第3章「精神の危機的状況」…1 危機を作る原因
2011年 01月 14日
増野肇著、一番ヶ瀬康子監修『精神保健とは何か』
(介護福祉ハンドブックシリーズ、一橋出版、1997年)
第3章 精神の危機的状況
ポイント
◆精神の危機は、次のような場合に生じます。
・忙しくてゆとりのない状態が続く。
・環境が変わる。(適応不安)
・自分が依存していたもの(親、配偶者、子ども、生きがい、能力、丈夫な体など)を失う。(対象喪失)
・集団の中でのコミュニケーションの障害は、慢性の危機を生みます。
◆各発達段階ではそれぞれに重要な課題があり、同時にそれは精神の危機にもつながるものです。各キーパーソンの正しい知識と援助が望まれます。特に大切な時期として第1、2反抗期、更年期があります。
◆老年期の課題は痴呆です。痴呆にはアルツハイマー型痴呆と脳血管障害型痴呆があります。
1 危機を作る原因ーどのような時に気をつけるか
(1)急激な変化、緊張が持続する時
脳の仕組みのところで述べましたが、私たちの身体は自律神経系によって自律的に調整されています。何事かに取り組んでいる時、緊張している時には、交感神経が優位に働き、血圧は上がり、心臓の鼓動は速くなり、胃液の分泌は抑えられます。つまり、闘ったり、活動するのに適した状態になるのです。それに対して、休息している時や睡眠時には副交感神経が優位になります。胃液の分泌は盛んになり、睡眠や食事に役立つ状態となります。この2つの状態がバランスよく組み合わされているのが健康な状態と言えます。ところが、予想以上の大きな危機が生じた時、多忙な状態が続き、緊張が持続するような時には、このバランスが崩れます。震災や仕事の過労などいろいろな事件が生じ、休息のとれない忙しさが持続する時は危機の時なのです。
過労は震災や経済の不況等の外部的な状況によっても生じますが、自分から好んで過労な生活に飛び込む仕事依存の状態もあります。また仕事を断ることができない自我の弱さによることもあります。
(2)適応不安
環境が変わると、これまで用いていた方法が一時的に通用しなくなります。新しい環境での対処の仕方を見つけるまで、しばらく緊張が続くことになります。これを「適応不安」と呼びます。新しい組織に入った時、クラスが変わった時、引っ越しをした時など、環境が変わった時には生活の規律も乱れがちになります。さまざまな要因が重なって心の病気が始まることがよく見られます。クラスが変わってまだ友達も見つからない時に、たまたま先生に本を読むように命じられ、声が震えたり、赤面したのをきっかけに対人恐怖が始まるなどです。何でもない時に心臓がドキドキしてもすぐ忘れ去りますが、新しいプロジェクトを任されて、緊張している時にそれが生じれば、心臓神経症のきっかけにもなります。
(3)対象喪失
人間は集団を作る動物であり、人間関係の中で育てられ一人前になります。赤ちゃんは母親なしでは生きていけません。その後、父親、兄弟、学校の先生、友人、配偶者、子どもたちといった人間関係の中で育ちます。したがって、そのように支えられている人たちと別れる時は危機となります。親の死、離婚、子どもの自立などです。このような、依存している人との別れを「対象喪失」と呼びます。
動物行動学者ローレンツは、ガンの生態の研究者ですが、一夫一婦制度のガンはそのどちらかが死ぬと、ほどなく残りの1羽も、電線に引っかかったり、キツネに捕まったりして死んでしまうと報告しています。人間でも、54歳以上の夫婦で、配偶者が死んだ場合、残った人のその後や、6カ月間の死亡率は、夫婦健在な場合に比べて40%も高いという報告や、10倍も高いといったイギリスでの報告があります。
依存対象は人間だけではありません。仕事に依存している仕事中毒の人は、定年のときに対象喪失のうつ状態に陥りやすくなります。スポーツ選手が、スポーツができなくなった時に健康を損なう場合が多いということもあります。中学で野球の正選手だった生徒が、高校ではほかにもっとうまい人がいて補欠になり、その後に、神経症の症状が出てきた例、小さい時には皆からかわいいと言われていた子どもが、思春期になりニキビが出だしてから顔の形を気にする対人恐怖になった例などがあります。あるものへの依存が強ければ強いほど、それが不可能になった時に大きな危機に陥ると言えるでしょう。
