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「トリエステのシステムを支える思想と言葉」

ワールドリンク 40 イタリア

イタリアレポート(1)
「トリエステのシステムを支える思想と言葉」

伊藤順一郎(独立行政法人国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 社会復帰研究部)

久永文恵(特定非営利活動法人 地域精神保健福祉機構)

 「こころの元気+」では、これまで3回、イタリアのトリエステにおける精神保健システムについて紹介する記事を掲載してきました(22号、32号、33号)。
 私たちは去る4月中旬に、「精神病院なしのトリエステを徹底解剖するツアー」と題して、トリエステに視察に行く機会を得ることができました。
 今回の報告では、そのシステムを支える思想・考え方についてふれてみたいと思います。
 「トリエステにはすばらしい精神保健システムがある」ということは何度も耳にしていましたし、トリエステに関する文献等を目にしたり、実際に訪問した人から話を聞く機会もありました。でも心のなかのどこかで「本当にそんなにうまくいくのかな…」という疑いをもっていたこともあります。しかし、今回の訪問で実際に目にしたことも大きいのですが、出会った人々の語る言葉や姿勢にふれることで、何だか納得してしまったのです。

□トリエステのシステムを支える志

 トリエステのシステムを支えているのは、専門家や当事者、そして家族が共有しているしっかりとした志なのだと思います。志というものは、具体的に形をなしているわけではありません。それぞれの活動のなかで、その実践を行う人たちが、自らの姿勢を問われたときに、自然と、あたりまえの考え方として、言葉としてあらわれるものと、いったほうがいいかもしれません。
 それは、「ある」ものではなく、常に語られ、問い返されるなかで、人々の間に根付き、育っていくものです。語られなくなったならば、それはいつしか忘れられ、消えていってしまうでしょう。語られ、問いかけられるというプロセスのなかで、世代を超えて引き継がれているのです。
 それを、一つの言葉にまとめることはむずかしいのですが、「自由」という言葉は、一つのカギとなる言葉になるでしょう。
 「人を人として愛し、信頼すること」、「人を理解しようとすること」、そんな言葉が次にはくるかもしれません。そして「柔軟に」、「人間の生活を大切にする」という言葉がそれに続くでしょう。そして、「美しくあること、いろどりがあるということ」、それはアートとしてあること、という意味でもありますが、この言葉も欠かせない言葉です。
 このことを、少しくわしく解説した言葉としては、こんな言葉があてはまるかもしれません。
 「収容や拘束は治療ではありません。一人ひとりを理解し、その生活に寄り添い、柔軟に、敷居の低い、多様な選択肢を差し出すことが、支援なのです」

□トリエステ精神保健局の最高責任者の言葉

 ペッペ・デッラックア氏は、精神科医です。「われわれはマニコミオ(精神科病院)の歴史を断ち切るのだ」と志を持った、イタリア精神保健改革の中心人物であった精神科医フランコ・バザーリア氏とともに仕事をしてきた人として、現在もトリエステ精神保健局の最高責任者として、リーダーシップをとっています。彼との対話に何度も出てきた言葉、それは「関係のなかにわれわれは生きている」という言葉でした。
 印象的な彼の言葉のなかのいくつかを、紹介したいと思います。
 「理解しうる苦悩が、病気とラベリングされ、精神科病院に収容されることにより、忘れ去られてしまいます。個々の人間が、収容者として一律になってしまうのです」
 「われわれは病名をいったんカッコにくくり、主体としての患者が誰なのか、どんな人なのかという視点にもどり、その人との関係を築きます。学術的な解釈をいったん横に置いて、そこから自由になるのです。病気という“壁”の外で、何をしてきた人なのかを知る努力が必要なのです。それが“彼/彼女はどこから来たのかを知る”ということです。その努力の延長に、彼/彼女の希望や願いが見えてきます。そこに新しい地平が始まるのです」
 さらに、今回の旅で出会った人々の語りから、いくつかの言葉を紹介したいと思います。
 断片ではありますが、思想の輪郭を伝えてくれる言葉の集まりです。

