精神障害がある当事者、家族、関係者、市民のネットワークを目指して


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全家連の活動の報告(前半)

全家連の活動の報告

1.家族会の誕生
 家族会は、当初病院側の計らいで生まれた病院家族会が始まりである。1960(昭和35)年頃から、青森、茨城、千葉、東京等の地域を代表する大病院で徐々に家族会が開かれるようになった。
 地域家族会は、京都府と栃木県で先駆的な活動が実を結び、1962(昭和37)年から63(昭和38)年には県内で連合的な組織が生まれるまでになった。
 1963(昭和38)年、厚生省による戦後二度目の精神衛生実態調査が実施された。この調査によれば、精神障害者は全国に124万人おり、そのうち精神病者が57万人、知的障害者(精神薄弱)40万人、その他が27万人で、医療も指導も受けていない者が65%あった。精神病者に限ると、入院が必要な者28万人であるが、精神科病棟は14万床で、治療も指導も受けていない者53%であった。この結果は直ちに好評され、パンフレットの配布や新聞報道もされたが、関係者に注目されたに留まった。なおこの年、米国ではケネディ大統領が米国議会に「精神病及び精神薄弱に関する教書」を提示し、精神障害者の隔離収容策から地域ケアへの転換を国策とした。
 ところが翌1964(昭和39)年3月、ライシャワー米大使刺傷事件が発生、精神病院入院歴のある少年の犯行ということで、精神障害者に対する警戒感が一挙に高まり、わが国では監視を強める法改正を進める動きがみられた。
 これに対し精神医療界は反対運動を展開、人権侵害を指摘する新聞報道も現れる中、各病院で反対署名活動が始まった。東京、京都、栃木などの家族会も同調、署名活動に参加した。
 その結果、緊急的な法改正の動きは阻止され、精神衛生法の改正は精神衛生審議会に諮問されることになった。
 この運動の過程で家族会の存在が明らかになり、直後に開かれた日本精神神経学会総会でのシンポジウムに、急遽家族の代表が招かれる機会を得た。参加したのは発足したばかりの全国精神障害者家族会協議会東京部会会長の石川正雄氏で、家族の苦境と家族会の必要性を訴え、満場の聴衆に多大な感動を与えた。石川氏は元朝日新聞社記者で、厚生省の大谷藤郎技官らと家族会の全国組織をつくろうと精力的な活動をしていた人である。しかし、その後間もなく過労から急逝されて、深い信頼を置いていた大谷技官を大いに悲しませた。

2.家族会全国組織(全家連)の結成
 精神衛生審議会は、1964(昭和39)年7月、精神衛生法改正に関する中間答申を発表した。保健所や地方精神衛生センターの整備等による在宅精神障害者の指導体制強化や社会復帰施設の設置など当時としては画期的な内容が含まれていた。
 この答申案に対して、すばやく反応したのは、茨城・友部病院の家族会員たちであった。すなわち「全国精神障害者家族協議会茨城部会」の名で、精神障害者を監視、取り締る暴挙は止め、中間答申に沿う事項の実現に向けて、政府及び関係方面に陳情する署名を呼び掛けたのである。
 同年9月、厚生省は答申に基づき精神衛生対策費の概算要求を発表した。しかし、景気後退による財政難から新規予算の獲得は厳しい状況にあるとみられた。大谷技官からは、患者家族の切実な声が必要だ。各県の家族会を通じて全国的に議員に働き掛けるようにしなければ現状は打開できないと示唆された。
 この差し迫った状況に、友部病院の古川院長、永田医局員らは友部病院家族会会長の瀧山氏に、全国組織の代表として予算獲得等の陳情をする必要を説いた。意を決した瀧山氏は全国主要精神病院及び家族会に手紙を送り、全国組織(全家連)の結成を呼び掛けると共に、結成前に全家連名で活動してよいか同意を求めた。大方の了解を得た瀧山氏は、10月に開かれた日本精神神経学会・精神衛生法改正対策委員会に出席、家族会の現状と希望を述べ、精神衛生法の全面改正に向けて共に活動することを誓い合った。
 12月に入ると、「全国精神障害者家族連合会」として初めて厚生大臣への陳情を行い、瀧山会長、石川あき夫人、高山秋雄氏(鳥山病院家族会会長)ら代表9人は2千人が署名した要望書を提出した。
 同月下旬、予算折衝で全家連が要求していた内容が通らない報が伝わるや、瀧山会長、古川院長らは各家族会に決起を呼び掛ける電話を掛け、医療関係者と共に厚生省へ予算復活について統一陳情を行うことにした。当日は途中から雨が降る中、陳情団は厚生省、大蔵省にデモし、代表団は首相官邸でも会見をするなどして、予算復活に成果をあげた。
 このような中、全国組織・全家連結成の機運はいよいよ高まり、翌1965(昭和40)年、東京、茨城の家族会を中核として全国の家族、病院関係者など73人が出席して結成大会準備会が開かれた。そこで、全国組織の目的、会則、組織、運動方針、予算など結成大会で提案する内容について討議され、大会開催の準備に入った。
 同年9月4日、東京(新宿)・安田生命ホールに全国から500余人の家族と関係者が集り、結成大会が開催された。大会は第一部で全家連結成のための規約や役員が決定され、会長には瀧山氏が選出された。第2部では来賓を交え、家族の体験発表や大会の要請文確認などが行われた。こうして全家連の輝かしい一歩が踏み出されたのである。