(4)所属している集団の危機
先に述べたように、人間は集団に属し、集団に支えられている動物です。したがってその集団のストレスが強くなった時には、その中でもっともストレスに弱い人にしわ寄せが強く現れます。集団のストレスは、集団のシステムが大きく変化する時に現れます。都市化などで、ある地域が急激な変化をしている時には、そこではストレスも強まり、非行、犯罪などの社会現象も生じやすくなります。
また、集団を構成する人たちの間でのコミュニケーションが悪くなると、やはりその中でのストレスは強くなります。家族であれ、学校であれ、会社であれ、その中で、だれかとだれかが対立していたり、自分の気持ちを言えず、抑圧された状態にある人がいる時には、その集団のストレスが高まり、さまざまな症状がもっとも弱い人に現れてきます。ある家では父親がアルコール依存になり、ある家では母親が対人恐怖に、ある家では子どもが登校拒否になったりします。また、ある学校に登校拒否が多発する時には、その学校での教師間の人間関係がうまくいっていないことなどが想像されるのです。
(5)危機が重なる時
ひとつの危機は小さくても、それが重なると重大なものとなります。災害の危機に、親の死という危機が重なることがあります。思春期の危機に親の離婚が重なったり、更年期と引っ越しが重なったりした時などです。また、時代を超えて、次の節で述べる発達の危機と重なることもあります。第1反抗期に母親が入院してつらい思いをした子どもが、第2反抗期に両親の不和にぶつかり学校へ行けなくなったりする例がそれで、これを〈テーマ干渉〉と言います。
したがって、何らかの症状が出てきた時に、その人の過去にさかのぼり、どのような危機があったかを点検することが必要なのです。そこで次は、ライフサイクルの中での発達にともなう危機について考えてみましょう。
(介護福祉ハンドブックシリーズ、一橋出版、1997年)
第3章 精神の危機的状況
ポイント
◆精神の危機は、次のような場合に生じます。
・忙しくてゆとりのない状態が続く。
・環境が変わる。(適応不安)
・自分が依存していたもの(親、配偶者、子ども、生きがい、能力、丈夫な体など)を失う。(対象喪失)
・集団の中でのコミュニケーションの障害は、慢性の危機を生みます。
◆各発達段階ではそれぞれに重要な課題があり、同時にそれは精神の危機にもつながるものです。各キーパーソンの正しい知識と援助が望まれます。特に大切な時期として第1、2反抗期、更年期があります。
◆老年期の課題は痴呆です。痴呆にはアルツハイマー型痴呆と脳血管障害型痴呆があります。
1 危機を作る原因ーどのような時に気をつけるか
(1)急激な変化、緊張が持続する時
脳の仕組みのところで述べましたが、私たちの身体は自律神経系によって自律的に調整されています。何事かに取り組んでいる時、緊張している時には、交感神経が優位に働き、血圧は上がり、心臓の鼓動は速くなり、胃液の分泌は抑えられます。つまり、闘ったり、活動するのに適した状態になるのです。それに対して、休息している時や睡眠時には副交感神経が優位になります。胃液の分泌は盛んになり、睡眠や食事に役立つ状態となります。この2つの状態がバランスよく組み合わされているのが健康な状態と言えます。ところが、予想以上の大きな危機が生じた時、多忙な状態が続き、緊張が持続するような時には、このバランスが崩れます。震災や仕事の過労などいろいろな事件が生じ、休息のとれない忙しさが持続する時は危機の時なのです。
過労は震災や経済の不況等の外部的な状況によっても生じますが、自分から好んで過労な生活に飛び込む仕事依存の状態もあります。また仕事を断ることができない自我の弱さによることもあります。
(2)適応不安
