三者が禁止したり認めたりすることへの反発から、「自分のからだをとりもどす」女自身の当事者運動だった。
 だが、メディアの子捨て、子殺し報道があいつぐなかで、障害者団体から、「自分たちを殺す気か」と抗議の声があがり、障害者団体と女性団体とが対立するにいたった。
 ここにはふたつの問題が潜在している。ひとつは、女が母親として生きにくい社会は、障害者が当事者として生きにくい社会と重なっているにもかかわらず、差別された当事者どうしが対立しあうという、不幸な構図が成立したことである。
 もうひとつは、たとえ社会的な弱者といえども、文脈によっては被害者から加害者になりうるということ、そしてこの点では親と子どもの利害はかならずしも一致しない、ということである。
 たとえば、障害児を家庭に抱え込んで世話をする母親は、福祉の貧困のしわよせを一手に引き受けてその負担の重さに呻吟してきたが、他方で障害を持った子どもが家から出て自立しようとすることに、もっとも反対するのも母親であるというディレンマが存在した。
 自立生活運動は、家庭からも施設からも、当事者を解放しようとした。この運動は、障害者が地域で介助を受けて暮らすという福祉サービスが提供されるようになる端緒となった。

6章 当事者が地域を変える
2 家族介護という「常識」?
 障害者が地域で暮らすためには、親の負担が当然とされるというのは、これまでの行政の誤った前提であった。民法は親の子に対する扶養義務を規定しているが、これは70歳の親が50歳の子どもの扶養をするような事態を、想定していない。早急に民法改正をして、子が成人したら親の扶養義務はないとすべきだろう。
 ちなみに民法877条にいう親族の扶養義務は、親から子への生活保持義務と、子から親への生活扶助義務とにわけられる。親は子に対しては生活を犠牲にしても扶養の義務があるが、子は親に対して生活を犠牲にしてまで面倒みる必要はない。子世代のなかには、親の介護を負担に感じている人は多い。福祉先進諸国で、高齢者介護の社会化について合意が形成しやすいのは、子世代が親の扶養義務から解放されたがっていることと無関係ではない。
 他方、親の子に対する扶養義務は、これまで家族愛の名のもとで神聖視されてきた。ましてや障害児を生んだら、それは生んだ親の責任であり、どんな犠牲を払ってでも子のために生きるのが親のつとめと思われてきた。通常、その親は当然のように女親とされ、母親は仕事も遊びもあきらめて障害を持った子のために一生をささげ、そのうえ、「この子をおいては死ねない」とばかりに、道連れ心中にまで至る場合があった。
 だが、家族愛の美名のもとに隠されているのは、障害者とその親との利害は、かならずしも一致しない、という事実である。
 親は子どもを監視と管理のもとにおいておきたいかもしれないが、子どもは親の目から解放されたい。親は障害を持った子どもを世間の目にさらしたくないかもしれないが、子どもは自由にはばたきたい。ふつうの親子ならあたりまえの親離れ・子離れが、障害者の家族に限っては、奨励されずにきた。それは障害者の自立援助という社会的な課題を、家族に背負わせ家族に封じ込めることで、障害者の自立を阻んでいる。家族に責任を転嫁することで、行政はみずからの責任にほおかむりしてきたのである。
(中西正司、上野千鶴子「当事者主権」2003年、岩波新書)
by open-to-love | 2007-08-15 18:11 | 『当事者主権』 | Trackback | Comments(0)