3.全家連の活動と組織の発展
 発足した全家連は、事務局を友部病院に置いて直ちに活動に入った。年2回の全家連だよりを発行すると共に、翌年には全国家族会調査を行い、活動資金として100万円募金も開始した。事務局を東京の松沢病院に移転している。
 発足して3年目の1967(昭和42)年、財団法人の認可を得、初代理事長に瀧山氏が就任、事務局を東京・聖和病院に移した。
 翌1968(昭和43)年には、早くも月刊「ぜんかれん」を創刊、相談室も開設して本格的な事業の定着が図られた。同時に保健福祉施策に対する要望活動も動き出し、この年、医療費の10割給付の請願(3万5千人の署名)と中間施設設置の請願(5万人の署名)を行った。
 以後、全国大会の開催や福祉法を初めとする保健福祉施策推進の要請など活発な活動を続け、わが国の精神保健福祉の向上に大きな役割を果した。中でも全国の家族会を通じて行う家族のニーズ調査は、行政では得られない貴重な資料を提供した。また、制度のない中での作業所設置運動など、後の法整備を促す先駆的な活動もあった。それらのあらましは、14〜15ページの全家連の年表にて確認することができる。

4.本部ビルの建設
 家族の思いを込めた諸活動が徐々に功を奏し、精神障害者福祉を入れた法改正が進むようになり、1988(昭和63)年、精神衛生法は精神保健法と改正、施行され、初めて社会復帰施設建設が認められた。そうなると事業の拡大・活発化に対処できる活動拠点と全国のモデルとなる社会復帰施設を併せた、「全家連・全国精神保健福祉センター」構想が語られるようになった。
 そのような背景がある中、全家連常務理事で東京都の家族会連合会会長の中村友保氏から用地提供の申し出があった。「障害を持った娘のために用意した土地であったが、娘が急に亡くなったので全家連に寄付し、障害者のために役立てて欲しい」との趣旨である。種々検討の末、千葉県松戸市にある土地は売却し、全国の人が集り易い上野駅近くの土地を買い求めた(約4億円)。建物の建設資金は補助金、会員募金、寄付金、長期借入金等で確保し、その土地に地下1階地上7階のビルを建てた。建物の名称は中村友保、千恵子ご夫妻の名前から「恵友記念会館」とした。現在の全家連本部ビルである。全家連事務局、通所授産施設、小規模作業所、研究所等が入居し、「全国精神保健福祉センター」としての活動の本拠となった。

5.ハートピアきつれ川の建設(前半)
 精神保健法が施行され、各地に社会復帰のための施設が稼働し始めたが、厚生省の中で、「もう少し夢のある事業、例えば自然の中で障害者が働ける温泉付き保養所みたいなものができればいいなという構想」が持ち上がった。国の予算をつけたいと予算要求をしてみたが果せなかった。民間委託でやってみたいが、恵友記念会館建設で実績のある全家連で取り組んでみないかとの打診があった。
 全家連としてもこのような施設を望んだ経緯はあったが、膨大な金額の要る大事業なので、理事会では厚生省が全面的に支援してくれるならばとのことで趣旨に賛同した。
 夢のある事業は動きも速く、用地の候補が2、3挙がる中で、検討の結果、栃木県喜連川町の県有地に絞られ、有償の払い下げが実現した。地元での説明会を始める頃、温泉地で精神障害者が働いて社会復帰を目指す保養所の建設は、マスコミの注目を集め、1992(平成4)年には新聞やテレビで報道されるところとなった。
 住民の受け入れが進む一方で、多額の建設資金の確保には、当面、公益資金の補助申請とチャリティ事業での収益が期待され、全国10カ所で北原ミレイのコンサートが計画された。…

 ここまでが、全家連バラ色の半生。以後、暗澹たる展開となります。乞うご期待(?)(黒)

5.ハートピアきつれ川の建設(後半)

6.啓発活動の要務

7.補助金不正流用の発覚

8.新体制による対応

9.募金活動と返済・返還軽減の交渉

10.障害者福祉制度改正の動き

11.借入金返済・補助金返還問題
(月刊「ぜんかれん」特別号所収「『ぜんかれん』の皆様へ」2007年4月)
by open-to-love | 2007-05-26 22:26 | 全家連 | Trackback | Comments(0)