精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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セルフアドボカシー

Ⅳ 権利擁護とソーシャルワーク「セルフアドボカシー」

セルフアドボカシーは、権利擁護の原点である
 セルフアドボカシーとは、生活上の障害や困難のある当事者が、自分の利益や欲求、意思、権利を自ら主張し、自分自身、または他者のために権利擁護活動を行うことである。本来、アドボカシーは、当事者の「声」や「意思決定」への支援であり、彼ら自身の権利の実現を目指している。そうであるならば、第三者に権利の保護を求めるのではなく、たとえ小さくても彼ら自身が「声」を出して、主張し、自らの権利を勝ち取ろうとする活動は、権利擁護の原点といえる。

当事者の力、可能性を確信する
 セルフアドボカシーの基盤には、当事者が本来持っている力や可能性への確信がある。-たとえ貧困に苦しんでいても、障害や病気があっても、また加齢のため判断能力が衰えても、当事者には、自分や他者を信頼する力があること、また、何が自分の利益であり、権利であるかを知る力があること、さらに必要な情報があれば適切な選択を行い、決定、主張を行う力があること-こうした確信なくして、セルフアドボカシーは機能しない。そして、この確信は、人間のもつ本来の強さに目を向けるという「ストレングス視点」、また、劣悪な社会環境や障害などにより本来の力を奪われてしまった当事者に、その力を再びもたらそうとする「エンパワメント」と結びつくとき、より明確な方向性を支援する者にもたらしてくれる。

わが国でのセルフアドボカシー活動の課題
 わが国においては、これまで長い間障害をもつ当事者の遺志や欲求は、親や施設職員が代弁してきてしまったという現実がある。その功罪が問われはじめたとき、同時にそこから脱却しようとする動きも現れてきた。アメリカで発祥した知的障害者の本人活動「ピープルファースト」や「自立生活運動」の影響は、障害者本人が、適切な情報をもとに、自分の生活上のニーズや権利を自らの意思により獲得しようとする活動に勇気と力をもたらしてきた。そして、そこからさまざまな本人活動が専門家や家族の協力を受けながら活発に動き始めてきた。しかしながら、こうした障害者たちのセルフアドボカシー活動が直面する最大の課題はこれまでの施設主体の長い歴史のなかで、沈黙を強いられてきた障害者たちが、はたして「自立した権利の主体」となれるのかという命題である。自分にどのような権利があるのかも知らずに過ごしてきた障害者本人が、急には権利の主体にはなれないように、家族、施設職員、さらに社会の側にも払拭しなければならない障害者像がある。真の意味で、障害者たちが社会から「自立した権利の主体」として認められるためには、障害者自身はもちろん、家族も専門職も、市民も、障害に対する新たな価値を見出していく努力が必要となるだろう。

テクノロジーの発展とセルフアドボカシー
 近年、目覚ましい発展を遂げるテクノロジーは、障害当事者がセルフアドボカシー活動を行うための重要なサポートを与え続けている。たとえば、障害者のニーズに合わせてさまざまに研究・開発された特殊なパソコンの普及は、障害当事者が社会に参加する機会を大きく開いたといえる。特にインターネット、電子メールを活用することで当事者が自分の声を地域社会に発信することが可能となった。たとえ重い障害や病気のために寝たきりとなっても、今後、テクノロジーの力を借りて、自分の意思を自ら主張できる可能性が大きく広がっている。科学の進歩が情報化と結び付き、より人間同士をつなぐとき、偏見や無理解という壁が壊され、アドボカシーの原点にさらに近づくに違いない。(川村隆彦)
(高山直樹、川村隆彦、大石剛一郎編著『福祉キーワードシリーズ 権利擁護』2002年、中央法規)
by open-to-love | 2007-07-27 10:07 | 当事者として | Trackback | Comments(0)