環境が変わると、これまで用いていた方法が一時的に通用しなくなります。新しい環境での対処の仕方を見つけるまで、しばらく緊張が続くことになります。これを「適応不安」と呼びます。新しい組織に入った時、クラスが変わった時、引っ越しをした時など、環境が変わった時には生活の規律も乱れがちになります。さまざまな要因が重なって心の病気が始まることがよく見られます。クラスが変わってまだ友達も見つからない時に、たまたま先生に本を読むように命じられ、声が震えたり、赤面したのをきっかけに対人恐怖が始まるなどです。何でもない時に心臓がドキドキしてもすぐ忘れ去りますが、新しいプロジェクトを任されて、緊張している時にそれが生じれば、心臓神経症のきっかけにもなります。
(3)対象喪失
人間は集団を作る動物であり、人間関係の中で育てられ一人前になります。赤ちゃんは母親なしでは生きていけません。その後、父親、兄弟、学校の先生、友人、配偶者、子どもたちといった人間関係の中で育ちます。したがって、そのように支えられている人たちと別れる時は危機となります。親の死、離婚、子どもの自立などです。このような、依存している人との別れを「対象喪失」と呼びます。
動物行動学者ローレンツは、ガンの生態の研究者ですが、一夫一婦制度のガンはそのどちらかが死ぬと、ほどなく残りの1羽も、電線に引っかかったり、キツネに捕まったりして死んでしまうと報告しています。人間でも、54歳以上の夫婦で、配偶者が死んだ場合、残った人のその後や、6カ月間の死亡率は、夫婦健在な場合に比べて40%も高いという報告や、10倍も高いといったイギリスでの報告があります。
依存対象は人間だけではありません。仕事に依存している仕事中毒の人は、定年のときに対象喪失のうつ状態に陥りやすくなります。スポーツ選手が、スポーツができなくなった時に健康を損なう場合が多いということもあります。中学で野球の正選手だった生徒が、高校ではほかにもっとうまい人がいて補欠になり、その後に、神経症の症状が出てきた例、小さい時には皆からかわいいと言われていた子どもが、思春期になりニキビが出だしてから顔の形を気にする対人恐怖になった例などがあります。あるものへの依存が強ければ強いほど、それが不可能になった時に大きな危機に陥ると言えるでしょう。
(4)所属している集団の危機
先に述べたように、人間は集団に属し、集団に支えられている動物です。したがってその集団のストレスが強くなった時には、その中でもっともストレスに弱い人にしわ寄せが強く現れます。集団のストレスは、集団のシステムが大きく変化する時に現れます。都市化などで、ある地域が急激な変化をしている時には、そこではストレスも強まり、非行、犯罪などの社会現象も生じやすくなります。
また、集団を構成する人たちの間でのコミュニケーションが悪くなると、やはりその中でのストレスは強くなります。家族であれ、学校であれ、会社であれ、その中で、だれかとだれかが対立していたり、自分の気持ちを言えず、抑圧された状態にある人がいる時には、その集団のストレスが高まり、さまざまな症状がもっとも弱い人に現れてきます。ある家では父親がアルコール依存になり、ある家では母親が対人恐怖に、ある家では子どもが登校拒否になったりします。また、ある学校に登校拒否が多発する時には、その学校での教師間の人間関係がうまくいっていないことなどが想像されるのです。
(5)危機が重なる時
ひとつの危機は小さくても、それが重なると重大なものとなります。災害の危機に、親の死という危機が重なることがあります。思春期の危機に親の離婚が重なったり、更年期と引っ越しが重なったりした時などです。また、時代を超えて、次の節で述べる発達の危機と重なることもあります。第1反抗期に母親が入院してつらい思いをした子どもが、第2反抗期に両親の不和にぶつかり学校へ行けなくなったりする例がそれで、これを〈テーマ干渉〉と言います。
したがって、何らかの症状が出てきた時に、その人の過去にさかのぼり、どのような危機があったかを点検することが必要なのです。そこで次は、ライフサイクルの中での発達にともなう危機について考えてみましょう。
by open-to-love
| 2011-01-14 20:29
| 増野肇『精神保健とは何か』
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