□家族会でのご家族の言葉

 「長期の入院は、患者たちをよくするのに役立ちませんでした」
 「人間が尊厳をもって生きること、仕事をすることができること、人を愛し、ふつうの生活ができることが大切です」
 「病院を閉鎖することで、より人間的なシステムがトリエステにできあがりました」
 「私たちは、施設の非治療性を理解する必要があります。他の市民と同じように患者が町で暮らすこと。そのような市民としての選択のある社会を、維持し続けなくてはなりません。それは一つの文化のありようです」
 「(日本の状況を耳にして)精神病院で治療ができるなんて、信じられません。どうやって治療するの? 精神病院の外で治療することは、人間としてみることだし、薬も少なくてすみます。薬というものは、症状を弱めることはできるけど、治療にはつながっていかないと思います」

□精神保健医療センターのスタッフ(リハビリテーション・ワーカー)の言葉

 「柔軟であること、それが私たちの支援の大切なあり方です。サービスは個別になされなくてはなりません。ルールはあるけれど、その運用は柔軟にされています。適用範囲ではないからといってことわることはしません」
 「精神保健医療センターの環境は、訪れた人が気持ちよく過ごせるように、気楽に立ち寄れるようにつくってあります」

□救急を担当する、総合病院の精神科医の言葉

 「かつては、夜間に警察が救急対応で患者を連れてくることが多かったのですが、今ではそのようなことはほとんどありません。もちろん、たいていの日は誰かがここに入院しているけれど、みんな日中に来ます。それだけ、精神保健医療センターが機能しているのです」

□精神保健医療センターや総合病院の精神科救急で働いていた看護師ラファエロ氏の言葉

 「23年間の勤務の中で、人を拘束したり隔離したことなんて一回もないです。暴力のトラブルに巻き込まれたことは3回だけ。いずれも初対面のときばかりでした。夜間当直で待機の精神科医に電話したのは、おぼえている限り4回だけです」

□非営利のスポーツ活動の団体で活躍している当事者の言葉

 「僕たちはいろいろな人たちとスポーツを楽しんでいます。サッカーとかバレーボールとか卓球をね。そのような活動を通して、社会的な弱者と呼ばれる人たちが社会とのつながりを取り戻すことも目的としています。僕自身、スポーツを楽しんでいます。それはからだを動かすことが楽しいだけじゃなくて、人と一緒にゲームに取り組むこと、一体感が持てることなんかが、僕を元気にしてくれてもいるんです」

□社会的COOP(生活協同組合)で就労支援をしているスタッフの言葉

 「大切なことは次の6つです。①相手の能力を認知するということ、②見せかけの労働ではなく、真の労働を生み出すこと、③美的な感覚に訴える、美しく、使えるものをつくり出すこと、④市民の知性や能力をひきつけて、それらをも活用すること、⑤働く主体を単一化しないで、多様な障害や困難を抱えている人々を集めること、⑥運営資金も市場に出回っている資金や助成金、医療や福祉関係の資金など多様な資金を活用すること、こういうことが、物事をうまく動かすためのカギなんです」

□おわりに

 具体的なシステムのあり方を説明しないと、これらの言葉がどのような現実感から発せられているのかを知るのはむずかしいかもしれません。しかし、さまざまな人々のなかに、トリエステで始まり、今も続いている変革の活動の思想が根付いていることは伝わるのではないかと思います。
 ところで、実は今、トリエステをめぐる状況は必ずしも安定しているわけではありません。どちらかといえば、政治的には右傾化のなかで危機状況でもあり、トリエステの維持・発展は常に、危機にさらされています。したがって、いかにこれらの活動を、後に続くものに受け継いでいけるか、は彼らの課題でもあります。
 このときに、重要なのは思想の内容自体の継承ではありません。むしろ、思想を鍛える姿勢を、社会や体制をどのようにとらえるのか、それを問う姿勢、「考える」ことをやめない姿勢、その継承が重要なのだ、ということをトリエステで学びました。

 最後に、今年の2月までトリエステ保健公社代表(精神保健局はこの下部組織)だったフランコ・ロッテリ氏の言葉をあげておきます。
 「10年、20年という単位で見れば、生活をしている主体を取り巻く環境は少しずつ変化していきます。経済的条件、有効な薬物療法、社会文化的な環境などなどが、です。そのなかで、可能なところから、常に変革の必要性を問題にしていく、それが重要なことです。生活に密着しながら、今、このときに、何が必要なのかを、問い続けていくこと。これは単に精神科医療の改革だけではありません。あらゆる市民の、自由と、民主主義の成熟のための作業として、市民全体とともに取り組んでいく作業としてとらえ、参加することが必要なのです」

(コンボ「こころの元気+」2010年7月号)
by open-to-love | 2010-08-02 19:56 | 世界のトピック | Trackback | Comments(0)